27・ミッションはデート

 パウリーネ王妃の温室。

 中から外の様子は窺えない。硝子張りではあるのだけど、その硝子に沿うように背の高い植物が繁っているので、見通せないのだ。

 ムスタファは私の手を引っ張りながら、細く曲がりくねった小道をずんずん進む。

 と、彼は足を止め、空いた手で胸元のカメオをいじった。石が外れて、下から小さな鏡が現れる。これに温室内を映して、フェリクスが後で魔法で見る。彼はリアルタイムで見る魔法も使えるのだが、今回は使わないらしい。


 鏡を露にしたムスタファは、周りをぐるりと見渡した。

「外の庭では見たことのないものばかりだな」

「そうだね」

 というか外と違って、前世でも見覚えのないものばかりのような気がする。

 そんな多種の草花が、野山であるかのように植えられている。薬草を育てる温室らしからぬ規則性のなさだけど、そうすることで貴重なものがどれか分からないようにしているのではないだろうか。


「普通に綺麗だな。確かにデートに最適」とムスタファ。「行こう」

 再び手を引っ張られる。

 繋がれた手をちらりと見る。

 万が一パウリーネが様子を見に来たときに備えての対策らしい。

 ムスタファとは何度か手を握り握られしたけれど、繋いで歩くのは初めてだ。いかにもデートらしくて、誤判定されないか心配になる。

 彼の手はほっそりとしていて、なのに内側はマメや硬くなった皮膚があって、アンバランスだ。雰囲気的に体温は低そうなのに、意外にも温かい。


「一回りするのに、どれくらいだっけ」

「小道をゆっくり歩いて三十分」

 三十分か。

「大丈夫かな」ゲーム的に。

「心配しすぎ。お、変わってる花。見てみろよ」

 ムスタファが指差すほうを見る。確かに。

 ……これって、やっぱりデートじゃない?


 それでも任務を忘れずに、花や葉っぱを見ながらおかしなところ、例えば秘密の扉とか地下への降り口とかがないかを探す。だけど不審なところは全くない。


 と、何かが引っ掛かった。何だろう、と辺りを見る。すぐに分かった。

「スズラン」

「ん?」とムスタファ。

「あそこ」

 小道から離れただいぶ向こうにスズランが群生している。手前に背の高めの花があり見にくいけれど、確かにスズランだ。


「どうして、あるのだろう。他は見たことがないものばかりなのに」

 ううんと唸っていたムスタファは、

「……いや、外にはないのかもな」と言った。「見た覚えがない気がする」


「そうなんだ。──そうだ、カールハインツのお兄さんも、スズランが好きだったんだって。初めてした雑談がその話だったの。ゲームにはない展開だったし、感激したな」

「そう。だが、お前は俺とデート中だぞ。他の男の話なんて、してんじゃねえよ」


 ムスタファを見る。ふざけた顔はしていない。

「溺愛っぽいセリフを言うのが、ブームなの?」と小声で尋ねる。

「そういうていで、ここに入ったんだろ」

 こちらも小声。


 そうだけど。

 そうなんだけどさ。

 なんというか、落ち着かない。


 再び歩き始める。

「お前さ」とムスタファ。「シュヴァルツ攻略はどうするんだ。終わるまで一旦止めるのか、継続するのか」

「えーと、継続?」

「何で疑問形なんだよ」

「気持ちだけ、な気がするから。ルートを外れているし、何をすればいいか分からないもん。今まで通りに接するのが関の山」

「喪女だもんな 」

「うるさい」

「俺は協力はしないから」

「え?」


 周囲を見るのをやめて、ムスタファの顔を見る。

「何で?」

「こっちこそ、『何で?』だよ。前に協力していたのは、俺とバルナバス以外のルートになってほしかったから。もう俺に決まったんだから、しねえよ。お前があいつを好きなのは勝手だけど、俺は賛成できねえし」


 これって他人に聞かれてもオーケーな会話かな、なんていう疑問が湧いてくる。

 でも、そうか。木崎が手助けしてくれていたのは、ルート選択のため。もう、彼的にはする必要ない。


「分かった。今までありがと。自分だけで何とかする」

 きゅっと、繋いだ手に力が込められた。


「喪女のお前がどうするか、見ものだな。最初に啖呵を切ったくせに、俺とルーチェの手を借りても、ぐだぐだ」

「敗因はゲームを意識し過ぎて、初盤に猫をかぶっていたからだと思うの。後半の好感度の伸びを考えたら、もっと私を出して良かったんじゃないかと思う」

「分析が正しくても、実行に移せるかが問題だからな。……あ」

 小道を曲がると、急に開けた。狭いながらも長椅子一脚とテーブルがあり、そこには軽食が用意されている。温室に入る前にパウリーネが、昼食代わりにどうぞと話していた。


「どうする。食べるか? ワインもあるな」

 ムスタファは手を放して、卓に近づく。

「これだな」

 と、彼が指差したのは、見覚えのあるピスタチオののったチョコ。それがお皿に1ダースほどある。


 実は今朝方、パウリーネからムスタファにメモが届き、

『この前と同じものを用意しておいたわ!』

 と書かれていたのだそうだ。


「他なら大丈夫だろ」と木崎。

 それに私たちはツェルナーさんに、媚薬が効かなくなる術をかけてもらっている。

 安全な筈だし、『デート』としてここに入りこんだ以上、多少は食べたほうがいいかもしれない。


「少しだけ」

 そう答えるとムスタファが戻ってきて、また私の手をとった。長椅子の元に導き、座らせる。

 人付き合いが嫌いでも、中身が木崎でも、女性をエスコートできるらしい。


 何とも言えない、変な気分だ。


 そつのない王子っぷりを垣間見せたムスタファは、ワインをデキャンタからグラスに注ぎ、香りを嗅いでから口に含んだ。

 急に通ぶり始めた、と思ったのは一瞬だけで、すぐに彼は

「問題ないな」と言って、もうひとつのグラスにもワインを注ぐ。

 どうやら毒味をしてくれたらしい。


 差し出されたそれを取る。

「悔しいけど、モテてた理由が分かるよ」

「ん?」

「優しいもんね」

 しかもこういう時の木崎は、恩着せがましく『毒味してやったぞ』とか『注いでやったぞ』とかは言わない。

 紫色の瞳が私を見る。

「……お前も俺に惚れちゃうか?」

「それはない」

「つまんねえヤツ」


 ふいと視線を外しムスタファは、

「お、好物がある」

 なんて言いながら、骨付きチキンを手で取りかぶりつく。

「ちょっと!」

 あるよ、とナイフとフォークを急いで差し出す。


『たまにはワイルドに食いたいじゃん』

 多分、そんなことをもぐもぐしながら言うムスタファは、月の王とは思えない、ひどい顔をしていた。


 ◇◇


 今夜もムスタファの部屋に集合。

 ただし昨晩と違って本人、ヨナスさん、フェリクス、ツェルナーさん、私の五人。鏡に映った温室内をみんなで見るのだ。

 私が部屋に着いた時には他のメンバーは揃っていて、お酒を飲みながら談笑していたようだ。

 挨拶をして円卓の元から運ばれたひとり用の椅子に座ろうとしたら、すかさず立ち上がったフェリクスが近寄ってきた。


 これはまた腰に手を回されると察して避けようとしたら、別方向から伸びてきた手に肩を捕まれ引き寄せられた。ムスタファだった。


「なんだい、ムスタファ。参戦するのか?」

 ニヤニヤとした軽薄王子。

 それを無視したムスタファは私から手を離さず、

「宮本。あいつに密着されたいか」と訊いてきた。

「ものすごくイヤ」と正直に答える。それから「あの、この手を……」


「だそうだ」ムスタファは今度は私を無視して、フェリクスに話しかける。「本人が嫌がっている。二度と触れるな」

「卑怯な手だな」チャラ王子はまだニヤニヤしている。「だが仕方ない。善処しよう」

「次に彼女に触れたら、城からツェルナーを追い出してやる」

「ツェルナーを!」フェリクスは真顔になった。「それは困る」

「ならば答えは簡単だ」


 フェリクスが私を見た。ニヤリとしている。

「ムスタファは己の嫉妬深さを隠すことをやめたようだ」

 そうじゃない。私は本気で困っているし、木崎は八つ当たりの材料にしたから罪滅ぼしなのだ。


 ムスタファを見る。紫の瞳で見返される。

「対策はとった。これでもセクハラされたら教えろ」

 ようやく肩を掴んでいた手が離れる。

「……了解。ありがと」


 なんだかモヤモヤしながら、ひとり掛けの椅子に座った。

 どうしていつもみたいに、『フェリクスがまた戯れ言を言っている』と言わないのだろう。言わなくても分かっているだろう、ということだろうか。

 私が気にしすぎなのだろうか。


 全員揃ったからと、フェリクスが呪文を唱え始める。既にテーブルの上に魔方陣は書かれていて準備万端だ。

 やがて鏡に温室が映る。全員でそれを覗き込み、時おりフェリクスがする質問にムスタファと私が答える。


 そうして見終わったフェリクスの第一声は、

「予想が外れた。キスをしたと思わせる様子を映してくるかと考えていたのだが 」

 だった。

 ムスタファの表情が険しくなる。

「頭が沸いているのか」

「『デート』のコツを訊いてきたのは君じゃないか。うまいキスへの誘い方を教えただろう?」


 木崎みの感じられる顔で、ムスタファが私を見た。

「嘘だからな」

「分かっているって」

 木崎にそんな初歩の知識なんて必要ないのだから。


「本当だぞ、マリエット。彼の侍従に訊くといい。昨日、それを求めて私を訪ねてきた」

「口実でしょう?」

 そう、と木崎。つまらん、とフェリクス。


「殿下」

 とツェルナーさんが映像を見ながら紙に書いていたものを、フェリクスに渡す。

 それを見たフェリクスの方は、

「ああ、こんなものだろう」と答えてからそれを私たちに見せた。


 それは温室を真上から見た図で、くねくねとした線が入っている。ムスタファと私が歩いた小道だろう。長椅子と卓らしき四角、所々に植物の絵や名前もある。


「今の鏡からこれを起こしたのか」

 感嘆の声をムスタファが上げる。

「そうだ。ツェルナーは凄いだろう。王家に召し上げられて一年ほどで、この技術を会得したのだ」

 フェリクスは心持ち顎を上げて、得意げな顔だ。

「凄いな」

 とムスタファ、追随するヨナスさんと私。

「訓練すれば、誰でもできます。これより自由奔放王子の側仕えのほうが余程難しい」真顔のツェルナーさん。

「お前は一言余計だ」

「残念ながら主に似てきてしまいました」


 ふはっとムスタファの木崎が楽しそうに笑う。

「仲が良いな」

「ですね」とヨナスさん。

「それで、怪しい箇所はありそうか」と、木崎。

「これで見る限りは、ここだけだな」とフェリクスは出来立て見取り図の、椅子と卓の部分を指差した。「ここだけ石畳に見えた。そうか?」

 ムスタファはそうだと答える。

「何かあるなら、この下」とフェリクス。「出入りしやすいからな」

「もう一度入ったほうがいいか」とムスタファが尋ねる。

「いや、そこまでではないな。他の候補を潰してからでいい。君がまたマリエットと手を繋いでデートをしたいというのなら再潜入を依頼するが、どうする?」

 木崎が険しい目をチャラ王子に向ける。

「私はふざけていない」

「私もだよ」と笑顔のチャラ王子。


 どうして今日のフェリクスは、ムスタファに変な絡みをするのだろう。ルートに入ったから? ムスタファ煽り要員とか?


「別ベクトルで気になることは、ある」とフェリクス。「南方の国々で使われる薬草が混じっている。この辺りでは乾燥した輸入物しか手に入らない類いだ」

「彼は薬草学も修めています」とツェルナー。

「ツェルナーも、だ。パウリーネの母方は魔術師の血筋だと聞いている。意図して育てている可能性もあるだろうな」

「危険な植物か」

「使い方次第で良薬にも毒にもなる。なんでもそうだがな」


 スズランも毒だな、と思い出す。

 そうか。外に植えていないのは、お転婆なカルラが大人の目を盗んで、手折ると危ないからかもしれない。


「とにかくも大収穫だ。ムスタファ、マリエット、礼を言うぞ」

 チャラ王子のチャラくない声に目を向ける。晴れ晴れとした顔つきだ。

「頼んだのはこちらだ」とムスタファ。

「だが私たちも、ここだけは誰も入れなくて困っていたのだ。まさか王妃をたらしこむ訳にはいかないしな」

「あのおしどり夫婦にお前なぞがつけ入る隙はないだろう」

「私に落ちない女性はい……るな、マリエット」


 フェリクスがこちらを見る。

「殿下って、国でもこんなに軽薄だったのですか」

 王子を無視してツェルナーさんに尋ねる。

「有名だったようですよ。彼に口説かれても本気にしてはならないと、令嬢方の間では共通認識だったとか」

 ムスタファが笑っているが、微妙に伝聞形であることが気になる。


「私は引きこもりでしたから。従者が決まってからも、あちらでは社交は遠慮させていただいてました」

 そう言ったツェルナーさんは、急に表情を変えた。どこか疲れた顔に見える。

「……ということにしていますが、本当は違います。身内がとんでもないことをやらかしましてね。うちの家族は公の場に出られないのです」

「本来はそんな必要はないのだぞ」

 すかさずフォローしたフェリクスを見て、ツェルナーは弱々しげな笑みを浮かべた。

「彼の家族は父の政治の道具にされたようなものなのだ」フェリクスは言葉を重ねた。


「浅慮な質問だったでしょうか。申し訳ありません」そう言うと、ツェルナーさんが私を見た。

「いいえ。殿下がアホなのが悪いのです。あなたとムスタファ殿下に構ってもらいたいからと、余計なことばかり言うから」

 ツェルナーさんがにこりとすれば、すかさずフェリクスが

「構われたいなどと思っていないぞ」と反論する。


 仲良く応酬するふたりを三人で見守りながら今後の話を幾つかして、やがてお開きとなった。


 ◇◇


 フェリクスとツェルナーさん、そしてヨナスさんも帰り、部屋にはムスタファの木崎と私だけになった。


「毎晩遅いのもな。すぐに終わらせる。話はふたつ」

 私に残るように行ったムスタファは、そう言ってから、

「遠いから、こっち」

 と自分の隣を示した。

 先ほど灯りも落としたから、だいぶ薄暗い。この場所ではムスタファの表情がよく分からないから、近いほうが話しやすいのは確かだ。


 だけどな、と躊躇う。

 現在、ムスタファルートを進んでいて、本人はおふざけが高じて溺愛っぽいセリフを楽しんでいる。本人的には対策は講じているつもりのようだし、余裕ある態度をとるのはいつものことだ。


 でも私は不安なのだ。


「フェリクスがやけに変な絡みをしていたけど、ムスタファルートに入ったせいかな」

 動かずそう尋ねる。

「だろうな。アイツの言動はほっとけ」

「もちろん、そうするけど気になるもの。木崎は心配じゃないの?」

「ビクビク生きるのは性に合わない」

「確かに。でもなあ」


 今日のデートの対外的な理由付けというものを、みんなが揃っているときに聞いた。正直なところ、世間はどうあれ、それがゲームに有効かどうかは分からない。

 というより、意味はないのではと思う。だって傍目から見たら、雰囲気ある温室で手繋ぎデートだ。親密度がアップしている気しかしない。


 そう言うと、木崎は笑った。

「エンドは二ヵ月先だろ。今から細かいことを気にしていたら、精神がもたねえぞ。俺がちゃんとハピエンを回避してやるって」

「そうだけどさ」


 立ち上がったムスタファはこちらに来ると、私に近い長椅子のひじ掛けに腰を乗せた。


「ひとつめ。俺の専属にならないかっていう提案。ゲーム終了まで保留のつもりだったが、俺ルートになったから」

 と木崎は、私が勉学のための時間を確保できるように、と説明した。


 それはあいも変わらず魅力的な話ではある。


「俺としてはゲームよりもお前の睡眠時間が足りてるのかが、心配だ」

 なんだそれは。こそばゆいことを言うな。

「自分こそ」と平静を装って反論する。

「俺はお前と違って自分の限界についてはよく分かってるの」

「前世の話でしょ」

「前世で真面目に向き合っていたから、今世でも分かるんだよ。ま、やる気になったら、教えろ」

「どう考えても、専属侍女はゲーム展開だよ」

「エンドの前に過労死するかもしれねえぞ。ゲームのマリエットは夜中に経済の本なぞ、読んでいなかっただろ?」


 む。一理ある。


「ふたつ目」話題を変えた木崎は懐から巾着を取り出した。

「魔法アイテム。防犯ブザー」

 ふざけた調子でそう言って、右の掌の上に中身を出す。青い宝石のついたペンダントだ。サファイアだろうか。ドロップ形で鎖と土台が金。


「ヒュッポネンが話していた例のヤツ。身に付けた人間の命の危険、もしくはその者が恐怖を感じたときに発光する」

「すごい。もうできたの?」

「ヒュッポネンもベネガス商会も仕事が早い」


 ムスタファの左手に目を向ける。

「気づいていたか」と彼は手を見せる。

 中指に同じ石のついた指輪がはまっている。

「ヨナスも指輪にした。これが一番目に入りやすいからな。お前は、服の下に付けとけ」

「見えないじゃない」

「俺はピンチになんて陥らねえから」

「でも」

「なにひとつ装飾品をつけてないお前が急にこれを付けたら、それこそマズイ噂が立つぞ。俺とお揃いの高級ブルーサファイアを自ら身にまとう、つまりは自らムスタファとの仲を認めたって」


 木崎はひょいと立ち上がると私の背後にまわり、さっと首に装着した。

 前世で相当、彼女につけてあげたのだろうと思われるスムーズさだ。

「手慣れすぎ」

「……気にすんな」


 胸元に存在感のある宝石。小粒だけど濃い青と華やかな煌めきが目を引く。確かにあることないこと、噂されそうだ。

 元のひじ掛けに腰を下ろしたムスタファを見る。

「ありがとう。慰謝料があるから代金を払うね」

「足りねえから、いい」

「え」


 一体幾らなんだ。

「瀕死になる可能性があるムスタファルートにしろと言ったのは俺だ。これは俺の安心料」

「……昨日から木崎が優しすぎて怖いんだけど。中身、本当に木崎?」

「当たり前。ヨナスからも貰ってないから、いいんだよ」とムスタファ。「ちなみにあいつは彼女に見せてから付けるんだそうだ」

「分かった。ありがたく、いただくね」

「よし。話は終わり。送る」

「二日連続、王子に送られる見習いってどうなの?」

「俺専属になって、隣の部屋に住めよ。それなら送りを省ける」

「それ、愛人の位置じゃない?」

「そうか。じゃあ、まずいな」

 木崎はそう返して立ち上がった。


 ◇◇


 ベッドに入る。今夜は満月に近い月が出ているお陰で、灯りがなくても部屋は明るい。見慣れた天井を見上げ、胸の上の重みを感じる。

 ペンダントを寝ているときも付けていろ、と木崎に言われた。


 どうにも木崎が優しくて気持ち悪い。前世のアイツだったら、私がフェリクスと望まないハピエンを迎えようが、気にしないだろう。


 ムスタファの木崎は、前世の木崎でしかなかった木崎とは違う人間だ。ここ数ヶ月でそれはよく実感している……のだけど、調子が狂う。彼のルート選択をしたことによる影響なのだろうか。

 溺愛のようなセリフを言うのがブームみたいなのも、そのせいなのだ、きっと。


 そのくせ、と温室でのことがよみがえる。

 ひとの手を握りしめて、デートみたいなシチュエーションにいても平然としているのだ。

 こっちは王子の中身が木崎とはいえ、慣れない状況に落ち着かなくて大変だったのに。緊張しているなんて知られたら確実にバカにされるから、必死になんともないフリをしていたけれど、疲れた。


 ひとのことを喪女とあげつらうくせに、そのへんの配慮は無頓着なのだから、頭にくる。きっと木崎には普通のことすぎて、気にも止めていないのだろう。ちゃんと距離感を考えてと頼んだのに。


 ゲームエンドまで二ヵ月。誤判定されずに乗り切ることが、本当にできるのだろうか。

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