第17話 上野の失態
珍しく上野は慌てていた。
人を殺すのにアリバイをきちんと用意できるほど用意周到な男は、不足の事態に弱いのだ。
「付き合ってるわけないだろう!」
電話を切った第一声はこうだった。
「でもさすがのすみれちゃんでも、何もないのにこんなこと言い出さないだろ」
「ああ、何かがあったに違いないね」
何かがあった。
俺は正直言って思うところがあった。
上野は無性愛者である。生まれ持った特性として誰も好きにならない。そう結論付けたのは上野だ。どう結論付けたのか。
一通りできることは試した、と上野は言っていた。老若男女、追われる恋から疑似的に追う恋まで。愛せる対象は人じゃないのかもしれない、と悩んだことまであるらしい。色んな性癖を持つ人たちのコミュニティに属しては、ここも居場所ではなかったと去ったという。
そして、人を愛せないということは一人を特別にできないと言うことだ、と大昔に上野は言っていた。ちなみにこの言葉は文面通りに受け取ると、人を深く愛せない男の切なさを含んだ言葉だが、使う場面によっては途端に人としてクズな言葉になってしまう。上野の場合は前者であり、後者でもある。
色々と並べたものの。早い話がこいつは貞操観点がなってないのだ。
「最後にすみれちゃんに会ったのは?」
「ネタバンクの新歓の日だね。すみれちゃんが新刊の増刷祝いといって、スパークリングを持ってきたから家に入れてやった」
「その時に何かあったんだろ」
「その日は……」
上野は下戸だ。スパークリングなんて飲んだらベロベロになるだろう。案の定その日の記憶は定着していないらしく、顎に手を当てて考えている。だがその額にどんどん脂汗が浮かぶのを俺は見逃さない。こいつは黒だ。
きっと筋書きはこうだ。酔っ払っていつも以上に分別がつかなくなった上野は、いつも通りすみれちゃんからトンチンカンな迫られ方をする。魔がさした上野は軽い気持ちでそれに乗ったのだ。
そして、そんな日に限って俺は外泊だった。
いや、帰ってきて居合わせるほうが嫌だけど。
俺の視線が優しくないことに気がついたのか、上野は無理矢理話をまとめようとする。
「どちらにしろ!すみれちゃんだって大人だろう!酒の勢いとそうじゃないものの区別ぐらいつけるべきなんだ!」
「でもすみれちゃんは上野のこと好きだろ。ずっと」
こういう下衆な話が飲み会の場で出たりするのは大歓迎だ。でも相手がすみれちゃんだというだけで途端にホラーになる。
「……ちゃんと話し合えよ」
「くそっ!」
子供みたいに下唇を噛んで、頭を掻きむしる上野を俺は冷ややかに見ていた。
俺はこの時、この事態を軽く考えていた。上野とすみれちゃんの問題であり、二人で解決してくれればそれでいいと思い、どこか面白がってすらいたんだ。
ましてや実は人生の分岐点がここにあったなんて、全く気がついていなかったのだ。
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