第3話

土曜の朝,新品のワンピースを着ていつものカフェに向かった.先週,吉川葵とランチをした後,ショッピングモールで選んでもらったものだ.

吉川葵は,相手の雰囲気や好みに合ったものをセンス良く選ぶのが上手い.このロングのワンピースは,落ち着いた紺色の生地に細かな刺繍が施され,秋にさらっと着るのにぴったりだと思った.風が足元を通り抜け,ワンピースの裾が遊ぶように揺らめく.

若干緊張をしながら,店のドアを押し開ける.

「いらっしゃいませ」

いきなり目が合った.今日もチャーミングな笑顔で爽やかさを振りまいている.

腰が引けそうになるのをグッとこらえ.真正面からレジに近づきブラックコーヒーを注文する.

今日は店員が彼一人らしい.コーヒーができるまでの間,横目で彼の動きを見つめる.無駄のない優雅な手つきでカップを用意し,挽いた豆に湯を注いでいく.豊かな香りが鼻をくすぐる.

「お待たせいたしました.本日はスマトラの豆を使用しております.」

両手でカップが差し出される.

「ありがとうございます」

カップを受け取り,今日はさらに言葉を続ける.

「ここのコーヒーお気に入りなんです.豆を選んでいるのは店主さんですか?」

話しかけられるとは思っていなかっただろうが,彼は驚きは一切見せず,にっこりと笑った.

「いつもはそうです.今日は店長が外に出ているので,僕が選ばせて頂きました.お好みなどありましたか?」

「いえ.正直に言うと,あまりこだわりはないんです.美味しければなんでも.」

自分から質問しておきながら,話の広げ方が全く分からない.相手も反応に困るだろうと内心焦っていると,

「そうでしたか.それでは次から僕のおすすめをお出ししてよろしいでしょうか.もし気に入ったものがあれば,その時はぜひ教えてくださいね」

常連客のためのサービスとわかっていても,特別に認められたようで嬉しくなる.

「ぜひ,そうしてください.楽しみです」

そう言って,やっと席へと向かった.なんとか話はできたという安堵と,彼にどう思われたかという不安が同時にやってくる.こんな時,吉川葵ならば相手と会話を弾ませ,首尾よく連絡先をゲットしているのだろう.何より,美人な彼女に誘われて嫌な男はいるはずがない.

そうは言っても,私は彼女のような社交性も華も持ち合わせていないから地道に相手の信頼を獲得するしかないかと思っている.将棋で言えば,相手の陣地にあっという間に飛び込んでいく飛車が吉川葵で,1マスずつしか前に進めない歩兵が私だ.しかも歩兵の代わりはたくさんいる.そこまで考えて,自分が哀れになってきたのでやめた.彼が煎れたコーヒーの優しい香りに意識を集中させる.

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