07・やけ酒

 侍女、ルーチェの後について廊下を進む。私はほとんどの侍女に相手にされないのだけど、ひょんなことから彼女が仕事の手伝いに来てと誘ってくれたのだ。確か彼女は地方都市の富豪の娘だったはずだ。年は私より少し上ぐらいだろう。


 と、カン、カンと外から金属の高い音が聞こえてきた。前を進む彼女が足を止めて開いた窓から外を見る。ここは二階だから視線が下を向く。私も彼女に並び、すぐに音の主を見つけた。


 裏庭の開けたところで剣の練習をしている三人がいた。ムスタファ、ヨナス、レオンだ。手合わせをしているのは王子と近衛。

 前世の先輩後輩は年齢も体格も逆転している。


 年はレオンがひとつ上なだけだけど、体格差はかなりある。戦うことが本職の近衛は筋肉がよくつき逞しい。一方で月の王と称される人嫌い王子は細身で、背丈こそは変わらないものの重量は半分しかないように見える。


 王子は圧倒的に力で負けているけれど軽やかな足さばきで右に左にと動き、相手を翻弄する作戦をとっているようだ。


「ムスタファ様、あんなに素早く動けたのね」

 ルーチェが感心している。

 そうですねと返しながら、あれはラダーの成果なのか前世からの器用さなのかと考えた。

 どちらにしろ、悔しいけれど、すごい。ムスタファは以前は剣をやらなかったと言っていた。ならば木崎の記憶がよみがえってから、ここまでの腕前になったのだ。


 私だって負けてはいられない。侍女といえばマリエット、と言われるぐらいになってやる。


 と、新しくふたり組がやってきた。こちらに背を向けているが、燃え上がるような赤毛でフェリクスと彼の従者だと分かる。ムスタファたちも気がついたようで、剣をおろした。


「楽しそうなことをしているな。混ぜてくれ」

 風に乗ってフェリクスの声が聞こえてくる。


「あら。それは可哀想だわ」と呟くルーチェ。

 木崎は了承したらしい。今度は彼と向かい合う。フェリクスはレオンのような体型ではないけれど、それでもムスタファより大きい。


 レオンが始めと言うと、すかさずフェリクスが踏み込んだ。

 ど素人の私が見ても分かる。彼は上手い。しかもヤツは完全にお遊び感覚のようで、顔には余裕の笑みが浮かんでいた。

 ムスタファは防戦一方で、表情は強ばっている。


 やがてフェリクスが剣をおろした。

「ここまでにしよう。ムスタファにケガをさせてはまずいからな」

 そう言う彼は息ひとつ乱しておらず、ムスタファのほうは肩を大きく上下させていた。普段は玲瓏な白い顔が上気して目は険しい。


 木崎は相当に悔しいだろう。

 勝負はつけていないが、完敗としか言い様がない。

 私に見られていたとは知りたくないはずだ。

 立ち去ろうと窓のそばを離れようとしたとき。


「マリエット!!」

 と私の名前が響き渡った。フェリクスだった。

 庭からこちらを見上げている。

「見ていたか? なかなかの腕前だろう? 私が素晴らしいと分かったか」

 満面の笑みで叫ぶ彼のとなりでは、ムスタファが強ばった顔をしている。

 私はペコリと頭を下げて、窓際から下がった。


 あのチャラ王子は、アホなのか。空気が読めないのか。ムスタファの表情を見ていないのか。見ていてあの態度なのか。ならば余計に評価を下げてやる。


 木崎のことは大嫌いだけれど、ざあまみろという気分にはなれなかった。だってムスタファは筋肉系キャラではないのだ。綾瀬のレオンもそう言っていたじゃないか。

 それを僅かな期間であそこまでの剣術ができるようになったのだ。スポーツの代わりに、なんて軽い気持ちとは思えない。かなりの努力をしたのだろう。

 そして今の状態は完成形でもない。


 かつてライバルであった私は、見るべきではなかったのだ。【結果こそ全て!】との言葉が思い出された。


「何を怒っているの?」

 掛けられた声にはっとした。いけない、ルーチェがいたのだった。

「フェリクス様にあんな態度は失礼だわ」

「すみません。あの方は苦手なんです」

「殿下を狙って媚を売ってると聞いているけど」

「まさか!」

 ルーチェに悪意はなさそうだ。ここではっきりさせておきたい。

「ああいう女性に軽い方は苦手なんです。だから声を掛けられても素っ気なくしていたら、余計に興味をもたれてしまったようで困っています」

 きっとドMなのよ、という言葉は言わないでおく。


「そうなの?じゃあシュヴァルツ隊長に付きまとっているという噂は?」

「付きまとってなんていません。私が苛められているという噂を聞いたようで、顔を合わせるたびに確認されるのです。城内の乱れはほうっておけないから、と。部下の方に聴取もされて」


 ルーチェは気まずそうな表情をした。


「シュヴァルツ隊長には憧れているので、気にかけてもらえてラッキーだなとは思っていますけど、どちらかと言えば私を監視しているかのような雰囲気です」


「隊長に憧れているの」

「はい」

 これは正直に伝えておく。マリエットはカールハインツ一筋、フェリクスや他の王公貴族には興味がないのだとはっきりさせておきたいからだ。


「ま、無理ね」とルーチェ。「あの人、誰にもなびかないの。噂だと、シュヴァルツ家の仕来たりで結婚相手は当主が選ぶことになっているからですって。でも恋人ぐらい作ってもいいのに、堅物なのでしょうね」

「そうなのですね」

「それに」とルーチェは続けた。「最近は彼の部下たちが《隊長を守る会》を作って、女性を近づけさせないらしいわよ」

「ええ、私も威嚇されました」

「噂は本当なのね!」


 なぜかルーチェの目がきらめいて、誰にとか、どんな風にとか質問攻めにあった。

 新しい噂のネタができて嬉しいらしい。


 こんなにロッテンブルクさん以外の侍女と話をしたのは初めてではないだろうか。


 ◇◇


 そのあと廊下でバルナバスに出くわした。彼は数人の友人に囲まれていたが、その中には攻略対象である公爵令息オーギュスト・エルノーの姿もあった。

 軽く膝を折って挨拶をして、そういえばステータスが出ない。と気がつく。さっきフェリクスと話をしたときもだ。少しばかり腹立たしかったので失念していたけれど、次に攻略対象に会ったらステータスがどうなるかを確認しようと思っていたのだ。


 というのも昨晩ムスタファの部屋で、ステータスを見たいときにはどうするればよいのかと気になったので、彼を使ってあれこれ試してみたのだった。


 異世界転生ものでよくありそうなセリフを言ってみたり、アレンジを加えたり、あれこれ適当に口にしてみたり。仕草動作も試して、果てはやけになって社歌も歌ってみたけど、ダメだった。


 結果、自力では見られないのかもしれないという結論になった。それなら何かのルールに則って出現すると仮定して、そのルールを探そう、もしかしたら出会うたびに出るのかもしれないし、と淡い期待を抱いたのだ。


 だけど違うらしい。ステータスが現れる様子はなかった。


 バルナバスが話し掛けてきて、ルーチェはあからさまに表情を明るくした。彼女は二言三言彼らと言葉を交わす。私は第二王子も公爵令息も攻略するつもりはないので、彼らの様子を静かに見る。

 では失礼をとルーチェが言いかけたところに、従者を連れたフェリクスがやって来た。手に剣を持っているから、先ほどからの戻りだろう。


「フェリクス。そんな格好で剣の練習か」とバルナバスが声を掛けた。

「いや、楽しそうだったから少し混ぜてもらっただけだ。裏でムスタファがやっていてな」

 フェリクスは私を見てにこりとする。同意を促しているのか、ただの愛想か分からないのでわずかに頭を下げるにとどめる。


「兄上か。最近どうされたのだ」

 バルナバスの口調は心配そうだ。

「らしくないな」とオーギュスト。

 他の取り巻きたちもうなずく。

「確かに彼らしくはないが、あれは眠れる獅子だったのだな」とフェリクスは楽しそうに言った。

「……上手いのか」とバルナバス。

「気を抜いていると抜かされるぞ」

「まさか」と取り巻きがすかさず反論する。「それにバルナバスは魔力で戦えるのだから、剣など極めなくてよいのだ」

「私はどちらも優秀だ」

 フェリクスはそう言ったかと思うと、また私を見た。

「次は魔法の実力を見せてやろう」

「だそうですよ、ルーチェ先輩」と私は先輩侍女を見る。「良かったですね!」

 無理やり話をふられた彼女は、いや、流されたフェリクスも、非常に微妙な顔をしていた。





 王子グループの元を離れると、ルーチェは呆れた顔で

「あなたはフェリクス殿下にいつもあんな対応なの?」と訊いてきた。

「そうです」

「隣国の王子よ。失礼すぎるわ」

「だけどロッテンブルクさんに、あれで構わないと許可はいただいてます。あの人はあの塩対応で全然めげないんですよ。絶対にドMですね」


 あ、言ってしまった。さっきは飲み込んだのに。まあ、構わないか。


「ド……」とルーチェは言ってから、顔をくしゃりとした。おもっいきり笑ったのだ。「だったらあなたはドSじゃない」

 おお。確かに。

「それは気づきませんでした。だけどあんな対応するのはフェリクス殿下にだけですよ」

「案外似合いなのかしら」

「やめてください! 私はシュヴァルツ隊長がいいんです!」

「あなた、性格と男の好みにズレがあるんじゃない?」


 からかうようなルーチェの言葉にギクリとする。私のことをろくに知らない彼女まで木崎と同じことを言うなんて。


 いやいや大丈夫。ズレが本当にあったとしても、乗り越えてみせるから。

「そんなことはないですよ」

 にこりと反論をするが、ルーチェはそうかしらとおかしそうな顔をするのだった。


 ◇◇


「あなたって鋼の精神ね」

 ルーチェに誘われた仕事が終わると、彼女にそう褒められた。

 仕事は第一・第二王女の散歩の付き添いだった。私は飲み物係で、瓶詰めのそれをかご一杯持っていた。ルーチェは汗拭き係でタオルだ。

 王女たちと別れ、私とルーチェは別のルートで庭園から建物に戻るところだ。


「そうですか?」と私。

「そうよ」とルーチェ。「今日の彼女たちは普段の百倍意地悪だったわよ。なのにあなたは顔色ひとつ、変えないのだもの」

「そうなんですか? 孤児院育ちの強みですね。市井でだって十分、虐げられていますから。それに私、根性だけは誰にも負けない自信があります」

「……そんな感じね」


 そこからお互いに黙ったまま歩いていると、前からレオンが来た。ひとりだ。

「マリエット・ダルレ」と厳しい顔つきで私の名を呼ぶ。

「はい」と足を止めかしこまって答える。

「聞きたいことがあるから、こちらに」とレオン。

ルーチェと別れてレオンの後をついていく。少し進んだところで彼は左右と上方を確認した。そしてやや憤然とした表情になる。


「宮本先輩に言っておきたいことがあります」

 用があるのは綾瀬ということらしい。

「なに?」

「木崎先輩は、きちんと剣術を始めてからまだ半年も経っていません」

 はあ、と私。

「対してフェリクス殿下は、近衛の僕でも勝てるかどうかという腕前です。持っている基礎が違うんですよ」


 レオンのそれなりに整っている顔をまじまじとみつめる。

 つまり綾瀬は大好きな木崎先輩が私にバカにされないよう、フォローしに来たということらしい。


「バッカじゃないの」

 アホらしくて、つい大きな声が出てしまう。男前レオンの顔がひきつった。


「綾瀬、木崎のプライドをなめすぎ。『剣を始めて半年』『相手は本職級』なんて事実はあいつには関係ない。『年が近い』『立場が同じ』ってことのほうが重要なの。

 そんな相手にお遊びで済まされたんだ。木崎にとっては完全な敗北。無様な完敗。それ以外のなんでもないの。

 綾瀬がそんなフォローを私にいれたなんてあいつが知ったら、余計に屈辱なんだよ。分からないかな」


 レオンの見開いた目が癇に触る。


「木崎のファンなんでしょ。私にフォローをいれる暇があったら、フェリクスの攻略法を考えるとか、木崎の練習メニューを作るとかしなよ。

 どうせあいつ、どうやったら勝てる腕前になるかを、必死に考えているでしょ」


 綾瀬は一度瞬いたあと、ほうっと息をついた。


「……騎士団長に稽古をつけてもらう手配済み。本格的な筋トレメニューも考えていました」

「でしょう! 綾瀬も付き合ってあげなさいよ」

「……宮本先輩って……」

「何よ」

「ずいぶん理解してますね」

「そりゃ伊達にライバルしてないから」


 部は別でも同じ営業でフロアはとなり。いやがおうにも動向は分かるし、負けたくないから気にもなる。あいつのプライドの高さと負けず嫌いくらい、当然の情報だ。


「じゃあ僕はこれで。木崎先輩に変なことを言わないでくれるなら、それでいいんで」

 綾瀬はそう言い捨てて去っていった。


 変なことは言わない。だけど私が見ていたことを木崎は知っている。だから、知らないふりもしない。

 とは言っても、しばらく会うことはないだろう。情けない姿を見られたのだから、向こうから声をかけてくることはないだろうし、私も用なんてないのだから。


 ◇◇


 一日の仕事を終えて部屋に戻り、灯りをつける。

 とたんにこつんと窓が鳴った。


 そんなバカな。木崎が今、私と顔を合わせたいはずがない。戸惑って慌てて窓を開けると、下にはいつもの不審者が酒瓶片手に立っていた。ちょいとそれが持ち上がる。


「今行く」

 そう伝えてランプを手に取った。


 ◇◇


 いつものベンチに行くと、いつものように不審者がタンブラー片手に座っている。

「なによ、やけ酒?」

「俺はそんなもんは飲まない。いいから付き合えよ」

 その声は明らかに不機嫌だった。すでに半分ワインが注がれたタンブラーがベンチに置いてある。それを取り、腰をおろした。


「見事な完敗だったね」

「……剣も出来るとは聞いていたが、あそこまでとは思わなかった。見下していた自分を殴りたい」

「私が一発いれてあげるよ。どこがいい? 顔? お腹?」

「顔だと騒ぎになる」

「よし、帰りにお腹ね」

 木崎は深いため息をついたあとはベンチの背にもたれかかり、タンブラーを持ったまま黙り込んだ。

 私は夜闇の中に浮かぶものの輪郭をたどりながら、ワインをちびちびと飲む。


 かなりの時間が過ぎて、そろそろタンブラーが空になるという頃。


「ヨナスと綾瀬が」と木崎がぼそりと言った。「慰めてくんだよ」

「まあ妥当だよね」

「それが余計に腹が立つ」

「目の前に落ち込んでいる人がいたら、普通の人は慰めないとと思うんだよ。木崎のプライドの高さが普通じゃないの」

「……知ってる」

「自覚はあるんだ」


 笑ってやる。


「そりゃプライドと意地だけで生きてたし。木崎だったときはだけど」

 とムスタファは言って、ワインをゴクリと飲んだ。

「……もっともヨナスはそんなことは知らないからな」

「ゲームのムスタファって、全てに執着がなさそうなイメージ。感情も平坦でさ」

「……そうだな」

 ムスタファはまた長く息を吐いた。


「八つ当たりだとは分かっているんだ。俺の性格が面倒くさい。でも腹が立つ。くだらない慰めで余計に惨めになる。負けるのは死ぬほど嫌いだし、言い訳するのはもっと嫌いだ」

「プライドが半端なさすぎだよ」

「……知ってる」

「ほら、飲め飲め」


 私たちの間に置かれた瓶を手にとり、木崎のタンブラーに注ぐ。それから自分にも。


「自分が飲みたいだけじゃねえか」

「バレたか」

「宮本に愚痴るしかないのも腹立つし、お前に気を遣われるのもムカつく」

「我が儘すぎ。だったら可愛くてしたたかな恋人でも作れば?」

「この性格見せたら引かれるだけだろうが」

「だね」

「下手に手を出したら、絶対面倒事になるし」

「本音はそっちか」

 木崎はまたため息をついた。


「ああ、ムカつく。なんで俺は何もできねえんだ」

「知るか」

「情けねえ」

「そうだね。でも私のお酒係りとしては役に立ってる」

「宮本の役に立てても嬉しくねえし」

「ま、ほどほどに。どう考えたってムスタファに木崎の体力はないでしょ」


 またしても黙り込む木崎。不貞腐れた顔をしている。


「……半魔だからあるかもしれない」

「その可能性を感じたことがあるわけ?」

「……これから開花」

「言ってて空しくなってるでしょ?」

「勝手に察するな!」


 木崎は何度目になるのか分からないため息をついてから、

「分かってはいるんだ」と言った。「俺は体力がない。だから少しずつ進めるしかなかった。焦ってもしょうがないって頭では分かってるけど、ムリ」

「ほんと、厄介な性格だね」

「時間が足りない。やりたいことは山のようにあるのに」

「大丈夫でしょ。あれだけ働いて彼女とぎらせないでジョギングが日課。時間の使い方がうまいじゃん」


 木崎のムスタファが今夜初めて私に顔を向けた。

「悔しいけど。切り替えも上手なんだろうね。だけどムリはしないでよ。ヨナスさんと綾瀬が心配するでしょ。私はしないけど」

「……そこは嘘をつけよ」

「『え~、まりか、木崎くんがめっちゃ心配だよ』」

「棒読みやめろ。てか、お前の名前まりかだっけ?」

「ちがう。適当。嘘でも言いたくないじゃん」


 ぷはっ、とムスタファは吹き出した。

 ツボに入ったのか、しばらくくっくと笑っている。


「聞いてもいいかな?」

「なんだよ」

「なんで剣術を始めたの? スポーツ代わりって嘘でしょ?」

「……可愛くねえな、お前」

「問題ない。カールハインツにだけ可愛いと思ってもらえればいいから。ま、話したくなければいいけど」

 またしばらくの間があって。


 だって討伐されたくなかったから。


 ムスタファはそう言った。「どう頑張っても魔法が使えない。それなら剣を極めるしか、今の俺には防御の手立てはないだろ」


 やっぱりか。そんな考えなのではないかと思っていたのだ。強力な魔法を使うバルナバスに剣で対抗できるとは思えないけど、彼ができる回避方法はそれしかなかったのだろう。


「剣を使えたからといってバルナバスに勝てるとは思ってないが、なにもしないでヒロインが来るのを待ってるのも嫌だった」

 そうだね、と同意する。

「ヒロインがお前で最初はほっとしたけどな。バルナバスエンドはないって信じているけど、ゲーム後に俺が半魔だと知られて討伐される可能性がなくなった訳じゃない」

「……それは考えてなかった」


 となりを見ると、月の王と称えられる王子がこちらに美しい顔を向けて、複雑な笑みを浮かべた。


「ま、半魔だろうが人間だろうが未来は分からない。いきなり三十で死ぬかもしれないからな。どんなものでも自衛策はあったほうがいい。だから俺は剣術を身に付けたいの。んで、負けたくもねえ」

「フェリクスがね、『眠れる獅子だった』って褒めてた」

「は? 何それ」

「めっちゃ上から目線だよね。バルナバスの取り巻きたちも、彼がムスタファに負けるはずがないってたかをくくっている。頑張れ、プライドの塊」

「……俺は宮本に礼なんて言わないぞ」

「いらない。お酒の礼のリップサービスだから」


 木崎はきっと更に腹を立てて闘志を燃やしているだろう。

 単純なヤツだ。


「……なんかねえの? お前の情けない話。俺だけなんてずるくないか?」

「意味が分からない」


 木崎はいつものような口調になっている。十中八九、演技だ。もう立ち直ったというふり。だてに八年もいがみ合っていないから、なんとなく分かるのだ。この男のプライドは呆れるほど高い。


「カールハインツは? 何かやらかしているから好感度も親密度もゼロなんじゃねえの?」

「ちがうって」

「フェリクスは3:1あるんだろ?」

「バルナバスもゼロだし」

「他は?」

「ロッテンブルクさんの息子が合計2だけど、あとはみんなゼロだから」


 それから他の攻略対象の話をして。ゲームのことを一通り話し終わったところで、打ち明けることにした。


「実はさ、カールハインツとの出会いでやらかした」

 そう言うと木崎は

「さすが宮本、外さねえ」と楽しそうな声を上げた。

「それは昨日も聞いた」

「で、何をしたんだ」


 庭師の作業小屋でゲームシナリオにはない対面をしたこと、気を抜いていたら髪についたゴミを取ってくれてうっかり赤面してしまったこと、きっと恋心がバレて印象を悪くしただろうことを手短に説明した。


 絶対に木崎は笑い飛ばす、そう思っていたのにヤツは難しい顔をして首をかしげた。

「俺はあいつに詳しいわけじゃないが」と前置きをしてから「おかしくないか?」とムスタファは言った。「女についたゴミを取るようなタイプじゃない。口で指摘して鏡を見ろと叱ると思う」


 確かに。言われてみれば、そのほうがカールハインツらしい。


「お前に興味があるなら分からないでもないが、」

「私に興味あると思う!?」

 ムスタファの言葉を遮って思わず食いつくと、知るかよと冷たく突き放された。

「分からないでもないって話。だがメーターはゼロなんだろ? それが正しいなら興味はなし。だけどメーターの判断が狂っている可能性もある」


 そうか。ムスタファのハート十コはどう考えてもおかしいのだ。ゲームの判断基準が実際と違うと昨晩考えたばかりだ。それならカールハインツのハートも実際と違うのかもしれない。


「……お前、自分に都合良く考えてるだろう。顔がにやけすぎ」

「好きな人に興味を持ってもらえたら嬉しいじゃない。ああ、彼女をとっかえひっかえするようなヤツには分からないか」

 今はしてない、と憤然とした呟きが聞こえた。


「とにかく綾瀬に訊いてみたら。あいつなら通常かどうか分かるだろ」と木崎。

 綾瀬か。

「ちょっと難しいかも。私も八つ当たりしちゃった」

「いつ? 何をしたんだ」

「秘密」

 木崎のことで怒ったなんて口が裂けても言いたくない。

「カールハインツ絡みか」

「そんなところ」

「アホなヤツ」

「あれは仕方ない」

「俺は訊いてやらないからな。自分で訊けよ」

「ケチ」

「仕方ない。俺も今日は不機嫌オーラ出しまくっちまったからな」

「アホなヤツ」


 なんとなく木崎の雰囲気が明るくなったような感じがした。気が紛れたのかもしれない。


「そろそろ帰るかな。美味しいワインをごちそうさま」

 立ち上がり、ムスタファがいつも持っている袋にタンブラーをしまう。

「さて、覚悟する時間だよ」

 右肩をぐるぐる回す。

 立ち上がるムスタファ。突然無言で私の右手を掴んだ。


「な、何?」

 木崎は答えずに両手でひとの右手を広げている。

「ちょっと、木崎!」

 いくら相手の中身が木崎でも、見た目は第一王子のムスタファで、月の王と称えられる美形なのだ。異性に免疫のない私はチョロくときめいてしまう。


「こんな手で殴ったらケガをする」とムスタファ。

 そういうヤツの手は見た目に反してガサガサでマメもあるようだった。どんだけ剣の鍛錬をしているのだ。


「ずっ……頭突きにする?」

 焦っているせいか声が裏返る。

「いや、キスがいい」

「っ!!」

 慌てて手を振りほどくと、ムスタファはおかしそうに声を立てて笑った。

「そんなんでカールハインツを攻略できるのかよ」

「地獄に落ちろ!」


 思いっきりムスタファの足を踏む。

「痛ってえ!」

「おやすみ!」


 返事を待たずにベンチを離れる。

 なんなんだ、なんなんだ。

 だから木崎は嫌いだ。


 恥ずかしさと腹立たしさでずんずん進み、建物に入ろうとして気がついた。ランプを忘れた。


 あれがないと困る。部屋の灯りを兼ねているのだ。だけど取りに戻るのも嫌だ。

 どうしようかと迷っていると足音がした。振り返ると、ランプを手にした不審者だった。


「ん」

 と、それを差し出される。

「……ありがと」

「……悪かった。情けないとこを見られた八つ当たり。ていうかマウントかな」

「最低。でも木崎がそういうヤツって知ってるし。今さらだね」


 じゃあ、と足を建物に向ける。


「……やけ酒に付き合ってくれてありがとな」


 背中に掛けられた言葉に驚愕して振り返ると、ムスタファはすでに背を向けて歩きだしていた。

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