25・前半戦終了

 カールハインツからもらったお守りはなくなってしまった。翌日ヨナスさんとふたりで、ムスタファの部屋を刑事ドラマの鑑識かというくらい詳細かつ丁寧に探したけど、みつからなかった。

 推しにもらったものを失くすなんて、我ながら信じられない間抜けさだ。悔しいやら悲しいやら。こんな風では好感度が上がるはずがない。


 一方で木崎もずっと態度が微妙だ。不機嫌、というのではないけど口数が明らかに少なくて、軽口もない。


 そりゃ、言動を考えてとは言ったけど。極端すぎる。

 ……いや、私がわがままなのだ。木崎なりに考えてのことなのだろう。

「もうそろそろ、ルート選択だろ。ちゃんと攻略してるのか」

 一度、木崎にそう尋ねられたから。

 やりにくい、と私が思うのがお門違いなのだ。


 ◇◇


 突然ルーチェが退職した。夜に私の部屋を訪ねてきて、

「今日付けで退職したの。明日にはここを出るわ」

 と震える声で告げらたあとは大号泣。どうやら実家の都合らしい。翌早朝には出立してしまった。




 侍女がひとり辞めても仕事は何も変わらない。今日はカルラと遊ぶ日で、最初はいつものように剣術ごっこをしていたのだけど、彼女が突然マリーと散歩に行くと駄々をこね始めた。


 乳母や侍女たちが『では近衛を呼んで』なんて言っている間にカルラは駆け出し部屋から逃走。

 慌てて追おうとした私を引き留めた乳母はため息まじりに、

「多分、あなたのせい」と言った。「意外でしょうけどカルラ様は人をよく見ているの。だから侍女の好き嫌いが激しいのよ。今日のあなたは元気がないと、カルラ様は気づいてる。楽しくなってほしくて散歩をしたいと言ったのだと思うわ」


「すみません、いつも通りにしているつもりなのですが」

「……ルーチェはたったひとりの友達だったものね」

 乳母はぽんぽんと私の背を叩いた。優しい手つきだった。

「さあ、追いましょう」


 先に出た侍女の後ろ姿を追う。

 カルラと乳母の優しさに泣きそうだ。


 廊下を駆ける私たちを見て、すれ違う人びとがカルラの去った方向を教えてくれる。

 小さいのに足が早いので、すぐに見失ってしまう。


 もうすぐ外に出る、という間際で侍女が彼女を捕まえて抱き上げた。じたばたと暴れるカルラ。

「イヤよ!今日はマリーに捕まりたいの!」

 侍女が私を見る。はあっとため息をついたかと思うと、彼女を下ろした。脱兎のごとく駆け出す王女。

「任せるわ」と侍女。


 ありがとうございますと答えて私も走り出す。みんな良い人だ。

 外に飛び出し、障害物競走でもしているかのように植木の下をくぐり、階段を飛び降り、噴水のへりに上るカルラ。あちこちを走り回り、私の手に捕まりそうになると


「まだダメ!」


 と叫ぶ。

 これでは散歩でなくて鬼ごっこだ。段々と追いかけることが楽しくなってきた。

 それでもやがてやんちゃ姫の速度は落ちて、私に捕らえられた。

「捕まっちゃった!」

 と言うカルラは息が上がっているけど、満面の笑みだ。


「マリーにこれを見せたかったの」

 カルラが指差す。

 そこは庭園の中の一隅で花の園と呼ばれている場所だった。人工的に整えられた他の庭園とは違って、イングリッシュガーデン風に多種雑多な花々が入り乱れ咲いている。中央にある噴水もわざと風化したように加工がしてあり、趣がある。

 年長の王女たちもここは好きで散歩コースには必ず入っているのだけど、私はじっくり見たことがなかった。


「素敵な場所ですね」

「こっちよ、マリー!」

 カルラのもみじのような手が私の手を握りしめて引っ張る。

「これ!」と彼女が示したのは、ラベンダーだった。「カルラがお母さまと植えたの。咲いたらシュヴァにあげようと思っていたけど、ここにあるほうが可愛いから、あげないで見てもらったの。マリーにも見せてあげる」


 キラキラの瞳で私を見上げるやんちゃ姫。

 しゃがんで視線を合わせる。

「マリエットは幸せ者です」そう言ってカルラの頭を撫でなでする。「カルラ様のお花、見させていただきますね」

「うん!」

 なんてことのないラベンダーだけど、

「これほど素晴らしいお花は他にありませんね」

「うん! マリー、元気になった?」

「なりましたよ」


 カルラは嬉しそうに笑う。

 背後に気配を感じて振り返ると、息を切らせた乳母と侍女たちが追い付いたところだった。


「じゃあ、みんなで散歩ね」 とカルラ。

 苦笑を浮かべる乳母たち。

 と、ふわふわと揺れる赤いものが目に入った。

「楽しそうだ。姫、私もご一緒させていただけるでしょうか」

 そんな声と共に、庭園の入り口である白蔓薔薇のアーチをフェリクスがくぐってやって来た。ひとりだ。

 派手な赤毛の青年を前にして、

「ええと」と戸惑い顔のカルラ。

「フェリクスですよ、姫。隣国の第五王子、留学生」

「そうだわ!」と姫。「バルナバスお兄さまのお友だち」

 笑みを浮かべた軽薄王子は恭しい態度で腰を折った。

「ムスタファお兄さまとも友達ですよ。楽しそうな追いかけっこでしたね。ここまで捕まらずに逃げ切るとは、なかなかに素晴らしい」

 とたんにカルラの顔が輝く。


「そうでしょう! カルラは走るのが得意なのよ。マリーにお花を見せてあげたかったの」

「お優しい。私も一緒に拝見したいのですが、いかがでしょう」

「いいわ」


 カルラはせがんで乳母に抱っこをしてもらうと、花ばなを指差し、

「これはカルラのラベンダー。あれはヒナギク、ジキタリス」

 と誇らしげに名前をあげる。

「お母さまに教えてもらったのよ。だからカルラはシュヴァに教えてあげているの。シュヴァはね、何回教えてもすぐに忘れてしまうから」

「フェリクスは一度で覚えてみせましょう」


 二十一歳の青年と五歳の幼女は会話が弾んでいる。どんな年齢が相手でも談笑できるのは、さすがだ。


「マリー、聞いている?」

 とカルラが私を見る。

「聞いておりますよ」

「王子と王女に挟まれて気後れしているのでしょう。気にせずおいで」

 とフェリクスが私の腰に手を回した。

「だめ」とカルラ。「マリーはムスタファお兄さまのコイビトなのよ」

「違います。パウリーネ様は誤解なさっているのです」訂正する私。

「そうなの。それならフェル王子、マリーをよろしくね」

「畏まりました、姫」


 わざとらしい恭しさで礼をして、再び私の腰に腕を回すフェリクス。

「下手を打ったね」と囁いてくる。

「やめて下さい」とこちらも小声で抗議する。

「傷心の君を慰めたいのだよ」とフェリクスが通常の声で言う。

「マリー、やっぱり元気がないの?」カルラが心配げな顔になる。

「元気ですよ」

「彼女の友人が侍女を退職して、城を出て行ったのです。淋しくて消沈していますね」

「それならカルラがたくさん遊んであげるから、元気を出して!」


 カルラの可愛さにほっこりする。

 彼女の案内で楽しく散策したいのに、フェリクスが離してくれない。手をつねってやろうとしたけど、先んじて腕は捕られてしまった。余計に密着してしまうので諦めた。


「シュヴァルツ隊長に見られたくないから、お願いします」と頼んでみたら

「ムスタファと言ったなら離してあげたけどね」と返された。

 意味不明だ。


 王子と私のそんな静かな攻防を、侍女ふたりは気がついているのに知らないふりをしている。

 美しい庭園を全然楽しめない。せっかくカルラが私を癒してくれようとしたのに。


 ここはもう、王女の面前だからとか、相手は王子だからと遠慮をしている場合ではない。

 足を止めると、

「カルラ様。失礼を致します」

 と断りを入れてから、チャラ王子を見た。

「フェリクス殿下!」


「あ、ムスタファお兄さま!」

 私が呼び掛けるのと同時にカルラが声を上げた。

「お兄さまもお花を見に来たの!」

 ぴょんと乳母の腕の中から飛び降りてカルラが駆けて行った先に、ムスタファとヨナスさんがいた。


「そう」

 と木崎みゼロ、冷たい美貌を崩すことなくムスタファが言う。

「姫様がまた激しい追いかけっこをしていると聞いて、様子が気になったようですよ」

 ヨナスさんが笑顔で補足する。

「そうなの。カルラは追いかけっこが得意だもの。捕まらないんだから!」


 兄妹が会話をしている隙に、再び小声で

 離して下さいとフェリクスに頼む。だけどチャラ王子は

「よく聞こえない」

 と顔を寄せてきた。


 こんなの、また木崎にバカにされる。

 突き飛ばそうか。それしかないか。


 ぐっと力を込めた瞬間、

「分かったよ」

 その言葉と共に、ようやく解放される。


「では皆で楽しく散策としよう」

 フェリクスは胡散臭い笑顔でそう言って、ムスタファの元へ行く。

「良いとこで邪魔が入ってしまった」との軽薄な声がしたが、ムスタファの返事は聞こえなかった。

 代わりに冷たい視線が私に向けられる。


 だって、と言い訳をしたい。

 私も離してもらえるよう、努力はしたのだ。だけどダメだったのだ。

 ムスタファはすぐに妹を見て、せがまれるままに抱き上げた。

 嬉しそうに花の話をするカルラ。

 屈託のない妹に、兄の顔が柔らかくなった。


 ◇◇


 フェリクスとのことを、また頭ごなしに批判されるのだろうか。


 そう考えると気が重い。

 そろそろルート選択だろうから、なりふり構わず気合いを入れてカールハインツに接しないといけないのだけど。


 行きたくない気持ちを押し殺して、ムスタファ王子の部屋の前に立つ。開け放したままの扉から、ヨナスさんといつもの場所に座った王子が見えた。木崎みがないと、手の届かない雲の上の人に見える。


 ヨナスさんが素早く私に気付き、お早うと声を掛けてきた。ムスタファは一瞥もしない。

 回れ右をしたいけど仕事だからそうもいかず、侍女見習いらしく入室して挨拶をする。いつも通りに出て行こうとするヨナスさんに懸命に視線で、『行かないで!』と訴えたけど通じなかったようだ。


 ふたりきりの室内に、重苦しい沈黙が降りる。


 なんで木崎は喋らないのだ。

 そのことにモヤモヤしたり、苛々したり。木崎に感情を乱されていることに腹が立ったり。

 心の内がどんな風でも仕事は丁寧に。常にそう唱えていないと、手つきが雑になってしまいそうだった。


 フェリクスのことどころか、一言も言葉を交わさないまま、髪の手入れは終了。道具を片付けていると、背後で


「あれじゃ四股五股と噂されても当然だな。腰を抱かれて、庭園デートじゃ」

 と声がした。振り返るとムスタファは手入れの時と変わらないまま、こちらに背を向けて座っている。顔は見えない。


 いくら軽薄だろうがフェリクスは賓客扱いで訪れている隣国の王子で、私はしがない侍女見習い。突飛ばすなんて暴力行為はできないし、口で言って聞いてくれることもない。こんなこと何回も話してきたのに、また咎められる。


「いい加減しっかりしろ。男にだらしがない女にしか見えねえぞ」

「……木崎に迷惑はかけていない」

「は? 開き直んな。アドバイスしてやってるんだろ」

「ただ貶されているだけにしか聞こえない」

「事実を言っているだけだ」

 ムスタファの声に明確な苛立ちがにじむ。

「見てて不快なんだよ。お前のは無神経で天然な男たらしでしかないじゃん」

「……私に至らないところはあるかもしれない。だけど」


 ムスタファの、振り返りすらしない後頭部を見る。

「フェリクスは優しい。そんな刺々しい言葉は使わない。昨日はルーチェさんが突然辞めてしまって、私はものすごくショックだった。気を抜くと涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえてたんだよ。そんな私をフェリクスは気遣ってくれたの。嬉しかったよ。木崎は? 『ふうん』の一言だけだったじゃない」

「……」

 木崎からの返事はない。

「ここ数日、カールハインツの攻略の邪魔にならないようにしてくれてるのは助かっているよ。だけど、」


『だけど』なんだろう?

 自分で話しておきながら、その先に何を言いたかったのかがわからなくなってしまった。


「私のことは放っておいてくれるかな。ルート選択が近々にあると思うから、木崎の嫌味を聞いている場合じゃないの」


 道具を片し終えると、侍女見習いらしく丁寧に挨拶をしてムスタファの部屋を出た。





 何だかすごく、泣きそうだ。



 ◇◇



 鳥の鳴き声がする。まだ部屋に朝日は差していない。ほんのり薄明かるい程度だ。

 いつもより早い時間に目が覚めてしまった。寝付くのは遅かったのに。

 ──仕事に行きたくない。


 昨日のことがあるから、木崎に会いたくない。あの重苦しい空気も嫌だ。

 うっかり二度寝でもしてしまいたい。

 目をつむり、羊を数えてみる。


 バカ木崎。さっさと可愛い婚約者でも作って、苛立ちを受け止めてもらえばいいのだ。いくら私が言いやすいからって、八つ当たりするな。人の恋愛に口出しするヒマがあるなら、間宮さんみたいなゆるふわ系を必死に探せばいいじゃないか。





 ああ、ダメだ。また生産性のない思考に陥っている。

 寝るのだ。二度寝してやるのだ。


 ぎゅっとつむった瞼の奥が、力みすぎてチカチカする。


 と。どこからか音楽が聞こえてきた。乙女ゲームの曲だ。まさか。

 目を開け起き上がる。強くつむっていたせいで視界がぼやけている。

 瞬きを繰り返しようやくクリアになると、目の前には各攻略対象のウィンドウが開いていた。


『あなたは誰と恋をする?』

 そんな言葉と共に。

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