08・親睦会

 木崎のやけ酒に付き合った翌日の夕方。ロッテンブルクさんから社章と一の数字が書かれた封筒を渡された。中身は簡潔に、

『綾瀬もありえないと驚いている』

 とだけ書かれていた。


 なんだか調子が狂う。木崎が木崎らしくないことばかりをする。

 前世だったら絶対に綾瀬に尋ねてくれない。しかもこんな早くに。更に手紙で知らせてくるなんて。


 あんな無様な敗北のあとに私と顔を合わせようなんてこともらしくないし、愚痴るなんて天変地異なみ。

 そもそも定期的にふたり飲みをしていることも、おかしい。


 ……『木崎』と呼んではいるけど、本当は木崎の記憶があるだけの王子ムスタファで別の人間だ。だからなのだろうか。


 ◇◇


 瞬く間に二週間が過ぎた。

 カールハインツとは二度ほど出くわして、以前と変わらない様子で近況確認をされた。私の恋心に気づかなかったのか、気づいたけれど知らないふりをして職務を優先しているのかは、分からない。


 綾瀬のレオンに尋ねたくはあるけれど、あいつはいつもツンとして素知らぬふりをしているので訊きづらい。私にまだ怒っているのだろう。


 木崎にも会っていない。王子ムスタファとしては一度廊下ですれ違ったけれど、それだけ。

 侍女たちの噂では、剣の稽古を相当しているようだ。それから積極的に交遊も。あまりの変わりようにご令嬢方が浮き足だってお近づきになろうとがんばっているらしいけれど、今のところ成功したひとはいないという。


 私はそれなりに攻略対象たちと出会って、ゲームで見たような場面を体験したりしている。彼らに気を持たせるような言動はしないで、そつのない侍女としてふるまっているつもりだ。

 ステータスは全く出る気配がなくて、初対面のときだけの特典だったのかもしれない。


 私に好感を持ってくれていそうと感じられるのは、テオとフェリクス。テオとは良き見習い仲間という雰囲気。フェリクスは……ぶれないヤツだ、と言っておこう。


 侍女の仕事は順調で、意地悪をされるのは変わらないけれど、ルーチェとは多少だけど話すようになった。

「それで、何の仕事なんですか?」

 となりを歩くルーチェに尋ねる。廊下には夕方に近い刻限の柔らかな日差しがさしている。

 歩いているのは城内の居住エリアだけれど、私はあまり来たことがないところだった。


 昨日ルーチェに、仕事を手伝ってほしいと頼まれて二つ返事をしたものの、内容を説明するのは時間がかかるからその時にするとのことだったのだ。

「……そうね」と歯切れの悪いルーチェ。「説明が難しいのよ」


 頭の中に、ゲームでの様々ないじめが思い浮かぶ。倉庫に閉じ込めや集団に囲まれての罵倒、意味のない仕事の押し付け。

 彼女がそんなことをするとは思いたくないけど、様子はおかしい。


 どうしようと思っているうちに、彼女は扉が解放されているとある部屋に進み、中に向かって

「ルーチェです」と声をかけた。


 やられた、と瞬時に悟った。中からどうぞとの声がしてルーチェが入る。

 私はどうする。帰るか。いや、ロッテンブルクさんの元へ走るか。


「何をしている。早く入れ」

 部屋からそんなセリフと共にフェリクスが出てきた。そこは彼の部屋なのだ。

「……お仕事は何でしょうか」

「そんなに警戒するな」

 と、にこやかなチャラ王子は近寄ってきて私の腰に手をまわした。

「手助けてほしいのだ。男に素っ気ない娘が必要でね」


 なんだその状況は思いながら、がしりとまわされた腕から逃げ出せないまま部屋に入る。


 フェリクスらしくない、豪奢だけど落ち着いた色彩の調度品が並ぶなか。ローテーブルを挟んで向かい合わせに置かれた長椅子には、感情が感じられない顔をしたムスタファがゆったりと腰かけていた。

 私を見てわずかに表情が動く。マリエットが来るとは知らなかったようだ。


 そこにいるのは彼と先に入ったルーチェだけで、王子たちの従者もいない。

「君は彼のとなりに」とフェリクスはルーチェに声をかけ、私を自分のとなりに強引に座らせた。


「飲み物はそこのテーブルから。ルーチェたちの分もある」とフェリクスはそばに置かれたテーブルを示した。

「意図を話せ」

 とムスタファが温度を感じさせない声を出した。私とふたりだけで話しているときとはまるで違う。


「言っただろう。私は君と親交を深めたい」

 フェリクスは胡散臭い笑顔を浮かべている。

「それは聞いた」とムスタファ。

「君は私を好きではない。差し向かいだと話は弾まないだろうから、他の人間を交えてカードでもしよう。ちゃんと君でも耐えられそうな騒がしくない女を選んだのだ」


 ムスタファがちらりと私を見た。

「近頃お前が熱心に口説いている侍女だな」

「おや。知っていたか。噂など低俗と切り捨てていたムスタファ王子が」

「お前が自分で私に言ったのだろう。可愛い見習いが入って楽しみだ、と」

「よく覚えているな。ひとつき以上前の話なのに」


 どう見ても親交を深めたいとは思えないやり取りだ。それともこれがふたりの間では通常モードなのだろうか。

 ルーチェを見たが、彼女も困った表情で私を見ていた。


 フェリクスが手を伸ばして卓上の小箱を手にした。中からトランプを取り出す。

「いいではないか。私は君とも彼女とも仲を深めたいのだ。ポーカーをしよう」

「殿下。私はポーカーは分かりません」

 私がそう言うとフェリクスは完全に想定外だったようで、驚いた顔をした。だがすぐに笑顔になり

「では私が教えよう。君と私で一組だ」と言って肘が触れそうなくらいに間をつめてきた。

 反射的に離れる私。


「お前は何ならできる」

 そう尋ねてくれたのは、ムスタファだった。

「ババ抜きなら」

 私が答えると、玲瓏な顔に一瞬だけ表情が浮かんだ。絶対に吹き出しそうになったのだ。木崎みを感じてほっとする。

 だけどその変化はすぐに消え、月の王は澄まし顔で

「では一度だけそれをやって、しまいにしよう」と提案。

 私、力強くうなずく。

「仕方ない」

 フェリクスは意外にも素直に了承して、カードを配り始めた。


 ババ抜きはあっという間に終わった。一抜けはムスタファ、私はビリ……。

 とにかくも終わったのでムスタファが

「では」

 と腰を浮かせた。

 するとフェリクスが

「ムスタファとルーチェは帰りたければお好きに。マリエットはあと二時間、ここにいろ。仕事はそれだけかかると連絡済みだから、時間いっぱい楽しいことをしよう」

 と言って手を握りしめた。とっさに振り払おうとしたが、力が強すぎて払えない。


「遠慮します」

「ダメ」

「ロッテンブルクさんに……」

「彼女はパウリーネ妃殿下と外出したな」

 そうだった! フェリクスめ、計画的犯行だな。

「やめろ、見苦しい」

 そう言ったのはムスタファだった。冷たい眼差しをチャラ王子に向けながら、優雅に腰をおろす。

「ポーカーをすればいいのか」

「おや、帰らないのか」フェリクスがからかうように言う。

「侍女を口説くダシに使われたくない」とムスタファ。「マリエット、私のとなりに来い。教えてやる」

「それは狡い」とフェリクス。

 立ち上がろうとした私の手を更に強く握る。


「ムスタファ殿下側に座らせていただけるなら、時間いっぱいいましょう」

 私がそう言うとフェリクスは、それではつまらないと言いながらも手を離してくれた。

「ではルーチェ、こちらに」


 チャラ王子の言葉にほっとして彼女と席を替わる。


 フェリクスが卓上のカードを集めて二つに分けシャッフルをする。

「きっかけはなんだ?」とフェリクス。目はムスタファを見ている。

「何のことだ」

「随分と変わったじゃないか。以前の君なら、侍女がどうなろうが、自分がダシに使われようが気にしなかった。そもそも侍女の名前なんてロッテンブルクしか知らなかっただろう?」


 フェリクスは笑みを浮かべているが、目だけは探るような嫌な感じがある。

 もしかしたら、これは親交を深める会ではないのかもしれない。


「お前がそんなに私を知った気でいるとは思わなかった」ムスタファが嘲るように言う。

「勿論よく知っているとも。この城で私を嫌うのは君だけ。なんとか友人になりたいと考えていたからな」

 フェリクスもなかなか役者らしい。彼は切ったカードのをテーブルの中央に置いた。


「ムスタファ。彼女に説明を。その間に私はルーチェと語らいながら散歩をしていよう」

 チャラ王子はとなりに座る彼女の手をとって立ち上がり、腰を抱くと部屋を出て行った。


「たらしが」とムスタファが吐き捨てる。

「木崎だってもう少しマシだったよね」

 一応、小声で話す。廊下への扉は開いたままだ。

「あんなヤツと比べるな」とムスタファも小声。

「タイプは一緒でしょ。女の子が大好き」

 月の王と呼ばれる美しい王子は、ふんと鼻を鳴らした。木崎みに、安堵する。

「それにしても意図がまったく読めないね」

「お前に焼きもちをやかせる作戦か?」

「そんなにバカではないと思うけど」

 フェリクスはこちらの意思に関係なく口説いてくるけれど、分かっていないのではなくて気にしていないだけだ。私が本気で興味がないと理解しているだろう。


「だけど助かった。ありがとう。フェリクスってばすごい力なんだもの。まったく振りほどけなかったよ」

「観念して一回食われてみれば? そうしたら飽きるかも」

「冗談じゃない」

 せっかく礼を言ったのに、木崎はまた私ができないことをけしかけてバカにしている。性格が悪い。

「下らないことを言っていないで、ポーカーを教えて」

「それが侍女の態度かよ」

 木崎はそう言いながらも卓上のカードを手にした。


 説明をしながらカードをスペード、ハート……と並べる。それがマークの強い順らしい。


 ババ抜きをしていたときも気になったけど、王子の掌が荒れている。皮がむけてひどい状態なのが遠目でも分かるのだ。良い香りはするから、軟膏なんかで手当てはきちんとしているのだろうが。

「剣術その他、ちゃんとほどほどにしている?」

 意味のない質問だと分かっているけれど、尋ねてしまう。

「もちろん」と木崎。


 それ以外の答えなんて返ってくるはずがないのだ。倒れるギリギリだって、きっと『もちろん』と答えるだろう。


「本当だぞ。ヨナスがうるさいから」と木崎。「そういうお前こそ、カールハインツと進展はあったのか」

「幸い後退はない」

 ぶっと吹き出す王子。「そりゃ心強いな」

「嫌みな性格!」

「ご存じの通りだ」


 それからまた説明を聞いて。終わったころにフェリクスたちが戻ってきた。ルーチェの顔は明るいから楽しかったようだ。

 たどたどしいながらも私はひとりで参加して、ポーカーを4度やった。王子たちがそれぞれ二勝二敗。今日の木崎は完璧に優雅なムスタファの仮面を被っていて感情を見せないけれど、きっと勝負に納得がいっていないだろう。


 それに気づいているのかいないのか、フェリクスが

「もうひと勝負をしようか。次は何かを掛けて」と言い出した。

「断る。そんなことに侍女を巻き込むな」とムスタファ。

「月の王は存外に優しい。では歓談タイムにしよう」


 当たり障りのない会話。社交界の流行やフェリクスの故郷についての話など、ルーチェや私も興味が持てるようなことが上がる。ムスタファは口数は少ないけれど、尋ねられたことに対してはきちんと返事をしていた。親交を深める趣旨どおりになっている。


「そうだ」とフェリクスが私を見た。「マリエットに訊きたいことがあったのだ」

「何でしょう」

「君が惑わしているのは誰だ?」

 フェリクスは変わらずにこやかな顔。だけどどことなくそら恐ろしい。


「……私は誰も惑わしてなどいません」

「ああ、質問が悪かったな。近衛のシュヴァルツが、君が惑わしていると考えているのは誰だ? 私の恋敵だ、気になるではないか」


 鼓動がうるさくなる。フェリクスは何故そんな質問をするのだ。表情からはまったく読み取れない。


「……何のことだか、分かりません」

「以前君と庭を腕を組んで歩いていたときに彼が言ったではないか。『フェリクス殿下も惑わしているのか』と。気になったから観察してみたのだがな。よく分からない。シュヴァルツも口を割らない。だから、教えろ」


 鼓動がますます早くなる。カールハインツがそんな風に話したか、覚えていない。もし事実だったとして彼の念頭にあったのはムスタファのはず。

 そのムスタファがとなりにいる今、この質問をしてくるのは偶然なのだろうか。


「下世話な話題はやめろ」

 またしても助け船を出してくれたのは、ムスタファだった。

「恋敵がいようがいまいが、お前はまったく相手にされていないのだから関係ないだろう」

「なるほどムスタファは恋をしたことがないらしい。想う相手のことは気になるものなのだぞ」

 フェリクスは諭すかのように上からな物言いだ。

「お前のは恋ではなくただの下心。女と見れば、片端からべたべた触わる。嫌がられているのが分からないのか」


 そうだ! いいぞいいぞ木崎!

 心の中だけで声援を送りながら、うなずく。


「触れなくても逃げず、私を意識してくれるのならそうする」

 フェリクスは私を見てそう言うと、にっこりとした。汚い言い方だ。なんて言い返そうか迷う。


 と、

「……殿下」とルーチェがおずおずと口を挟んだ。「あまり見習いを追い詰めないで下さい。でないとここに連れてきた私がロッテンブルクさんに叱られてしまいます」

「なるほど。それはまずい」とフェリクス。「残念だが、ここまでにするとしよう」

 チャラ王子はすんなりと引き下がり、そうしてこの謎の会はお開きとなった。


 ◇◇


 王子の部屋を出て帰る道すがら、ルーチェは

「なんか、ごめんね」

 と謝った。それから、実はねと言って、微妙な表情をする。

「フェリクス殿下と廊下に出たでしょ。そのときにシュヴァルツ隊長に会ったのよ」


 フェリクスは今日はムスタファと親交を深めるのだとかなんとかベラベラと話して。

 今自分の部屋ではムスタファがマリエットにポーカーを教えている最中だ、とも告げたらしい。


「その時はただの世間話だと思ったのだけど、最後のあの様子からすると、あなたが惑わしている相手をムスタファ殿下だと思って隊長にカマをかけていたのじゃないかしら」


「殿下の意図が分からないわ」

 思わずこめかみを押さえる。一体何のために、そんな些細なことを明らかにしようとしているのだ。

「あら、それだけあなたに夢中なのでしょう」

 ルーチェがさも当然、といった口調で言った。

「まさか!」

「だって私を使ってまであなたとの時間を作ったのよ。あなた、フェリクス殿下に冷たすぎるもの。殿下は今日の会をとても楽しみにしていたの」

「……それが本当なら、ちょっとばかり良心が痛むような気がしないでもないですが、だからこそ、気を持たせるようなことはしてはいけない気もします」

「もう! シュヴァルツ隊長はやめて、殿下の愛人になっちゃいなさいよ」

 愛人!

 そんな爛れた関係は遠慮しますと返事をして。

 ルーチェは

「もったいない!」と笑い飛ばしたのだった。

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