18・鍛練の見学

 幾重にもかち合う剣の音が響き渡る。足元に舞う砂煙。うっすら漂ってくる汗の匂い。

 近衛府の中庭いっぱいに隊員たちが広がって、一斉に手合わせをしている。


 その中で神々しいまでに光り輝くのは、もちろんカールハインツ!

 私の目の前、わずか数メートル先で剣をふるっている。躍動する筋肉!豪快な動き!巧みな剣さばき!何より真剣な顔は凛々しく、相手をはたと見据える力強い目は獲物を狙っている鷹のよう!


 格好いい!

 とにかく格好いい!

 これぞカールハインツの醍醐味!

 誰がなんと言っても格好いい!

 ああ、応援うちわが欲しい!


「そこまで!」

 どこからかそんな声がかかる。カールハインツも他の隊員たちも動きを止めて、剣を下ろした。


「ね、ね、ね、マリー! シュヴァが一番カッコいいでしょ!」

 掛けられた声で現実に戻る。私のとなりには乳母に抱っこされているカルラがいて、キラッキラの目で私を見ていた。

「はいっ! ステキでした! 剣の神が舞い降りたのかと思うような豪気かつ秀麗さ! あまりの尊さに、マリエットは心臓が止まるかと思いました!」

 いや、もしかしたら止まっていたかもしれない。だって胸が苦しいもの。


「マリエェット!」

 やや怒りを含んだ声で名前を呼ばれて、再びはっとする。

「声が大きい」

 そう言って苦虫を噛み潰した顔をしているのはロッテンブルクさんだ。

「あなたは侍女。侍女でなくても涎を垂らしそうな腑抜けた顔をするのはやめなさい」


「す……」

 すみませんと謝ろしたとき、

「仕方ないの!」とカルラが叫んだ。「だってシュヴァはカッコいいもん! マリーが何を言ってるかよく分からないけど、すごくシュヴァを褒めているのは分かるわ!」


 カルラ、優しい!

 かばってくれたことに丁寧に礼を言い、それからロッテンブルクさんに謝った。次に、微妙な笑顔を浮かべているパウリーネにも。


「カルラと話が合うことは母として嬉しいのですが、よそ見をしていたらムスタファさんが可哀想ですよ」

 思わずガクリとなる。そうだった。彼女は勘違いをしていると木崎が話していた。


「どうしてムスタファお兄様が可哀想なの?」

 カルラがストレートに尋ねる。

「マリエットはムスタファさんの大切な恋人です」

「違います」

 思わず王妃の言葉に反論する。だけどパウリーネは、照れちゃってとカラカラ笑っているし、カルラは目をキラキラさせている。


「良かった!」とカルラ。「マリーにはムスタファお兄様をあげるね。シュヴァは私の!」

 前にも同じことを言われたな、と急に冷静になった。だけど前回より言葉に温かみがある。


「私は王家のものですよ」と言って、部下に指示を出し終えたカールハインツがやって来た。

 カルラがすかさず、シュヴァと叫んで手を伸ばす。

 当然のようにカールハインツに抱き抱えられる王女。うらやましい。


 じっと見ていたらカルラはこてんと首をかしげた。

「もしかしてマリーも抱っこをしてもらいたいの?」

「い、い、いえ、滅相もない!」

 嬉しいけど。土下座してでも頼みたいけど、そんなことになったら、鼻血を吹き出して倒れるだろう。


 と、服を引っ張られる。

 なんだと思ったらロッテンブルクさんで、その視線をたどったら頬をリスのように膨らませたレオンが私を見ていた。


 ……すっかり綾瀬がいるのを忘れていた。ごつい体でなに、可愛い怒り方をしているんだとツッコみつつも、さすがに良心が咎める。

 ちょっと悩んで、ぺこりと軽く頭を下げた。侍女見習いっぽさを出してみたのだけど、とたんにレオンは嬉しそうな顔をして小さく手を振ったのだった。良心が……。


 カールハインツはカルラとほのぼのする会話をしている。だけど無愛想な黒騎士は幼い姫の前でも真顔のまま。口調は丁寧でわずか五歳の前でも完璧な臣下の姿勢を崩さない。さすがカールハインツ。ぶれることのない姿勢が尊すぎる。

 こんな間近でじっくり観察できるなんて。眼福眼福。


 隊長が次の組み手を始めますとカルラに告げたとき、散らばっていた兵たちの空気が変わった。なんだろうと彼らが顔を向けている方を見たら、うさんくさい笑みを浮かべたフェリクスと、やや面倒そうな表情のムスタファがやって来るところだった。ふたりとも手に剣を持っている。


 王子たちは私たちの元にたどり着くと、王妃と王女に挨拶をしてから、近衛部隊長であるカールハインツに、稽古に混ぜてほしいと頼んだったのだった。

 もっともノリノリなのは明らかにフェリクスで、ムスタファは連れて来られた感が強い。木崎は私と目が合うと、ほんの少しだけ肩をすくめたから間違いなくそうなのだろう。


「できることなら」とフェリクス。「ぜひシュヴァルツ隊長に手合わせを願いたい」

 彼はそう言って思わせ振りな顔で私を見た。全員の視線が私に集まる。どういうことだ。まさかフェリクスは自分の剣技のアピールを私にしたくて、やって来たのだろうか。いつものように、謎の情報網を駆使して私が近衛の鍛練を見学していると知って。


「ムスタファだって、いつも同じ相手ではつまらないからな」

 フェリクスの言葉にムスタファは、まあなと答えた。

「ムスタファお兄様も剣をやるの!」カルラが嬉しそうな声を上げる。「だから敵の役が上手なんだ!」


 敵の役?


 ムスタファが焦った顔で妹に向かって、しっと言っている。まさかこっそりシュヴァごっこに付き合っているのだろうか。


 隊長はふたりの王子の参加を許可して、隊員たちに相手を変えて手合わせを始めるように指示を出た。ムスタファの相手は副官のオイゲンさんだ。


 私たちから離れオイゲンさんと向かいあったムスタファの顔がさっと変わった。相手を見据える鋭い目。先ほどまでの、連れて来られた感は微塵もない。


 手合わせが始まる。ムスタファは安定した動きで相手の剣は防ぎ、攻めている。身軽な足さばきでレオンと対峙していたときより、抜群に上手い。あれからどのくらいが経っている?

 この前のフェリクスとの手合わせよりも上手く見えるし、一体どれだけ練習をしているのだろう。


 それにしてもムスタファの動きに合わせて揺れる長い銀髪が美しい。結局彼は髪を切ったのだけど、毛先を揃えるための10センチだけだった。

 ともあれ。真剣に剣の稽古をしているムスタファは、険しい顔だしたくましいしで到底月の王たる優雅さはないのだけれど、格好良かった。悔しいけれど。



 手合わせが終わると戻ってきたフェリクスが私に向かって、

「どうだったかな」と尋ねる。

 どうも何も、全く見ていなかった。

「……大変素晴らしい腕前に言葉もありません」

 苦し紛れの言葉をすまし顔で答える。

 それでもチャラ王子は満足したようで、笑みを浮かべてうなずいた。それから黒騎士と真面目に今の手合わせについて話している。


 ムスタファはと見れば、オイゲンさんのアドバイスを聞いているようだった。真面目な顔をして、剣を構えて動かしたり、足の位置取りを確認したり。

 そういうところは素直なんだな、と感心する。


「ねえ、マリー」

 と乳母に抱っこされたカルラが名前を呼ぶ。はいと返事をすると彼女はやはりキラキラした目で、

「ムスタファお兄様もカッコよかったね!」と言う。

「そうでございますね」

「シュヴァが一番だけど、ムスタファお兄様は特別に二番にしてあげるわ」


 ずいぶんと兄の株が上がったものだ。やはり敵役効果なのだろうか。可愛い幼女の頭を撫で撫でしたい気分だけど姫君にするわけにもいかないので、笑顔で

「きっとお喜びになるでしょう」と返す。


「ところでカルラ」とパウリーネ。「先ほどの『敵役が上手』とは、どういうことかしら?」

「あのね、」と言ったカルラははっとした顔をして両手で口を押さえた。「なんでもない!」


 そこから始まる母と子の攻防戦。パウリーネは答えが分かっているだろうに、カルラに白状させようとしている。

 そんな最中、また兵たちの空気が変わった。ピリリとした緊張感がある。今度は誰だと見れば、近衛総隊長がヨナスさんとフェリクスの従者を後ろに従えてやって来たのだった。



 どうやら従者ふたりが訓練参加の許可を総隊長に求めに行っている間に、王子たちは勝手に始めてしまったらしい。

 ムスタファはともかくとして、他国の王子であるフェリクスは筋を通さなければならない──とツェルナーさんは言って、総隊長とカールハインツに謝罪していた。

 フェリクスの従者をやるのは大変そうだ。


 というか、それを知っていてムスタファも許可を待たなかったのか。

 やや目を泳がせてすまないと総隊長に謝るムスタファは、なんだかイタズラを見つかったカルラみたいでゲームのイメージゼロ、その代わりに可愛らしかった。


 ◇◇


 ムスタファの私室。

 ムスタファ本人、フェリクス、私がそれぞれ椅子に座り、ヨナスさんがお茶を入れている。フェリクスの従者ツェルナーさんはここへ来る前に、主に何かを囁かれてどこかへ行ってしまった。


 鍛練見学を終えたあと全員で城に戻ると騒ぎが起こっていた。ムスタファのハピエンルートで私が串刺しになる彫刻が粘土製の偽物になっていたのだ。作者がマニアックな人気を誇る彫刻家だから、盗難にあったのだろうと言われている。だとしてもおかしなことだらけだけど……まあ、私は犯人が分かった。ふたりの王子だ。だって騒ぎを聞いたときの反応がおかしかった。


 しかも仕事に戻るはずだった私がここ連れてこられた。フェリクスが何やらパウリーネに告げて、即刻許可をもらったのだ。

 なんとなく嫌な予感しかしない。去り際にパウリーネは良い笑顔で私に手を振った。あれは何を意味したのだ……。


「あまり聞きたくないが、お前は義母に何を言ったのだ?」

 と木崎のムスタファが眉をしかめて尋ねる。

「普通だぞ」とにやつくフェリクス。「『ムスタファがマリエットと話したいようだ。彼女がシュヴァルツ隊長に夢中になっているのを見て、不安になったらしい』とな」

「おい」とムスタファ。

「パウリーネ妃は大喜びだった」


 なんだそれは!


「いや、君の義母君は面白い。完全に君たちの仲を誤解しているのだな」

「フェリクス。その情報をどこから得たのだ」

「彼女が友人たちに吹聴して回っているぞ」


 もう一度言う。なんだそれは!

 木崎のムスタファも王子らしく優雅に額を押さえている。


「『あのムスタファさんが、ついに女性に興味を持った』と安堵しているようだな」

「その安心は分からないでもありませんがね」

 フェリクスの言葉にヨナスさんが返事をする。

「まあ、実の息子でないから無責任に喜んでいるのかもしれない。──言い訳をさせてくれ、ヨナス。総隊長の許可を待てなかったのは、ムスタファのせいだ」

「は!?」とムスタファ。

 にやつくフェリクス。


「シュヴァルツ隊長にうっとりみとれているマリエットを見て、彼は嫉妬に駆られていてな」

「話を作るな!」

「早く彼の見せ場を作ってやらねば、悶死しかねないところだったのだ」

 したり顔のフェリクスに、怒り顔のムスタファ、ヨナスさんは菩薩の笑みでうなずいて、

「主がご面倒をお掛けしました」なんて言っている。


 木崎はチャラ王子を相手にするのを諦め、私を見た。

「いつもの戯れ言だぞ」

「分かっているよ」

 木崎が私のことでそんな感情になるはずがない。


「ところで本題は何でしょう」

 私はフェリクスを見た。連れて来られたのはムスタファの部屋だけど、それを意図したのはフェリクスだ。

「気になることが、お互いにあると思ってな」

 そう答えたチャラ王子は、私を見透かしたような目で見た。


「庭園の彫像の事件。君は犯人を私とムスタファだと疑っている」

「……何でそんなことが分かるのですか」

「表情と視線。それからムスタファの態度」

 チャラ王子はさらりと答える。

「となると、君はムスタファが何故アレを壊したかったかも知っていてると推測できる」とフェリクス。「だがそこは後にして、正直に答えよう。犯人は私だ。勿論のこと、ムスタファに懇願されて行ったこと」

 にこりと曇りのない笑みを浮かべた彼は依頼主を見て、

「いや、参ったな。こんなに早く気づかれるとは思わなかった」と言ったのだった。

 木崎のムスタファもため息をついて、

「そうだな」と答える。


 木崎と目が合う。

「……絶対に起こらないとは言いきれないだろう。可能性は潰しておくに限ると思ってな。彼に頼んだ」

 ありがとう、と答える。なんだか胸が詰まって、他に言う言葉がない。


 ムスタファはすぐにフェリクスを見た。

「ツェルナーをどこにやった。偵察か」

 そうだと答えたフェリクスは私を見る。

「聞いてくれ、マリエット。ムスタファは最初に私になんて依頼をしたと思う。『彫像を再生不可能なまでに破壊しろ』だぞ。過激もいいところだ」

「一番の安全策だ」

「まったく、君のことになると彼は必死すぎる」

「どうしてそう、話を盛るんだ」


 おかしな会話をしている王子ふたりを見比べる。

「仲良しになったのですね」

 そう、と答える笑顔。

 どこがだと反論する渋面。


「破壊なんてしたら、すぐに騒ぎになる」フェリクスが話を続ける。「あまり知られていないが、魔法は大なり小なり、使えば痕跡が残る。それをたどる魔術もある」

 知らなかった。木崎を見ると、彼は自分も知らなかったと言い、その後ろに控えているヨナスさんは、

「かなりの上級魔術のようです」と教えてくれた。


「だから」とフェリクス。「目立つ方法をとったら、私が犯人と知られる可能性が高い。だが痕跡は時間が経てば消える。ということは、消えるまで彫刻に変化が起きたと気付かれなければ良いのだ」

「だから粘土の偽物と取り替えたのですか。でも本物はどこへ?」


 ふふふと笑うフェリクス。自慢気な顔だ。

「あれが本物だよ、マリエット。素材を変化させたのだ」

「あんな大きなものを!」

 満足気にうなずくフェリクス。

「そうだ。私は凄いだろう?」

 はいと答える。

「惚れてくれたか?」

 いいえと答える。

「冷たいな、君は」

「魔法が優れているだけで惚れるなら、上級魔術師はみな対象になるぞ」ムスタファがツッコむ。

「いやいや、魔法の他に剣も使え、顔も良く、王子であるのは私しかいない」

「バルナバス」

「……彼は除く」


 やはり仲良く見える。


「だが、一週間は気付かれたくなかったのだろう?」

 とムスタファが言い、チャラ王子はうなずいた。

「結局この国に痕跡を追える魔術師がいるか分からずじまいだしな。迷宮入りしてくれると良いのだが」

 そして私に笑顔を向けるフェリクス。


「何も心配しなくていい。あの魔術は複雑で、大理石に戻すには掛けた魔術を解くしか方法がない。そして恐らく、この国にそれができる者はいない。君の安全は保証される」

 ありがたいやら凄いやら。だけども。ちらりとムスタファを見る。彼はなんと説明をして協力を仰いだのだろう。

「万が一私の仕業と知られたときは、彼が責任を取ってくれるそうだ」


 木崎のムスタファはふんと鼻を鳴らしてそっぽを見た。


「愛されているな、マリエット」

「だから!」

 と言い掛けたムスタファは、大きなため息をついて口を閉ざした。諦めたらしい。


「一週間あれば、もっと根本的な策もとれるのではないかとも考えていたのだが」フェリクスがうさんくさい顔で続けた。「ムスタファが危惧していることがはっきりとしなくてな」

「仕方ないだろう」とムスタファ。「夢を見ただけで、詳しい情報があるわけではないのだから」


 なるほど。木崎は夢の話として説明、フェリクスはそれに乗ってくれたらしい。


「悪夢が実現しないよう協力して下さって、ありがとうございます」

 フェリクスに向かって頭を下げる。

「今回、無償で協力をしたのだ」

「何を言う。あの時の礼だと思ってついて来いと、無理やり近衛府に連れて行ったくせに」ムスタファが口を挟む。

「あんなもの、半分は君のためではないか」


 やいやいと応酬する王子たち。楽しそうだ。私は暇なのでお茶を飲む。ヨナスさんが立っているのに申し訳ないけど。

「おかわりは?」とヨナスさん。

「結構です。ありがとうございます」と私。


「いい加減、本当のことを話してくれてもいいのではないか」

 やや強い口調。目をやるとフェリクスが珍しく眉を寄せて不愉快そうな表情をしていた。

「私はマリエットが好きだから、君の頼みに快く応じている。だがこちらとてリスクがあるのだ。もう少し私を仲間に入れてくれてもいいではないか。いつもふたりだけで通じあってばかりで」


 その不満気な声は、本気のもののように聞こえた。


「……フェリクス。心の底から感謝はしている。だがお前はうさんくさい。何故、何でも知っている。時には嘘もついているのではないか。信頼に値する人物なのか、判断がつかない」

 そう言うムスタファは真剣そのものだ。ふたりの間に先程まで皆無だった緊迫感がある。


 立ち上がり手を体の前で重ね、深く頭を下げる。

「私の態度のいたらなさで不快な思いをさせてしまい、大変に申し訳ありません」

「……そういう所なんだがな」苦笑が混じったような声。「いい。謝ってほしい訳ではないからな」

 顔を上げるとチャラ王子は淋しそうな顔をしていた。

「ムスタファの言うことにも一理ある。だがマリエットを気に入っているのは本当だ。君を知れば知るほど惹かれる」


 それから彼はうさんくさい笑みを浮かべた。

「だから私に惚れてくれないかな」

「……申し訳ありません」

「残念」

 フェリクスはいつもの調子に戻って、いかに自分が優れていて恋人として最高なのかをベラベラと話し始めた。

 だけれどそれは、わざと軽薄さを演出しているようにしか見えなかったのだった。


 ◇◇


 フェリクスは帰り、部屋には木崎と私、ヨナスさんだけとなった。ヨナスさんもカップを片手に、先ほどまでチャラ王子が座っていた椅子に座っている。


「……なんだか淋しそうに見えた」

 私が言うと木崎もそうだなとうなずく。

「とはいえ、あいつがうさんくさく見えるのも腹が読めないのも事実だ」

「ええ。あれほど魔法のレベルが高い王子をなぜ留学に出したのかが不思議です」ヨナスが同意する。「しかも来国してから今まで、本当の能力を我々に見せることはなかった」

「そう考えると宮本があいつを本気にさせているのは事実なのか?」


 木崎の言葉に首をかしげる。

「だとしても、私のために木崎の剣の練習に付き合ったりはしないんじゃないかな」

「そうだな。あいつはよく分からん」とムスタファはぼやいた。


「木崎。ありがとう。彼に頼んで彫刻のフラグを折ってくれて」

「別に。さっき言った通りだ。この三ヶ月の間にお前は何度、危ない目に遭った。このままじゃ俺ルートにならなくても、危ない気がする」

「うん。ありがと」

 それは薄々思っていた。ゲームと関係なしに痛い目に遭っている。でも私には彫刻を壊すなんてことは出来ない。見つかったらクビになってしまう。木崎の気遣いがとにかく、ありがたい。


「ところで、ひとつ質問」

 何、と木崎。

「カルラとシュヴァごっこをしているの?」

 ムスタファはあぁと唸り顔を背け、ヨナスさんは吹き出した。


「時々、姫がこちらまで戦いをしにいらっしゃる。乳母たちの目を盗んで」とヨナスさん。「ムスタファ様も結構、楽しんでやっていらっしゃる」

「ヒーローごっこは永遠に楽しいんだよ」と木崎。

「つまり中身は享年三十歳のオジサンじゃなくて、永遠の幼児ということか」

「三十はオジサンじゃねえし、俺はピチピチの二十歳だ」

「まあね。フェリクスのほうが大人に見えるもん」

「は? どこが?」

「すぐムキになるとこ」

「うるさい」

「でも確かにフェリクス殿下は、言動は軽いのに物事に動じないし寛容さもある。大人びているというか、老成しているのを軽薄さで隠している感じがします」

「確かに」

「そうかも」

 ムスタファと私の声が重なる。


「マリエットの物語のこと、フェリクス殿下に打ち明けることは可能なのですか」とヨナスさんが尋ねる。

「もちろん」と木崎。「だがあいつに話すなら、先に綾瀬だ」

「私もそう思う」

 なるほど、とヨナスさん。

「物語の話はしても、俺の魔王化のことは言わないがな」とムスタファ。


 ここ数日の間、朝の髪の手入れの時間を使って色々と話はしている。

 それで今朝がた木崎が言ったのは。

「前から考えていたものの、これを言うと宮本に中二病って笑われそうで黙っていたんだが」という前置きがあってからの、「俺の魔族の特性が封印されてるって可能性」ということだった。


 ただ、それなら誰がどうやって封印したのかという疑問がでてくる。フーラウムは強力な魔力の持ち主だから、できるかもしれない。だが封印するぐらいなら、殺したほうが合理的。なぜなら彼はムスタファの母に興味がなさそうなのだから、という結論になる。


 上級魔術師たちが関わっているのか、先代の国王が何かを知っているのか。

 可能性は幾つも上げることができても、答えは分からない。



「魔王化のことは言わないが」と言った木崎は言葉を切って、目を伏した。考えているのか、迷っているのか。

 やがて目を上げた彼は

「今朝話した、封印の可能性を探ろうかと考えている」と言った。


「どうやって?」

「というか、実は以前から古い魔法書に何かヒントがないかを探している」

「あれはそれが目的だったのですか」とヨナスさんが珍しく声を上げる。

「ああ。だが芳しい成果はない。ここは思いきって、ヒュッポネンを頼ってみようと思う」

「ヴォイトを?」

「やはり本格的に魔術の勉強をしている人間のほうが、論理的に探せると思う。俺は闇雲に読み漁るしかできない」

「大丈夫かな。ムスタファ魔王化エピソードはふんわりしていて分からないことも多いんだよ。特に討伐のほうはバルナバスがメインだから、経緯なんてまるっきり不明。上級魔術師や近衛が関わってないと言い切れないんだよね」

「危険があるなら、私は嫌です」とヨナス。「魔法が使えなくたって、あなたは素晴らしい王子ですよ」


 だけど木崎にとっては、そういうことじゃないのだ。


「……ま。とりあえず、明日の面会が終わるまでは動かない」とムスタファ。

「それがいいでしょう。マリエット、変更はないか」

 ええと答える。


 明日は私の表向き後援者の公爵夫人に会いに行く。

「まずは夫人の話を聞いて、全てはそれからだ」と木崎。

 ヴォイトのことだけでなく。彼は実父フーラウムにも、母について再度突撃質問する予定なのだ。


「ところで宮本。今日の鍛練見学はゲーム展開なのか?」

「違う。棚ぼたご褒美」

 ふうん、と木崎。「すっかり忘れていたが、シュヴァルツと進展しているのか?」

「ぐっ」


 どういう訳かここに来て、ゲームの展開が急激に減っているのだ。カールハインツだけでなく、他の攻略対象も同様だ。会うことは多いのに、とるに足らない会話をして終わり。何も起こらない。一体どうなっているのだ。


 ……と言いたいけれど、木崎理論でいくと、ムスタファ、フェリクス、レオンのせいではないかと思っている。世間では私が三股しているとか、三人で私を争っているとか事実と違う噂が横行している。だから攻略対象たちが私に関わらないようにしているのではないだろうか。


 かといって、今さら噂を払拭するのは難しいだろう。

「……がんばる」

「おう、頑張れ。今日は全く相手にされてなかったもんな」

「ぐっ」

 ケラケラと笑うムスタファ。


「仕事に戻るよ。いつまでも油を売っていたら、立派な侍女とは言えないもんね」

 そう言って立ち上がると、ヨナスさんが、

「これは重要な作戦会議だよ」

 とフォローしてくれた。

 さすが、大人の対応だ。ムスタファなんて嫌みを言いそびれて、つまらなさそうな顔をしているもんね。

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