04・三人目の転生者

 朝食を終えてロッテンブルクさんとふたりで王妃の私室に向かっていると

「食堂の件は」

 と切り出された。廊下には誰もいないけれど、低く抑えられた声だ。

「王宮内にカエルがやって来るなんて、驚きですよね」

 そう答えると、侍女頭は私を見た。



 侍女たちは普通、身分の高い家の出身だ。だから孤児院出身の私は異質で、誰も近寄って来ない。仲良くしてくれるのはロッテンブルクさんだけ。しかもゲームが始まれば、いじめられる。

 そのいじめの中に、スープにカエルを入れられるものがあるのだけど、どういう訳か今日の朝食で起きたのだ。まだゲーム開始前なのに。


 この件を私は『どこからかやって来たカエルが勝手にスープに飛び込んだ』と言い張り、珍妙な事故だということにしたのだ。


 私が泣きわめくのを楽しみにしていた連中は、さぞやがっかりしただろう。でも私は彼女らの思い通りになんて、なってあげない。



「事故ということで良いのですか」と侍女頭が尋ねる。

「はい。酷いものは報告しますけど、ロッテンブルクさんは基本静観でお願いしたいのです」

「たくましいのは大いに結構ですが、私もあなたの身を預かっているのです」

「ご迷惑はお掛けしません」

「迷惑がどうこうではありません。私はあなたを監督だけでなく庇護する義務もあるのですよ」

「なるほど!」

「なるほどって、あなた」

 ロッテンブルクさんが密やかに笑う。


 実は、私を侍女に迎える決定をしたのが誰かは知らない。ある日王宮からの使者という子爵がやって来て、私が先代国王の落とし胤であると告げて、侍女採用やらなんやらの話を進めた。その人が私の担当らしいけれど、誰の指示で動いているのかは教えてもらえなかった。複雑な事情があるそうだ。


 現国王は40歳ぐらい。その異母兄である前国王は生きていれば55歳らしい。私が生まれる直前に病死していて、そのせいもあって市井の孤児院に入れられたようだ。あまり子供に恵まれなかった王らしく、現在も生きているのは隣国に嫁いだ35歳の王女ひとりのみ。私は会ったことも見たこともない。


 とにかくそんな訳で私は何も知らない。母が誰なのかも。生きているのかも。ロッテンブルクさんも何も知らなくて、くだんの子爵から状況を伝えられているだけらしい。他に私のことを知っているのは侍従長のみと聞いている。


「多分、ロッテンブルクさんが考えているよりずっと私はたくましいですよ。困らせるような事態にはならないと思います」

「あなたのそういうしっかりした所は好ましいですけどね。見習いなのだからベテランを頼っていいのですよ」

「ありがとうございます。いざとなったらロッテンブルクさんが助けて下さると思っているから、大丈夫です」

「本当にしっかりしていること」

 ロッテンブルクさんはそう言って微笑んでくれた。


 ◇


 国王フーラウムは愛妻家だ。ムスタファともバルナバスとも似ておらず、地味な栗毛に茶色の瞳で、シワも年相応に、髪もよく見れば白髪混じりだけど美中年でよくモテるようだ。けれど妻一筋。見ているこちらが砂を吐きそうなぐらいに甘々のデレデレ。


 その妻パウリーネは息子バルナバスにそっくりの美女。彼女も40近いはずなのに20代にしか見えない超美魔女だ。噂では彼女の母親から作り方を教わった、秘伝の美容液のおかげらしい。ロッテンブルクさんもそれをもらっているから美魔女なんだとか。

 とにかく、これだけ美しければ夫がデレデレするのも仕方ない。


 今は夫妻は庭園の散歩中だ。王は愛妻の腰を抱き、ぴったり密着している。すごく幸せそうだ。結婚して20年近いはずだけど、新婚のように見える。


 ロッテンブルクさんと私は王妃の付き添いで、やや距離をとって同行している。王も同様で侍従やら近侍やらが付いている。そして夫妻の周囲には護衛の近衛もいる。しかもそのひとりはカールハインツだ。


 でかした、フーラウム。と褒めてあげたい。


 といっても真面目でストイックな騎士はよそ見などまったくしないで国王を注視している。

仕事に集中しているカールハインツの横顔の美しさと言ったら!

 鋭い眼光、途切れぬ集中力、寄せられた眉、すべてがかっこいい。肩の揺らし具合、鋭角的な足さばきも惚れぼれしてしまう。歩調に合わせて揺れるマントも、黒い制服も、腰に下がった大振りの剣も、カールハインツの素晴らしさを引き立てているし。


 なんでこんなに完璧なんだろう……。

 早くあの隣に立てる存在になりたい。

 だけど遠くから全身を拝むのも捨てがたい。


 悩ましい問題にうつつをぬかしていると、ちょいと脇腹をつつかれた。ロッテンブルクさんだ。見ると、険しい顔をしている。何かあったのだろうか。


「顔」と侍女頭は低い声で言った。「何をにやけているのですか」


 はっとする。どうやら私はまた煩悩が顔に表れていたらしい。

 すみませんと謝り、表情を引き締める。

 仕事中に何をたるんでいるのだという自戒とともに、己のアホさに腹が立つ。護衛しているのはカールハインツだけでなく、彼の隊員もいるのだ。その中には『守る会』のメンバーがいるかもしれない。


 そっと隊員に目を向けるが、私を見ている者はいないようだった。彼らは隊長に関する噂をどう思っているのだろう。間違いと分かっているから取り合っていないのか、それとも腹の中では怒っているのか。


 次に再び国王夫妻に目をやれば、のんきな話をしながらお互いの頬をつついたり、額にキスを落としたり落とされたりとしていた。


 バカップル、という言葉が浮かぶ。だって二人とも年は40前後のはず。誰かに迷惑をかけているわけではないから、文句をつけるのはお門違いだけどさ。

 木崎だったら、前世喪女の僻みだなとディスってきそうだな。あいつには絶対話さないでおこう。

 というか木崎のムスタファは、これをどう思っているのだろう。彼が生まれてすぐに母親は亡くなり、父親は後妻をもらう。しかも呆れるほどの相思相愛。

 私だったら、もやもやするな。


 と、パウリーネが城に向かって手を振った。視線の先には彼女の父親で宰相のベンノ・ベーデカー侯爵がいる。王妃はきっと母親似なのだろう。まだ宰相を近くで見たことはないけれど、それでも十分よく分かる。


 おまけに父親は年相応に老けている。王妃の秘伝の美容液は使っていないらしい。


「あっ!」

 宰相に気をとられて足元がおろそかになっていた。段差に蹴つまずき、転びかける。

 まずい、と思った瞬間、ふわりと体を抱き止められた。たくましい胸に腕。近衛兵だった。


「大丈夫ですか?」

 笑顔で尋ねられる。若い。ずば抜けた美男ではないけれど、そこそこのイケメンだ。

「大丈夫です。ありがとうございます」


 平気を装い礼を言うが、心臓は早鐘のように鳴っている。カールハインツ一筋ではあるけれど、喪女歴が長過ぎて異性に免疫がないのだ。こんなシチュエーション、美味しすぎる。


「見習いがご迷惑をおかけして」と謝るロッテンブルクさんの脇で、助けてくれた近衛をこっそり盗み見た。


 ◇◇


 夜。いつもなら仕事を終えている時間。私はロッテンブルクさんに仕事を頼まれた。手紙をムスタファの元に運ぶのだ。

だけどこの手紙、どこにも名前がない。代わりに封蝋に社章が押してある。絶対に昨日私が作ったやつだ。この仕事は私を呼び出すためのものだろう。


昨日の今日でもう、転生者がわかったのかもしれない。


 私も《カールハインツ隊長を肉食女から守る会》のメンバーはひとり、予想がついている。散歩の時に転びかけた私を助けてくれた、若い近衛だ。


 一瞬のぼせ上がりかけたけれどよくよく見たら、笑みを浮かべながらも目が笑っていなかった。その後も一度、鋭い目つきで私を見たときがあった。噂を気にしているとかのレベルではない、殺意がこもった目だった。


 ロッテンブルクさんによると、名前はレオン・トイファー。年は二十歳ぐらいで伯爵家の四男だそうだ。ゲームで見た覚えはないから、モブですらなかったということだろう。


 ムスタファの部屋に通じる廊下を歩いていると、脇の階段から近衛兵が出て来た。当のレオン・トイファーだ。進行方向も一緒だ。

これ、レオンが転生者ではないだろうか。きっと木崎のムスタファに呼び出されたのだ。


 声を掛けられなんとはなしに並んで歩く。レオンに私の身の上のことを訊かれ、それからシュヴァルツ隊長は尊い方だと力説された。これは牽制だな。


 私はおとなしく相づちをうちながら拝聴し、ムスタファの部屋の扉の前で足を止めた。

「お前も?」とレオン。

 私はうなずき扉を叩いた。

 すぐに開く。

 ヨナスが立っていた。

「夜分遅くに、失礼致します。こちらを」と盆に目を落とす。

 と、ヨナスは片手を上げて私を制し、

「奥にいらっしゃるから直接頼む」と言い、次にレオンを見て

「あなたも、どうぞ」

 と私たちふたりを王子の部屋に招き入れたのだった。


 ムスタファは部屋の中央に置かれた長椅子にゆったりと座っていた。私は壁際で控えていろと言われて、ヨナスさんと並ぶ。

 ムスタファはレオンには近寄る許可を与え、彼がそばまでくると身を乗り出して卓上に何かを置いた。きっと社章だろう。


「こちらを」とムスタファ。「ヨナスが隊員の落とし物ではないかと近衛に届けたところ、君が血相を変えてヨナスにあれこれ問い詰めたとか。なぜだろうか」

 レオンは困り顔だ。

「訳あって、持ち主を知りたいのです、殿下」

「その答えで私が納得するとでも? それだったらわざわざ近衛兵を私室に呼びつけたりしない」

「ならば正直に申し上げますが、私の頭が狂ったと思わないで下さい。それはこの世界に存在しないはずの物なのです」とレオンは真剣な顔で言った。「私が前世で、こことは違う世界に生きていたときに勤めていた職場のマークです。何故これがこの世界にあるのか、私と前世が同じ世界の人間がいるのか、どうしても知りたい」


 ビンゴだ。やはりレオンが同じ会社の転生者だ。


「そうか」王子は優雅にうなずいた。そして。

「で、お前は誰だ? 俺は第一営業部の木崎だ」

 ころりと口調も表情も変えてムスタファは言った。

「えっ!」と叫ぶレオン。「木崎先輩っっ!?」


『先輩』?

 レオンが気になりつつもヨナスも気になる。横顔を盗み見ると、明らかに戸惑っている。この展開になるとは知らなかったみたいだ。


「本当に!?」とレオン。うなずく木崎。

「僕、第三の綾瀬ですっ!」そう言うとレオンは王子に駆け寄って床に膝をついて抱きつくと、わんわん泣いた。

「木崎先輩も死んじゃったなんて! 誘導してくれてたからですよねっ! うわぁぁんっっ」


 あ、これは本当に綾瀬だ。大袈裟なぐらいに泣きまくるレオンの頭を、「そうか綾瀬か」と言ってポンポンする木崎のムスタファ。


 綾瀬は入社二年目の新人で、熱烈な木崎ファンだ。新人社員研修の時に何やらあったらしく、尊敬している先輩と堂々と宣言しまくり、何故第一に配属してもらえなかったんだと常々愚痴りまくり、そんな風だから独特な存在感を放っていた。


「お前」と木崎。「なんで死んでいるんだ。かなり早い時点で非常口に向かっていたよな」

「はい」

 レオンはようやく王子から離れると、袖口で鼻水をぬぐった。ハンカチを持っていないのか。

「一旦は外に出たんですけど、自室にお守りを置きっぱなしだと気づいて取りに戻って」

「バカかっ!」怒鳴るムスタファ。


 私も危うく同じ言葉を叫ぶところだった。


「だって木崎先輩にいただいたお守りで……」と綾瀬。

「そんなものをやった覚えはねえぞ」と木崎。

「出張みやげのご当地キャラキーホルダー」

「そりゃお前に頼まれて買ってきたヤツじゃねえか」

「くれる時に『これをやるから頑張れよ』って励ましてくれました」


 木崎、ではなかったムスタファは額を押さえた。

「やんなきゃ良かった」


 だよね。そう思っちゃうよ。

 レオンは慌ててあれこれ弁明しているけど。

 綾瀬、何でも正直に話せばいいってもんじゃないんだよ、と言ってやりたい。


 そっちのふたりはともかくと、ヨナスを見るとこちらはこちらで難しい顔をしていた。主の態度も言葉も理解できないのではないだろうか。


「まあ、もういい」とムスタファが言った。「ところでカールハインツ隊には《隊長を肉食女から守る会》っていうのがあるらしいが」

「僕が作りました」

 あっさり白状するレオン。

「お前、あいつを好きなのか?」木崎がストレートに尋ねる。

「違いますよ。念のため言いますけど僕、恋愛対象は同性ではないですからね。よく勘違いされますけど」


 それから綾瀬のひとり語りが始まった。

 前世の綾瀬は成人する頃までは非常に体が弱かったそうだ。そのせいでパワフルな同性に憧れてしまうらしい。それが前世では木崎で、今世ではカールハインツという訳だ。


 レオンに前世の記憶がよみがえったのは一年ほど前の落馬事故が原因で、それより前から隊長に崇敬の念を抱いていたというから、魂の根本的なところに同性に憧れる資質があるのだろう。


 《守る会》を作ったのは二ヶ月ほど前。酒席で隊長が、言い寄ってくる女たちに辟易していると嘆いたことが設立のきっかけだという。


「ならばゲームは関係ないのか?」

 と木崎が訊くと綾瀬は、ゲーム?とおうむ返しにして首をかしげた。どうやらこの世界が乙女ゲームの世界とは知らないらしい。

「関係ないなら、いいんだ」

 そう言ったムスタファはこちらを見た。


「で」と木崎は私を見た。「あそこのアホ面が」

「アホ面って何よ!」思わずツッコむ。

「第二の宮本な」

「え」レオンの顔が歪む。「宮本先輩?」

「そう。文句ある?」

 レオンは私を無視して木崎を見る。

「なに、馴れ合っちゃってるんですか! あの人はライバルしょう!」

 木崎ラブの綾瀬は当然のこと、私を快く思っていなかった。

「前世ではな」と木崎は言った。「この世界に社員がいるかも、となれば協力ぐらいする」


 レオンはぐっと言葉につまる。


「あのアホが王宮の庭で社歌を歌っていてな。お互いの素性が分かったんだ」と木崎。「死後転生しての再会なんて嬉しいもんじゃないが、俺たち三人同じ社で働いた仲だからな。多少は融通をきかせよう」


 ……あほアホ言うな、と言ってやろうとした気持ちが、後半の言葉で霧散する。

 木崎の言う通りだ。こんな再会は喜ばしいものではないけども。

 見知らぬ人だらけの王宮に、たとえ大嫌いな人間だったとしても昔の知り合いがいることは、心の支えになっている。

 悔しいから言ってやんないけどさ。


 それからムスタファの隣にヨナス、ローテーブルを挟んで向かいに私、私の隣にレオンという形で着席をした。


「木崎先輩が仲良くしろって言うなら、ガマンして仲良くしますけどね」とレオンが口を尖らせる。「宮本先輩を隊長には近づけませんから」

「どうして?」

「隊長の好みは清楚で淑やか、真面目で控えめ、黙って家を守る、そんな女性です」

「やっぱり昭和じゃん」とムスタファの顔をした木崎が笑いを含めた声で言う。「宮本に当てはまるのは真面目しかねえな」

「でしょ? 先輩もそう思いますよね」

 レオンはころっと態度を変えてムスタファを見る。彼が犬だったら盛んにしっぽを振っているところだろう。


「でもカールハインツのためなら、そんな女性になれるもん」

「呼び捨てすんなっ!」

「無理ムリ」

 レオンとムスタファが同時に言う。


「とは言っても、お前は自信があるんだろ?」と木崎。「がんばれ。綾瀬も協力はしなくてもいいけど、ほどほどにな」

「ええ。なんでですかぁ」また口を尖らせるレオン。

「お前、宮本だからって他の女よりエグイ対応をするだろ」

「当然」

「私、綾瀬に何にもしてないのに」

「木崎先輩の敵は僕の敵ですから」

「今の俺はムスタファ」と木崎は言った。「もし俺とカールハインツが敵対したらどうするんだ?」

「そんなあり得ない質問、無意味です」


 レオンはきっぱりと言ったけれど、可能性がゼロではない。もしもうっかり私がバルナバスを好きになってハピエンを迎えたら、ムスタファは討伐される。近衛はバルナバス側に付くだろう。

 ま、実際のバルナバスに出会っても、全く惹かれるところはなかったから、あり得ないと言い切っていいだろうけどさ。


「そもそもカールハインツは」とムスタファ。「お前のそんな活動は困るんじゃないか? 部下に異性を追い払ってもらうなんて情けないじゃないか」

「情けなくないですし、助かると褒めてもらってます」

「公認なのか!?」

 もちろんと胸を張るレオン。「隊長が職務に集中できるよう、環境を調えるのも部下の仕事ですから」

「おかしくね? 二十八歳だろう? 結婚、婚約の兆しもなくて、恋人もなし。潔癖か?」と木崎。

「あなたもじゃない?」とムスタファに声をかける。

 ゲームの彼は異性に(というか他人に)興味がない。

「俺はまだ二十歳だし」とムスタファ。

「そんなに変わらなくない?」

「シュヴァルツ家は異性も含めて全てにおいて厳しいのですよ。友人だって当主が選ぶぐらいですからね」とヨナス。

「それ、聞いたことあります」とレオンがなぜか片手を上げて発言をする。

「それは『友人』とは言わねえだろ」とムスタファ。「宮本、落とせるのか?」

「ニヤニヤしないでよ、気持ち悪い」

 そう言うと、ヨナスの目がすっと細くなった。


「ええと、ヨナスさん。ごめんなさい。昔は立場は同じで普通に話していたものだから、つい」

 私がそう言うとムスタファがヨナスを見た。

「そうなのだ。私には、ムスタファとして生まれる前、別の世界で生きていた時の記憶がある。見習いにも、レオン・トイファーにも。三人で同じ職場で働いて、彼女は同僚、彼は後輩だった」

 その口調は木崎ではなく、完全に王子ムスタファだった。


 ヨナスが私たちを順に見る。

「信じがたい話です。だけどお三人が示し合わせて演技をしているとは思えません。信じるしかない、のでしょう」

 そうか。今回のことはヨナスに前世について信じてもらうための、ムスタファの作戦だったのだ。


「ありがとう、ヨナス。時にはこの顔ぶれで集まることもあるだろう」とムスタファ。

 意識的に口調を切り替えているのだろうか。それとも自然にそうなるのだろうか。王子口調のムスタファは、ちょっとばかり遠い存在に感じる。

「承知いたしました」とヨナス。

「連絡を取るときはヨナスを通す」と木崎。

 みながうなずく。

「名前は出さない。手紙ならば社章を描いてナンバーな。俺が一、宮本が二、綾瀬が三。営業部の一二三だからな。文句言うなよ」

 最後のひとことは私に向けてだ。

「そのくらい分かるよ」


 それからワインをのんびりいただきながら転生組三人で、記憶がよみがえったきっかけや、今世でどう生きてきたかなんかを軽く打ち明けあって、会はお開きとなった。


「じゃ、ごちそうさま」と腰を浮かしかけると木崎が

「宮本は残れ」と言った。

「ええ。ずるい。お開きでしょう」とレオンが不満げに言う。「あんなに犬猿の仲だったのに。妬けちゃいます」

「ムダな嫉妬だぞ」と言ったムスタファは、「ああ、そうだ」と手を打った。「お前さ、剣の手合わせをしてくれないか? この世界でできるスポーツは限られているだろ。せいぜいがジョギングにウォーミングアップ的な運動」

「あ、だから奇行か!」レオンがパチンと指を鳴らした。「近衛の間で噂になっているんです。ムスタファ殿下が早朝、怪しげな動きをしているって」

「奇行じゃねえよ。まあ、エアでラダーとかしてたから、そう見えたかもしれねえけど」

「エアラダー」ぷぷぷと笑うレオン。「家の者にロープで作らせますよ」

「お、サンキュ」

「スポーツの代わりに剣術、ということですか。構いませんけど、ムスタファ殿下は剣術はされないのではないですか?」

「以前はな。今はそこそこ出来る」

「いつの間に。さすが木崎先輩!」


 王子と近衛は手合わせする日時を決め、レオンはホクホク顔で部屋を出て行った。

 急に静かさが際立つ。


「さて、宮本」

 ムスタファが木崎の口調、王子の表情で私を見た。

「これ」と木崎はどこからか社章を取り出して再び卓上に置いた。「金属の形態を変える魔法は珍しいらしいな。なんで出来る?」

「ゲームで教わるイベントがあったんだけど。珍しいの?」

「鍛治屋や装身具職人に受け継がれるものです」とヨナス。

 形成はゲームだと宝石商に教わっていた。

「近い職種かも」

 と答えると王子は察したのか、うなずいた。


「これが出来ることを誰かに話したか?」

「木崎だけ」

 そう言うと王子の顔が安堵に緩んだ。

「絶対に他言するな」

「どうして?」

「俺もヨナスに言われなかったら、分からなかった」とムスタファは従者を見た。

「王族の宝石箱から金の耳飾りがなくなったとします」とヨナス。「どこを探しても見つからない。だけれど金属の形を変えることのできる侍女見習いがいる」


 息を飲んだ。


「彼女が違う形にして隠したり王宮外に持ち出した可能性が考えられる。そして彼女には身の潔白を証明しようがない」ヨナスが続ける。「申し訳ないがあなたは公爵夫人の推薦があったとはいえ、孤児院出身です。それはつまり、何かあれば真っ先に疑われる立場ということ。この魔法が使えることは、絶対に知られないほうがいいでしょう」


 これは倉庫に閉じ込められたときの切り札だから、元より他言するつもりはなかった。けれどもそれよりももっと、秘密を守らないといけない魔法だったらしい。


「ありがとうございます。教えていただかなければ思い至りませんでした」

 決して誰にも話しませんとヨナスに誓う。

「綾瀬にもだぞ」と木崎。「あんな風でも悪い奴ではないんだけどな。うっかり悪気なく口を滑らせそうだから」

「分かった」

「それからもう一つ」ヨナスの声に目を上げた。「あなたは私にも直接連絡を取るのはよくありません。なるたけ間にロッテンブルクさんを挟みましょう。彼女の口の固さは信用できます」

「ご配慮をありがとうございます」

 うなずくヨナス。


「そんなにお前の立場は悪いのか?」王子が尋ねる。

「そうでもないよ。だけど良家出身の侍従侍女しかいない中で、身元不確かな私が異質であることは事実だからね。用心するにこしたことはないでしょ」


 思わず嘘をついた。ライバル木崎に同情されたり憐憫を抱かれるのは嫌だった。

 ヨナスは物言いたげな顔をしていたけれど口を挟むことはなく、木崎はふうんと言ってこの話題は終いとなった。


 

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