第5話 ネタ帳は知っている

居酒屋バイトでクタクタにされ家に帰ると、小説家先生はパソコンの前でしかめ面をしながら残業中だった。いつから没頭していたのか、すっかり日は暮れたというのにリビングの明かりはつけずにデスクライトのみで粘っている。もうこの光景には慣れたが、さながら秘密組織のようで気味が悪いと最初は思った。

2LDKのリビングには、キッチンに置かれたフライパンから漂うガーリックの香りが広がっている。空腹が一番沸き立つ匂いだ。


「おかえり。僕はもう食べたからフライパンごと温めて食べるといいよ」

「おー、いつもありがとな」

「食べたら、今朝の話の続きをしよう」

「仕事は?」

「ああ……そうだな」

 上野はパタンとノートパソコンを閉じる。

「もうどっちにしろ締め切りには間に合わないから良しとしよう」

 あーあ。


上野の作った味が濃くて野菜も肉も入った一品で夕飯を成り立たせるチャーハン、その名をパーフェクトチャーハンを食べつつ、今日あったことを上野へ話す。その日の色恋に関わる出来事と、その時こう思ったということを話すのがルームシェアのルールだ。聞きながら俺の話を肥料にし脳内にこしらえた創作畑を耕すという。


「僕が異端なのは重々承知だけれども、ネタバンクの感性もおかしいな」

失礼にもネタバンクとは俺のことだ。

「普通だろ。それでさ、俺は多分だけど守田に好きだって告白したんだ」

「たぶん?」


要領を得ない話に上野と俺は二人で首を傾げる。

俺も釈然としない部分なのだが、おそらく告白してその直後に死んだ、と記憶の深くて暗い部分には感覚の一つとして残っている。しかし、その前後がどうにもぼやぼやと霧がかっているのだ。だから言い方もあやふやになる。


「んで、きっと死んだんだ、また」

「どうやって?」

「うーん、なんかでっかい衝撃があった気がするんだけど全然わかんないな」

曖昧な箇所が多すぎて話し手としてはなんとも不甲斐ない出来なのだが、上野は逆にうんうんと納得いったような顔をする。


「じゃあ今度は僕の話す番だ」

上野は意気揚々としてパソコンのネタ帳を立ち上げる。

上野は俺が話したことのほとんどをネタとしてデータで残している。以前にも見せてもらったことがあるが、マメに日付だったり会話だったりまで入力されていた。ある意味そのネタ帳は俺の青春のバックアップともいえる。


「まず僕は、実はずっと腑に落ちないことがあった。それはネタバンクが一向に守田さんへ想いを告げないことだ」

「えっ。いや、だってそれはさ」

俺が若干モジモジすると、上野はそういうのはいらない、と邪険に手で払う。

「ネタバンクの口は心臓直結型、思ったことはすぐ言葉として飛び出る。聞いてきた今までの話全てにおいてそうだ。なのに、彼女には違った。なぜ?」

「なぜって……」

「しかもネタバンクは僕に今まで何度も告白の決意表明をしている。覚えてるだろう?」

「まぁ……ってそんなにしてたか?」

記憶があいまいな俺に対して、上野はくるりとパソコン画面を向ける。

「まず一つ目。その日ネタバンクはテレビで占いを見ていた。星座の順位はそんなに良くなかったが、恋愛運だけは今年最強クラスだと占い師が言い、ラッキー気象現象は虹だった。しかしその日の予報は朝から雨、昼も雨、夜には大雨警報まで出ていた。今年一番の恋愛運は散ったわけだと僕は思っていたが、君は違った。もしも虹が出たら守田に告白する! 確かにそう言ったんだ」

「そんなことあったな、でも確かそれってさ」

「ああ、その日奇跡的にも昼時の一瞬雨が止み、空には見事な虹がかかった。それはネタバンクも見たな?」

「見たよ。そんで、今から告白するって上野にチャットした」

「でも、しなかった。どうしてだか覚えてるだろう」


あの日のことは忘れもしない。俺のために奇跡が起こったのだと確信していた。守田はバイト中の時間だったから、彼女の働く喫茶店へ虹が消える前にと思って走って行った。

信号待ち中だってはやった気持ちが抑えられず、俺はその場で足踏みしていた。


それなのに、その真横で居眠り運転していた車が信号待ち中の車に突っ込み、玉突き事故になって俺も巻き込まれたのだ。軽い脳震盪をくらった俺は、あれよあれよという間に救急車で運ばれ、みるみるうちに喫茶店は遠くなり、一日は終わった。気がついた時は虹なんてとっくに消えてしばらく経っていた。


「もう一つ行こう」

上野は画面をスクロールし、ネタ帳を遡る。


「僕とネタバンクが大学で出会ってすぐの頃だ。裏庭で何を思ったか四葉のクローバーを探し始めたネタバンクは、見つかったら告白をすると言った。一時間かけて探し出した君は、まあそれだけ時間をかければ普通見つかるんだが、勇足で守田さんがいるであろうサークル塔へ向かった。そして、勇みすぎて階段から落ち、足の骨を折って歩けないと泣きながら病院に行かざるを得なくなった」

「……あったな、そんなこと。……あのさ」

「まだある! 僕とネタバンクで守田さんの働くカフェへ遊びに行ったことがあったな。そのとき、これはあとから聞いたが彼女の作ったラテアートがあまりに美しく感動し、そのままカウンターにいる彼女に告白しようと思ったそうじゃないか。しかしその前に僕が、本当にたまたま、指名手配犯を店内で見つけてしまい、カウンターではなく警察へ行くことになってしまった」

「あのさ!恥ずいんだけど!何が言いたいんだよ!」


上野がベラベラと俺の不運にも告白が未遂に終わった事案を並べ立てるのにたまらなくなり、俺は話を遮った。まだまだあるぞ、という顔をしていたが、上野は一旦やめる。


「今まで、お前は運悪くなぜか彼女に告白できないことが何回もあったな。この男は不運を呼び寄せる素質があるのか、と僕は考えていた。しかし、実はそうじゃないのでは、と僕は君の話を聞いて思った。一つ、仮説を立てたわけだ」

上野はなにもない手のひらをパッと俺に見せ、そのままグッと握る。もう一度開くとその手のひらにはサイコロが乗っていた。イッツマジックと上野がちょける。

「えっすごっ。もう一回やって」

「数学の確率の分野は得意かい? 僕は割と得意だ。文系は意外とあの分野には強いんだ」

俺のアンコールは無視をして上野は続ける。余談だがこいつは大学の数学系の講義で単位が取れず、小説家との二足の草鞋は無理だと言って半年前から休学している。

上野はサイコロをテーブルの上に軽く投げ転がす。カンッ、カラカラカラ……と小気味よい音を立てて転がり、三を上にして止まる。


「サイコロで三が出る確率は?」

「六分の一」

「じゃあ、時間を巻き戻してもう一度サイコロが振られた時、三が出る確率は?」

「え、百パーじゃねえの」

時間を戻して、同じことを同じタイミングでもう一度行うとそれは同じ結果にならないとおかしいだろう。

上野は両手で机を大きく叩く。サイコロが一瞬びっくりして飛び上がる。


「僕は違うと思う!振り直した時も六分の一だとしたら!時間を巻き戻してサイコロがもう一度振られる時、もう一度ランダムな確率が発生するとしたら!そうすると、説明がつくんだよ」

上野は興奮のままもう一度、今度は部屋全体が揺れるのではと思うほどわざと強く机を叩く。

この仮説が正しいとすれば、と彼は息を巻く。

「君はおそらく、今まで何度も彼女に告白し、死んでは、時間が巻き戻されている! 運悪く君の告白が失敗するまで!」


さあ、楽しくなってきた。そうは言わないが上野は鼻の穴まで膨らませて、あまりに上機嫌だった。


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