第22話 墓場には涙もろい男が似合う

朝から分厚い真っ黒な雲が世界に蓋をするような天気だった。

午後からは雨になるので雨具の用意をしてください、とキャスターは今朝言っていた。遠くの空ではゴロゴロと稲妻の唸る音が聞こえる。


そんな特に冷え込む日に、俺は墓地に来ていた。

冷たい石が整然と並ぶ、比較的新しい霊園。手入れが行き届いた墓石には、お盆でもなんでもないのにまだ枯れていない花が飾られているところもある。きっと足しげく通う人がいるのだろう。

俺は教えてもらった簡易的な地図を見ながら目的地を探すこと数分、それはすぐに見つかった。守田家と書かれた小さめの墓石。砂利の間から雑草の新芽が覗くものの、子綺麗に手入れされているのを見て、守田や玲子さんが定期的に来ている姿が浮かぶ


今日は俺一人で来た。


死神もとい守田のお兄さんにきちんと挨拶をしない限り、守田に向き合うに相応しくないと思ったからだ。

持ってきた布で墓石を全体的に軽く拭いて、お花を供えさせてもらう。

手を合わせて、気恥ずかしいが改めてこんにちはとつぶやいてみる。


「うるせえよ。どのツラ下げて来てんだゴミカス」

心の中で会話をするつもりが、向こうから声が飛んできた。そいつは墓石の上で片膝と中指を立て座り、見るからにクソガキだった。ご本人の登場に俺は尻餅をつきながらも、なんとか立て直す。

「なんでいるんだよ。守田といつも一緒なんじゃないの」

「は?お前は俺様と話がしたかったんだろ?来てやったんだろうが」

その想像以上の口の悪さは、守田と血を分けた兄だとは思えない。こういう必要以上に生意気なやつ、小学生の時にいたいた。驚きはしたが、話せるなんて願ってもない機会であり、この時間を無駄にできないと手足に力が入る。


「単刀直入に聞くけど。君、なんで俺のこと殺すんだよ」

「お前じゃ莉子を幸せにできねえから!」

当然と言わんばかりに死神、もとい竜也くんは声高らかに言う。耳に響く高い声で発されるその言葉は、以前死ぬ直前に聞いた理由と一緒だ。

「そんなんわかんないだろ。俺は守田のこと幸せにしたいと思ってるよ」

「断言できねえだろ!いいか、てめえには無理なんだよ」

「そんなこと言ったら……」

死神は一際大きな声を上げた。

「じゃあお前、なんで莉子に一目惚れしたんだ!」


……何で?


思っても見なかった問いに、俺は言葉を見失った。なんでってそんなのわからない。一目惚れってそういうものだろう。

笑顔とか、声とか雰囲気とか。

そういう何か、明言できない何かが俺の直感に響いた、そういうことだろう。


俺が立ち尽くしているうちに、竜也くんはどんどん怒りが湧いていくようだった。握りしめた拳がぶるぶると震え、興奮した猫のごとく毛が逆立っていく。

「お前は!なんで死なないんだ!どうやって殺しても殺してもお前中心に時間が巻き戻る!」

「待って!」

「何をだ!!!」

竜也くんは今、大事なことを言わなかったか。いや、確かに言った。

「俺を殺したときのこと、竜也くんは全部覚えてるの!」

何を言ってるんだ、と口を大きく開けたまま竜也くんはしばし俺をみる。そしてすぐに顔を歪めてニヤリと笑うと、そうかそうかと一人頷き始めた。

「俺様は、全部覚えてる。最初お前を殺した時から最後に殺した時まで。お前がどんな方法で、何に殺され、どんな顔で死んでいったかも」


俺はずっと考えていることがあった。


俺が覚えていない、守田との大事な思い出があるはずだって。


たとえば、初めて行ったカフェで初めて無花果のチーズケーキを守田が食べた日。きっとあのカフェで守田と俺は、俺の知らない話をした。そこには絶対に忘れたくない出来事があった気がしていた。


「竜也くん、俺はきっと大事なことも忘れてしまってるよね」

「ああ、そうだ」

「恥をしのんで言うけど、教えてくれないか」

竜也くんは足を組み、顎に手を添え、思惑ありげに首を傾げる。


「嫌だね」

それはわざと人を傷つけることを望む声色だ。

眉間の皺は対面する俺へ見せつけるように深くなる。

「なんで?なんで俺様がそんなことしないといけない?俺様はお前のことゴミにしつこく沸く虫みたいで嫌いなのに?」

なんて酷い言い草だ。虫が良すぎるなんて百も承知だが、ここまで言われなければいけないだろうか。そもそもこっちはこいつに何回も何回も死ぬ目に遭わされてると言うのに!

相手が子供の姿じゃなかったら、危うく大きな声を出してしまったかもしれない。

「俺さ、竜也くんに嫌われるようなことした?」

「存在が無理」

ああもう。幼稚さと埒のあかなさに、冷静さを欠いていくのが自分でもわかった。

「その無理な理由を知りたいんだけど」

「誰が教えるかよ。てめえで考えろ。ま、無駄だろうけどな!」

「あのなあ!」

子供相手に沸点を超えてしまう恥も忘れて、力任せに怒鳴った。何人かが、ぎょっと俺を見たことにも気が付かないままだった。上野に言わせると割と温厚な人間である俺は、自分でも驚いてしまう。

「なんだよ、大きな声出してんじゃねぇよ」

「竜也くんには、人を殺す以外に何ができるんだよ」

なんてひどいことを言うんだろう、俺は。最低な言葉に竜也くんも尚更眼光が鋭くなっていくのが、身を差すように感じた。

「守るって言ったって、俺を殺すことしかできないんだろ」

「そんなことねぇよ!」

「そんなことなくない!」

こんなこと本当は言いたくないのだ。なのに、言葉が止まらない。

「悩みを聞いたり、一緒に将来のこと話し合ったり。寂しいときに、見える場所にいてくれたり。……そういうことできんのはさ、生きてる人間なんだ」

俺が守田のそんな存在になれる保証、ましてや権利、あるいは資格なんてないんだけど。俺は傲慢なことに、そうしたいと思っているんだ。

「守田のために人を殺すことは、俺でもできる。……でも、守田はそんなの望まないでいい人生であってほしいな」


「なに言ってんだよ」

竜也くんは視線を下に落とし、その表情は長い前髪に隠れここからは見えなかった。

「そんなの、そんなこと、誰が考えても、わかることだろ」

パタ、パタと涙がその膝に落ちたような気がした。

実際には、死神は涙も出ないらしいが、その肩は震えていた。

「おれは、おれさまはすごいんだ。普通死んだら人間ってそれっきり、なにもなくなる。幽霊にだってなれないんだぜ。なのに、おれさまは、なれた!しかも人を殺す力まで持って!それに莉子には、おれしかいなかったんだ!」

「竜也くん……」

「……でもおれだって、それだけで莉子を幸せにしてやれるなんて、それにはあまりにも非力だって、最近思うこともあったんだ」

小さな掌、七歳で成長の止まったその小さな掌を竜也くんは見つめた。彼はその幼い魂のまま何年も守田の傍についていたんだ。自分に何ができるのか、考える時間もタイミングも余るほどあったんだろう。

拳を握り、再び俺を見る。目にはまだ迷いがあった。

「お前の知りたいこと教えてやるよ。おれさまがお前を認めざるを得なくなったらな」

竜也くんに認められれば。

それはきっと、守田に選んでもらえたらってことだ。

「竜也くん……!」

「……おれさま、莉子のとこに戻る。あと、言い忘れてたけど、死神が見えるのは死ぬ前だけだからな」

「え」

「いいだろ、お前どうせ生き返るんだから」

そう言い残すと、竜也くんは俺の目の前から姿を消した。

そしてすぐに胸に痛みが走り、俺はそのまま墓地に沈むこととなった。

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