第26話 ナイト・スカイ大ダイビング
そして次の瞬間。
俺は畏れ多くも守田へ手のひらを向ける。守田は俺の手のひらを優しく撫でるかのごとく叩く。
「じゃあね」
くるりと向けられる背中、インストラクターさんのカウントダウン、踊る守田の髪が全てスローモーションのように感じた。
このまま飛ばせちゃいけない。
もがくように辺りを見ると、死んだ目をした上野が見えて、そのそばで男性のインストラクターが次に飛ぶ準備に取り掛かっていた。
彼の手には上野にこれから取り付けるためのパラシュート。
「スリー!ツー!」
考える時間はもう少しもない。
「ワン!」
「わああああああ!」
俺はもう思いついたままに動くしかなかった。
上野のパラシュートをひったくり、守田の腕にしがみつくように掴むと俺は一緒に大空へ飛んだ。守田の目が丸く見開かれ、瞳に俺が映っている。自分でしたことにも関わらず、思考はあまりに追いつかないまま口からは叫び声が漏れた。そして、俺は使命を思い出す。飛ぶのを防げなかった今、死を避ける方法は一つのように思われた。
「パラシュートを開かないで!お願いだから!」
「えっどうして」
「何を言ってるんですか!!!危険すぎる!!!」
血相を変えたインストラクターさんからの怒号が飛ぶ。命を預かる仕事でこんな問題行動されればたまったものじゃないだろう。
でもこのままパラシュートを開かずに、速い落下スピードで時間を稼ぎ続け、なんとか隕石の軌道から外れなければいけないのだ。さっきと同じタイミングでパラシュートを開くと俺たちは隕石にぶつかってしまうんだから、必死に俺はしがみつく。
しかし、そんなこと知る由もなく無慈悲にインストラクターさんによりベルトが引かれると、落下スピードが早くなりすぎないための、一つ目の小さなパラシュートがスルスルと彼女たちの背中から上がる。ぐん、と体が持ち上げられる感覚に、俺は慌てて守田の腕を掴みなおした。
「だめだ!大きい方はまだ開かないで!お願いですから!」
「バカなこと言わないでください!!」
「……なんで?」
守田が俺の腕を強く掴み返す。細い指が強い力で痛いほど食い込む。
「そんなことしたら、私たち、死んじゃうかもだよ。黒岡くんは無意味に死ぬような人なの」
守田は俺のことをまっすぐ見つめ、俺の中に答えを探そうとしていた。
「なんで」その言葉は耳から入り身体中を瞬時に駆け巡る。俺の脳は言う、このままだと守田は隕石に直撃してしまうと。俺の手は言う、そんな目に守田を合わせるわけにはいかないと。俺の心臓は言う、身の危険を冒してでも絶対に彼女を守らなければいけないと。目は、耳は口は腹は次々に言う
「守田が好きだからだ!」
守田の表情はよくわからなかった。眉間を寄せたかと思うと、次の瞬間には口をきゅっと結び、数回瞬きをして視線はゆっくり左斜め下へ移る。
どう言う気持ちなの、守田。
その表情、俺は初めて見るよ。
俺、守田に気持ちを届けてからこんなに生きていられたことないからわからないんだ。
音がなくなったような、時間が止まったような、解明されていない世界と世界の間に投げ出された感覚。
ふわふわしているのはスカイダイビングのせいじゃなさそう。
それも束の間、すぐに強い光で俺たちは現実の空のど真ん中へ引き戻される。
空気をびりびりと震わせる圧力と、空が剥がれ落ちるような轟音。この世とは思えない光と熱のエネルギーが降ってくる。
守田の輪郭が定かではなくなるほど明るい、人ひとりの力など到底及ばないエネルギー。
その炎の塊はあっという間に俺たちの近くまで飛んでくる。
「あっ」
守田が短く叫ぶ。俺は絶対に離れないように、ますます手に力が入る。風圧は俺たちの頭を、背中を、その直前を。
なぞるように、抉るように、本当は俺たちをともに地獄へと連れていきたいのにとばかりにかすめて行った。
気がついた時にはすでに遥かへと遠ざかる炎の塊がボロボロと崩れていくのを、俺は守田と見守った。俺の手のひらは守田の体温と弾む脈拍で暖かいままだった。
俺たちはしばらくそのまま、何もできずに呆けていたが、一足早く正気へ戻ったインストラクターさんによりパラシュートが開かれた。
ずっとうつ伏せのようだった姿勢から体の方向が久々に縦に戻る。
「パラシュートを開いてたら……巻き込まれてた……?」
守田がぽそりと呟き、俺は守田と自身の生をやっと実感する。
守田の瞳孔が再び訪れた闇に広がるのが、薄い唇が震えるのが、細い血管が脈に合わせ波を伝えるのが、なによりも嬉しい。
この世の言葉では表しきれない感情は、俺の体内を溢れ返させると、うわっと口から弾けるように俺は大声で泣いた。
もはや記憶から飛びかけてはいたが、やっと俺は守田に気持ちを伝えることができた。
◆ ◆ ◆
地上に戻った時、俺の顔と状況はそれはもうぐちゃぐちゃになっていた。すみれちゃんが血相を変えて待機小屋から飛び出してきたかと思うと、俺たちに怪我がないことを確かめ、一人ひとり強く抱きしめた。
「生きていてくださって何よりです。ダメかと思いました。念のためですが救急車を呼んでますのでまもなく着くかと」
落ち着く場を無くした視線で早口でそういうと、もう一度と上野を抱きしめる。
食いしばる唇からは、詰まった短い声が漏れる。
「ほんとうに、よかった……」
正直、上野は驚きこそしたが、激しく揺れるヘリコプターの中で誰よりも取り乱したが、正しくどこまでも無事だったのだ。決死のダイブをした俺たちに気まずそうに、指先や目でハグから助けるよう合図を出していたが、無視をすることにした。
すみれちゃんが不安だったのは、疑いのないことだろう。
俺と守田は、すみれちゃんの気持ちに寄り添うようにそっとその場から離れた。
誰にも声を拾われなさそうな場所までくると、守田は俺の腕を、さっと掴む。
「えっ」
心臓が破裂するのを、必死に副交感神経に働きかけ抑える。俺はダイビング中、あの刹那と思われる中で、なんて守田に言ったのだっただろうと記憶を手繰り寄せる。
「黒岡くん、私に好きって言った」
そう。言った。まさしく。
「それってどう言う意味?」
どういうって、
「いや、ごめん。こんな聞き方卑怯だね」
そんなことない
「なんで隕石が落ちてくるってわかったの」
それは、
「なんていうか……」
「なんで死ぬかもしれないのにダイブできたの」
「……俺、変な話、人よりも死ににくいんだ」
「私よりも?」
「え、守田より?そりゃ、もう」
死ににくいと言うか、生き返ると言うか
「……私、私より先に絶対に死なないひと」
え
「そんなひとが、わたしも、好きだよ」
どんな時よりも今、死ぬかと思った。
世界を手に入れるよりも、不老不死になるよりも、宇宙旅行に行くよりも。
「俺も!」
これをもちまして。
俺の話は。
満を持してハッピーエンド、
とはいかないが、
それを俺がわかるのはもう少し先の話。
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