09・やんちゃ姫
のどかな昼下がり。
第三王女が姿を消した。
第三王女カルラは五歳で母親似の可愛らしい姫だ。だけれど三姉妹の中で一番やんちゃで、気性が激しい。ちょっとでも嫌なことがあると泣いて騒ぐらしい。
扱いが難しい姫は気に入った大人以外が近くに来ると癇癪を起こすので、そばについているのは乳母と専属の侍女ふたりのみ。だけどこの三人のみでやんちゃ姫を世話するのは大変なようで、時々姫は彼女たちの隙をついて姿をくらますのだ。
大抵はすぐに見つかるけれど今回は見つからず、手のあいている者はみな捜索するようにとのお達しが出たのだった。
だけど私は心配をしていない。なぜならゲームのイベントだからだ。
ここは私が見つけてもそうでなくても問題はないのだけど、見つけた場合はカールハインツが出て来て好感度が上がるので、私としては大変重要なところだ。
見つけるには手順があるけどしっかり記憶しているから楽勝のはず。
その手順をこなしている最中、ばったりとムスタファとヨナスに会った。彼らもカルラを探しているという。
意外に思いながらもこれはゲームイベントだから心配ない、私が発見すれはカールハインツの好感度が上がると説明をして別れた。
そしてカルラを発見。ゲームと同じように、植木の根元の地面との隙間に隠れていた。
目が合ったカルラは、完璧な隠れ場所と思っていたのだろう、驚愕の表情で硬直している。しかも私は初対面。
「カルラ姫ですね。私は侍女見習いのマリエットです。一緒に帰りましょう」
そう言って手を差し出す。
「イヤ」カルラは頬をふくらませてぷいとそっぽを向いた。
「なぜですか」
「みんなイジワルだからキライ!」
「どんなイジワルをされたのですか。よければマリエットに教えて下さい」
とたんにカルラが私を見た。
「ダメだって言うの。イジワルなの」
「何がダメなのですか?」
「カルラはシュヴァみたいな黒いお洋服を着たいの!」
シュヴァ、というのはカールハインツのことだろう。だけど女性で黒い服というと、城ではメイドの制服を彷彿とさせる。それはダメと言われても仕方ない。
「黒がお好きなのですか?」
「そうよ」カルラは嬉しそうな顔をする。「スカートなんてイヤ! シュヴァのお洋服を着て、剣を習うの!」
んんん。
ただの黒い服ではなくて、ズボン。更には剣術か。
この世界ではかなり難しいことだろう。女性でズボンをはく者はいない。騎士などの武人になれるのも基本的に男子だけ。
「カルラ様。今の世の中では、それは難しいことですね」
「じゃあ帰らない!」
やんちゃ姫はまた、ぷいとそっぽを向いた。
「だからカルラ様がもう少し大きくなって、侍女たちの手伝いがなくてもお洋服が着られるようになったら、勝手に着ればいいのです」
カルラがまた顔を向けた。
「勝手に?」
「ええ、勝手に。残念だけど今は乳母や侍女の言葉に従うしかありません。だけど大きくなったら、自分の意思で動けます」
私の悪魔の囁きはカルラの心に響いたらしい。もそもそと這って植木の下から出て来た。
「大きくなったら、勝手に着られる?」
「ええ。こっそり仕立て屋に注文をして、あつらえましょう。だけどマリエットがそう言ったことは内緒ですよ」
「うん!」
カルラが笑顔で両手を私に伸ばした。抱っこということだろう。やんちゃ姫をぎゅっとしてから、抱いて立ち上がった。
「ところで何でシュヴァルツ隊長なんですか?」
「この前、お母様と近衛の鍛錬の見学に行ったの。シュヴァが一番、かっこよかった!」
カルラは目をキラキラさせている。
「まあ、ステキ。マリエットも見たかったです」
近衛の鍛錬は一度でいいから見たいのだけど、見習い風情が見学できる機会はない。
「それなら今度頼んであげる」とカルラ。
手のつけられないやんちゃ姫なんて言われているけど、可愛いじゃないか。
「姫!」
背後から声がした。
「シュヴァ!」
カルラは嬉しそうに手をのばす。振り返ると、ゲーム通りにカールハインツがいた。
「シュヴァ、抱っこ!」
そうせがむやんちゃ姫を、彼女の憧れの人に渡す。カールハインツは姫を片腕に座らせ、空いた手でしっかりと抱く。姫はすごく嬉しそうだ。侍女たちに怒って隠れていたことは忘れてしまったに違いない。
「みな心配しています。このようなことをしてはなりません」
大好きなひとの言葉にカルラは頬をふくらませた。
「イジワル。シュヴァになりたいだけなのに」
「私になりたい?」
「うん!」
意味が把握できていないようなカールハインツに、姫は鍛錬を見学してからあなたに憧れているようだと説明をする。
「姫は女性ですから近衛にはなれません」
堅物隊長は真顔で諭す。
「いいもん! こっそりなるから!」
姫はこっそりを堂々と宣言した。
「それで」とカールハインツは私を見た。「お前がみつけたのか?」
「はい」
「パウリーネ妃殿下より、褒美の言葉があるだろう。共に来い」
なんてことだ、カールハインツと一緒に歩ける! 初めてのことだ。
はいと静かに返事をしながらも、内心では小躍りをしている。まさかこんなご褒美があるなんて思いもよらなかった。
部下に指示を出しながら歩くカールハインツのあとを、静しずとついてゆく。と、やんちゃ姫が黒騎士の肩越しにひょこりと顔を出して私を見た。
「シュヴァはカルラのだから、あげないよ。カルラが花嫁さんになるの」
そう言って幼女は鼻からふんと息を噴き出した。なんだろう、女の感で私が恋敵だと分かったのだろうか。
「恐れ多いことを。戯れにも言ってはなりません」と堅物隊長。
「イヤ。シュヴァもカルラを好きじゃないと許さないもん」
「勿論、好きですよ」無表情に答えるカールハインツ。
っ!
今のセリフ、おかわり!
私に言われた言葉じゃないけど、そんなことはどうでもいい。脳内で変換するから。
カールハインツの生声の『好き』。素敵すぎる。
「マリーはいつから城にいるの?」
またもカルラがひょいと顔を出した。
「ふた月ほど前からです」
「ふた月ってどのくらい? カルラが生まれるより前?」
「姫がパウリーネ様と花瓶にチューリップを飾った頃ですよ」とカールハインツ。
「チューリップ! 赤くてこういうやつだ」
やんちゃ姫は両手で花を表した。
「そうですね」
カルラは楽しそうに堅物騎士との会話を続ける。カールハインツも無愛想な表情をしながらも、受け答えは丁寧だ。これは滅多に見られない一面だぞ。
推しのレアな姿に、またも頬が緩む。
「マリーはなんのお花が好き?」再びカルラが聞いてきた。
「スズランです」
「スズランか」とカールハインツが言った。「兄が好きだったな」
兄!?
突如耳に飛び込んできた単語に驚く。
「シュヴァはお兄さまがいるの?」とやんちゃ姫。
「ええ」
「カルラと一緒だね」
カールハインツは長男だと思っていた。兄がいるなんて情報はゲームには一切なかったはず。ここに勤め始めてからだって聞いたことがない。
「マリーはお兄さまはいるの?」
「彼女は孤児院出身です」
私の代わりに答えたのは、カールハインツだった。
「コジ……?」
だけど理解できていないやんちゃ姫。
「家族はいないのですよ」と再びカールハインツ。
「お父さまやお母さまも?」
「そうです」
「それならカルラのお兄さまをあげる! ムスタファお兄さまはいらないから!」
満面の笑みで告げられた言葉に、息を飲んだ。
「……ムスタファ殿下も、一生懸命にカルラ様をお捜ししていらっしゃいましたよ」
「そうなの?」
「ええ」
ふうん、とやんちゃ姫。「だけど大丈夫。マリーにあげるね」
「姫。ムスタファ殿下でも誰でも気軽にあげるなどと言ってはなりません。あなたは王族なのですから、口にする言葉は慎重になさって下さい」
カールハインツが注意をする。だけどそれは王族としての振る舞いについてだ。
「カルラ姫。いらないだなんて、仰らないで下さい。」黙っていられなくて、余計なことを言ってしまう。「以前の殿下はどうか知りませんが、今の殿下はわざわざ外にまで出て来て、使用人たちに混ざって姫を捜していたのです」
カルラはこてんと首を倒す。何か考えている顔つきだ。
「姫には難しいですね」とカールハインツ。それから私を見て、
「見習いは控えていろ」と言った。
どこが? 何が難しい話なの?
問いたい気持ちはあったけれど、我慢をして引き下がった。
◇◇
カルラ姫の部屋ではパウリーネやロッテンブルクさんが待っていて、非常に感謝された。しかも褒美までもらってしまった。
そうして私は姫の部屋を、なんと、カールハインツとふたりで出た。
となりを歩くのはおこがましい、だけどあまり離れたくないという葛藤から、一歩だけ下がって共に廊下を進んだ。
今日はご褒美タイムがありすぎる。
そんな感慨に耽っていると、突然カールハインツは足を止めて振り返った。
何かあったのかと、私も振り返る。だけど何もない。
「マリエット」
と、ため息混じりに名前を呼ばれる。
「はいっ!」
思わぬ展開に、つい、張り切って返事をしてしまう。まだご褒美があるなんて。
だが。
「ムスタファ殿下だが」とカールハインツは難しい表情で、告げた。
「お前は今の殿下しか知らないから、肩を持ちたくなるのは分かる。だが以前の殿下はご家族とも交流をもとうとしないで、会話も事務的なものだけだった。
カルラ様が話しかけても、目も合わせないし、ろくな返事もしない、そういう反応だったのだ。彼女がムスタファ殿下に好意を持っていないのは必然のこと。
それが急に、今の兄君は姫を心配しているから『いらない』なんて言うなと注意しても、理解できるはずがない」
カールハインツの言葉がゆっくりと脳に染み渡る。
以前のムスタファは、いらないと言われて当然の冷淡な態度だった。
思わず知らず、手に力が入る。
私が知っているのは木崎の記憶があるムスタファで。ゲームのムスタファなら、確かにカールハインツが言ったような態度だっただろう。
ムスタファにもそうなってしまった理由はあるだろう。仕方ないことだったのかもしれない。だけれど、だからといってそんな態度が正しいこととは言えない。
様々な感情が渦巻くけれどひとつだけ確かなことは、私は見習い侍女に過ぎない部外者だということだ。
「申し訳ありません。何も知らずに余計な口を出しました」
素直に謝ると、カールハインツはうなずいた。
「近頃の殿下は変わられた。まさか妹の捜索に加わるとは思わなかった。私も、皆も、だ。だけどカルラ姫の気持ちはすぐに変わることはできない。留意しておくように」
「はい。考えが未熟で申し訳ありませんでした。ご忠告をありがとうございます」
頭を下げる。カールハインツに言われなかったらカルラはひどい、ムスタファは可哀想、という気持ちのままだっただろう。
「ああ」とうなずく声。
と思ったら、下げた頭にポンと何かが乗った。
「少しずつ学べ。お前はよくがんばっている」
何が起こったか、よく分からなくて。しばし硬直して。
もしやカールハインツが手でポンとしてくれた!?
ようやくその考えに到って顔を上げると、憧れの黒騎士はすでに手をおろしていたし、いつも通りの硬い表情だった。
だけど間違いない。ゲームなら後半でしかないご褒美を、してもらえたのだ。
顔がかっと熱くなる。
また気を抜いていた。ずるい、不意打ちすぎるよ。
今更ながらに胸が高まる。ご褒美展開がボーナスステージですかっていうぐらいに激しすぎる。
「……スズランか」とカールハインツは呟いて歩き始めた。
また一歩うしろをついていく。
「花言葉も好きです」と答える。
彼に問われたこと以外を口にするのは初めてではないだろうか。どんな反応がくるのか、緊張する。
「『純粋』『純潔』。兄も好きだと言っていた」
カールハインツが雑談に返事をしてくれた。これだけで嬉しくて気が遠くなりそうだ。
「お兄さまですか」
「ああ。そうだ、確か恋人に、君はスズランの花のようだという内容の詩を捧げていたな。俺は駄作だと思ったんだが、兄は恋人は大喜びしてくれたと浮かれていたっけ」
そう言う声はどこか懐かしそうな響きがあった。しかも自分のことを『俺』と呼んだ。これも後半で親密度が上がってから聞けるはずなのに。
スズランを好きと言ったことで、好感度が爆上がりしたのだろうか。
「久しぶりに兄の話をした」カールハインツの声が明るい。「近衛の若手はもう兄を知らない者ばかりだ」
そうなのですか、と無難な返事をする。
「元気でいてくれると信じているが、長いこと会っていなくてな。スズランが好きだったことも、すっかり忘れていた」
信じられないほど饒舌なカールハインツは、それから私の近況を尋ねてきたりして、別れるまで会話は途切れることがなかった。
◇◇
ランプを片手に慎重に廊下を進む。久しぶりに自室の窓に小石が当たった。前回はフェリクスと手合わせをした日だったが、あれはもう二週間と少し前だ。今夜は何の用なのだか。カルラのことだろうか。
どのみちお酒をいただけるのなら、文句はない。前回以来、口にしていないのだ。
廊下の角まで来たので足を止めて、壁際からそっと顔を出して向こうの様子を伺おうとしたら、目の前に誰かが立っていた。
思わず悲鳴をあげそうになり、慌てて口を塞ぐ。だってこれだけ幅のある廊下の角の際なんかに人がいるとは思わない。気配も感じられなかった。
体がカタカタと震える。
「マリエット。俺だよ、ラードゥロ。落ち着いて」
聞き覚えのある声。それから目前の人間は深く被っていたフードをわずかに上げた。その下に見えたのは、確かに見知った顔だった。
九人目の攻略対象、ラードゥロ。歳は私と同じくらい。職業は泥棒。
「……ラードゥロ。……ああ、驚いた」
不審者でも近衛でもなかったことに、安堵する。
「それはこっちのセリフ。こんな時間に侍女見習いが何をしているんだ。みな自室に戻っている時間だろう?」
うっ、と言葉につまる。
「まさかたらしのフェリクスの元に?」
「まさか!」
反射的に否定する。だけどここはそういうことにしておいた方が、詮索されなくてよいのではと考える。
「……と言いたいところだけど、実はそうなの。内緒にしてね」
「え、本当に? あのたらしに陥落したの?」とラードゥロ。
「ええ」
「へえ……。ま、気をつけて行きなよ」
ありがとうと礼を言い、そそくさとラードゥロの脇を通り抜ける。彼がつけてくることはないと思うけど、念のためにフェリクスの部屋がある方面に進み、遠回りをして外に出ることにした。
かなりの回り道をしてからいつもの場所へ着くと、うつ向いて座っていた不審者がはっと顔をあげた。
「ごめん、遅くなった」
「何かあったのか」
ムスタファの声はわずかに強ばっているようだった。その隣に座り、ラードゥロとのことを説明する。
「だけど良かった。フェリクスの部屋に行くと勝手に勘違いをしてくれたから」
「そうか?」
「ありそうな話でしょ。万が一言いふらされても、私を嫌いな誰かが流した嘘と言い張ればなんとかなるだろうし」
「そうか?」
いつもなら面白がりそうな木崎が、否定的だ。段々と不安になってくる。
「失敗だったかな」
「フェリクスなら噂を事実にしようと絶対に言うぞ」
「うん……。あの人、なんだかんだで無理強いはしないし、そんなに悪い人ではないと思っていたのだけど」
「そうか? 一昨日は目が陰険だったぞ?」
「そうなんだよね。ちょっとあの人のことが分からなくなったな。ただのチャラ王子じゃない気がしてきた」
「気を付けろよ」
「そうだね」
ムスタファはタンブラーにワインを注いで渡してくれた。
「木崎、さ」
「何だよ」
タンブラーに口を付けた状態で、目だけが私を見る。
「フェリクスの部屋では、ありがとう。何度も助け船を出してくれて」
「別に。あいつが嫌いなだけだ」
「同族嫌悪?」
「違うね。俺は一度に複数の女に手出しなんてしなかった」
「ドングリの背比べって知ってる?」
月の王は、ふんと鼻を鳴らしてからワインをごくりと飲んだ。
「で、カルラは無事だったのか?」
都合が悪くなったと判断したのか、ムスタファは話題を変えた。気のせいかな。最近は前世の女性関係を指摘されると、不機嫌になるようだ。
本来のムスタファは女性を含めて他人に興味がない王子だ。あまり言わないほうがいいのかもしれない。
「ゲーム通りの場所に隠れてた。侍女に不満があったんだって」
素直に話題の転換に応じて、カルラの可愛いけれどこの世界では叶いがたい希望の話をした。
「カールハインツに憧れて、か。あいつは隊長としてと騎士としてなら優秀だからな」とムスタファ。
「せめて好きな洋服を着られるようになるといいよね。 剣術となると、五歳にはムリだろうけどさ」
「いや、騎士の家系の中には、歩き始めたら模造刀を持たせるところもあるようだ。だがパウリーネは三人の娘の中ではカルラを一番可愛がっているからな。絶対に剣なんて危険なものは持たせないだろう」
そう言うムスタファは三日月の細い光を浴びて、普段にも増して月の王のようだ。
「それでカールハインツには出会えたのか」
そう尋ねられ「うん」と答えてから、思い出した。彼に兄がいることを。
「木崎はカールハインツにお兄さんがいるって知っている? 私は今日初めて聞いたんだ」
「知らなかったのか」と意外そうな声音の木崎。
「誰から、どこまで聞いた?」
「本人から。姫との会話で私がスズランが好きだと言ったの。そうしたら兄も好きだったって。久しく会っていないからスズランが好きだったことも忘れていた、近衛の若手も兄を知らない、なんてことも話していたよ」
「そうか」とムスタファはため息交じりに答えた。
「シュヴァルツ家の嫡男はエーデルトラウトというカールハインツのひとつ年上の兄だ。カールハインツは努力型だけどエーデルトラウトは天賦の才があって、エンゲルブレヒト──ヤツの祖父だ──も可愛がって自慢の孫だと話していたそうだ」
あのカールハインツよりも、兄は優秀だったということか。相当に凄そうだ。
「だがエーデルトラウトは八年前に行方不明になって、まだ見つかっていない」
「行方不明?」
「そうだ。お前、ショッキングな話は平気か」と木崎が尋ねた。
「平気」と答えて、これは良くない話なのだと覚悟をする。
「エーデルトラウトの行方が分からないとなってすぐに、近衛府に手紙が届いた。『七日以内にエンゲルブレヒト・シュヴァルツは総隊長を辞すること。守らなければエーデルトラウトの命はない』。祖父のほうを恨んでいる者か、老齢で総隊長をしていることを気に入らない者の仕業だろうと考えられた」
エンゲルブレヒトは当時、六十歳手前で歴代総隊長の中で最高齢だったたそうだ。
「この先は、想像がつくだろう?」とムスタファの声は暗かった。「エンゲルブレヒトは、こんな卑劣な手には屈しないと宣言をして近衛総出で孫の捜索に当たった。そうして六日目に近衛府に荷物が届いた。添えられた手紙には『あと一日』の言葉。荷物は、」
ムスタファは私をチラリと見た。大丈夫、と返事をする。
「エーデルトラウトの剣と右腕だった。それでもエンゲルブレヒトは辞職せずに七日が過ぎて、また手紙が来た。内容は、『孫は殺して野犬のエサにしてやった。ザマアみろ』。
それからすぐにエンゲルブレヒトは心臓発作を起こして辞職。エーデルトラウトは見つかっていないし犯人も分かっていない」
やるせない、なんとも言えない気持ちが渦巻いている。
「カールハインツにとってはライバルであり目標である兄だったらしい。あの兄が死ぬはずがないと言い続けているそうだ」
それでな、とムスタファはまたチラリと私を見た。
「綾瀬がお前に話すか迷っていてな。あれでもお前を案じているんだ。それで、なんなら俺が話してもいいと許可は得ている」
「何の話?」
口外するなよ、と木崎は念押ししてから続けた。
「『隊長を肉食女から守る会』結成の本当の動機。カールハインツは兄より先に結婚しないと決めているそうだ。まあ、恐らくは無理な話だ。だから兄に『再会』するための願掛けのようなものらしい。
このことに胸を打たれたレオンたち若手が、隊長の苦悩を少しでも軽くするために会を作ったそうだ」
「……ただのストイックではなかったんだ」
そうか。この世界の中で、二十八歳なんて歳で独り身を貫くのは珍しいと思っていたけど、そんな理由があったのか。
「だけど」と木崎は声のトーンを上げた。「ゲームではハピエンがあるんだろ? 願掛けもいいけど裏を返せば、いつまでも前に進めていないってことだからな」
「そうだね」
木崎のくせに、良いことを言う。と思ったら。
「カールハインツのハピエンの相手がお前である必要はないけどな」
「一言余計! なんか今日の木崎は一段といじわるじゃない? 何かあった?」
「俺はいつも通りだが?」
「そうかな」
木崎がいつもより意地悪に感じられるのは、私の気のせいだろうか。それとも木崎なりに、話題が暗くなりすぎないように気を遣っているのだろうか。よく分からない。
「それで、出会えてどうだったんだ?」と木崎。
問われた質問が分からず
「何が?」と聞き返す。
「カールハインツ。カルラを見つけて、出会えたんだろ? 好感度が上がった感触はあるのか?」
おお。すっかり忘れていた。
「ある! 聞いてよ!」
張り切って、頭をポンとしてもらったことや、一人称が『俺』になったことを話した。
「へえ。一応、進展してるのか」
「当然!」
「とりあえず、良かったじゃん。ハピエンの先はハッピーじゃないかもしれないけどな」
「……全力で幸せな日々にするし」
「おお。楽しみにしてるわ」
なんだか、やっぱり木崎の意地悪度が違う気がする。
それからカルラやカールハインツ、ゲームには全く関係のない話を幾らかして、お開きとなった。
片付けをして立ち上がって。おやすみと言おうとしたら、
「気をつけて帰れよ」と木崎は真剣な声で言った。
「うん。いつも見つからないように慎重にしているのだけどね。今日はしくじったよ」
「……間抜け」
「でもあれは気づけないよ。全く気配がなかったもん」
ラードゥロはなんであんな角の際に立っていたのだろうとしばし考えて。
そうか、私と同じく向こう側を伺おうとしていたのだと、ようやく気づいた。
「やましい者同士だからこその遭遇だったね」
「何でもいいから、気をつけろ」
そう言った木崎の声は更に真剣で。
「分かった」と素直に返事をしたのだった。
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