第25話 偽りの王家


 仮面の道化師ダルクト。

 世の中の全てをあざ笑っているのは、本当に演技だけだろうか。ふざけている発言で、怒りや憎しみを覆い隠しているようにも感じる。

 多分、一応………


「どうだ、我がいとしの妹よ。の下では、窮屈だったろう。男を父と呼ぶ不愉快も、笑い飛ばせば過去のこと。今こそ、兄と二人で世界に喜劇を振りまこうぞ」


 道化師が、現れた。

 どこまで本気であるのか、笑えない冗談だった。姫巫女ミレーゼは、腕輪の輝きを隠すように自らの体を抱きしめて、警戒モードに入った。

 まぁ、兄妹といってもミレーゼ姫には記憶がなく、また、幼子扱いをされれば、警戒されて当然である。


「まだ、そんなに割り切れません………兄が道化師だなんて………王の秘密もだけど、でも、こんなのが兄だなんて………」


 なんだか、とんでもないヒミツも暴露されている。仮面の道化師は、国王のことをと呼んでいた。しかも、ミレーゼ姫とは男だと。

 ミレーゼにその記憶はない、幼い日に別れたままであれば、子供の記憶は薄れてしまう、それほどの時間が過ぎ去っていたのだ。

 その時間を埋めようとする。その気持ちはわかるものの、どう接すればいいのか。水色ヘアーをなびかせて、エレーナは親友のミレーゼを見上げた。


「お風呂ぐらい、入ってあげれば?」


 少年エメットの心理は、複雑であった。家族だからと許容するのか、憧れのお姫様に向かって、無礼を働くものは許さないという、少年心理が働くのか………

 だが、憧れのお姫様は、エメットが大いにあわてるお言葉を、下された。


「あなた達と一緒にしないで。家族といっても、一緒にお風呂に入る年じゃありません」


 ちょっと可愛い、女の子っぽいお怒りの言葉であった。ふわふわピンクのロングヘアーをなびかせ、腕を組んでおいでだ。

 だが、エメットは可愛らしいと、新たな魅力を見つけた見つめる余裕はなかった。

 エメット君十五歳は、即座に否定した。


「いやいや、さすがに姉ちゃんと一緒に風呂はない。姫様、それはない」


 姫巫女ミレーゼ。

 エメットにとって、憧れのお姉さんである。そのために、ミレーゼの前では大人を真似て、丁寧な言葉遣い、しぐさを心がけてきた。

 今は、お子様の反応であった。


「あら、そうなの?」


 不思議そうな、姫巫女様の反応が、いたたまれない。姫との出会いの年齢は、エメットちゃんと呼ばれていた少年である。姉が、いいお姉ちゃんを演じて、エメットを子ども扱いした日々が恨めしい。

 姫様にとってのエメットは、いまでも『エメットちゃん』なのだ。


「照れなくてもいいのよ。甘えん坊さんなんだから」


 鬼が、面白がっている。

 失敗したと、エメットはうなだれる。鬼は、エメットが嫌がること、恥ずかしがることほど、にこやかな笑みを浮かべるのだ。

 姉と書いて、鬼と読むのだ。

 笑っているのは、道化師がただ一人だ。


「そうだぞ、我が妹よ。あの、たどたどしい言葉で、兄を呼んでいた頃を思い出せ。そして、かつての日々を思い出すために、あの頃のように兄に甘えて――」


 言葉が、凍った。

 言葉通り、兄を自称する道化師が、氷付けになっていた。


「ほんと、大変ね………」


 エレーナが、女の子の顔になって、同情していた。


「えぇ、大変よ………」


 姫巫女ミレーゼが、疲れた顔でうなだれる。

 なお、道化師ダルクトには、姫の魔法が通じないほど、桁違けたちがいの力を秘めている。腕輪などの魔法の道具も手伝っているが、年長者はその分修行を積み、力も伸ばしているのだ。この差を埋めるのは、さすがの姫巫女ミレーゼでも、容易なことではあるまい。

 現在、道化師が凍りついているのは、おふざけでしかない。妹が可愛らしく仕方のない、シスコン仮面と、心で命名したエメットだった。


「全く、お前はいつも人をもてあそぶ。悪魔の所業だな、全く」


 お前もだ、超・若作り――エメットは心の声を、そっとしまいこむ。

 いつの間にか、後ろにたたずむ人物がいた。魔王が奪った領主の館において、その状況は恐怖に値する。本来はそのはずだが、エメットたちは、すでに順応を始めた。


「アブオームさんの神出鬼没も、十分に人が悪いと思いますけど………」


 エレーナが、エメットを抱き寄せる。

 姉としての行動だろうが、わざとらしくて、目がしらけるエメット君。騎士ラザレイが、後ろに控えていたのだ。

 優しい姉の、演出だった。

 弟のエメットは、ただ、感情を忘れた笑みを浮かべる以外に、なにが出来よう。手遅れこの上ないと思うが、女心にツッコミを入れれば、恐ろしい報復が待っているのだ。

 ここにいる水色ヘアーのお姉さんは、猫をかぶる、鬼なのだ。


「なんだ、すっかり油断していたそっちが悪いだけじゃないか」


 超・若作りのアブオーム。

 実年齢が六十をとっくに超えていると知らされて、エメットたちの脳裏によぎった言葉だった。

 先日の自分たちであれば、本当に考えられない光景だった。血なまぐさい室内での会合と、語られる話の数々。

 理解はした。

 納得は出来なかったが、姉たちも理解したのだからと。


「油断していなくとも、魔王の幹部と渡り合えるものは、どれほどいるか――


 騎士ラザレイは超・若作りのアブオームに、稽古をつけてもらっていた。

 結果、ぼろぼろだった。


「ふん、王国の騎士も質が落ちたものだ」


 舞台俳優のように、大げさに髪の毛を書き上げて気取る、かつての賢者候補アブオームに、言葉もないラザレイ。

 もうすぐ七十の、超・若作りのお言葉なのだ。魔王に奪われた領主の館の屋根の上で、エメットたちは先日まで戦っていた敵と語り合っていた。

 かつての賢者候補、超・若作りのアブオーム。

 仮面の道化師改め、シスコン仮面のダルクト。

 そして、魔王を受け継いだ、元・勇者のシャオザ。

 誰一人として、この王国に足を踏み入れさせてはならない危険人物でありながら、頼もしい仲間だと感じていた。

 王国への裏切りだという自覚があっても、後ろめたさも、悲壮感も、何もなかった。

 エメットとエレーナは、のんびりと夕日を見つめ、ミレーゼは、自称兄との会話を楽しみ、ラザレイは元気よく剣のお稽古をする。

 とてもおかしなものだが、日常があった。



 *    *    *    *    *    *




 頑丈な石組みで守られた、温かみのある、みどりあふれる空間。

 内庭。

 王宮にあって、国王がプライベートを過ごすための空間の一つであり、心を許す重臣たちと語らうための場所でもあった。

 椅子や机などは木製の、立派なつくりだ。もちろん、装飾は簡素に、くつろぎ空間を演出している。その椅子に、ドルト王は一人で座っていた。


「賢者アルドライ………の末裔に、これからどうしろとおおせか」


 賢者の影響を受けた大木が、そっと内庭にそびえたち、これから暑くなるだろう空間に涼しげな木陰を提供してくれる。

 今は、冬の寒さが戻ってきたように、寒々しい。ドルト王がそのような感想を抱くのは、いつもは隣に座る老人が、永遠にこの場所を訪れなくなったためであろうか。木製の椅子の一つに、語りかけていた。お孫様方が訪れれば、おじいちゃん、ボケたの――と、きょとんとする光景だろう。

 ベライザ王国の現在の国王、ドルト・ドゥム・ファーネイトには妻が三人、娘が三人と息子が一人いる。そして、すでに五人の孫もいる。

 まだ、王家の者としての災いも、罪も知らない幼い孫達の駆け回る姿が、目の前に浮かぶ。今頃はどれほど大きくなっているだろうかと頬が緩み、すぐに、影が落ちる。

 哀れだと、ドルト王は一人、静かに夕暮れの沈みかけた空をみつめていた。


「私は、あの子達にどのような未来を残せるのか………」


 無能な自分には不相応だと思っている、王の証たる胸飾りに、手を添える。

 しつらえられている宝石は、神話の時代にさかのぼる、約束の品だという。ベライザ王家が、代々守り伝えてきたものの一つだ。

 しかし、ニセモノである。

 知る者は、多くない。真実を賢者アルドライから知らされることが、国王を受け継ぐための儀式なのだ。


「アルドライ。あなたは死後に希望をたくされる、そんな方ではないはずだ。あるいは、旅立った若者達こそが――」


 こういうときこそ、人の良い老人の笑みが惜しまれる。お前が国王なのだと、いつも笑ってドルト王の迷いを、そっと背中から押してくれたのだ。

 その最後は、なにを思ったのか。

 ドルト王は、夕焼けに染まった空をみつめて、つぶやいた。


「ミレーゼ、どうか、よい旅を」



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