第20話 家ついてっていいですか

電車を降りてバスに揺られながら三つほど停留所をすぎる。小学校前のバス停で降りすぐ左を曲がって少し歩いたところに、青い外壁の一軒家が立っていた。玄関には守田と書かれた表札が掲げられ、ささやかに芝生が敷かれた庭には子供用の青い自転車が無造作に置かれていた。


ここが守田の育った家。

その環境に自分が入り込んでいるということが感慨深くて、守田をここまで育んでくれた事への感謝だったり、守田が歩んできた人生への実感であったり、とにかくいろんな気持ちで満たされて行くようだった。

拝むような気持ちのうちに、守田が鍵を取り出して玄関へ俺を招き入れる。


「れいちゃーん、ただいまー!」

道中に家族のことは何となく聞いていた。れいちゃんと言うのが守田の叔母で、母親がわりに育ててくれた人だ。守田の態度と選ぶ言葉で、継母からは愛情深く育てられたんだろうなと、心がほっとした。

玄関からすぐそこに見えるドアを開け、薄手のニットを羽織ったれいちゃん、もとい守田玲子さんがパタパタとスリッパの音を立てながら出迎えてくれた。

「えー!男の子!友達連れてくるって言うから、てっきり、やだもう!」

きゃあきゃあとはしゃぐ玲子さんは顔中の筋肉を使ってニヤニヤとしていた。この反応を見る限り、守田が家に男子を連れてくることは珍しい、いやむしろ今までなかったのでは?と期待に比重の大きい推測をしてしまう。

「サークルの同期の、黒岡くん」

「付き合ってるの?」

「ふふふ、違うよ」

付き合っていることを目の前で否定されたのは2回目だ。自分の至らなさに身が縮こまったが、今はまだしょうがない。

「カリクスにも家にいてもらえばよかったわぁ。きっと喜んだのに」

「えー、やだよ。なんか大ごとにしそうじゃん」

カリクスさんというのが玲子さんの夫、つまり守田にとっては育ての父となる人だ。出身地の宗教の宣教師をやっているとかで、今日は教会にいるのだと事前に聞いていた。お父さんまで出てきたら俺は緊張でどうなってしまうか想像もつかないから、一回目の訪問の今日は外してくれていて助かったとさえ思う。もちろん、お会いできれば気に入られるために最善を尽くす所存だ。


フローリングのむらがある色褪せから、壁紙のわずかなヨレから守田一家の歴史を考古学者のように読み取らんと落ち着かないまま、俺はリビングまで通された。


そして思わず、はっとした。すぐ目の前に小さな男の子の後頭部が見えたからだ。その子はテレビアニメをかぶりつく様に見入っていて、来訪者なんかまるで気にならないといった姿勢だった。

「ちょっと純ちゃん、お客さんだよ。挨拶して」

守田に声をかけられて、その小さな背中は渋々といったように振り返る。目線は画面に残しながらこんにちは、と人見知りな細い声で言う。

「こんにちは」

鼻先がつんと尖った顔、春なのにもう焼け始めている肌や上がった目尻から、元気に外で遊ぶ姿が容易に浮かんだ。そして、たぶの薄い立った耳。


すぐにわかった。

違った。

あんなに確信していた読みはあっけなく外れたのだ。

どう見ても死神はこの子ではない。


空振りに落ちそうな肩を持ち堪えさせる。

俺に不審者を見るような目を向ける彼には落ち度はないのだから、会ってガッカリされたと彼に感じさせてはいけない。

「ねえちゃん、ダレこの男?」

「サークルの同期だよ。ねえちゃんのお友達」

「ふうん。……おまえがもってるそれっておかし?」

純くんに指さされて、自分が紙袋を手に下げっぱなしなことに気がついた。手ぶらでくるのも決まりが悪いと思い、手土産を持ってきていたのだ。守田の家族にちゃんとしてると思われたいという打算もあった。

「つまらないものですが、どうぞ」

「やった!母ちゃん!お菓子もらった!」

「まあー、そんなご丁寧に」

「開けていい?」

いいよ、というと純くんはとたんに目をキラキラ光らせ水色の包装紙をビリビリと破っていく。現れた箱の蓋を両手で持ち上げると同時に大きな歓声が上がる

「でっかいぶあついクッキーだ!」

目を爛々とさせる純くんへ玲子さんが教える。

「ガレットね!たくさん入ってるし、一個あげてこようか」

あげてくる?

俺が小首を傾げている間に、玲子さんはガレットを一つ守田へ手渡す。守田はいつものこととばかりに受け取ると、閉められた引き戸を開ける。藺草の郷愁を煽る匂いが先立ち、日当たりの良い和室が現れる。

「あっ」

男の子がいた。薄いたれ目をこちらに向けた痩せっぽちの。

表情はとても貴重であろう笑顔。


その子は仏壇にかけられた写真の中から俺を見ていた。

「お兄ちゃんだよー。焼き菓子好きだったみたいだから喜んでると思う!」

「……死神」

「えっ?」

「いや、なんでもない!!」

「ふーん?」

ようやく見つけた死神は、想像よりも優しそうな顔をした、そしてただの子供だった。



◆ ◆ ◆



住宅内で守田竜也ちゃん(7)の遺体が発見された。竜也ちゃんの遺体は同年齢の平均的な体重を大きく下回っており、死因は栄養失調による餓死とみられる。現場からは竜也ちゃんの妹(3)も保護されており、病院へ運ばれた。極度の栄養失調状態だが命に別状はない。警察は母親が事情を知っているとして行方を捜索中。


教えてもらった守田の兄の名前で調べると、こんな記事がネット上にはたくさん残されていた。このとき保護された妹が守田だったのだ。そんなことも知らなかった俺では、そもそも何度も死んだって守田と結ばれる資格はなかったのだ。


「特に隠してるわけじゃないの。自分からこんな生い立ちですよーって言う必要はないかなって思ってるだけで」

守田は何でもないことのようにそう言った。その言葉に罪悪感や言い訳めいた含みが一つもないのが俺への救いだった。でも自分にとっては内省すべきことだった。守田にとって俺は取るに足らない他人から頭ひとつ出ていると驕っていたんだから。


「小学生くらいの時に玲ちゃんから教えてもらったんだけど」

おまけの話くらいの軽さで守田は続けた。

「私が栄養失調で済んだのはきっとお兄ちゃんが守ってくれたからなんだよね。警察の人が見つけてくれた時、お兄ちゃんは私と指を繋いでくれてたの」

そして小指をぴっと立てる。

「指切りしてるみたいだったって。へへ」

眩しい。目が眩んでしまう。

過去の出来事を消化しきって血肉にしないとその笑顔は出せないのだ。そんな笑顔ができる人間ってこの地球上には何人もいないだろう。

たぶん守田と神様くらいだよ。


それは勢いだけの俺を一時挫くには充分すぎる威力だった。





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