21・バルナバス

 ベルジュロン公爵邸訪問の翌日。

 やはり昨日の王子との外出のせいなのだろうか。以前カミソリを仕込んだ侍女たちに捕まり、仕事を命じられた。第一・第二王女たちの庭園散歩の付き添いだ。


 もちろんのこと私は荷物係。声を掛けてきた侍女たちはおらず、ベテランがひとりだけ。あとは護衛の近衛兵が三人。そんな中で、私は完全におもちゃ扱いだった。というより、私をおもちゃにするための散歩なのだろう。


 この飲み物は嫌いだから別のを持ってこい、冷えるから(夏間近なのに)肩掛けを取ってこい、やっぱりいらないから片付けてこい。ここで一休みするから菓子を用意しろ、これは違うからやり直し。

 そんな命令の数々で、庭園と城を何往復もする。普段は走ると怒られるけど、このときばかりは例外だ。

 寝不足の体には堪える……。



 一体何往復めになるのか、足が痛い靴を変えたいと喚く第二王女のために取ってきた新しいそれを両手で抱え、庭園の石段を掛け降りる。すぐ先のベンチに座ったふたりは、私を見て嫌な笑みを浮かべ、優雅に冷えたジュースを飲んでいた。

 こっちはフラフラで倒れそうなのに。だけど意地悪な奴には絶対弱味は見せたくない。


 と、足がスカートに突っ掛かった。前のめりに倒れる。

 王女の靴を壊したら、何を言われるか。

 咄嗟にそう考えて離れる寸前の足で階段を蹴り、半身を捻って靴が階段と私の体に挟まれないようにする。


 背中に来る衝撃を覚悟した瞬間、ふわりと宙に浮いた。そのまま王女たちに向かってふよふよと進む。一瞬、彼女たちのどちらかが魔法で助けてくれたのかと思ったけれど、ふたりとも目をみはって驚きの表情だ。


「さすがだな」と背後から聞き覚えのある声。

 返答の代わりにパチリと指を鳴らす音。

 とたんに私は落ちて、横抱えに抱き止められた。それはバルナバスだった。静かに地面に下ろされる。


「……ありがとうございます」

 まだ上がっている息を整えながら膝を折り、頭を下げる。

 鷹揚にうなずくバルナバス。心臓がバクバク鳴っている。今のは彼の魔法なのだろう。見たこともない、凄技だ。呪文も聞こえなかった。

 そのとなりにはオーギュスト。さすがと言ったのは彼にちがいない。

 それにしても午前中から男ふたりで庭の散策だろうか? 従者も近衛もついていない。


「お前たち、彼女に何をさせている」

 バルナバスが妹たちに問う。

「足が痛くなったから、靴を持ってきてもらったのよ」と屈託ない笑みの第二王女。

「何往復もさせているだろう。上から見ていたぞ」

「まあ、ヒマなお兄様」

「従者たちがだ。母上から聞いているはずだ。マリエットは兄上の大事な女性だ。苛めるな」

 なんてことだ。バルナバスまでその説を信じているのか。パウリーネの影響力、恐るべし!


「だって」と王女たちが言うのと、

「誤解です」との私の抗議が重なった。

 無礼かもしれないけど、スルーしてはならない。

「王妃様の誤解なのです。違うのです。決してそんな間柄ではないのです。本当です!」

 バルナバスに訴え、それから王女たちの顔も見た。


「あら」と第一王女が意地悪な顔をする。「それならムスタファお兄様とは何の関係もないのね」

「はい」と大きくうなずく。

「恋人だと言っておけば、苛められないのに」

 そう言ったのはオーギュストで、残念なものを見る目で私を見ている。


「オーギュスト様。苛めてなんていませんわ」と王女はしなをつくった。どうやら彼女は彼を狙っているようだ。立ち上がり、すすすと寄って行く。


「嘘をついたらムスタファ殿下がお困りになるではありませんか。それに、苛められてなどおりません」

 ダメだ、やめておけ、口を開くな。冷静な自分が頭の隅でそう言っている。王女たちの意地悪なんて可愛いもの、私は享年三十の大人だ、受け流すのだ。

 だけど寝不足のせいで働かない脳ミソは機嫌が悪く、性格の悪い王女たちに負けたくなくて気が立っている。


「パウリーネ妃殿下は孤児院出身の私にも、他の侍女と代わらない態度で接してくれるお優しい方です。あんな素晴らしい方のお子さまがたが意地悪などする訳がありません。全て必要なことなのです」

 ……ああ、言ってしまった。自らケンカを売った。ふたりの王女は言外に貶められていることに気がついているようで、ぐぬぬとうなりそうな表情になっている。


「……へえ」そう呟いたバルナバスは、爽やかな笑顔を浮かべた。「なるほど、こういうところか」

 どういうところが、何なのでしょう?

「階段を落ちたときに、足首を捻ったようだな」

「いえ、な……」

 突然、口が動かなくなった。

「乗りかかった船だ、私が医務室に運んでやろう」


 私の口はぴくりともしない。バルナバスが笑顔のまま、立てた人差し指を私に向けている。まさか魔法で動きを封じているのだろうか。意図が分からず血の気が引く。


「兄上の恋人ではないのなら、構わないな」

 清廉なイメージの第二王子はそう言って、人差し指を少しだけ動かした。私の体が宙に浮いた、と思ったら、彼にお姫様抱っこをされいた。


「おろして下さい!」

 あ、口が動いた! 広がる安堵。

「案ずるな。私はフェリクスとは違うから、ちゃんと医務室に連れていく」

「ケ……」


 ケガなどしてないと言いたかったが、また口が動かなかった。それだけではない。手も足も首も、全てだ。私を抱えているバルナバスの指が動いている気配はない。見たことのない魔法の数々。本当に魔力レベルが高いのだ。


 この人にムスタファが討伐されるルートもある。そう思ったら突如底なしの恐怖に駆られて、体がぶるりと震えた。


 ◇◇


 金髪碧眼の爽やかイケメンで、令嬢侍女に大人気の第二王子バルナバス。

 そんな人に抱き抱えられて庭園を、そして城内を進む。


 ふたりの王女は憤怒で真っ赤な顔をしていたし、ベテラン侍女はぽかんとしていた。こんな状況に出くわした者は、あの四股ビッチはすわ五股かと驚くだろう。顔がバルナバス側に傾いているのではっきりとは見えないけれど、確実に数人とすれ違っている。

 バルナバスに抗議をしたいのに、口が動かないし動けない。歯痒いし、何より身動きできないことが物凄く怖い。


 始めのうち、私の顔を見たオーギュストが

「泣きそうな顔をしているぞ」と心配そうに言ってくれた。「だいたい、どこへ行く気だ。医務室はこちらではないぞ」

 そうだそうだ、もっと言って!と叫びたい気分の私。だけどバルナバスは、

「ああでも言わなければ、どちらも引かなさそうだったからな」で終了。


 オーギュストに助けてほしいと懸命に目で訴えかけた。だが彼は、

「確かになかなか激しい性格のようだ」と納得してしまったのだった。

 ちがうのです、寝不足でイライラしていて、挙げ句に走りすぎて酸欠でもあったのです、普段の私は温厚です。そんな言い訳もできず、動かせるのは目だけ。


 彼は喋らない私に不審を感じることもなく、困った小娘だとでも言いたげな笑みを向け、それからはバルナバスとの会話に気を向けてしまった。私が動けないとは露にも思っていないらしい。それとも分かった上で素知らぬふりをしているのか。


 ふたりの攻略対象は、妹たちの我が儘にはお手上げだとか、申し訳ないが王女の好意は迷惑だとか、あるいは全く関係ないことをのんきに話している。


 途中で、

「どうかしましたか。そちらはマリエットのようですが」と麗しの声が掛けられた。姿は見えなかったけれど明らかに、カールハインツだった。

 お願い状況に気づいて助けてと祈ったがバルナバスは、

「何でもない。気にするな」

 と返答してそのまま会話は終わったのだった。

 きっとカールハインツには『バルナバス殿下まで惑わしているのか』と思われただろう。また好感度アップから遠ざかったにちがいない。


 バルナバスは何を考えているのか分からないし、オーギュストもどう関わっているのか不明。攻略対象だからおかしなことはしないとは思うけど、身動きできず魔法も使えないというのは、ひどく恐ろしい。


 とにかくいつでも何でも対応できるように冷静でいなくては。怖いながらもそう腹をくくる。

 と、いつの間にか自分が見慣れた廊下を進んでいることに気がついた。まだ足を踏み入れたことのない政務棟を通ってきたのかもしれない。この先にはバルナバスの私室がある。それから、ムスタファの。


 やがて馴染みのある扉前で歩みは止まり、少し気持ちが落ち着いた。悪いことには、ならなさそうだ。多分。


 ノックとヨナスさんの応対を経て、

「失礼するよ、兄上」

 バルナバスは朗らかな声でそう言って、私を抱えたままムスタファの私室に入った。

 ガタリと、椅子が激しく動く音。

「お届け物だ」

「何があった!」

 切迫したムスタファの声と共に近づいてくる気配がして、すぐに顔が見えた。


 私を覗きこむ見慣れた顔。ムスタファだ。木崎だ。

 ほっとして、力が抜ける。


「どうぞ、兄上」

 バルナバスが私を兄に押し付けて、私はムスタファの腕の中に移った。それと同時に体が動くようになった。

「下ろして」

 口も喉もうまく動かず、頼む声がもごもごとなる。それでも伝わったようで木崎は下ろしてくれた。

 思わずその腕にすがりそうになり、ぎりぎり踏みとどまった。ムスタファが動き、僅かに私の前に出る。近衛たちと違って細めの背なのに、頼もしく思える。


 私の動きを封じていた男は爽やかな笑顔のままだ。ムスタファが

「一体どういうことだ」と弟と私の顔を見比べる。


「彼女は妹たちに苛められていたのだよ、兄上。私が助け出した」

 バルナバスは私が庭園と城を何往復もさせられた挙げ句に、階段から落ちたこと。すんでで自分が助けたこと。王女の靴を守ろうという意気は素晴らしかったが、その余裕があるなら身を守れ、なんてことを笑顔で説明した。


「本当か? お前に怯えているぞ?」

 鋭いムスタファの声。

「もしや、怖かったか」変わらぬ笑顔のバルナバス。「暴れられると面倒だから動きを封じていた」


「そんなことができるのか」と声を上げたのはオーギュストだった。

「もちろん。暗殺者対策に使える技だ」にこりとする爽やか王子。


「だから泣きそうな顔だったのか。てっきり王子に抱えられて困惑しているのかと思った」

 オーギュストがすまなそうに私を見る。

「いや、すまん。暴れられて落としてはならないと術をかけたのだが、かえって良くなかったな」

 悪気はなさそうなバルナバス。


 まだ恐ろしさで力が入っている体を動かして、頭を下げる。

「お手を煩わせてしまい、大変申し訳ありません」

 声もぎこちない。だが爽やか王子は気にした風もなく、鷹揚にうなずく。


「では、私はこれで」と兄に言ったバルナバスは再び私を見た。「マリエット。次に妹たちに意地悪をされそうになったら、私の名前を出して構わぬ」にこり。

 清々しく健康的な笑みだ。


 私に向かってまたなと言って去る第二王子と、邪魔をして悪かったと第一王子に一言残して続く公爵令息。

 ふたりが扉の向こうに消えると、しかめ面のムスタファが、

「何があった!」

 と強い口調で私に迫った。


「彼の言った通り」そう答えてから恐怖がよみがえり、体が大きく震えた。「恐ろしい術よ! 手も足も動かない、声も出ない!」

 怖い顔のムスタファが私の腕を掴む。

「大丈夫なのか!」

「絶対ダメ、あんなのを覚せ……」


「マリエット」

 名を呼ばれ肩を掴まれる。

「座るといい。お茶をいれてあげよう」

 そう言ったのはヨナスさんで、その肩越しに所在なさげに立っているヴォイトが見えた。

 驚いて息を飲む。いつからいたのだ。危うく『覚醒前』と口にするところだった。


「私は失礼しましょう」とヴォイト。

「ああ」とうなずくムスタファ。

「待って」と私。「あんな、人の動きを封じる魔法があるのですか? 」


 ヴォイトの視線が動く。ムスタファを見たようだ。

「どうなのだ」とムスタファが王子の声音で問う。

「存在します。どちらも私がお教えしました」

「かなり高度なのでは」とヨナスさんが尋ねる。

「ええ。元々高度な術ですが、バルナバス殿下の技術は最高レベルです」


 ヴォイトの話によると、身動きを封じる技は本来ならば長い呪文が必要で、時間も数十秒が限界らしい。それをバルナバスは無詠唱で、時間も無限にかけられる。基礎を教わったあとに、ひとりでそこまでの術に磨き上げたそうだ。


「ヨナスさん。お茶はいりません。私は失礼しますので……」

 そう言いながら、初めて気が付いた。私はまだ第二王女の靴を抱えていた。

「何だそれは」私の視線で木崎も気づいたらしい。

「姫様の靴です。返しに行かないと」

「私が行きますよ」とヨナスさん。

「いえ、私が行きます。仕事途中で挨拶もせずに抜けてしまいました」

「意地悪をされていたのだろう?」そう言ったムスタファはすぐに「でもお前なら、そうか」と続けてため息をついた。

「意地悪だけど可愛いレベルです。あんなのに負けたくなくて、私も年甲斐もなく意地を張ってしまいました」

「だからアホなんだ」


「良い考えがある。マリエット、待っていて」

 ヨナスさんがそう言って続き部屋に消えた。

 間ができたのでヴォイトを見る。彼は円卓の傍らに立ち、その円卓には分厚く大きな本が何冊か。魔法書なのだろう。


 戻ってきたヨナスさんは手に何やら持っている。

「付けてあげよう」

 良い笑顔の彼が私に見せたのは、ムスタファの髪留めだった。小さな紫色の宝石、恐らくアメシストがはまり、ほんのりとヴォイト特製軟膏の香りがする。

「君はひとつも装身具をつけていない。彼女たちもさすがに牽制に気づくだろう」

「結構です!」


 冗談じゃない、噂を口で否定しておきながら見た目で肯定するなんて。


「だけどその方がムスタファ様も安心ですよね?」

「……下らないことを考えるな」

 ムスタファがヨナスさんの手から髪留めを取り上げて、上着の内側にしまった。

「心配性なのは、どなたでしょう」


「あの。魔法でなんとかならないこともないですよ」

 何故か遠慮がちな物言いで、ヴォイトが言う。

「危険に反応して、攻撃や防御が発動する魔法を彼女自身に掛ける」

「いいですね」とヨナスさん。

「ただし私ができるのは一日単位。毎日かけ直さなければなりません。正直なところ連日となるとボランティアの範疇を越えるので、殿下からの正式な依頼がほしいです」


「結構です。ご提案ありがとうございます」

 ペコリと頭を下げる。


「もうひとつ」とヴォイト。

 宝石に危険を知らせる魔法を掛けるというものもあるという。その石を分割し、必要な者が持つ。持った者が命の危険にさらされると、全ての欠片が光る。更に効果はひと月もあるという。

「お願いします」と答えたのはヨナスさんだった。「マリエット、これは承諾してもらうよ。ムスタファ様もです」


 ヨナスさんの目が先ほどまでとちがって真剣だ。

「石は三分割でお願いします。できたら内密で」

「三?」とムスタファ。

「三です」とヨナスさん。

 ムスタファは諦めたような顔をして

「ヨナスの好きにしろ」と言った。

 それから私を見る。


「お前はバルナバスの名前は出すなよ。下手にカールハインツの耳に入ったら、五股と思われる」

「……もう思われてます。すれ違ったので」

「運のない奴。もういっそ、私の髪留めを付けていたほうがいいのか?」

「遠慮します! 失礼します!」


 さささと挨拶をしてムスタファから離れる。と、腕を捕まれ引き留められた。

 ひょいと顔が寄ってきて、小さな声で耳元に

「夜に詳しく話せ」

 と囁かれたのだった。

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