第36話 いつの日も絶えることなく

らしくなく足を止めて少し呆けてしまった。


懐かしく、見慣れた景色が目の前にあり、

なんだかやけに体が軽くて地面から足が浮いてしまいそうだ。走馬灯の続きかと思ったが、目の前にあるのは大学の正門と蕾がまだまだ硬そうな桜の木。この気温では咲くまでおそらくあと一週間ほどは必要だろう。

頭がぼんやりと寝起きのようで、瞬きをするごとに徐々に記憶の糸と糸が繋がっていく。その間にも次々と学生が来ては、門の前で立ち止まる俺を不思議な目で見ながら追い抜いていく。

今日は大学の出席日一日目、一講の時間の必修科目を受けに来た日だ。


講義室のドアを開けると、部屋全体に朝日が木の葉越しに注いでおり、新入生を歓迎しているようだった。人間関係が固まる前の、様子を伺い合う緊張感が漂う部屋で、前から五列目の一番端に上野は一人でパソコンを開いて座っていた。隣はあいかわらず空いている。あそこに座ったことから俺たちの運命は変わった。だから俺は、今回はあそこに座らなければいいのだろうか。


決めきれないまま、上野の横の通路を通ると彼は眉を寄せながら文章を打ち込んでは消していた。そのまま、上野の斜め前の席に座るも気になってチラリとそちらを見るが、上野は周囲なんて気にしてもいなかった。おそらく俺が話しかけなかったら、サークルにも入らない上野には大学で友達はできないだろう。性格的にぼっちであることを気にはしないかもしれないが、一緒に過ごした日々を思い出すと、見捨てたような居心地の悪さと、独りで寂しい思いをしないだろうかという心配が泡のように浮いてくる。

そして俺は耐えられなくてもう一度、最後に上野の顔を拝むつもりで肩越しに視線を向ける。

「なんなんだ君は」

なぜかこちらを見ていた上野は、初対面の人に向けるには棘のある言い方で俺を嗜める。

「さっきからチラチラチラチラ人のことを見て」

まさか気づかれていると思わない俺は面食らってしまった。やってしまった、という気持ちとまた上野と話せたという事実で口の端が上がってしまうことのそりが合わずに言葉を失う。

なにか、言い訳をしなくては。

「何してるのかなって、気になって」

「君には関係のないことだよ」

ぴしゃりと拒絶を受け、俺は前を向いて座り直すしかなかった。でも、それで間違ってはいないはずだ。このまま俺の助けがない上野は恋愛小説家として成功することはなく、すみれちゃんと出会うこともなくなる。俺は俺で三周目の大学生活を楽しめばいいだけ。上野の態度でわずかな心残りも解消され、やっと舵を切ることができそうだ。


周りを見渡し見知った顔がいないか探していると真後ろ、上野のまさに隣に人が座った気配がした。

「上野だよね、久しぶりじゃん俺のことわかる?塾で隣のクラスだったんだけど。よかった〜ぜんぜん知ってる人いなくて上野がいて安心したよ」

その男は少し作ったような明るい声で上野に声をかけ、そのままガサガサとビニールの音を立てながら荷物や座る位置を整えていた。なんだ俺がいなくても上野は大学でぼっちにならないのか、とほっとする。盗み聞きはよくないと思いつつ、ついつい会話が気になってしまう。初めて子供が学校に登校する日に耐えかねてついてきてしまった親、みたいな気分になってきた。

「ん?あぁ、加地くん……だったか」

「そうそう!覚えててくれてうれしいよ。何してんのそれ、もう課題でてんの?」

「課題ではなくて……そういえば加地くんは塾の井上さんと付き合ってなかったかい」

「ん?付き合ってるけど、なんで」

「最近小説の持ち込みをしたら恋愛小説が向いているはず、それなら担当をつけようと言ってもらえたんだが……あいにく僕には最も向いてないジャンルでね。よかったら参考になにか話を聞かせてほしいんだ」

「え~参考っていってもそんな代り映えしないけど、それでよければ」


は?いや、いやいやそれはだめだ。


そっちで勝手に恋愛小説を書かれては、また元の木阿弥になってしまう。

「待ってよ、上野!それでいいのかよ!」

上野はずっと恋愛小説しか書かせてもらえないことに不満をもっていた。物書きを仕事にすることはできても、つまらないことになってしまったとよくぼやいていたのを思い出す。

「なんだ、君、盗み聞きしてたのか」

となりにいる加地くんとやらも、急に割って入ってきた俺を何事だとびっくりして見ていた。

「恋愛なんて本当に書きたいの?お前が書きたいのはSFだろう!」

「え?なぜそれを……?」

上野は目を丸くしていた。

そりゃそうだろう、上野にとっては初めて会う俺がそんなことを知っているとはまさか思わない。

「恋愛なんてつまんないもの書かないでさ、俺とSF作家目指そう。いいネタがあるんだ。わりとあるタイムリープものではあるだけど……」

上野がSF一本でいけば、上野は好きなジャンルを書き続けることができ、すみれちゃんが担当につくことはなくなるかもしれない。上野は薄い瞼を瞳に半分ほど被せて俺を品定めするように見て、細い指で自身の顎を撫でる。肌寒い講義室の中にも関わらず、額から汗が一筋伝った。

「君は出版社と繋がりか何かがあるわけではないだろう?」

「……ない!」

「恋愛を書けば小説家になれるかもしれないのに、そんな君とどうしてSFを書くんだ」

「でも上野は恋愛を書けば、この先ずっと面白味も分からない恋愛を書き続けることになる。その作品でドラマ化しても映画化してもどこか上野は面白くないと思うはずだよ。こんなのつまらないサラリーマンとして就職したのと変わらないってね」

俺たちのことをやばいやつだと思ったのか、いつの間にか加地君は席からいなくなり、講義室の後ろの方で別の顔見知りに声をかけていた。

上野がパソコンの画面に視線を戻し、俺は説得が失敗したのを悟ったところで上野が人差し指をツイと上げる。俺が思わず視線で追うと、その指先はパソコンのバックスペースキーの上に着地した。そのまま指は上がることなく、画面から文字がどんどんと消えていく。ややすると上野は口の端を上げながら俺の方を見た。

「君、変な奴だな。面白いかもしれない。話だけでも聞いてみよう」

「おう、最高のSF作家になろうな!」


やや強引かもしれない。

それでも、俺たちはここから運命を変えていくのだ。

俺は平和に莉子と平凡な幸せを築いていく。そして上野は誰も殺さないままSF作家としてあわよくば成功していってほしい。


そのためにも俺は、今までの話を上野にネタとして存分に話してやらなくてはいけない。


だから俺の話がどこかで小説になっていたら、もしお時間に余裕があればぜひ読んでみて欲しい。

小説のヒーローは俺。

そしてヒロインは死神に愛された彼女だ。

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