06・ゲームスタート

 音楽が聞こえる。覚えのある曲だ。

 明るくて上品、だけど何かが始まるワクワク感。


 なんだっけ、この曲。

 確かに知っているのだけど……。






 パチリと目が覚める。部屋はまだ薄暗いが、良い天気になりそうな気配がある。幸先のいいスタートだ。今日からロッテンブルクさんから離れて仕事をする。

 もちろんまだまだ見習いだから全てにおいてではないけれど、大きな一歩だ。


 気合いを入れてベッドから起き上がる。

 ふと、夢の中で音楽を聞いたことを思い出した。知っている曲。だけど何の曲か思い出せなかった。

 あの夢はなんだったのだろう。


 ◇◇


 朝食に行く前に偶然にもテオに会った。おはようとお互いに挨拶を交わす。と、


 ぴこん!

 と電子音がした。


 何の音、と思う間もなくテオの頭上にふたつのバーが、顔の横にウィンドウが現れた。

 蔦模様で縁取られたウィンドウ。そこには


『テオ・ロッテンブルク(14) 侍従見習い

 好きな言葉 【努力】』


 と書いてあった。

 めちゃくちゃ見覚えがある。

 頭上のバーもだ。ゲームでの親密度と好感度を表すメーターで、それぞれ10コのハートが並んでいる。

 今、見えているものはハートひとつずつが赤くなっていた。


 ……寝ぼけているのか、目の錯覚か。

 何度か瞬きを繰り返しているうちに、ウィンドウとバーは消えた。


「マリエットさん?」

 テオが不思議そうに首をかしげている。

「大丈夫ですか? ぼうっとして」


「あ……。ええ」

 テオには見えていなかったらしい。

「気分でも?」と重ねてテオが尋ねる。

「……いえ。大丈夫。ごめんなさい。ちょっと……大事なことを思い出して。急がないとだわ。失礼しますね」

 最後は早口になってしまったが、仕方ない。足早にその場を去った。


 脈が早い。ドキドキしている。

 思いもよらないことが起こった。

 ふと夢で聞いた音楽を思い出した。あれはこの乙女ゲームのテーマ曲だ。

 きっと今朝からゲームが始まったのだ。そして私には攻略対象のステータスを見る力があるらしい。


 ◇◇


 テオの次はバルナバスに会った。

 親密度も好感度もゼロ。さもありなん。というかゲーム開始時はそれが当然なのだ。


 それから、好きな言葉は【臥薪嘗胆】だった。ちょっとイメージとは違う気がする。ゲームでもこうだったのかは、覚えてはいない。

 バルナバスに限らず、テオも、他の攻略対象も。カールハインツ以外は記憶に残っていない。


 どのみちバルナバスはゲームエンドまでハートゼロを保ちたいぐらいだから、興味はないかな。


 さらに夕方にはフェリクスに会った。廊下でばったりという状況で、彼は令嬢を連れていたけれどにこやかに

「やあ、マリエット」なんて話しかけてきたのだ。

 わざと私が令嬢たちの目の敵にされるようにしているとしか、思えない。


 だけど彼の好感度はハートが3つ赤かった。

 うわぁ……と引いた。好感度が上がるようなことは、なにひとつしていないのだから。

 そのせいかどうか親密度のほうはひとつだったけど。


 好きな言葉は【自由】で、うん、そんな感じだよねと納得できた。

 それからステータスは私以外には見えていないようだ。




 そして、晩にはついに新たな攻略対象に出会った。

 この分だと三、四日のうちに全員と会いそうだ。ほとんどのキャラに興味がないけど、出会いを終わらせないと次に進めないから、どんどんこなしてしまいたい。


 ……木崎には出会ったときに、始まったよ、と教えればいいかな。

 わざわざ言いに行くほどのことではないよね。


 ◇◇


 ゲーム開始日から三日の間に、カールハインツとムスタファ以外の攻略対象に会った。

 彼らを攻略する気はないから、無難に対応するつもりだ。私がしなければならないのは、ルート選択の前にカールハインツのハートを合計で十にすること。それが対象を選択できる条件なのだ。


 前半はツンしかないカールハインツの好感度と親密度を上げるのは結構大変で、彼だけを考えて行動するのではなく、侍女としてきっちり仕事をすることと、王族に丁寧な対応をする必要がある。


 気になるのは私へのいじめが何故かゲームよりライトになっていること。これがどう影響するか分からない。いじめを受けたい訳ではないし、ステータスを見られるのだからそこは有利になっているのだ。なんとでもなるだろう。


 あとは早くカールハインツと出会うだけ。

 好感度と親密度、ちょっとは期待しちゃっているのだ。


 ◇


 ゲーム開始から四日目の朝。パウリーネの花を受け取りに庭師の小屋へ向かった。

 人気のない小路をたどって、庭師の作業小屋に着く。

 小屋といっても孤児院育ちの私からすれば立派な平屋で道具や肥料が置いてある。更には住んでいる人もいる。パウリーネ専用庭師のベレノだ。彼女があまりに花好きだから、専任者がいるらしい。中年でのっそりした雰囲気のおじさんだけれど、この地域では育ちにくい植物でも花を咲かすことのできる、凄腕庭師らしい。



「おはようございます」

 扉を開けたところは作業スペースなので、ノックはいらないと言われている。だからなんの心構えもなく開けて中に入ろうとして、硬直した。


 カールハインツもいたのだ!


 彼は鋭い目で私を見ている。

「何の用だい」と庭師。

「パウリーネ妃殿下のお花を受け取りに参りました」

「いつもの侍女は?」

「体調不良です」

「なるほどね」庭師は困った顔をして頭をかいた。「彼女はいつももう少し遅いから、まだ準備が終わっていない。待っててくれ」

 はいとうなずく。

「ならば」とカールハインツは庭師に声をかける。「今朝も変わりはなし、だな」

「ええ、はい」と庭師。

 どうやら巡回の途中のようだ。


 こっそりみつめるがステータスが出ない。

 と、彼はまた私を見た。変わらず鋭い目。

「すみません、割り込んでしまって」

 謝りの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ぴこん!と電子音がした。


 好感度、ゼロ。

 親密度、ゼロ……。


 ハートはひとつもない。

 ひとつくらいはあるかもと期待していたのに。


 確かにろくな会話はしていない。けれど顔を合わせるたびに、声掛けはされている。あれはやはり近衛の義務でしかなかったのだ。

 いや、義務だとしても、親密度のひとつくらい……。


 カールハインツが振り返り、頭上を見る。


 しまった、バーを凝視しすぎてしまった。

 それらはまだ消えていない。顔の横のものを見ると、好きな言葉は【磨穿鉄硯(ませんてっけん)】とあった。ゲーム通りだ。物事を達成するまで強い意志で頑張るといった意味だったはずだ。


 ステータスが消える。


 再び私を見たカールハインツは不審そうな表情だ。が、私は素知らぬふりを通すことに決めた。

 ショックで良い切り抜け方法が浮かびそうにないのだ。


「何かいたのか?」とカールハインツ。

「いえ?」

「何か見ていなかったか?」

「いいえ。申し訳ありません、私の態度におかしなところがあったでしょうか」

 しおらしく頭を下げる。

 カールハインツは納得していないようだったが、追及は諦めたようだ。


「最近、身辺の状況は」

「問題ありません」

 小さな意地悪は変わらず受けているけれど、告げるほどではない。


 それに気づいているのかいないのか、カールハインツは感情のない目で私を見ていたけれど、突如手を伸ばしてきた。

「髪にゴミがついている」

 と言いながら、指先が軽く額に触れる。

「取れた。……どうかしたか?」

 心臓がバクバクしている。顔も熱い。

 どうもしないと答える声も、もしかしたら普段通りではないかもしれない。


「では」

 とカールハインツが小屋を出ていく。



 だってだってだって!

 こんなのはゲーム序盤にはない。何しろツンしかないクールなキャラだ。ルートに入ってそれなりに経たないと、こんなご褒美展開は起こらないのだ。


 完全に油断していた。

 あのカールハインツに触れられるなんて。


 だけど。ハートがゼロの彼なのだから、ゴミを取ってくれたのは好意ではなくて、きちんとした性格ゆえのはずだ。

 髪にゴミがついているなんて、侍女失格と思われなかっただろうか。

 というか朝、ちゃんと鏡でチェックはしたから、ここに来るまでについたのだろう。なんて運が悪いのだ。

 嬉しいハプニングだけど嬉しくない。複雑な気分だ。


「マリエット」

「はい!」


 掛けられた声に驚いて、必要以上に元気よく返事をしてしまった。

「用意できた」と庭師が切り花が入ったかごを作業台に置いた。


「ありがとうございます」

「シュヴァルツ隊長が庭巡回だと、必ず様子を尋ねに来るんだよ。真面目すぎるんだ。ところでどうしたんだ? 顔が真っ赤だぞ」


 庭師の言葉にぎくりとする。顔が熱いとは思ったが、赤面しているらしい。カールハインツは気づいただろうか。いや、有能な近衛の目をごまかせるはずがない。


「隊長に惚れてんのか」と庭師。「やめときな、あの人は小娘なんかにゃ興味はない」

 知ってる。それをがんばって私を見てくれるようにするのだから。


 庭師にぺこりと頭を下げて小屋を出た。


 好感度も親密度もゼロなうえに、ゲーム開始早々に彼を好きなことまでバレてしまった。近づいてくる女性を迷惑に思っているのだから、私の印象は悪くなってしまっただろう。


 ちゃんと挽回しなければ。

 ああ、でもリアルなカールハインツの威力は絶大だな。かっこよすぎて接近戦は自分を保てる自信がない。

 異性に免疫のない自分が恨めしい。


 木崎にこのことを話したら、あいつはお腹を抱えて笑いそうだ。絶対に言わない。うまくスタートを切ったとしらを切ろう。


 ◇


 第一王子ムスタファに出会うことなく数日が過ぎ、そのせいなのか他の攻略対象にも会わない。仕方ないのでロッテンブルクさんとヨナスを通じて木崎に連絡をとった。

 そうしてゲーム開始からちょうど一週間の深い時間に、ムスタファの私室をこっそりと訪れた。


 ヨナスに招き入れられる。すぐに奥の長椅子にゆったりと腰かけるムスタファと目が合った。

「よお。アレは始まったか?」木崎口調で彼がそう言ったとき。


 ぴこん!と電子音が鳴った。


 ムスタファの顔の隣にウインドウ。頭上に好感度と親密度を示すふたつのバー……。


「っ!!」

 バーを見た瞬間に目を疑い、思わずムスタファに駆け寄り近くからそれを凝視した。


「なにこれっ!!」

「は?」

 木崎のムスタファが立ち上がり振り返る。が、すぐに戸惑いの顔をこちらに向けた。

「……なにもねえじゃん」


 その顔の脇のウインドウには好きな言葉【結果こそ全て!】と書かれてあるが、それどころじゃない。


「どういうことよっ!」

「なんの話だよ」とムスタファ。

 そりゃそうだ。

 仕方ない。


「少し、ふたりで話せるかな?」

 不本意だけど。木崎はヨナスにこの世界がゲームの世界だとは話したくないらしいのだ。

「ヨナス、すまない」

 とムスタファが王子らしい声音で言うと、ヨナスは隣室で読書をしているとさっと部屋を出ていった。


「なんだよ、一体」

 再び椅子に腰かけたムスタファは長い足を見せつけるかのように組んだ。

 一瞬みとれるけれど、中身が木崎だと思うと腹立たしいだけだ。

 ステータスはもう消えている。

「ゲームが始まった」

「良かったじゃん。座れば?」


 どうも、と向かいに座る。卓上にはいつものようにワインやチーズなどが豪勢に置かれていた。


「飲むだろ?」

 と木崎がワインをグラスに注ぐ。


「攻略対象全員と出会いを済ませた。王子ムスタファが最後」

「ふうん。対象って何人いるんだ?」

「十二」

 多いっ、と笑う王子。差し出されるグラス。

「ありがとう。で、全員、出会いと共にステータスが出たの」

「ステータス?」

「そう。空中に」指をさす。「顔の脇に名前なんかのウインドウ。頭上に好感度と親密度を示すメーター。それぞれ十個のハートで表されるの」


 なるほど、とムスタファはニヤリとした。

「俺のがマイナス一万だったんだな」

「それで驚くはずがないじゃない」

「……そうだな」

 王子の顔が、あれ?というような戸惑い顔になる。


「好感度も親密度も五こずつあるんですけど、どういうことよ!」

「はぁっ!?」

 叫んだ木崎は頭上を振り仰ぐ。

「もう消えてるし」

「おかしいだろっ!」

 叫ぶムスタファは更に戸惑い顔だ。

「私のセリフ! 現在ぶっちぎりのトップ! 何で!」

「知るかよ!」

「フェリクスだって3:1だったのに!」

「え、俺、あの女たらしに勝ってるの?」

「勝ってても喜ぶところじゃないから」

「勝負に勝つのは好きだが、喜んでねえ」


 木崎はワインをごくりと飲んだ。

「どうなってるんだ」

「うん。ちょっと思うんだけど、これ」

 と卓上のワインや果物を見た。

「木崎、というかムスタファ殿下とはもう何度も会っていて、これでしょう?」

「これを親密度高しと判断されたっていうのか?」

「そうとしか思えなくない?」


 木崎はため息をついた。

「だとしてもなんだよ好感度って」

「木崎、私のことを好きになっちゃった?」

「んな訳あるか。俺のタイプは可愛いしたたかな女なの」

「何、その相反する感じは」

「狙った男を落とすために可愛い女に擬態できる計算高いのが、好み」

「……は?」

「間宮見ればわかるだろ?」


 前世で付き合っていたという間宮さん。ふんわりした雰囲気で男性人気は高かった。その反面、女性からは男に媚びていると不人気だった。

 木崎はそれを全部承知で彼女が好きだった、と?


「……好みがひねくれてない?」

「いけないかよ。お前だって男の趣味は悪いじゃないか。ちなみに仕事のためなら恋愛なんて後回し、みたいのは女じゃないと思ってた」

「私のことじゃん!」

「正解」

 ムスタファはまたワインをごくりと飲んだ。

「お前への好感度が高いなんて、ありえない」

「こっちだって気持ち悪い。ほんと、最悪。合わない。理解できない」


 私もワインを口に運んだ。

「美味しい」

「……お前、必ず『美味しい』って言うな」

「そう? 本当に美味しいんだもん」

「ま、チョイスのしがいはある。それが好感度判定に繋がってんのか?」

「分からないよ」

「ルート選択に関係あんの?」


 ハートが合計で十個ないと選べない説明をする。


「カールハインツは今いくつだ?」

「……ゼロ」

「期待を外さないヤツだな」と木崎が笑う。

「最初はそれが普通なの。木崎が異常」

「知るか。ゲームの判定がおかしい」

「……そうかもね」


 手の中のグラスを見る。

 すっかりご馳走になることに馴れてしまったけれど、前世がなければ第一王子と孤児院出身新人侍女見習いの間柄なのだ。ゲームの判定が狂うのも仕方ない気はする。


「でもちゃんとカールハインツの基準は満たせるんだろ?」

「もちろん」

 いきなり出会いで失敗したことは黙っておくのだ。

「頼むから俺とバルナバスしか選びようがない、ってのだけはやめてくれよ」

「当たり前」


 ちょっと考える。


「フェリクスが勝手に好感度を上げていきそうな予感はする」

「いいんじゃん、押さえにしとけば」

「ひどくない?」

「俺の未来がかかってるからな」

「大丈夫。絶対にカールハインツと結婚するって決めてるから」

「喪女の執着に期待しとくわ」

「腹立つ」


 木崎の言い方はムカつくけれど、ヤツもゲームが始まって不安なのかもしれない。


「食べねえの?」

「もらう」

 クラッカーにチーズをのせる。

「だけど念のため、今後は控えようかな」

「何を」

「木崎に会うの。用件は手紙にしよう」

 万が一ムスタファのハートばかりが増えて、他が変わらないなんてことになったら困る。ゲームの判定基準にいまいち不安が生じた以上、対策は必要だろう。


「気にせず来い。カールハインツを攻略できるんだろ? 弱気な宮本なんて気味が悪い」

「弱気なんじゃない、慎重なの」

 木崎の命もかかっているじゃん、と心の中でだけ言う。心配しているなんて思われるのはシャクだから。


「カールハインツの進捗情報も聞きたいしな」

「なんで」

「絶対笑えるだろ?」憎たらしい笑みを浮かべている王子。

「そんなことないし」

「本当か?」

「当然」

「ふうん。なんならアドバイスもできるのに」

「いらない。ゲームをやりこんであるから」

「こっちにはレオンという内通者もいる」

「綾瀬が私に協力してくれるはずがないじゃない。ひとの恋愛で楽しまないでくれる?」


 腹が立ったので、おかわりのワインを勝手にグラスに注ぐ。


「もうゲームの話は終わり。最近、噂になっているよ」と木崎のムスタファに、ゲームでない話を向ける。「剣の練習をしてる、って」

「ああ。前はこっそりやっていたけど、やめた。今は堂々」

「案外上手なんだって?」

「当然。ま、剣を構える筋肉をつけるのに時間がかかったけど」

 王子は左手で右腕を撫でた。

「ムスタファ王子のイメージが変わっちゃう、あ」


 そこで思い出した。先ほど現れたウインドウにあったムスタファの好きな言葉が、多分だけどゲームと違う。


「なんだ?」と木崎。

「さっきステータスが見えると話したでしょう? そこに好きな言葉も書いてあるのだけど、ムスタファ王子のはゲームと違ったんだよね」

「へえ。なんて?」

「【結果こそ全て!】」


 王子はなんとも言えない微妙な表情をした。


「それは木崎だったときの信念だな」

「そうなんだ。たしかに木崎らしいね」

「ゲームではなんて?」

「覚えてないけど、もっと優雅だったのは確か」

「てことは確実にゲームから変質しているんだな」


 王子は軽く息をついた。

「やっぱりお前任せにしておくだけでなくて、魔王化しないように対策を考えるべきだな」

「確証はないけど、きっかけは怒りだろうから平静を保つ訓練とかどう?」

 真面目に提案すると、木崎はぶっと吹き出した。

「俺がそんな聖人みたいな人間になれるとおもうか?」

 そう問う顔にはいつものバカにしたような笑みが浮かんでいて、私はほっとしたのだった。

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