第26話 旅立ち前夜


 もうもうと湯気が立ち込め、心地よく肺の中まで暖めるようだ。

 石造りの大浴場は、何十人が入ることを想定しているのだろう、自然のままの大きな岩が、小さな岩が囲う空間にて、エメットはぼんやりと天井を見つめていた。


「はぁ~………領主って、すごいんですねぇ~………」


 領主の館の、くつろぎ空間であった。贅沢にも、エメットと、ラザレイの二人だけが占領している、男湯である。

 今は魔王様の支配下に入った、ベライザの館である。なのに、のんびり気分を味わえているのは、どこかがおかしい。

 心身がつかれきったエメットは、心地よくため息をついていた。

 いらぬ言葉も、はいていた。


「ところで、ラザレイ殿と姫様って、恋人なんですか?」


 湯が、ゆれた。

 唐突の話題に、ラザレイさん二十二歳が、ゆれた。

 冷静沈着な騎士ラザレイも、所詮は若者だった。そして、エメット君十五歳の質問は、お姫様にあこがれる男子にとっては、自然な質問であった。

 口にした以上は止められない、エメットは根拠を口にした。


「いや、仲がよさそうだし」


 戦いは、終わった。

 本当の戦いの前の、小さなお休みに過ぎないのだが、とりあえずも、最初の戦いは終わったのだ。

 なら、少し休んでもよいではないか。

 なら、少し気になることを確認してもよいではないか。

 憧れの姫巫女ミレーゼと、護衛の騎士ラザレイの関係である。御伽噺にあこがれる少年にとって、絵に描いたような二人であれば、仕方のない疑問なのだ。

 いつも男女が一緒なら、恋人なのかと、子供が聞くようなものなのだ。

 あこがれの騎士であるラザレイは、しばし迷った後に、答えた。


「巫女エレーナと君とこそ、とても仲がよく見えるが」


 湯が、波打った。

 エメットへの質問への答えだった。

 こんどは、エメットが大いにあわてる番である。あまりのお言葉に、エメットは必死に笑いをこらえる。

 そう、これが、ラザレイ様のお答えらしい。エメットの困惑と言うか、バカな話と言う表情に納得したラザレイは、肩まで湯に使った。


「そういうものだ」


 ラザレイの、大人の余裕だった。

 エメットの態度から、ミレーゼへ憧れを抱いていることは気づいていた。ほほえましいという感情であり、自分はと言う、思い出もかすかによぎる。

 ただ、その相手は、おてんば姫に向けられたものではない。どこまで暴露してやろうかと言う、年長者のイジワル心と、護衛の騎士と言う立場とで、大喧嘩だ。

 とりあえず、当たり障りのない回答を選択したラザレイは、紳士であった。


「俺は騎士の一族でな。力を持っていたために、早くから神殿に通っていたんだ。そこでミレーゼと出会ったわけだが………おしとやかに見えて、かなりのものだぞ、あれも」


 ラザレイの言葉に、一つや二つは、心当たりがある。

 氷の塊となった、襲撃者の話を思い出す。数年前の話らしい、エレーナの暴露話である。誰かが、ミレーゼ姫を目障りに思った。そのために、暗殺と言う王家の宿命を味わったミレーゼ姫は、誰の助けを借りる必要なく、撃退したのだ。

 凍ったのだ、犯人が。

 その話を暴露されかけ、ミレーゼ姫は、それはそれは、にこやかに笑みを浮かべた。どうやら、この話題はミレーゼ姫には隠したい事件らしい、エメットは物理的な寒気によって、強制的に疑問を封じたものだ。

 小さな、一例だった。

 まだ数日の旅路である、これが、さらに時間をかければ、知ることになるだろう。

 おしとやかな憧れのお姫様が、姉という鬼と同じに見えた日。いや、姉と言う鬼とお友達であれば、悪魔と言うところか。

 それでも憧れを捨てきれない少年は、空を見上げた。


「ホント、分からないものですね」

「分からないものさ」


 男二人は語り合い、笑いあう。

 明日は旅立ち。

 目指すは呪いの森の先にある、魔王の領地。三悪王の時代のより前の姿が残るという、もう一つの王国。


「明日は、呪いの森かぁ~………」

「旅の目的は調査だ………かつての王国の土地を巡るのも、その一環だ………と、思おう」


 共に、自らに言い聞かせている言葉だった。

 呪いの森を越え、本当の世界の姿を確かめろというのだ。

 鬼仮面たちとの出会いで、人以外の種族がいることを知った。自らの力で呪いの森を突破する力があるのか、無事に会議に参加できるのかが、まずは不安要素なのだが………

 ふざけた声が、女湯から響いた。


「――我が妹よ、お湯が怖いというのなら、兄のひざの上に――」

「「――出てけっ!」」


 姉の暴風と共に、姫様の氷柱が上がった。

 あのシスコン仮面は、本当にやりやがったようだ。あれほど恐怖していた笑顔のお面が、変態にしか見えない。第一印象など、今は思い出すことすら不可能であった。

 その仮面が、ばっしゃぁ~ん――と、大きな波を立たせ、落ちてきた。

 いいお湯だったのに、ひんやりとしてきた。

 ここで、おかしいと、エメットは思う。

 姉はどうでも良いが、姫の入浴シーンに突撃した野郎なのだ。なんてことをしたのだと、男としての怒りが爆発してもよさそうなものだ。


「………あの変態、すでに子持ちって、言ってましたね」


 あぁ、そうかと、エメットに納得の行く答えが思い出した。勇者シャオザが魔王になっていたという以上に、驚いたものだ。

 とくに、姫様が。


「………娘さんだそうだ………哀れだな、まだ五歳と言うが」


 そろそろウザいと思われているに違いない。私生活では、大変ご迷惑なシスコン仮面は、さぞや、娘が可愛らしくて仕方がないはずなのだ。

 いや、生き別れの妹との再会で、大いに心が弾んで、暴走しているだけだと、信じたい。

 さもなければ、これからの長い、長い旅を生き抜く事は出来ないだろう。久々の兄妹の再会だからと、あの変態シスコン仮面が、呪いの森の道案内に選ばれたのだから。


「いい湯だな、少年」

「はい、騎士様」


 せめて今日はのんびりしようと、エメットたちは、湯につかっていた。


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魔王と勇者と鬼と巫女 柿咲三造 @turezure-kakizaki

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