02・推し
侍女になってから10日目。なかなか攻略対象を見かけない。ゲームと違って実際は、都合良く遭遇できるものではないらしい。
王妃に呼ばれた侍女頭のロッテンブルクさんにくっついて、廊下を足早に進む。ロッテンブルクさんは三十六歳の美魔女だ。もちろん美しいだけでなく仕事もできる人で、私は憧れている。
と、前から部下を引き連れたカールハインツがやって来た。なんてラッキーなのだ! 遠くから見かけたことはあったけど、こんなに接近するのは初めてだ。
キリリとした表情に颯爽とした足さばき、大きく振られる腕。リアルで動くカールハインツのなんとカッコいいことか。副官と話しているので私に顔を向けてはくれないが、それでもいい。見られたらだけで幸せだ。いや、同じ空間にいられただけでもう、逝きそう。あぁ、早く出会いたい。
「だらしねえ顔」
突如耳元でささやかれた声に、ひっと叫び声を上げる。
「どうしました!?」
振り返るロッテンブルクさん。
「私が話し掛けたことに驚いたようだ」しれっとそう答えたのは、ムスタファだった。
いつの間にか私の至近距離に出現している。
いつどこから来たんだ、魔法を取得したのか、近寄らない約束はどうした。
言ってやりたいことは幾つもあるがこらえて、悲鳴を上げたことをロッテンブルクさんに謝る。
彼女は納得できなそうな顔をしていたけれど、毅然と王子に向かって
「マリエットに何かご用でしょうか」
と言った。
「先日に少しだけ言葉を交わしたから挨拶をしたのだが、驚かせてしまったようだ」
答えるムスタファは、丁寧な口調に能面のような顔。
あれ、木崎じゃないのかな。さっきのは空耳だったかな。そう感じるほどに、ゲームのムスタファっぽい。
彼のやや後ろでは従者が剣呑な目をして主を見ている。
「ご用がないのでしたら、彼女を連れて行ってもよろしいでしょうか。妃殿下に呼ばれております」とロッテンブルクさん。
ムスタファは鷹揚にうなずくと私に向かって「行け」と言った。
が、続けて声はなしで口が動く。『マヌケ』。そしてニヤリと笑う。
ふざけんな、と言えないのが悔しい。ちょいと膝を折ると、ロッテンブルクさんから見えないよう睨み付けてやり、ヤツから離れた。
何が『マヌケ』だ『行け』だ。命令するな、話しかけるな。
内心で烈火のごとくに腹を立てていると、ロッテンブルクさんが背後を確認してから
「本当に挨拶だけですか」と訊いてきた。
『セクハラされました!』と答えたら、あいつの立場は悪くなるだろうか
だけどウソをついてまで相手をはめるのは、好きじゃない。残念だけど
「はい」と答える。
「それならばいいです。ただし侍女がおかしな声をあげるのは、なりません。はしたない」
「すみません。殿下の存在に気がつかなくて、驚いてしまいました」
「それも問題です。前から来ている王族に気づかないなんて、注意力が散漫すぎます」
「え。来ていましたか?」
「近衛兵の後ろに」
なるほど。カールハインツにみとれていて他の人間が目に入っていなかったらしい。
「教えたはずです。王族に挨拶を忘れてはいけません」
「申し訳ありません。気を付けます」
「特にあなたは他人につけこまれる隙を作らないように注意なさい」
彼女は私の事情を知っている。ゲームでは数少ない味方のキャラだ。
「はい」と素直に答える。
「あの目立つ顔を見逃す若い娘がいるとは思いませんでした」
「好みじゃないので」
小声で返すと、彼女は首を縦に振った。同意の意味なのか、了解という意味なのかは分からない。
「だけど殿下はあなたを気にしているようですね。注意なさい」
『気にしているのではなく、からかうネタを探しているのです』とは言えないので、おとなしく承知しましたと答えておいた。
◇◇
カールハインツとすれ違った翌日。ロッテンブルクさんが朝の打ち合わせを終えると私を個室に呼び、近衛のシュヴァルツ隊長が私のことを調べている、と告げた。
「調べるも何も王宮に上がる前に身上書を出しましたし、近衛総隊長に挨拶も済ませていますが」
困惑して、ついロッテンブルクさんも旧知のことを口にしてしまう。
身上書にはひとつだけ嘘がある。私が前国王の落とし胤とは明かしてはいけないようで侍女見習いになったのは、私が助けたとある公爵夫人の推薦ということにしてあるのだ。
「私にも確かなことは分かりません」とロッテンブルクさん。「ですが思い当たることがひとつ。昨日、あなたはムスタファ殿下に話しかけられました」
あいつのせいか!
「珍妙な叫び声に近衛の面々も振り返っていました」
「つまり第一王子に近づく不埒な女と認識されてしまったということですね」
「逆です。殿下に気に入られた娘、ということです」
とんでもない誤解に、ざっと顔から血の気が引く音が聞こえた気がした。
ムスタファはご令嬢方に人気の王子だ。だけど彼は孤高の存在で、彼女たちに興味を持たない。それが私に関心があるなんて誤解が世間に広まったら、確実にいじめられてしまう。
「勘弁して下さい」
「マリエットは玉の輿に興味はないのですか」
「恋愛に興味はあるけど、王子たちは遠慮します。あんな人たちに好かれても厄介事になるだけではありませんか」
「あなたは正直ですね。では私も正直に言いましょう。私も昨日の様子から、シュヴァルツ隊長と同じことを考えていました」
「何故ですかっ」
「ムスタファ殿下は自ら女性に声をかけることはしません」
そうですかと真顔でうなずきながらも、腹の中は木崎に対して煮えくりかえっている。あの時あいつは何で話しかけてきたのだ。
「どんな気まぐれなんでしょうね」
ロッテンブルクさんはじっと私の目を見ていたが、やがてうなずき
「殿下に興味がないのならば、うまく避けなさい。王族男性に気に入られるとあちこちから妬まれます」
と言った。
そのあたりのことなら、よく知っている。このゲームは決まった悪役令嬢はいない。代わりに様々なモブ女からいじめられるのだ。
「肝に銘じます」
そう答えて、この話は終わった。
◇◇
そんな会話を交わしてからほどなく。王妃の部屋から下げたお茶セットをひとりで運んでいると、ムスタファの従者に声をかけられた。きのう剣呑な眼差しを主に向けていた彼だ。名前はヨナス。年は20代後半といったところ。取り立てて特徴はなく、敢えて言うなら誠実そうな面立ちぐらい。
そのヨナスが
「重そうだ。途中まで私が持とう」と近寄って来たのだ。
私、にこりと笑みを浮かべ
「これも立派な侍女になるための大事な仕事です。お気遣いだけ、いただきますね」とはっきり拒絶。
だけど何故かヨナスがついてくる。仕事は慣れたかとかつまらない質問をしながら。
「ところで君、孤児院出身だよね。あまりそうは見えない」
この質問、一体何度目だろう! もう紙に書いて背中に貼っておきたいぐらいだ。
「知り合った公爵夫人のお屋敷で、メイドをしながら言葉遣いや仕草を教えていただきました」
そう。そこで3ヶ月ほどみっちり特訓してきたのだ。元々昼夜、かしこまったレストランの給仕をしていたから、口調も素振りもそれなりに良かったし。
ヨナスはなるほどねとか意味のないことをつらつらと連ね、私は適当に返事をする。
と、彼は
「ちょっと盆を貸して。首もとの服がおかしい」と強引に盆を取った。
その際にするりと手に触れる。文句を言おうとして、紙の感触に気づいた。
「しまって、後でひとりで見るように」
ヨナスはささやくと何事もなかったように盆を手にした。
言われた通りに小さく折り畳まれたそれを、服の隙間にいれて首もとを直すふりをした。
とんでもないナンパの手口だ。
……と言いきれたなら良かったのだけど。表情を見る限り、そうではないようだ。となると。
「よし、直った」とヨナスは私に盆を返すと、去って行った。
後で紙を開くと、そこに書かれていたのは。
『ヤツを見るときは表情に気をつけたほうがいい。どうやら隊内に《隊長を肉食女から守る会》があって、近づく女を排除しまくっているようだ。情報料は高いからな』
そしてフリーハンドで書いたとは思えない、上手な社章。本名の署名代わりだろう。
何で社章がこんなに上手いんだ、とか。誰が情報くれなんて頼んだんだ、とか。だから昨日は声を掛けてきたのかとか、あれこれ思いつつ。
《隊長を肉食女から守る会》とは何だろうと戸惑った。
ゲームにそんなものは出てこなかったし、近衛兵に邪魔されたり意地悪されることもなかった。
何があろうともカールハインツとハピエンを迎えるつもりだけれど、もしかしたらゲーム通りにはいかないのかもしれない。
◇
一日の仕事を終え、ロッテンブルクさんから自室に下がる許可を得る。
ポケットにはまだ木崎のメモが入っている。特定人物の名前は出ていなくても、謎の会のことが書かれているのだ。早く部屋に戻って処分したい。
そう思い急いでいると、前方の柱の陰から黒い人が現れた。
この世界には電気はないけど、代わりに魔法がある。魔石と呼ばれる石に魔力を込めれば一晩消えない照明となる。
とはいえ魔石は高いし消耗品なので、王宮といえどもふんだんに使っているわけではない。
ましてや王族が生活するエリア以外はかなりケチっていて、微妙な薄暗さだ。これなら本物の火を使った明かりと変わらないと思う。
とにかくも、夜、そんな薄暗さの中に突然現れた人影。しかも大きな男だ。忘れ物をしたふりをしてロッテンブルクさんの元に戻ろうか。
その時、
「マリエット・ダルレ?」
と声がし、雷が落ちたような衝撃が脳天から足裏に走った。
この声は愛しのカールハインツだ!
大股に歩み寄ってくるその男の姿が徐々にはっきりしてくる。そりゃ黒く見えるはずだ。全身がほぼ黒なのだから。髪も近衛の制服もブーツも手袋も。
まさか彼に出くわすとは思いもしなかったから、分からなかった。だってまだゲームは始まっていない。言葉を交わすはずがないのだ。
「返事は?」
近衛隊長らしい高圧的な物言い。ああ、ゲームでもこうだった。親密度があがるほどに態度が軟化していくのにむちゃくちゃときめいたっけ。
「そうです」と静かに答えて手を体の前で重ねる。印象が良くなるように、淑やかにふるまう。
私のすぐ前までやって来たカールハインツは
「十日前に王宮に上がったばかり、十七歳。間違いないか」と尋ねた。
はいとうなずく。するとカールハインツは身上書に書いたことを諳じて、再び間違いないはないかと問いただした。またしても、はいとだけ答えてカールハインツを見る。とにかく余計なことは言わない。これが初盤の肝なのだ。
ふと木崎の『昭和のオヤジっぽい』という言葉がよみがえった。
そうじゃない、規律の厳しい近衛だから軍隊調なだけだよ。そう心の中で反論をする。
しかもシュヴァルツ伯爵家は代々軍人の家系で王族を陰に日向に守っている。カールハインツの祖父は三代前の近衛総隊長だし、早世した父親も有能な近衛隊長だったという。
そんな家で育てば自然と軍隊調になるものだろう。
それにこの代々の功績が認められているから、シュヴァルツの人間だけ特別に近衛の制服が黒いらしい。凄いことではないか。
「基本の生活魔法は使える」と確認するカールハインツ。
「はい」
それ以外も使えるけれど、黙っておく。私の魔力は一般よりやや強い。だけどゲームの私が、自分の魔力が普通水準ではないと知るのはもっと先の話だ。それに強いといっても本当に多少程度なので、たいしたレベルでもないのだ。
「ムスタファ殿下とはいつ親しくなった?」
直球質問が来た!
カールハインツは真顔。むしろ目付きは鋭い。惚れ惚れするかっこよさだけど、近衛は王子の異性関係まで把握しないといけないのかな。誤解を解く良い機会とはいえ、最初の会話がこれなのはがっかりだ。
「親しくはありません」
感情を押さえて、困っている雰囲気が出るような顔を作る。
「昨日、廊下で話していた」
「話してはおりません。殿下から声をかけていただきましたが、挨拶だけです」
「そもそも『先日話した』と殿下が仰っていた」
……地獄耳だなあ。そのぐらいでないと近衛の隊長は勤まらないのかな。
「数日前の早朝、妃殿下のお花を受け取るためにひとりで裏庭を歩いている時に殿下に呼び止められました。私を不審者と思ったそうです」
カールハインツは目をすがめて私を見る。真偽を見極めようとしているのだろうか。
「殿下はそのようなことをする方ではない」
「私が何かお気に障ることをしてしまったのでしょうか」
自分も訳が分からないというふりをする。
「心当たりはないと言うのか」
「はい」
カールハインツは無遠慮に私のてっぺんから爪先までをじろじろと見た。そして。
「見目は良いようだな」
「ありがとうございます!」
嬉しくてつい食いぎみに礼を言ってしまう。これはまずい。淑やかにしなければ。
「だが」とカールハインツは続けた。「いくら公爵夫人の推薦とはいえ、通常ならば身元不確かな孤児など王宮には入れないのだぞ。よくわきまえるように」
「……はい」
好きで孤児になった訳ではないのに。
ゲーム序盤のカールハインツにはツンしかないのは分かっているし、このセリフもキャラの誰かしらが言っていたけど、実際に言われると腹が立つ。
王宮に上がるまで気がつかなかったけれど、市井と宮殿内との格差が大きい。民の生活は厳しいが、それはここ数年続く農作物の不作と、金鉱や魔石鉱の産出減が原因とのことだった。
だけど王宮内は贅沢品であふれ、王族貴族は何不自由なく暮らしている……。
「行ってよし」とカールハインツ。
失礼しますと一礼をして脇を通り抜けた。
出会いをものすごく楽しみにしていたのに、なんだか……。
いや、これからだ。このツンケンした近衛隊長がデレていく様が楽しいのだから。
よしよし、がんばろう。
まだゲームは開始すらしていない。同じ展開にならなさそうだし、謎の団体があるようだし、気を引き締めていこう。
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