03・新たな攻略対象

 ロッテンブルクさんの後をついて昼下がりの廊下を進んでいると、

「ちょっと待て!」

 と声がした。王族のプライベートエリアで遠くに立哨中の近衛がいる以外、私たちの他に人はいない。ふたりで足を止めて待っていると、通りすぎた部屋から青年が顔を出した。続いてもうひとり。


 先の青年は隣国の第五王子で攻略対象のフェリクス・サンブラノ。後のほうはムスタファの弟バルナバスだ。このふたり、ゲームでは仲が良い設定だったけれど実際でもそうらしい。性格は正反対なのに。


 バルナバスのほうは金髪碧眼、文武両道、性格も素晴らしい典型的な王子様。異母兄との仲は微妙だけど、それは兄のほうが壁を作っているから。


 一方のフェリクスは赤毛に緑の瞳、顔の造作も性格も派手でチャラい王子だ。交換留学の名目で来国しているはずなのに、熱心なのは女の子を口説くことだけ。だけど憎めない性格で、ムスタファやバルナバスより友人が多い。


 ふたりとも出会うのはまだ先のはずなのどけど。

フェリクスは私を一瞥してから、ロッテンブルクさんを見た。

「そこの娘がマリエットという新人か?」

 ロッテンブルクさんがそうですと答え、私は膝を曲げ挨拶した。

「ふうん」

 フェリクスは寄ってきて、じろじろと見る。

「確かに可愛い」

 とりあえず、もう一度膝を折る。

「声もいい」とフェリクスは笑顔になる。「噂を耳にした」

 フェリクスは無表情で静観していたバルナバスに、な?と同意を求める。

「とある堅物が彼女に恋して、周辺をうろちょろしていると」


 なんてことだ。知らない間に私に関するおかしな噂が立てられて、王子たちの耳にまで入っているらしい。


 ロッテンブルクさんが、つい、と私の前に出た。

「私の知る限り、マリエットの周りに殿方の影はありません。無責任な噂に過ぎないのでしょう」

 さすが、侍女頭。か弱い見習いを守ってくれるのだ。


「いや、確かな情報筋だ」と笑顔のフェリクス。「私の交友関係は広いからね。あの鉄の男をその気にさせるとは、なかなかだ。興味があるよ」

『鉄の男』。ということは、フェリクスが指しているのはカールハインツのことだろう。


「殿下が仰っている殿方がシュヴァルツ隊長ならば」とロッテンブルクさんは名前をズバリと出した。「彼女に関することは、職務上の理由ですね」

「ふうん。まあ、そういうことにしてあげてもいいさ」とフェリクスは言って立ちはだかるロッテンブルクさんを避けて私のそばに来ると、手をとった。


「一見地味ながら、可愛い。磨けばもっと美しくなるな」

 ちゅ、と手の甲にキスされる。やめてくれ、チャラい男には微塵も興味はない。

「先ほど妃殿下のお猫様の糞尿の片付けをして、まだ手を洗っておりませんが」

 真顔でそう言ってやると、バルナバスがうっとうめいた。けれど当のフェリクスは声を立てて笑った。

「なるほど、貴様なぞに手に触れられたくないということか。気に入った」

 おや。思っていたのと、反応が違う。参ったな。


「見習いよ、まだまだだな。ロッテンブルクが手を洗わせないままにするはずがないだろうに」とフェリクス。

「なるほど」思わず声を上げてしまう。


 チャラい王子というだけではないらしい。侍女頭の性格をちゃんと把握しているなんて意外すぎる。

 しかも気に入られてしまったらしい。

 手を無理やり引き下げ、かしこまる。

「まだまだの見習いは精進しないといけませんから、遠くから見守っていただけると幸いです」

 ロッテンブルクさんが大きくうなずく。

「予防線を張られているではないか」とバルナバスが初めて喋った。

「それを落とすのも楽しいさ」

 フェリクスはそう言うと、またなとウインクをして、バルナバスと共に元の部屋に戻っていった。


侍女頭が珍しく大きなため息をつく。

「どうしてあなたに皆が寄ってくるのでしょう。こんなことは初めてです」

「すみません」


 それは私がヒロインだからです。

 だけどまだゲーム開始前なのだけど。


 私もため息をつく。なんとなく、予想はつく。多分だけれど、ムスタファと出会ってしまったことでシナリオが狂ってしまったのだろう。

 あの朝、うっかり社歌を歌ってしまったばかりに。まさか私以外にも社員がいるとは思わなかったし、それがよりによって木崎だなんて、完全に想定外だった。


 ま、バルナバスは私に興味がなさそうだったのが救いかな。あの顔は好きだけど、木崎が討伐されるのは可哀想だからね。


◇◇


 ふうとため息をついて、膝の上で開いていた本を閉じた。

 私の個室。家具はベッドと衣装箪笥、小さな円卓だけ。見習いは誰でもこれしかないらしい。椅子はないからベッドに腰かけている。


 仕事を終えて寝るまでのわずかな時間は、貴重な勉強時間だ。私は公式に認められなくても王家の血筋だからと、恥ずかしくないレベルの教養を身につけるよう言われている。

 教師はつかずに自学だけど。



 と。

 コツン

 と窓が鳴った。


 …まさか、あいつか? もう用なんてないでしょうに。


 また、コツン。


 無視しようか。

 だけどまたワインを貰えるかもしれない。


 ……それに、用がないのに来る奴でもない。


 立ち上がると窓を開けて下を見る。すると外套を頭から被った不審者が、酒瓶を掲げた。うなずくと、奴はふいと踵を返した。


 ◇◇


 窓から外を見たとき、半月に近い月に雲の多い空だったので、今回はランプを持って部屋を出た。見回りの近衛に出くわさないかとヒヤヒヤする。


 これは心臓に悪いな。こんな思いをさせながらたいした用ではなかったら、木崎の奴はただじゃおかない。


 そんなことを考えながら前回のベンチの行くと、暗闇の中に座っている人影が見えた。


「暗くない? 見えているの?」

「見えるわけあるか。俺だって普通の人の目だ。けど仕方ねえだろ。携行ランプなんて持ってねえから」

「なんで?」と尋ねてから気がついた。「そうか、夜に一人歩きをしないからか」

 そう、と木崎のムスタファ。

「木崎とは思えない品行方正ぶりだね」

「今の俺はムスタファだ。お前と話していると、つい木崎のテンションになるけどな」

「ああ、分かる」


 なんというか、木崎といると前世の私が強まる感じがする。


「高校の友達に会うと、高校のころのテンションになるのと同じ感じじゃない?」

「それ」と木崎が指を指す。「しかしお前と意見が合うなんて、世も末だ」

「失礼だな。呼び出しておいて。こっちは誰かにみつかったら、って怖い思いをしながら出てきているのに」

「酒目当てだろ? てか、座れば?」

「ご許可、ありがとうございます」


 わざとらしくかしこまり、第一王子の隣に座る。


「ほら、王室御用達最高級の酒だ、特別に下賜してやろう」

 差し出されるタンブラー。中身は半分しか入っていない。

「……木崎って、案外過保護?」

「倒れても運びたくないじゃん?」

「私だって遠慮する。うっかりそんな所を見られたら人生が詰む」


 タンブラーを受け取り、ゆっくり一口を含む。

「美味しい」

 ついつい、にんまりしてしまう。


「噂な」とムスタファの木崎。

「まさか、あんたの耳にも届いているの?」

 早すぎない? ゲームでは孤高の王子様キャラで、噂や社交界の状況には疎かったはずなのに。


「フェリクスから聞いた。カールハインツがお前に惚れたって」

「ああ、フェリクス殿下。私も今日彼に、それを言われたの。堅物隊長の噂の相手が気になったのね」

「え、お前、本当にあいつをもう落としたのか?」

「まさか」


 どうしてこんな噂になったのか、嫌みを交えてきちんと説明をした。


「なるほど。原因は俺か」と木崎。

「そう。だから私に近寄らないで。どんどん、ややこしくなるから」

「こっちも既になっている」

「どういうこと? 」


 木崎が言うには従者のヨナスが、主が私を気に入っていると誤解しているそうだ。原因は廊下で私に話しかけたことと、メモの仲介を頼んだこと。

 誤解だと言っても、それらの行動の理由を話せないから、一向に信じてくれないという。


「そういえば廊下の時の彼、何か物言いたげな顔で木崎を見ていたかも」

「気づかなかった」と吐息交じりの王子。「で、ここからが今日の本題。ヨナスにお前が惚れているのはカールハインツで、俺はたまたまそれを知って応援するようになったと話したい。構わないか?」

「……今までのムスタファのキャラとして、それは無理ない設定なの?」

 木崎ってこんなに人に気を遣うタイプだったっけ、と不思議に思いながらも直面している問題を尋ねる。

「無理はある。だが誤解されたままも困るし、転生なんて話は流石に突飛すぎる。そもそもあいつに隠し事はしたくない」


 ムスタファとヨナスの出会いは十二年も前で、以来、主従であり兄弟であり親友という深い絆で繋がっているという。孤高の王子が唯一信用し、心を許せるのがヨナスだそうだ。


「では、そういうことにしよう。私もムスタファ王子に好かれているなんて勘違いは困るもの」

「よし。次から連絡を取りたいことがあったらヨナスに頼む。お前もそうしろ」

「いや、ないって。木崎には近づきたくないから」

 ワインは惜しいけど。と貴重なそれをゆっくり味わう。

「何があるかは分からないだろう? ああ、そうだ。フェリクスはお前が可愛いってさ。楽しくなりそうと浮かれていたぞ」

 思わずため息がこぼれる。

「興味ないから。チャラい男は嫌いなの。前世も、今世も」

「お前今、『前世』を強調しただろう」

「当然」

「酒を返せ」

「器の小さな王子だね」

「お前限定でな。前世も今世も」


 ムカつく、お互い様、なんて言いあいながらツマミのチーズを食べる。前回のものと違うけど、こちらも美味しい。


「そういえば王太子って、やっぱり決まってないの?」

 ゲームでは決まっていなかった。

「うぅん」と唸る王子。「法律上は第一王子の俺。パウリーネやバルナバスも納得していると聞いている。だが決まっていない」


 というのも、一部に反対派がいるからだそうだ。ムスタファの母親は侯爵令嬢として現国王の妃となった。けれどそれは正式に妃となるために侯爵家の養女となって得た身分で、実際の出自は不明とされている。

 だからそのような母親を持つ者は王太子に相応しくないと反対派は強硬に訴えているそうだ。


 ムスタファ自身も王太子や国王の地位に興味はなかった。──以前は。

 前世の記憶を得てからは、法律を遵守してその地位がまわってくるのならば、やってもいいかな、ぐらいに気持ちは変化しているそうだ。


 木崎ならば、張り切って国王になりたがりそうなのに。そのへんはムスタファとしての意識が強いのかもしれない。



 それから私のことも聞かれたので、少し話した。


 生まれて間もない頃に孤児院の前に捨てられていたこと。名前はおくるみに刺繍してあったこと。

 孤児院のスタッフは良い人たちで、生活に必要な知識と魔法を教えてくれたこと。

 王宮に上がる前に、公爵邸でメイドとしての教育を受けてきたこと。


 もぐもぐとチーズを食べる。

「おかわり」

「ねえよ! 食いしん坊か」

「だったらワイン」

 木崎がこちらの様子を伺っているようだ。

「大丈夫。さっきと同じ量をちょうだい。それで終わりにする」

 ため息と共に差し出された瓶。

「王子に注がせちゃって悪いね」

「1ミリも思ってないくせに」

「正解。むしろ木崎に酌をさせるなんて、優越感」

「不敬罪でしょっぴいてやろうか」

「本当にそんな罪があるの?」

「お前限定で作ってやる」

「それならこっちは、半魔だって言いふらしてやる」


 注がれたワインを口に運ぶ。

 私、また調子づいているな、と思う。やっぱり木崎と話すのは遠慮がいらないから舌がよくまわる。お酒のせいもあるかもしれない。


「うん、酔ってるかも」

「自分の足で帰れよ」

「もちろん。……別に言いふらさないから」

 ぷっ、と吹き出す音がした。

「分かってるって。お前は卑怯な手を使わない。それが欠点。ときには姑息な手も搦め手も使え、でないと行き詰まるぞとしょっちゅう指導されてるだろ」

「……よくご存じで」

「みんな知ってるだろ。お前んとこの課長は声がでかすぎるんだよ。全部筒抜け」

「だよねー」


 はははと笑いながら、前世のことを思い少しだけしんみりする。でも直ぐに立ち直る。


「そうだ木崎。《隊長を肉食女から守る会》について、何か知っている?」

「何も。ヨナスから、そんなものがあるらしいって聞いただけだ」

「ちょっと引っかかるんだよね」

『肉食女』という言葉が。こちらの世界で聞いたことがないのだ。王宮内で流行りの言葉かと思い、先輩たちに尋ねてみたけど分からなかった。


 そう話すと木崎のムスタファは、確かにとうなずいた。

「草食系、肉食系って前世の言葉っぽいでしょう? ゲームには存在していなかった会だし、もしかしたら他にも社の人間がいるのかもしれない」

「だとしたら誰だ? 可能性が高いのは、避難誘導していた奴だよな」


 それは私も考えた。けれどその先には進んでいない。

 カールハインツ隊に転生者がいるのか、他にいて頼まれて会を結成したのか。見当もつかない。


 ちなみに隊員は全員男だ。この世界に女性の騎士や兵士はいない。魔法に秀でた数人の女性が魔法戦士として存在するけど、平和な世の中だから古い魔法戦闘の研究に携わっているようだ。


 私が近衛兵に接触できればいいのだけど、新人見習い侍女には自由時間なんてほとんどないから難しい。


「お前、カールハインツ隊の前で社歌を歌ったら?」と木崎。

「できるか!」

 機会もないし、愛しのカールハインツの前でそんな奇行はしたくない。

「なんで。手っ取り早いじゃん」

「それなら木崎がやってよ」

「俺はそんなキャラじゃない」

「ケチ。私は歌いたかったとしても無理。自由時間はないし、カールハインツ隊の勤務シフトが分からないもん」

「それぐらいは入手できる。けどお前の勤務時間はな。口出しできるだろうが、表立って関わりたくない」

「私だって困る」


 ふたりして腕を組み、ううんと考える。

 社の人間がいるなら気になるけど、それが苦手な人なら関わるのは遠慮したいし。難しいところだ。


 パチン、と木崎が指を鳴らした。

「さすが、俺。いいアイディアだ。お前、侍女なら裁縫できるだろ? 社章のワッペンを作って近衛の詰所辺りに落とす」

「社員なら驚く?」

 そう、と王子。


 正直なところ面倒な作戦だ。私に余分な時間はない。だけど策自体は悪くない。もっと簡単にできないだろうか。というかワッペンじゃなくて木崎が書いた社章でいいのでは?

 ううむ。


「ああ、そうか。見習いは自由時間がないと言ったな」

「いや、策は良いと思う。ここは発案者として一肌脱いでくれる?」

「裁縫を覚えているか分からん。ボタン留めしか自信がない」

 思わずぶっと吹き出す。

「ボタン留めできる王子、いいね」

「宮本に褒められるとか、恐ろしすぎる。何をさせる気だ」

「木崎のプライドを刺激しつつ、資金提供?」


 豊かな生活をしている王子に、いらない指輪か何かをくれと頼む。ムスタファはためらうことなく、金の指輪を抜いて差し出した。

「ありがと」

 二人の間にハンカチを広げて真ん中に指輪を置いた。ランプの灯りを大きくして木崎に持たせる。


 指輪に手をかざして呪文を唱える。難しくはない。短い、簡単なもの。


 指輪はすぐに形を失くし砂金の山になった。真ん中に宝石がひとつ埋まっている。それを指先でつまみ上げて

「これは返す」

 と渡した。


 ため息をつく王子。

「すごいじゃん、お前」

「まだまだこれから」


 指輪だったものに手をかざして呪文を唱える。今度は長く難しい。集中力も魔力も倍使いながら、頭の中には社章をしっかり思い描く。


 金の粒がさらさらと動きだし、やがてそれは形づくった。


 ほっと息をつき、額の汗をぬぐった。

 ムスタファがそれを手にする。

「社章……」

「わりと完璧じゃない?」

「……すごいな」

「まあね」

 木崎は憮然としている。同等のライバルだった私との魔力の差がショックなのだろう。


「金属なら多分何でも出来るんだ」

「……すごいじゃん」

「でも指輪サイズが限界。実用的ではないんだよね」

「十分実用的だろ」


 この魔法。ゲーム中盤で、イベントをこなして攻略対象の魔術師に習わないと先に進めない。なにしろ倉庫に閉じ込められたときに、蝶番を変化させて扉を外して脱出するのに必要だからだ。

 逆に形作るほうは、やはり攻略対象の宝石商に習う。習得しないと彼とのルートはバッドエンドになるらしい。


 前世の記憶を思い出したときに、公爵邸の銀食器なんかをちょっとばかりお借りして練習しておいたのだ。ほとんどのものが元の形に戻らなかったけど。だって指輪サイズにしか形成できないとは思わなかったからさ。


「これを詰所前で拾ったとカールハインツ隊に届けてさ」

「食い付く奴がいるかどうか、か」と木崎は答えた。

「ヨナスに頼もう」

「お願いします」


 それから幾つか打ち合わせをして、お開きとなった。


 結局この先もムスタファと距離をおけないぞ、と気づいたのはベッドに入ってからだった。


 けれど、まあいいか。カールハインツ攻略のために利用できるものはしないと。謎の会には対抗できないかもしれないからね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る