第28話 誓いますか

「緊張してるの?」

「しっ、してないよ」

「うそじゃん〜。手ぇ冷たくなってるもん」

「へへへ、ちょっとだけ」


晴天が約束された朝だった。

ステンドグラスを通して差し込む朝日は、床を夢色に揺らしている。季節の花々、キャンドルの揺らぎ、焚かれたアロマは早朝の海辺を思わせる爽やかな香り。天国とか楽園とかそういう場所を限りなく近く再現したかのようだった。

外からはよく知った声たちの波の音に似た歓談がここまで届くことで、現世なんだと気持ちを引き締めることができた。

でもやっぱり夢かもしれない、その可能性が捨てきれない。あまりにも現実離れした現状にいるからだ。

今、俺の隣には真っ白なドレスに身を包んだ、女神か天使かそれに類するものとしか思えない守田莉子が座って、俺の冷たい指先を撫でてくれている。俺たちは教会の控え室でその時を待っていた。



あのスカイダイビングから5年が経った。


あの時、決死で飛んだ俺を竜也くんは認めてくれたということだろうか、思いを告げることができてからあっという間に月日は流れていた。部活に励み、デートを重ね、旅行にだって何回か行った。俺たちは気がつけば社会人として自立した二人の大人になり、そしてプロポーズをした。もしかするとここでまた竜也くんに殺されるかもと思ったが、無事、莉子に頷いて指輪を受け取ってもらえた。


社会人になったタイミングで上野とのルームシェアが解消されたのもあり、俺たちのラブストーリーは誰にも公開されていない俺たちだけのものだ。この何物にも変えがたい5年間のことは、いつか別冊としてどこかのタイミングで自分の手で書き残そうと思う。そして、これからのこともさらに別冊2巻目、3巻目として記していこう。


外から聞こえるざわめきが、すんっと収まり莉子がはっと顔を上げる。新郎新婦ご入場ですよ、とシスターの声がしてドアが開けられる。導かれるまま、礼拝堂の前まで二人で歩く。ぴったりと重く閉められたドアが開けられると、真ん中のバージンロードを挟むように並んだ席から、よく知る親戚、両親、サークルの先輩後輩の視線が一斉に向けられる。もちろんその中には上野も、なんだかんだ本当にセバスチャンになってくれたすみれちゃんの顔もある。同時に堂内にわわと反芻するような、祝福を表す拍手が、声が、俺たちに降るように送られる。こんなに自分のことを物語の主人公のように感じられる瞬間ってほかにあるだろうか。いまこのタイミングだけは宇宙中のだれよりも幸福だと確信できる瞬間が。


緊張と、誇らしさと、嬉しさで感情がミキサーにかけられ、さらに隣を一緒に歩く莉子の姿を見てしまったものだから、俺はせっかくファンデーションを塗ってもらったのに顔を涙でぐじゃぐじゃにしながらバージンロードを歩いた。そんな俺を見て莉子は大爆笑、ヴェールの下でもわかるほど明るいヒマワリか太陽のような顔で牧師さんの前までたどり着いた。


牧師さんがじっと俺を試すような、それでいて優しい目で見る。

ここは莉子のお父さんが牧師を務める教会なので、目の前にいる牧師さんはお義父さんだった。教会の知識がフランダースの犬の最終回くらいしかない俺には、キリスト教の教会と何が違うのかよくわからないが、たしかに十字架やマリア様が描かれたステンドグラスはなかった。この教会で結婚式を挙げることは莉子の子供の頃からの希望なのだった。

実の娘ではない自分を、心からの裏表ない愛情で育ててくれたお父さんが守る教会。それは莉子にとって人生の門出にはこれ以上の場所は考えられないような舞台だから当然だ。


余談だが、宗教観について守田家は決して厳格ではなかった。お義父さんにはもちろん彼が信じる神様がいるが、莉子にも、お義母さんにさえ強要はしていなかった。だから初詣は神社に行くらしいし、そういえば家には仏壇もあった。


牧師であるカリクスさんは、ゲストに向かって腕を広げて話始める。

「ワタシが仕える神様のことを、ここにいる皆様はご存じで無い方も多いでしょうから少しだけお話させていただきます。愛と誠実さ、そして繁栄を司り、このお二人を夫婦と認めてくださる神様は女性です。女性なので、特に新婦の味方をしてくださいます。新郎新婦がここで永遠の愛を誓うとき、新婦は女神に一つだけお願いをすることができるのです」

カリクスさんは莉子の方に向き直り、考えてきましたか、と優しく微笑む。その目の淵には我が子の幸せを願い祝う、澄んだ涙が潤んでいた。

「あなたは、特に小さいときから大変な思いをしてきた子だから、女神に誰よりも愛されてますよ」

そう言って俺たちの手を取る。皮膚の薄いさらさら、ごつごつとした、暖かい手。カリクスさんは俺たちを膝まずかせる。

「さぁ、女神に永遠の愛を、いついかなる時も、立場が変わろうとお互いを尊重し合うことを誓いなさい」


あぁ、ここまでがとても長かったように感じる。

女神様、俺は当然この先もなにがあろうと莉子の幸せのために尽くすと誓います。彼女を愛し続けることを、誓います。


……そうか。


ぼそりと隣から懐かしい声が聞こえたような気がして、顔を上げる。

そこにはいつ振りかに現れた竜也君の姿があった。結婚式に死神は不釣り合いかもしれないが彼は莉子の兄なのだから、この場で顔を見ることができてよかったと思えた。

一時は不落の敵にも思えた君にも、とうとう祝ってもらえる日が来たということだろうか。この5年、もちろん一番は莉子のために生きてきた。だけど二番目には、竜也くんに安心して任してもらえるような男になろうとしてきたつもりだ。

報われる時が来た、そう俺は胸のつかえがとれるような心地を覚えた。


……違うよ。俺様はまだまだお前を認めない。

……約束していた、俺しか覚えていないお前が死ぬ前の出来事を話すときが来たと思ったんだ。


俺の知らない俺の出来事。

正直言うと、今が幸せすぎてそんなこと最早知らなくていいとさえ思っていた。

でも竜也くんにとってはまだ何も解決していないといった様子だ。


……なぁ、思い出してみてくれないか。莉子との始まりを。



莉子との始まり。

そんなこと、今までも何百回と思い出してきた俺にとってはいわば記憶の聖地。

俺が莉子のことを好きになったきっかけ。


昨日のことのように思い出せる。


それは、社会人になって数か月後の夏。

会社の先輩が幹事の合コンで、たまたま新入生歓迎会ぶりに再会できたあの夜のこと。



「……えっ。……あれ?」






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