20・攻めるレオン

 ベルジュロン公爵邸から戻った私たちは、ムスタファの私室で夫人から聞いたことを確認することにした。

 あれこれと議論をしていると、扉をノックする音がした。


「近衛第三部隊のトイファーです」

 綾瀬だ。三人で顔を合わせる。

「お約束しましたか」とヨナスさん。

「いいや」と木崎。

 さっと立ち上がったヨナスさんが早足で部屋を横切り、扉を開ける。

「すみません」

 姿は見えないけれどレオンの声がする。

「約束もなしに来ました。殿下とお話はできますか?」

 振り返るヨナスさんにムスタファがうなずいて了承を伝える。

 どうぞとの声に続いて、レオンの綾瀬が入って来た。


「何の用だ、綾瀬」

 木崎が問う。

「私的な抗議です、先輩」

「抗議? 座るか?」

「ありがとうございます」

 そう言ったレオンは私の隣に座った。


 ヨナスさんがグラスに冷えたお茶を入れて出す。

 どうもと綾瀬。


「確認ですけど、先輩は宮本先輩とは何でもないのですよね」

「当たり前だろ」と即、肯定する木崎。

「それなら誤解を生む行動は控えて下さいよ」


 ああ。馬車の座席のことだろう。私が馭者側に座ったら木崎は、「お前はこっちだろうが!」と自分の隣を示したのだけど、扉が開いていたので警備の近衛がまるっと聞いていた。その中には綾瀬もいて、ふてくされた顔でこちらを見ていた。でもそれは私が馬車に酔うからだ。


「彼女があなたの髪係になって、あれこれ憶測が飛び交っているんですよ。そんな中で彼女の推薦人の元に出掛ければ、当然結婚の挨拶かって噂されるし、挙げ句に馬車は並んで座っているし、どう見ても『マリエットは俺の!』ってアピールしているようにしか見えません」

「……悪い」


 木崎が謝った!

 綾瀬もあんまり素直に謝罪されたので、驚いたようだ。


「馬車は酔い止めのために、あの位置。前回、進行に背を向ける側に座って、そのアホは吐きそうになったんだよ。馬の揺れに慣れてねえの」

「……そうなんですか?」

 とレオンが私を見る。

「うん。今までの人生で馬車に乗る機会なんて、なかったからね」


「で」と木崎。「今日の訪問の目的は、俺の母親の話を聞くこと。城の人間はみんなパウリーネに忖度して、母親のことを教えてくれねえの。あの公爵夫人は社交界と縁を切っているから、話してくれるかもって考えて会ったんだ。宮本はただの仲介」


 レオンはまばたきを繰り返したあと、なるほどと呟いた。

「だけど、それはそれ。理由を聞けば、納得できることではありますけど、でも彼女のことは気をつけて下さい。前世とは社会が違うのです。王子と噂になるのは、彼女にとってマイナスでしかないのですよ」

「……分かった。だけどな、」


 木崎が話し途中なのに、綾瀬はぐるんと私を見た。

「宮本先輩も。『だって木崎だし』とか思っていたらダメですよ。あの人は木崎先輩の魂を受け継いでいても、ここでは王子。ちゃんと理解と警戒をして下さいね。あなた、その辺りが無頓着っぽいんで」

「理解してるよ」

「どうでしょう」そう言った綾瀬は私の両手を取って握りしめた。「ほら、隙だらけ」


 ん。警戒ってそういう警戒?


「僕はあなたにプロポーズ中の男ですよ? 『どうせ綾瀬だし』って思っているでしょう?」

「だって綾瀬であることには変わらないし。申し訳ないけど、気持ちには答えられないよ」

「何で?」

「何でって。綾瀬は綾瀬。七つも年下の、後輩のイメージしかないから。ごめん」

「それなら、こうしましょう。僕は二度とあなたを『宮本先輩』とは呼びません。だからあなたも『綾瀬』と呼ばない。『レオン』と呼んで下さい」

 どうしてと言おうとしたら、

「それでも」と遮られた。「僕を後輩としか思えないというなら、諦めます。知っていますか? 実際の僕はあなたより四つも年上なんですよ。以前の僕は頼りなく思えたかもしれませんけど、今の僕は将来有望な近衛です。結婚相手としてバッチリ」


「綾瀬」

 と木崎が呼びかけると、彼はぐるんと王子に向き直った。

「先輩も彼女がいるときは、レオンと呼んで下さい。呼ばないなら、あなたは僕の恋路を邪魔したい、つまりはマリエット狙いなんだと考えます」

「何でだよ」面倒そうな口調の木崎。

「切羽つまっているんです! 今が勝負時なんです!」

「『今』ね」木崎がこちらを見たようだ。「今はタイミングが悪いんだよ。話しておくか」


 うん、と答えると何故か綾瀬は口を尖らせてちょこっと私側に寄った。

「通じあっている感じが腹立ちます」

 ぷっとヨナスさんが吹き出す。

「同じセリフを別の方からも聞きましたよ」

 やっぱり、と綾瀬の手の力が強まる。


「綾瀬、じゃなかったレオン。手を離して」

「嫌です。このまま話を聞きます」

「じゃあ話さねえ」と木崎。「人の話を聞く態度じゃねえだろ」

 綾瀬はため息をついてから、ようやく手を解放してくれた。

「ほら。離しました。それでタイミングが悪いとは、どういうことですか」


 木崎は魔王化のことを抜いて、コンパクトに説明した。攻略対象については、カールハインツ、フェリクス、自分、他は関わりがなさそうだから省くとした。


 全てを聞き終えた綾瀬は私を見て、

「つまりマリエットはその下地があるから、隊長と上手くまとまる自信があったわけですね」

 と言った。うなずくと、

「そんな理由、『隊長を肉食女から守る会』会長としても却下です」と断言。

「どうして?」

「だってそんなの、アイドルに夢中になっているのと同じなだけじゃないですか。あなた、ゲーム知識以外で隊長のことをどれだけ知っていますか?」


 ゲーム知識以外?

 ええと、と考える。人参が嫌い。次男。行方不明のお兄さんがいる。独り身を貫いているのは、願掛け。

「そこそこあると思う。綾瀬が思っているより、私は真剣だよ」

「……そうですか」

 プイッと顔を反らす綾瀬。

「それから『綾瀬』じゃないです。『レオン』です。一間違えにつき、一キスします。覚悟して下さいね」

「勝手に決めないで」

「それなら本気で考えて下さい。自分が本当に隊長を好きなのか」

 綾瀬は軽く頭を降った。

「いや、違うな。僕のことを『レオン・トイファー』として、本気で考えて下さい」


 で、と綾瀬は仕切り直すように木崎に向かった言葉を継ぐ。

「今が彼女にとって重要な時分だとは分かりました。でも僕が彼女を好きなことは関係ないでしょう?」

 いいや、と木崎。

「俺たちには分からないが、彼女にはゲーム画面が見えることがあるらしい。世界への影響というか関与力がかなり強いと思われる。マリエットがお前を選ぶなら、ゲームは途中終了。その場合、この世界がどうなるのかが分からない。このまま続くのか、リセットされて最初に戻るのか」

「……そんなこと、あり得るのですか?」

「ないとは言いきれない。だから宮本は全てが終わるまで、攻略対象以外は選べねえの」


 綾瀬は曲げた人差し指を唇の下に押し当て、黙ってしまった。何か考えているようだ。

 しばらくすると、私を見た。

「ゲームの終了はいつですか?」

「夏の終わりだと思う」

「あと二ヶ月ほどですかね。あなたは僕を選べなくても、僕があなたを口説くのは問題ないですよね。隊長にフラれてエンドを迎え、その後に僕を選べば問題ない。違いますか?」

「違わないけど、」

「よし。絶対にあなたを振り向かせて見せる」


 やおら立ち上がったレオンは私の前に片膝をついた。見上げるようにして笑顔を向けてくる。

「ムスタファ殿下、フェリクス殿下、他に誰がいるのか知りませんが、そうそうたるイケメンの中でうちの隊長が好きだったということは、守ってくれそうな肉体派が好みってことですよね。僕だって、剣の腕は立つしお姫様抱っこもできますよ。僕があなたの騎士になります」

 そう言ってレオンは素早く私の手を取ると、甲にキスをした。


「……宮本、チョロすぎだぞ」と呆れ口調の木崎。

「次にやったら綾瀬のこと、嫌いになるからね!」

「そうですか?」綾瀬はニコニコしている。「ならば別の口説き方を考えておきます」


「……もう話になんねえな。今日はお開きだ。宮本、帰っていいぞ」

「了解」

 ささっと立ち上がり、レオンから離れる。ありがたい。綾瀬だと分かっているのに、心臓がうるさくなってしまった。離れて落ち着きたい。


「あれ。僕はお邪魔でしたか?」

「まあな。ろくに話が進まなかったわ」

「先輩も可愛い後輩のために協力して下さいよ。こっちは背水の陣なんです」


 そんな会話をしているふたり。

 綾瀬をレオンと呼ぼうとも、木崎の後輩だという気持ちは変わらないと思うのだ。私はもっと毅然とした態度をとらなければならないのだろうか。

 だけどそれってどうすればいいのやら。前世非モテの私には全く分からない。


 ◇◇


 ロッテンブルクさんの仕事部屋。就業後の夜遅い時間。

 ロッテンブルクさんの椅子にカールハインツは座り、机を間に挟んだ向かい、それもそこそこ距離のある向かいで、私は普段は端に寄せられている椅子に座っている。


 レオンのことを相談したいとダメ元で頼んだら、了承してくれたのだ。なんという奇跡!

 だけどよく考えたら、私に好意を持ってくれている綾瀬をダシにして自分の好きな人に近づくというのは、最低の行いではないだろうか。

 しっぽをふらんばかりの笑顔で駆け寄ってくる綾瀬を思い浮かべると、良心がうずく。彼のことを本気で相談するなら、レオンの友人とかオイゲンさんにするべきだった。


 今夜は舞い上がらないで、いち侍女見習いとして相談に徹しよう。


 窓の外は濃い闇だ。新月らしい。さすがにこんな夜に木崎は飲みの誘いには来ないだろう。多分。


「お前は」と私の好きな声。「レオンの求婚に答える気はない。彼のアピールに困り果てている」

 カールハインツが私の訴えを繰り返したので、うなずいてそうだと伝える。

「良い解決策がある」

「本当ですか」

 思わず前のめりになる。おもむろに首肯する頼もしい隊長。


「トイファー伯爵に手を回して、レオンの縁談を組む。あいつの出世には近衛隊幹部の娘が最適だが、ちょうど適当なのが何人かいる」

 はい?

 カールハインツはド真面目な顔をしている。本気で提案しているのだ。


「……それはレオンさんの意思を無視しすぎではないでしょうか。私は自然に諦めてほしいのです」

「意思を無視? 問題あるのか?」


 うわぁ、本気か。

 さすが、友人を家長が選ぶシュヴァルツ家。根本的な考え方が違った。というかカールハインツは願掛けのせいで、女性とお付き合いした経験があるかも怪しいストイックさだった。そんな人にする相談ではなかったのだ。


「あいつが自然に諦めないから困っているのだろう?」

 ぐっ。仰る通りです。

「これならばレオンの得にもなり、一番の策だと思うのだが違うか」

「……彼の得になるかどうかは、私には判断できません。それにこの方法に私が賛成するというのは、とても残酷だと思うのです」

「そうやって中途半端な態度が、レオンを惑わしているのではないか」

 うぅ。全くもって、反論のしようがない。


 立ち上がり、頭を深く下げる。

「我が儘を言いました。レオンさんには困っていません。諦めてほしいとも思いません。ですので縁談はお止め下さい。お願いします」

 ああ、また、好感度から遠ざかってしまった。でも自業自得だ。綾瀬をダシにしてしまったから。


「……それほどまでに悪手か? オイゲンにも止められた」

 その声に頭を上げる。

「レオンさんは自分で結婚相手をみつけたい人だと思いますし、結婚を出世に利用しようという方ではないとも思うのです」

「オイゲンもまるっきり同じ事を言っていた。お前の悩みを解決し、レオンは将来を見据えるきっかけになる、一挙両得の方法なのだが」

「オイゲンさんはなんて仰っていましたか?」

「お前が断り続けていれば、いつかはレオンも諦めるだろうから時期を待つしかないと話していた」

「そうですか」


 ストンと椅子に座る。気長に構えることが最善ということなのかな。綾瀬に不毛なことをさせてしまっているようで申し訳ないのだけど、縁談が彼の意思を無視しているように、こそこそ策を練るのも同じことだと今気がついた。

 リアルな恋愛は難しい。


「お前としては縁談はなしか」とカールハインツ。

「はい」

「ならば俺にはもう案はない」

「はい。相談に乗って下さって、ありがとうございます。──オイゲンさんに意見を聞いて下さったことも、お礼申し上げます」

「俺より彼のほうがこういう案件に詳しい」


 うん、そんな感じはする。『案件』とか言ってる時点で、恋愛に縁遠そうだもの。いかにもストイックな黒騎士らしい。


 再び立ち上がり、頭を下げる。

「では失礼します」

 名残惜しいけど、相談が終わったのだからさっさと帰る。ぐいぐい迫るのは、また次回だ。


「カルラ殿下に手作りの剣を贈ったのか」

 掛けられた言葉に頭を上げる。

「先日、遊んでいるのを見た。姫は妖精にもらったと言い張っていたが」

 妖精! カルラ、可愛いが過ぎるよ。


 ハンガーを剣代わりにして遊んでいたから危ないと思い、布で作ってプレゼントをした。渡したのは先週のこと。乳母と侍女の目を盗んでそっとあげたのだけど、秒でバレた。

 だけど布製というのが好評で、見なかったことにしてくれたのだ。カルラには、絶対に他の人に見せてはダメと伝えてあったのだけど。


「申し訳ありません。ハンガーでは怪我が心配だったので、勝手なことを致しました」

「いや、危険なものを振り回されるよりマシだ。おもちゃの剣で満足してくれれば、それに越したことはない」

 はい、と答える。良かった、取り上げられることはないらしい。


「ムスタファ殿下がごっこ遊びに付き合っているのか」

「さあ。カルラ様は私と遊んでいるときに使っていらっしゃいますが、他は存じません」

「……」

 ちょっとわざとらしかっただろうか。

「カルラ殿下は姫なのだから、程ほどに。いくら好きでも近衛隊には入れない」とカールハインツ。

「はい」


 そんなの規則を変えればいいのよ、と思ったけど今回は口に出さなかった。カルラから剣を取り上げないということは、以前よりは固い考えが軟化したということだ。

 さすが、私のカールハインツ!


「何をにやけているのだ?」

 しまった、また顔に出ていたか。

 黒騎士は立ち上がると、大股で私に歩み寄る。と、ポン、と私の頭に手を乗せた。

「このギャップが『可愛い』のか?」


 やはりボーナスステージでしょうか、神様。二度目のポンに、可愛い(疑問形だけど、この際構わない)との言葉。

 口から心臓が飛び出そう。


 ◇◇


 まさか、こんな日が来るなんて。

 カールハインツが

「部屋まで送ろう」

 と言ってくれたのだ。ああ、録音しておきたかった。

 だけど喜んだのはいいけれど、気の利いた話題が思いつかず無言で歩くしかなかった。私の部屋の近くまで来たとき暗がりの中、向こうからやってくる人影があった。シルエットから男だ。巡回の兵だろうか。


 カールハインツが足を止め、左手を私の前に出して制した。

 人影はこんな季節、城の中だというのに長めの外套を着てフードをかぶっている。手には、見慣れた袋。

 木崎だ。


 向こうも足を止めた。それから。

「また何かあったのか!」

 木崎のムスタファはそう逼迫した声を上げて、駆けて来た。

「大丈夫かっ」

 目前に着いた王子が問う。フードの影で顔はよく見えない。


「まさか、ムスタファ殿下ですか?」となりでカールハインツが驚きを含んだ声で尋ねる。

 あ、とフード下からかすかな声。

「送ってもらっただけです」急いで口を挟む。「相談に乗ってもらって。それで遅い時間なので、一応、念のためにと。それだけ、何もないです」

 木崎が息をついた。

「そうか。焦った」


『焦った』。


 木崎のムスタファは顔を近衛隊長に向けた。

「あとは私が送る」

 はっ、とかしこまって返答するカールハインツ。

「ここで私に会ったことは絶対に他言するな」

「承知しました」

「絶対だからな」


 ムスタファの手が私の背のほうに回される。触れることはなかったけれど。二、三歩進んでからカールハインツに向きなおり、

「今晩はありがとうございました」

 と礼を伝える。うなずくカールハインツ。おやすみなさいと挨拶をして、ムスタファと共に進む。と、彼が振り返った。


「シュヴァルツ。私と彼女は噂されているような仲ではないからな。ただの飲み友達だ」

 いや、その言い訳はどうなのよ。と、危うくツッコみそうになった。

 木崎にしては下手なフォローだ。



「なんだよ、飲み友達って」

 部屋に入り扉を閉めたかと思うと、木崎のムスタファが自嘲した。

「私もツッコミ入れるところだった」

「お前のアホがうつった」

「自前でしょ」

「うるせえ」

 やれやれとムスタファは袋をベッドに置いて、勝手に円卓をそのそばに運ぶ。

 こちらに背を向けたまま、

「お前が焦らせるからだ、このアホンダラが」と言った。「宮本がこんな時間に近衛と一緒にいたら、また被害にあったのかと思うだろうが」

「……そこは『デートだな』と察するところでしょ」

「喪女が何を言っている」


 木崎はサクサク卓上に袋の中身を出すと、タンブラーにワインを注いでひとのベッドにドカリと座った。だけど優雅に長い足を組む。木崎なのか、王子なのか、どちらなのだ。


「だが宮本とは思えない進展だな」

「幸運だっただけ。私の頑張りとは言えない」

「殊勝な宮本なんて気持ち悪い」

 タンブラーを取ってムスタファのとなりに座る。

「いただくね」

「そもそもこの世界に、飲み友達という概念はあるのか」

 木崎が眉間にシワを寄せている。

「知るか」

「ないと余計に誤解をさせているかもしれないぞ」

「そうか。よくも下手打ってくれたな!」

「で? 夜に二人きりで会って、ラブい展開になったか」

 取り敢えず聞こえなかったふりをして、ワインを飲む。

「さすが喪女、せっかくの機会を活かせない」

「頭をポンはしてもらった!」

「またそれか? あのムッツリはバカのひとつ覚えか」

「ムッツリじゃない。ストイック。いいの、私は嬉しいから」

「ポンぐらい」そう言った木崎は私の頭に手を置いた。「俺でもできる」

「やめてよ、カールハインツにしてもらったばかりなんだから」


 というか、木崎だって黙っていたら美男のムスタファなんだから、喪女だと思うなら気軽に触らないでほしい。ほのかに良い香りとかしているし。

 手を振り払おうとして。突然木崎は私の頭をもじゃもじゃとかき回した。


「ひどい!」

「知るか」


 タンブラーを置いて、乱れた髪を撫で付ける。

「木崎って小学生のときに絶対いじめっこだったでしょう!」

「もちろん俺は優等生」

「嘘つけ!」

「事実だぞ。勉強も体育も得意で、地元のサッカーチームでは常にエースストライカー。教師、保護者からは絶大な信頼を得ていた」

 なんて奴だ。木崎には他人より秀でている歴史しかないのか。腹が立つ。


「あれ。それならなんで高校は陸上をやっていたの?」

「性格がチームプレーに向いてなかった。んで、中学に入ったときに陸上に転向」

 思わず吹き出した。

「すごく納得!」

「陸上でも才能があったんだから、俺って凄いよな」

 うんうんと頷くムスタファ。


「お前は頑張りが足りねえんじゃないのか?なんで進展しねえの? 綾瀬を見習ったら?」

「いきなり話を戻さないで」

 げしっと王子の足を蹴る。

「だってお前、本気でシュヴァルツを攻略する気があるのか? 時間がないんだろ? もう諦めろ」

「お説教は嬉しくない」


 ムスタファは澄ました顔でワインを飲んでいる。


「喪女喪女バカにするなら、アドバイスくらいくれてもいいじゃない」

「お前が華麗にハピエンを決めるから見てろって啖呵を切ったんじゃねえか」

「だってこんなにゲーム通りにいかないとは思わなかったから」

「予定通りに行かねえのなんて、仕事じゃよくあることだっただろ」

「仕事ならね。幾らでも対処できる」

「そうだな。喪女にリアルな恋愛ができるはずがない」

「断定するのはやめてくれる?」

 ふう、となぜかムスタファがため息をついた。


「ヨナスの提案。俺がシュヴァルツにお前と交際するように命じる。あいつは忠誠心の塊だから、王子命令を断れない。どうだ?」

「それはまた、斜め上な作戦だね」

「どうする、やるか?」

「バッドエンドまっしぐらの未来しか見えないよ」

「だよな」

「でもお付き合いできるのは、結構惹かれる」

「惹かれるのかよ」

「いいでしょ、そのくらい」

 だって憧れのカールハインツに会いたくて、侍女見習いになったのだ。

 まさか城で木崎に会うとは思わなかった。


「ところで木崎」

「何だよ」

「公爵夫人の話は大丈夫だった? 意外なことが多かったし困惑していない?」

 ムスタファが私を見る。じっと、何も言わずに。

 それからまた、ふいと正面を見た。


「訳わからねぇよ。情報は少ねえしどう考えていいかさっぱりだ。ああ、腹が立つ」

「他に当時を知っていて、口を開いてくれそうな人っていないのかな」

「考えた限り、身近にはいねえ」

「そうか」

 沈黙が降りる。


 私にできることは何だろう。ファディーラ様に通じる人脈はもうないし、ゲームでの情報は元からほぼない。木崎は私の助けになってくれようとしているのに、私は何も返せないのか。


 ひょいとムスタファがこちらを向いたかと思ったら顔を覗きこまれ、あまつさえ頬をつままれた。


「なにひゅんの!」

「『ひゅんの』!」

 木崎は手を離したけど、くっくと笑う。

「だって深刻な顔をしてっから」

 それからまた、頭をぐしゃぐしゃとした。なんなんだ、今日は異様に頭を触られる日だ。

「いや、お前ってアホだよな」

「何でよ!」

「自分の能力の範囲外を悩んでも仕方ねだろ。俺みたいな人間ならともかく、凡人のお前にゃ悩むだけ時間のムダ」


 ムスタファが、木崎のような表情で笑っている。またツンデレか。

 反論しようかと思ったけれどムスタファのニヤニヤ顔がなんだか不思議になって黙って見返した。


 訳が分からないと怒っているのに、どうしてこんなにいつも通りなのだろう。公爵夫人の話を聞いていたときの彼は緊張しているように見えた。


『飲み友達』なんていう、間抜けなフォローも木崎らしくない。

 彼は見た目ほど冷静ではないのではないだろうか。

 怒った口調も演技かもしれない。

 私だって木崎の前では意地を張っていることがある。いや、苦しいことほど黙っている。


「何だよ」

 ムスタファが居心地悪そうな顔をする。

「お互いに見栄っ張りだなと思って」

「……お前と一緒にするな」

「私にもマウントとらせてよ。こっちの世界じゃ全然木崎に勝てていない」

「前世でもだろ。お前が俺にマウント取ろうなんて百年早いんだよ」

「借りは返したいんだけど」

「酒代は出世払いで構わないぞ」

 なんだかなあ。やっぱり気遣いされまくっていて、むず痒い。それと同時に、何故だか淋しさを感じた。


「そう言えば、ロッテンブルクが……」と言い掛けたムスタファ。「やっぱり何でもない」

「なにそれ。変なところでやめないでよ。気になる」

「何でもねえよ」

「嘘だ!」

「勘違いだよ」

「どんな」

「いいの。お前はシュヴァルツにでも惚気てろ」


 話のそらし方が雑すぎる。

 何を隠しているのだ。じっとムスタファの顔を見る。


「俺の顔が国宝級だからみとれるのは分かるが、間抜け面はやめろ。笑えるから」

「国宝級はカールハインツだよ。誰が木崎にみとれるか」

「あ? じゃあキス待ち顔か?」

「バカじゃないの」

「悪いが俺にも選ぶ権利があるから、諦めろ」

「こっちのセリフ!」


 と、ひょいと顎を掴まれた。

「お前、本当にチョロいな」

 その手を振り払う。

「掴まれる前に払えよ」

「だって木崎がそんなことするとは思わな、」

「俺だけじゃねえじゃん。綾瀬」

 うっ。

「フェリクス」

「王子を振り払えないってば」

「シュヴァルツ」

 それは……喜んじゃうな。

「アホ喪女。想像だけでニヤケてるんじゃねえよ」

「喪女だから仕方ないの」

「開き直りやがった」


 木崎は引いたのか、心持ち離れた。

「そういえば相談は何だったんだ?」

「綾瀬のことだよ。諦めてほしいから」

「へえ。いい解決策はもらえたのか」

「オイゲンさんオススメの、『時間が解決』を採用シマシタ」

「じゃ、綾瀬はあのままか」

 ふうん、と木崎。


「先輩としては心配?」

「まあな。……お前は気を持たせるようなことをするなよ」

「してない!」と断言をしてから不安になった。「私、している?」

「……迂闊に触らせんな。距離が縮まっていると勘違いするから」

「分かった。注意する」


 というか、そういう自分も今夜は人の頭やら触れすぎじゃない?

 まあ木崎には慣れたことなのかもしれないけど。


 澄ました顔でワインを飲んでいる外見は完璧な王子をこそっと睨み、私もタンブラーに手を伸ばした。

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