第10話 Can presume on camp


森の木を多く残したその間に、テントを張るスペースがあるため、自然を多く感じられるというのがこのキャンプ場の魅力だとホームページに載っていた。

レンタルテントも最初から設置されているので、僕たちのようなキャンプ初心者にもってこいの施設だ。

「このキャンプ場は隣とのスペースが離れているので、デートにはもってこいですね。背の高い木に囲まれてるので、例え何をしても周りから様子も見えにくいです」

すみれちゃんは上野の掌を指でなぞりながら、あくまでも小説のネタにという体で上野へ言った。その手を上野は容赦なく払い、何事もなかったかのような顔をする。

「夕方からは天気が傾くらしい。予報では結構な大雨になりそうだ。しょうがないが、それまでには帰ろう」

インドア派の上野はすでに帰りたそうだったが、その割に装備だけは全身アウトドアブランドで固めるほど張り切っていた。どうせなら美味しいキャンプ飯を食べないと元が取れないだろう、とスキレットや飯盒まで持ってきている。

「では私、炊事場で食材を切ったりしてくるので、火おこしお願いしますね」

すみれちゃんは袖をまくると、両手にいっぱい野菜や肉が入った袋を下げていった。デイキャンプとは思えない量なので、もしかすると彼女はここに何泊かする気なのでは、とすら思える。


火起こしをあまりやったことのない俺たちはかなり苦労したが、なんとか火種を作ることができた。炭に空気を送ると、パチパチと爆ぜる音をたてながら明るさは増し、やがて炎が上がる。火が安定すると、気分も落ち着いてくる。俺たちは椅子にどっかりと座りコーヒーを入れながら、まったりした空気を楽しむことにした。

「ところでさ、昨日のデートのとき俺また告白して死んだんだ」

「それで帰宅が早かったのか。告白しないと神に誓って出かけていたのに」

「いや、守田を目の前にしたら神への誓いなんて意味なかったね。……でも、今回は死ぬ前のこと全部覚えてたんだ。それでなんとなくわかったかもしれない」

そう、昨日の告白は今まで思い出せる死ぬ前の記憶と状況が全てが違っていた。ただ一点を除いて。そしてそれは残る記憶の濃淡にも説明をつけることができると思った。

「死神の姿を見ると、記憶が消えない。しっかり見れれば見られるほど」

俺の中でこれはもう確信だった。

バチンと音を立て炭が崩れ、火花が散った。風が出てきて木々はざわめき、雲の流れも一段と速くなる。上野はうーんと唸りながら深く頷き、顎をなぞる。

「あと俺、死神の顔をどっかで見たことがあるんだ絶対」

昨日からずっと考えていたが、どこで見たかは思い出せなかった。脳みその奥底、決して開かない引き出しの中に死神の顔の記憶があるのだ。



すみれちゃんはまだ帰ってこない。アクアパッツァを作るといって小さめのカレイを一匹持ってきていたから、処理に時間がかかっているのだろう。魚を捌ける家庭的なところをアピールしたいという魂胆が見え見えだ、と上野は冷ややかだった。

「上野ってさ、すみれちゃんのことどう思ってるんだよ」

「は?どういう質問意図かな。すみれちゃんが欲しいのならくれてやるが?」

「いや、いらない」

実は上野に直接聞くのは初めてだった。だいぶ前にすみれちゃんから上野の気持ちを聞いてみてくれと頼まれたことがあったが、気乗りせず無視していた。今ここで聞いたこともすみれちゃんには言う気もない。

「あの女は怖いぞ。自分が正しいと曲げないタイプだからね。さらに厄介なことに、なんらかの成功体験に基づく確固たる自信まで養ってしまっている……おっと、戻ってきたな」


一人暮らしが長いというすみれちゃんに下拵えされた食材は、たしかにお手並み鮮やかな処理を受けていた。普段から自炊をしない俺には、あの魚や野菜をどうすればこの正解の形になるのか正直わからない。

「火おこしありがとうございます。なんの話ししてたんです?」

「ネタバンクの近況について」

「まだ黒岡さんの恋愛成就しないんですね」

「こっちだって色々と大変なんだよ」


小さな鍋で具材を煮ながら、漂う香りでビールを飲むのは気分が良いと知った。

それぞれが段々と饒舌になり、上野は次第にライバル作家へ悪態をつき始めたりする。

「あいつの書く話はなんていうのか、視野が狭い?ちっともスケールがないのに随分と読者受けがいいらしいね」

「まあ恋愛小説ですからね」

「それにしたってだ!」

「恋愛小説にスケールのデカさっているの?」

気分が良くなると、守田とキャンプに来れたらどんなに楽しいだろうと思い、涙が出そうになった。現状に足踏みしかできていないことを情けなく思った。ライバル作家のことを憎々しげにすみれちゃんと貶していた上野は、俺の表情に気が付いたのだろうか、

「でも、僕は黒岡くんの片想いは心から尊敬しているんだよ」

酒に弱い上野は、ビール半缶で普段血色の悪い顔を真っ赤にしていた。

「普通、こんな文字通り当たって砕けていたら諦めたくなるが、君は逃げないね。なぜ?」

そう言う上野の目は純粋だ。初めて海を見てどうして青いの、と尋ねる子供の目だ。

でも、その問いにも興味にも、俺は答えを持っていない。惹かれる理由が理屈だったらどんなに良かっただろう。そうしたらきっと俺は追うのをやめる理屈を見つけて、他の人に理由を当てはめるのに。

「先生も恋すればわかるかもしれませんよ」

すみれちゃんは帰りに運転をしないといけないから素面にも関わらず、そう言って上野の手に自分の手を重ねる。行動はふざけているが、いつだってその目は真面目ちゃんだ。


ぽつ、ぽつとテントに雨粒が弾ける音が数回した。いつのまにか空は猛スピードで走る分厚く黒い雲のレース会場になっている。大振りの前触れだと誰もが分かった。

遠い空ではガラガラと雷の転がる音がする。

「思ったよりひどい天気になりそうですね。早めに片付けましょう」

「そうだね」

上野とすみれちゃんが立ち上がり、調理器具やら焼き台やらを畳み始める。

俺はなんとなく空を仰ぎ、雲を睨みつけると

「うわあぁっ」

「どうし」

ガシャアアアアン、と空が落ちたのか城が崩れたのか、それともこの世が終わったのか。

そんな音を立てすぐ目の前の木に真っ直ぐに雷が落ちた。

木は大きく揺さぶられ、幹は縦に大きく裂けぼとっと半身が地に落ちる。

俺らは自然の劇力を目の前にすると、青くなり目を見開いて、あるいは潰れるほどつぶって、身を強張らせることしかできないことを知った。

「撤退!今すぐ撤退です!!」

すみれちゃんの叫び声に近い号令に俺たちは思考を取り戻すと、全てを置いて逃げるようにキャンプ地を後にした。


帰りの車では、上野はまだ遠くで光る雷を見ながら何か、を思い詰めているかのように考えていた。

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