第21話 一夜寝にける

今回はちょっぴり大人向けの話になるだろう。黒岡くんが守田さんのバイト先へ行った後の、僕とすみれちゃんの話だ。


陶器でできた人形のような顔をしてすみれちゃんは座っていた。白い肌は春の順光と紅茶から上がる湯気の中で輪郭がぼやける。

「男は女の裸を見ると欲しくてたまらなくなると、本で読みました」

「そんなもの読むんじゃない」

「いかがわしいものじゃありません。歴史小説です。そして、先生もそうでした」

すみれちゃんは真っ黒な二つの瞳、それだけで僕の動きを固める。針を飲まされる心地で立ち尽くすしかなかった。

「何度も言っていると思うけれどね、僕は何者にも恋心は持てないんだ。だから付き合うとかはないんだよ」

「それは伺いました。だから、あの夜が私の最後の切り札のつもりでした」

「今は?」

「あろうことか、諦められなくなりました。私は愚かです」

すみれちゃんの表情はひとつも読みきれなかった。彼女は決して泣いたりしないことが救いだが、遠い深海に思い馳せるような顔は僕には汲み取れない感情だ。

「先生には私はまだ必要なはずです。先生は目標についてまだ道半ばでしょう」

「僕はすみれちゃんのことは本当に頼りにしている。君が許すなら今後も僕に力を貸して欲しい。けれど」

「じゃあ、私をそばに置いてください」

僕はすみれちゃんの期待に応えることはできない。そしてそれは彼女を傷つけることになるのではないだろうか。僕は卑怯な人間であり、自分が加害者になることからは逃げてきたのだ。今回も例には漏れない。

「すみれちゃんはそれで」

すみれちゃんは急に立ち上がると僕の胸ぐらを掴みあげた。殴られるならそれで、とも思ったが頬ははたかれなかった。力づくで、前歯が食い込むほどに、呼吸を奪われるように、唇が重ねられる。

「先生は恋愛小説の天才です。それは恋に溺れないからなのでしょうか」

その問いかけは僕に答えを求めていないことは明白だった。

「私を資料にするといいです。男に恋する女として。人に愛される事象の体験として。黒岡さんみたいに!」

返事をする前に彼女は僕の服から手を離す。解放された僕は情けないことにも、そのまま床へ尻餅をついた。

「せめて。私はそれでいいんです。満足」


痛々しいと思った。そして悲しいほどに健気だと思った。好きだとか、愛しているだとか。そんな複雑な仕組みを、そしてそれに組み込まれない自分を憎らしく思った。

僕に出来ることはない。だから、ただ彼女を受け入れようと思えたのかもしれない。

結論を持ち合わせないこの空間を、僕はすみれちゃんごと抱きしめたいと思った。


◆  ◆  ◆


その日帰ってきた黒岡にことの顛末を話すと、やつはバッサリと「セフレになったってことだよね?最低だな」と切り捨てやがった。

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