13・『好みのタイプ』
珍しく細い雨がしとしとと降る薄暗い午後。 廊下をひとり歩いていると、近くの部屋からフェリクス、バルナバス、オーギュストの攻略対象三人が出てきた。
フェリクスとバルナバスは話に夢中で私に気づかない。ひとりオーギュストだけが私と目が合った。と、ピコンと聞き覚えのある電子音がして、彼の脇にステイタスが、頭上にバーが現れた。
なぜ急に。戸惑いながらもそれぞれに素早く目を向ける。親密度ゼロ、好感度ゼロ。さもありなん。
次にステイタス。名前と年齢。その下に前回とは違って『好みのタイプ』という欄があった。
ゲームだとイベントをクリアすると見られる仕様だったはずだし、そのイベントは起きていない。代わりに何かが開示のきっかけになったのだろうか。それとも単純に時間が進んだからとか。
ともかくも『好みのタイプ』を見られるのは、好奇心がうずく。カールハインツ以外は覚えていないから。
どれどれオーギュストは。
『好みのタイプ【社交的かつ、支えてくれるしっかり者】』
なるほど。オーギュスト自身、真面目そうだものね。
と、バルナバスが振り向いた。ピコン!と音が鳴る。
挨拶をしながらも、それぞれを確認。やはり親密度好感度ともゼロ。こちらも妥当だ。それから『好みのタイプ【巨乳】』。
……えっ?
目を疑い、よくよく目をかっ開いて見るが、やはり【巨乳】とある。どういうことだ。ゲームでは絶対にそんなのではなかっただろう。巨乳なんて書いてあったら覚えているはずだ。真面目で好青年王子のバルナバスだ、あまりに不釣り合いだもの。
「どうしたんだ、マリエット」
その声にハッとする。しかもするりと腰に手が回された。フェリクスが至近距離から私の顔を見ている。やんわり押し返しながら目を動かす。
頭上のバーは、好感度5で親密度が4。やはりというか、なんとも言えない気持ちになる。親密度が上がりすぎじゃないかな。
では好みのタイプはと見ると、【信頼し合える女性】となっていた。
意外な好みに、何かの手違いでバルナバスと入れ替わって表示されてしまったのではと考える。
「マリエット?」
再びはっとして、
「離していただけないでしょうか」と離れてくれないフェリクスから身を引く。
「嫌だ」にこりとするチャラ王子は、更に体を寄せてきた。「これから社会情勢について専門家の講義なのだ。お堅い話の前に君で癒されておきたい」
「でしたら癒す専門家をお呼び下さい。侍女見習いの仕事に癒しはありません」
「確かに」とオーギュストが笑う。
「嫌がっているだろう、離してやれ」
背後から声がした。振り返ると澄ました顔のムスタファがカールハインツとレオンを従えてやって来た。
なんだこれは。攻略対象祭りか。
ピコン!と音が鳴る。恐る恐るムスタファのものを見ると、好感度親密度とも6:6で、前回よりそれほど変わっていない。ほっとしたような、拍子抜けのような。
好みのタイプはと目をやると、【明るい女性】とあって、なんだこの平凡な好みはと、別の意味で衝撃だった。だって、タイプは可愛くてしたたかな女だと自分で言っていたのに。
「ムスタファには反対側を譲ってやろう 」とフェリクスがいつだったか聞いたようなセリフを言う。
「ふざけていないで離せ」とムスタファ。
「狭量だなあ」とチャラ王子はぼやきながらも離してくれた。
ほっとして礼を言い、それからなるべくさりげなくカールハインツを見る。ドキドキして胸が苦しい。
目があった。電子音と共に現れるバーとステイタス。思わずショックで息を飲んだ。
カールハインツの好感度も親密度も、ゼロだった。
どうして。
バルナバスやオーギュストと違って会話はかなりしている。予期せぬご褒美タイムだってあった。それなのに好感度も親密度もゼロ。一体何が悪いのか。
うろたえながらステイタスを見る。彼の『好みのタイプ』は清楚で淑やか、真面目な女性だ。ゲームではそうだったし、この世界でもレオンがそう言っていた。
だけどそこに表示されていたのは【可愛い女】。
何がどうなっているのだ。
「マリエット?」
フェリクスがまた私の顔を覗きこんでいる。それだけではない、全員の視線が私に向けられていた。
「具合悪いのか?」とフェリクス。
「いいえ、何でもありません」申し訳ないと頭を下げる。「それよりも離して下さい」
「足を踏んでやっていいぞ。少しは痛い目を見たほうがいい」
そう言ったのはムスタファで、バルナバスとオーギュストが驚いて目を剥いている。一方でフェリクスは
「マリエットにならいくらでも踏まれたい」と笑顔。
ぞわっとして、思わず突き飛ばそうとしてしまった。だけどフェリクスはびくともしない。
「フェリクス」とムスタファ。
「分かったよ、保護者め」と離れるチャラ王子。
ほっとしてムスタファに礼を言う。
「自分ばかり好感度を上げて汚いぞ。なあ」フェリクスはレオンを見た。「マリエットにフラれた近衛よ」
よく知っている。というかどこからフェリクスは聞いたのだ。綾瀬の求婚はお断りさせていただいた。本人にはっきり伝えた。そのことを私が話したのは木崎とロッテンブルクさんだけだ。
「フラれたとは思っていません」と綾瀬のレオンが胸を張る。「求婚が突然過ぎたのです。これから時間をかけて口説き落とします」
そうなのだ。断ったのに、綾瀬は諦めるつもりはないらしい。
カールハインツがため息をついて、剣呑な眼差しを私に向けた。私のせいじゃないという気持ちをこめて、頭を左右にぶんぶんと振る。
「いや」と呆れ声のカールハインツ。「レオンは隊の中でも宣言している。前向きすぎて、皆でストーカーにならないようにと注意をしているところだ。万が一彼が問題を起こしそうだったら、早めに知らせてくれ。彼の将来を潰したくない」
私がかしこまりしたと返事をするのにフェリクスの笑いやらレオンの抗議やらが重なる。
オーギュストも加わって話が盛り上がっているようだったので、静かに下がってムスタファに
「失礼してもよろしいでしょうか」と侍女らしく尋ねた。
「早く行け」とムスタファ。
ありがとうと声に出さす口だけを動かし礼を伝え、少し離れた所からこちらを見ていたバルナバスにだけ頭を下げてその場を離れた。
「あ」と背後からフェリクスらしき声が上がったが
「いい加減にしないと遅刻する」とムスタファの声が続いた。
どうやら彼も講義に参加するらしい。
「マリエット、またな」
振り向くとフェリクスが片手を上げている。悪意のなさそうな笑顔のその周りを攻略対象四人とプラスワンのイケメンたちが囲っている。
あまりの壮観ぶりに思わず拝みそうになってしまったのだった。
◇◇
「何で私を呼ぶわけ?」
「侍女だろ。黙って仕事をしろよ」と木崎。
王子ムスタファの私室。すっかり夜の帳は降りていて、窓には厚いカーテンが引かれ、部屋には魔石の明かりが幾つも灯されている。
優美な曲線とゴブラン織りの豪奢な長椅子にゆったりと腰かけた月の王は湯上がりで、ほんのり紅潮した頬も、立ち上る石鹸の香りも、刺繍がほどこされたシルバーのナイトガウンも、全てが色っぽい。悔しいけど!
「……そういえばゲームであったかも。ムスタファの髪を乾かす展開」
現在私はその仕事のために、ここにいる。
「それならさっさとやれよ」と王子。
「だってさ、噂になっているんだよ。しばらくは絶対に近寄らないと決めたばかりなのに、指名だなんてひどい」
そう。僅か数時間前、ルーチェから私が三股をしているとの噂を聞いた。相手はムスタファ、フェリクス、レオン。彼女はそれを否定しようとして私の本命はカールハインツだと言い、そのせいで噂は四股にランクアップ(?)しそうな勢いらしい。なのに、こんな状況になるなんて。
「三股の話だろ。フェリクスから聞いた」と木崎。
「じゃあ、なんでこのタイミングで!」
「ヨナスがいないんだよ」
「だからって」
ロッテンブルクさんに、ヨナスが休暇を取っていて彼の代打に私が指名されたと説明をされている。
「……ここ数年、ヨナス以外にさせたことがない。他人に触られるのは苦手なんだ。このまま寝ようと思ったんだが重いし寒い」
今日は一日雨模様で気温も上がっていない。こんな日に濡れたままの頭なんて、風邪をひくかもしれない。
スタスタと王子の後ろに周り、
「赤ん坊か」てしっとムスタファの頭に手刀を軽くいれる。「加減が分からないから、ちゃんと教えてよ」
用意されていたヘアケアセットからオイルを取り、丁寧に髪に馴染ませていく。
「ヨナスさんは休暇だそうだね。デートかな」
「実家に帰っている」
「近いの?」
「そうか、知らないか」と木崎。「シュリンゲンジーフ公国を知っているか」
「隣国との境にある小さな国でしょう?」
元々はフェリクスの祖国の一地方だったらしいけど、かなり昔に独立をして、現在はシュリンゲンジーフ大公が元首の君主制国家だ。
「ヨナスさんはそこの出身なの?」
「第二公子だ」
「公子?」思わず手が止まる。「我が国風に言うならば、第二王子ということ?」
そうとムスタファ。
「なんでそんな人が従者をしているの?」
「俺に運命を感じたらしい」
「運命!?」
「ふざけてないぞ。あいつがそう言っている」
ムスタファによると、八年前に大公がふたりの息子を連れてやって外交のためにやって来た。人嫌いの少年王子は彼らには会わなかったのだが偶然、廊下でヨナスに遭遇。少しの言葉を交わしたそうだ。
ヨナスは一瞬にして、孤独でひとりぼっち、高い壁を築いて他人から距離を置いている淋しげな王子に心を鷲掴みされた。そして自分が友人になり守るのだと決意したという。
元から彼は他国で官吏にでもなり広い知見を得る予定だったらしく、大公も息子を後押し。そうして公子ヨナスはムスタファの従者となった。
「そうか。だからヨナスさんへの態度がみんな丁寧なんだ」
「公子だと公言はしていないが、クチコミでは知られているらしいからな」
従者になったヨナスは、一度も国へ帰っていないらしい。だが今朝がた祖母君が危篤との知らせが入り、急遽里帰りとなったそうだ。
「公国までどのぐらいで帰れるの?」
危篤となれば一刻を争う事態だ。心配になって尋ねると、
「半日」
との答えが帰ってきた。それから
「今回はだけどな」と付け足すムスタファ。
どういうことかと思ったら、魔術師による転移魔法で帰ったのだそうだ。これは難易度が高く魔力の消費も甚大なので、滅多に使われることのないレア魔法だという。しかも魔方陣を書いて術式を完成させるまでに半日かかるのだそうだ。
本来ならば従者が受けられる魔法ではないけれど、今回は特別の対応らしい。
ムスタファの髪をコーム型の櫛で丁寧にすき終えると、乾かすよと声をかけて風魔法を始めた。
「一応、断っておくけど」と木崎。「お前は単純だし、付き合いが長いからいけそうだと思っただけだから」
なんのことかと首を傾げかけて、髪の手入れの話をしているのだと気づく。
「感謝してよ。ムスタファ殿下が風邪をお召しになるのを未然に防いだのだからね」
「へいへい」
いつも通りの声音で返された軽い返事。
どうしてヨナス以外は苦手なのかと尋ねてもいいのだろうかと考える。
だけど今日はあまりに多くのことが起こりすぎて、思考がうまくまとまらない。
しばらく黙っていたら、
「特に理由はないんだ」とムスタファは言った。「多分、ヨナスがあんまり信頼できて安心できるもんだから、他の人間じゃダメになったんだな」
「そうなんだ」
それはそれで淋しい話だとしんみりして。
「ん? 私のことは信頼してくれてるの?」
「違うって。付き合いが長いからだって言っただろ」
「素直じゃないなあ」
そうだ、今こそ幾つもある借りを返すのだと思い、
「よしよし」
と頭を撫で撫でしてやった。だけど
「宮本のくせに生意気」
と木崎は冷めた声。つまらないなと思いながら髪に風魔法を当てていて、気がついた。
ムスタファの耳が真っ赤だ。
仕返しをしたはずなのに、私までなんだかザワザワした気持ちになった。
「そんなことよりお前、もしかしてまたステイタスが出たのか?」
赤い耳をしたムスタファが訊く。
話題が変わったことに、驚くほどほっとした。さらさらと風に揺れる美しい銀の髪を見ながら
「そうだけど、よく分かったね」と答える。
「視線。頭上と顔の脇を凝視していたからな」
「どの程度、聞きたい?」
「面白いところを全部」
「……じゃあ、なし」
「シュヴァルツがヤバかったんだろう? いいから話せ」
「人の傷を抉るのはよくないって覚えたら?」
「それが俺だと知っているだろう?」
「ムスタファはそんなキャラじゃない」
「だけど現実はこっち。諦めろ。いや、違うな。『諦めろ』じゃないな。より魅力的なキャラだろう?」
自信満々の木崎。こういうところはフェリクスに通じるものがある。
「いいの? 魅力に私が惑わされてムスタファルートを選んだら、魔王化待ったなしだよ?」
「勝手にハピエンにするな。こっぴどくふってやるに決まっている」
「まあ、木崎に惑わされるほど目は曇ってないけどね」
だけどあまりに予想外のことが多くて、先行きは読めない。
「取り敢えず、順序だてて話す」
そう言って、現在が恐らくゲーム前半の中間地点であることや、前半の終わりで攻略対象を選ぶこと、今回のステイタスには好きな言葉ではなく女性の好みのタイプが書かれていたことを説明した。
「俺の好みは可愛くてしたたかな女だっただろう?」と木崎。
「いや。【明るい女性】だった」
「は? なんだよ、そのつまらない答えは」
「私に怒られても困る。ゲームそのままなのかもしれないけど、言葉のほうは木崎の好きなものに変わっていたことを考えると、変なんだよね。それにカールハインツと多分バルナバスは、ゲームとは違う好みになっているんだ」
今日は怒濤の攻略対象祭りで、十人に会った。
廊下で出くわしたムスタファたち以外の五人は、好みのタイプがゲームと違うか分からないものの、おかしく感じることもなかった。ついでに好感度・親密度のハートもゼロから四個という数で、妥当と思えるものだった。
「カールハインツの好みは?」と木崎。
「【可愛い女】」
「普通だな」
そうなんだけどゲームと違うし、女性ではなく女という言葉であるところが引っかかる。あまり彼らしくない気がするのだ。
「バルナバスは?」
「【巨乳】」
ムスタファがぶふっと吹き出した。
「ちょっと! 動かないで」
「巨乳? あいつ、むっつりか?」そのまま楽しそうに笑っている。
「絶対おかしいよね? フェリクスならともかく」
「フェリクスは何だった?」
「ええと。何だっけ?」
「感心が薄い」木崎はそう言ってまだ笑っているようだ。
「そうだ、【信頼しあえる女性】」
「へえ。意外だ。というか全体的におかしいのか?」
そんなことはないと、他の攻略対象たちに問題はなかったことを説明する。
ふうんと言う木崎。
髪はもう乾いたので、再びオイルをつけて櫛でブラッシングすることにする。
「でさ、問題は好感度なんだよね」
「俺はどうだった? 減ったか?」
「好感度・親密度とも6で合計12。トップを独走」
「何でだよ!」
「私が訊きたい」
はあっとため息をついた木崎。「俺に惚れんなよ。迷惑だから」
「いや、ムスタファの私に対する数値だからね」
「あり得ねえ。バグだ。絶対そうだ」
「激しく同意」
と、言いつつ。隠れデレで軟膏をくれたりするからではないだろうかと思う。前世からの腐れ縁とか、それに起因した親切が好意と勘違いされているのだ、きっと。ゲームの神様とかに。
「フェリクスは?」と木崎。
「5:4」
「親密度が爆上がりしてるな」
「よく覚えているね」
「前回はあいつと俺の一騎討ちだったじゃねえか」
「……今回もだよ」
はあっとため息をつく。
「ふたりの次がテオの合計4。でもそれはいいの。カールハインツ以外は好感度が上がらないようにしているから」
「となると本命は3ぐらいか」
「……ゼロ」
え、とムスタファが振り向いた。
「だから! 急に動かないでってば。絡まっちゃうよ」
「あれだけデレられていてゼロなのか? カルラも見つけたのに?」
ムスタファは本当に驚いている顔だ。
「木崎から見てもおかしいんだ」
そのことに安堵する。私の独りよがりとか、勘違いだったということはなさそうだ。
「やっぱりバグじゃないか?」
「うん。そうかなとは思うけど、だからといって対策も分からないし、どうしていいのやらだよ」
ムスタファはじっと私を見上げていたけれど、手を伸ばして静かに私の手の中から櫛を取り上げた。そして
「もういいから、ここに座れ」と自分のとなりを示す。
「でも」
「真面目に確認したいんだよ」と木崎。
表情も真剣だ。分かったと、椅子をまわってとなりに座った。
「お前がゲームを止めたらどうなる?」
問いかけられた言葉に思考が止まる。
「例えばだが、このままならカールハインツを選べない。だから誰も選択をしないとか、綾瀬と結婚とか」と木崎。
「……そうか」
つい今朝まで、私は完璧にゲームを進められると考えていたから、ゲームをやめるなんて考えたことがなかった。
「ごめん、分からないとしか答えられないよ」
「予測でいい」
「それなら。……そうだね、ありそうなのはゲーム展開が強制的に進むことと、スタートに巻き戻るかな」
それぞれがどんなものなのかを説明する。
「『強制的に進む』には害があるか?」と木崎。
九割五分はないと思う。このゲームはバッドエンドでも誰かが大きな不幸に見舞われる展開はない。唯一の不幸はバルナバスとのハピエンにあるムスタファ討伐だ。
それとゲーム的にはバッドエンドではないけれど、私たちとしては絶対に回避したいムスタファハピエンルート。
強制的に進んでしまって困るのは、このふたつ。そう話すと木崎は
「つまり当初から方針は変わらないんだな。問題はなくはないけど、ひとまず置く」と言った。「厄介なのは『スタートに巻き戻る』か。となると、この可能性を否定できない以上、ゲームをやめることは無理だな」
「リスクは冒したくないね。しかし木崎と意見が合う日が来るとは!」
「宮本もようやく俺の高みに到達したか」
「何を言っているの。木崎が私のレベルにランクアップしたんでしょ」
そんな軽口をたたいて。それから彼はちょっと待っていろと言って立ち上がり、円卓に置かれているデキャンタを手にした。
「飲むだろ? 」
「ありがと。でも遠慮する。まだ仕事中だからね。お酒の匂いをさせて戻るわけにはいかないよ」
「……そうか」
木崎は持ち上げていたそれを卓に置く。
「木崎は飲みなよ」
「ひとりで飲んでもな」
そう言って木崎は元通りに座った。
「私の見解ですが」こほんと咳払い。木崎相手に言葉にするには、ちょっとばかり緊張するのだ。「そういう優しいとこをね、ゲームの神様だかプログラムが判断を誤るんだと思う」
「は? 俺は優しくした覚えはねえ」
うん、そう言うと思った。
「だいたいこの程度で好感度・親密度が上がるなら、デレてるシュヴァルツだって上がってなきゃおかしい」
「そうなんだよ!」
木崎の言葉に大きくうなずく。
「考えられるのはゲームのバグと」と木崎。「上がっているのに、お前自身が下げて結果ゼロにしているってとこだな」
「だけど下げ要素の心当たりはないんだよ」
「三股の噂じゃねえの? あいつは清純が好みなんだろ?」と木崎。
「それは私も考えた。というか最新版はカールハインツも含めて四股」
ぶふっとまた木崎が吹き出す。
「実際は三十歳まで男と付き合ったことのない喪女なのにな」
「ちょっと待った。確かに社会人になってからは喪女だけど、学生のころは彼氏がいたから」
「嘘だろっ!」
ムスタファは驚愕の表情だ。なんて失礼な。
「本当だから。しかも適当な付き合いじゃないよ。四年近く、真面目に交際していたんだから」
「交換日記とか?」
「そんな訳ないでしょ。大学生の時だよ?」
「妄想じゃなくて?」とまだ驚いた顔の木崎。
「ちがいます」
「なんで四年も付き合って別れたんだ? 浮気されたか?」
「……社会人になってさ。仕事に夢中になっていたら、『お前は俺がいなくてもやっていけるよな』ってフラれた」
当時の苦い思いがよみがえる。
「ああ。小さい男だったんだ」と木崎。「いるよな、自分が女の一番じゃないと満足できないクソ男。他で認められないから女にすがってんだよ。お前はやっぱり男の趣味が悪い」
「……彼女を取っ替え引っ替えしていた木崎に言われてもなあ。自分も最低男だとの認識ないでしょ」
「ねえよ。最低じゃねえもん。俺は自己満足のために彼女を傷つけたりはしねえから」
ドヤ顔の木崎、ではなくムスタファ。
「……気のせいかな。さっきからすごく真っ当なことを言っている気がする。発言者が木崎でなければ、めちゃくちゃ感心できるんだけど」
「そこはしとけ。にしても、シュヴァルツも確実に女に依存されたいタイプだぞ」
「……守りたいタイプと言ってくれるかな」
「そんなんでいいのか?」
「いいの! 守られたいの!」
ふうん、とムスタファ。やっぱり性格と好みが合ってないと言う。
それからどかんと豪快に背もたれに身を投げ出した。
「三股の話。どこまで聞いた? ていうか、俺のこと」
「俺のこと、とはどういうこと?」
そう尋ねるとムスタファは大きなため息をついた。
「『近頃ムスタファ王子が剣術を始めたのはレオン・トイファーに対抗するため。使えもしない魔術をなんとかしようとしているのはフェリクス王子への対抗。マリエットにアピールしようと必死になっている』だそうだ」
なんだその噂は。曲解しまくりだ。
「健気だね。アピール百点満点」
「違うだろっ」
再びムスタファはため息をついた。
「端から見れば、俺が急にあれこれ始めたことが不思議だっただろうし、ちょうど良い理由が見つかったんで安堵しているんだろう。でもお前のためというのは、面白くない。全部俺のためだ」
それならまず私を髪係に指名するのをやめなよと思ったけれど、口にはしなかった。正直なところ、ヨナスに次ぐ信頼があるというのは悪い気はしない。一方でムスタファの孤独は心配だ。
「これでシュヴァルツが増えて四股じゃ、更にあることないことを噂されるな」と木崎は話を続けた。「まあ面白くないはないけど、気にはしない。やりたいようにやるから、いいんだがな。
それよりもお前は何かないのか? カルラ発見みたいに、好感度を上げられるやつ」
実は、あるのだ。だけどそれは階段の手すりが壊れていることに起因する事故が関係する。危ないからさっさと修理を頼んだ。もうイベントは起きようがない。
そう話すと木崎は、
「アホじゃねえの。だから課長に姑息な手も使わないと行き詰まると叱られるんだ」と呆れた。
「私は木崎とちがって、正攻法なのがウリなの」
「で? 正攻法の結果、選択肢が俺とフェリクスしかなかったら、どうするんだ」
「万が一そうだったら、フェリクスを選んでバッドエンドを目指す」
フェリクスは面倒くさいとは思うけれど、嫌いではない。なるべく迷惑や負担をかけないようにしたい。そして。
「彼に嫌われてエンドを迎えたあと、改めてカールハインツに好かれるようにがんばるつもり」
「これだけ予想外の進み方をしているのに、そう上手く行くのか」
「そこは根性」
くはっと吹き出したムスタファは、さすが宮本と楽しそうに笑ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます