第34話 僕たちの結末


上野はすみれちゃんを抱え、ベッドに血が付くのもいとわずきれいに寝かせると大きく深呼吸した。俺は涙の止め方がわからず、自分でもひどく呼吸が浅くなっている自覚があった。救急車を呼ぼうとしたが、手に持った携帯は上野によってはたき落とされた。なぜそんなことをするのか俺には一つもわからなかった。上野は顔面蒼白ながらも変に落ち着いていて、俺のよく知っている上野ではないみたいだった。

「すまないね。黒岡君」

彼にかける言葉をまとめられないでいると、上野は俺に無理に喋らなくていい、と続けた。

「僕はね。すみれちゃんに殺されるんじゃないかって思ってたんだ。すみれちゃんが昨日来たときにね。様子がいつに増しておかしかったから」

扉の向こうでは、まさにそういうことが起こっていたのだ。人の気配を感じ、上野が女を連れ込んでいると思ったすみれちゃんは鞄からナイフを取り出し、二人はもみ合いになった。そして、上野が抵抗した際にそのナイフはすみれちゃんに刺さってしまったのだ。

「多分、時間が巻き戻る前の僕もきっとそうだったんじゃないかな。すみれちゃんに殺されるかも、そうなったときに殺してしまうかもしれない。だからアリバイ工作をして、いつ殺されそうになってもいいように対策していたんだと思う」

「そんなのっ」

熱を持った空気の塊が喉に詰まり、絡まる。

「事前に知ってたんだから、俺たちは違う結末を選べたはずだ」

上野は間髪も入れない。

「いや、僕たちの結末は二択さ。どちらが死ぬかの違いだ。……そして僕の方が生き残るべきだ」

指紋がつくのも厭わず、上野は拾い上げたナイフをまじまじと見つめる。新しいだろうナイフは血のついていない刀身に彼の顔を映した。その言葉じゃあまるで意図的に殺したみたいな響きだ。

「それでもね。君が時間を巻き戻した意味はあるだろう。今度は僕が自首すればそれで、君の家庭が壊れることはない」

上野が言っていることは間違いだ。二人がこんなことになるのであれば、俺のやってきたことは意味がないときっぱり言いたかった。事件のことを思い出せた時、莉子の事を想うのと同じくらい、二人の未来も変えなければと思った。上野は大事な親友だし、すみれちゃんのことはずっと厄介な人だと思ってるけれど大事な人には変わらなかった。

それなのに、結局なにも変えられなかった。

己の読みの甘さと行動力のなさを呪う。掌から血が出るほど拳を握ろうが、もう手遅れな事実は変わらない。

上野が俺を見る。その目には迷いがあった。


その実うまく行くかはわからないが、俺たちにはまだできることがある、ということには気がついていた。俺たちが散々やってきた手だからだ。だけどそれを上野は俺に言う気はないだろう。だから、自分で決断をしないといけない。

泣き言が漏れそうで下唇を強く噛む。何かに祈りたくなって、薬指の指輪をなぞった。世界で一番愛している人に、心の中で謝罪を重ねた。

「すみれちゃんが来た時、俺も一緒に玄関に出ればよかったのかな」

「……今日が防げたとしても、事件発生日の日付が変わるだけだろう」

「じゃあ、もっと早く上野にこのことを教えていれば」

「君が記憶を取り戻した時点で、すでに僕たちは手遅れだった」

「じゃあ、もっと前。上野がすみれちゃんと出会うのを阻止できていれば」

「僕が恋愛小説を書く以上、この業界ですみれちゃんとの出会いは必然だった」

「……だよな」


俺も何回も考えた。

そして何回も何回もこの同じ結論に着地した。

「黒岡くん。やめてくれよ」

血に汚れた上野の手を両手で包むように取る。その手には血の乾き始めたナイフが握られたままだ。上野は振り払おうとするが、ペンばかり握ってきた非力な彼は単純なパワーの差で俺に勝ったことは今まで一度もない。

「じゃあやっぱり、こうなってしまったのは、俺たちが友達になったからだ」

そのまま俺は全体重をかけ、そのナイフの切っ先を俺の胸へ突き立てる。一瞬で口の中が血の味であふれ、吸った空気も吐く空気も体の内外へと大混乱するのがわかった。噴水のような鮮血が俺と上野を赤く塗りつぶしていく。

「上野と……友達になったからっ。俺はいま死ぬんだ」

時間の神様、上野に言わすと女神様とやらにわざと聞こえるように繰り返す。

死神の竜也くんは俺の近くで俺を見守るといっていた。今も見てるだろうか。可能であれば、俺の記憶がなくならないように助けてほしい。

「ばかなことを!!なんて馬鹿なことを!」

上野が俺の肩を掴み揺らす。そのまま視界がぐらりとひっくり返り、俺は自分の意志じゃどこにも焦点を合わせられなくなる。

上野め、すみれちゃんを刺したときよりずっとずっと慌ててやがる。

「うまくいくんだろうな!絶対に戻って来いよ!!」

最後に俺の時間が巻き戻ったのは、おそらく五年前、ダイビングの時。

だからこの死にゆく感覚はえらく久しぶりで、あまりに心細く寒い。


でも、これしかなかっただろう?

俺はあまりにもちっぽけな存在で、一生のうちに成し遂げられることはそんなに多くもないだろう。一般人の枠を出られない範囲で精いっぱい幸せになるので必死なんだ。だったらせめて、両手で引き寄せられる範囲にいる大事な人たちへは、俺にできることは尽くしたい。

それが、俺のモットーであり、生きる意味なのかもしれない。


莉子に一言も相談もなくこんな決断をして、本当に申し訳がない。

これを最後にするから。

次こそ俺は絶対に莉子を幸せにするために生きると誓わせてください。

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