第23話 屋根の上の、思い出話(上)
老婆が、よれよれの絵を取り出した。
ぼろ布に大切にくるまれた、子供に教えを授けるための、たくさんの絵の一枚だ。他には、勇者の姿絵や、魔物の誇張された姿に、もちろん、王国の地図もある。取り出された絵は、見ただけで気分の悪くなる、暗い絵だった。
呪いの森が、描かれていた。
「よくお聞き、お前達もいずれ向かう場所が、ここなんだよ」
老婆が、優しく語る。
暖炉を前にした、物語の時間だ。幼き日のエメットには、待ちかねた、お楽しみの時間だった。そして当然のように、三つ年上の幼馴染の、暴君エレーナが隣にいる。
「この世界のどんな暗闇よりも、暗い場所。呪いの森って呼ばれてるんだ」
暖炉の炎で揺られ、余計に不気味に感じた。捻じ曲がった木々の腕が、まるで動いているような錯覚を覚える。そのまま腕が伸び、エメットを捕まえてくるようで、となりの姉にしがみつく。
姉は、得意げだ。
もう、怖くないとでも言わぬばかりに、抱きつかれるままに、抱きつかれていた。きっと、怖がる弟が面白いのだろう。そして、エメットが大きくなったら、からかってやるネタが出来たと、にんまりと笑みを浮かべていた。
幼きエメットには、そんな姉の顔を見つめる余裕はない。ただ、怖かった。枯れた木々に、何かドロドロとしたものがへばりつき、不気味な笑みを浮かべる怪物になっている。
全てが黒く、とげとげとして、嫌な絵だった。
もちろん、見るものを怖がらせるために、描かれた絵本だった。王国に生まれた子供達は、最初に恐怖を刷り込まれる。
そして、勇者にあこがれる。
そのうちに、結界を張り続ける巫女や神官への感謝を覚え、勇者の代わりに『対魔騎士』への憧れを抱き、目標となる。
老婆は、かつては見張りの巫女の一人だった。
「この森にはね、鬼や、鬼より恐ろしい魔物たちが住んでるんだ。そして、這い出てくることもある。だから、王国を守るために、神殿で結界を、そして魔物を退治する『対魔騎士』がいるんだ………おまえたちの親のようにね」
エメットやエレーナが、家族と離れて過ごす理由だ。感覚としては、遠くへ出稼ぎに向かっているようなものである。時折戻ってくることもあるし、手紙のやり取りも行われる。
次世代のエメットたちの世話を焼くのは、年老いて、現役の見張りを引退した祖父母たち。幼い日の寂しい思いと、そして、村人に特別扱いをされる理由だった。
力を持つ子供達は、生まれた時点で未来が定められている。結界を守るための神殿に仕えるのか、鬼を筆頭にした魔物たちを倒す『対魔騎士』になるのか。
魔王が誕生して以来の習慣だ。
「いいかい、お前達も十五歳になれば都に呼ばれる。だけどね、お聞き。それは、王国に住む人々を守る大切なお役目。お前達にしか出来ないことなんだからね。つらくても、寂しくても、しっかりとがんばるんだよ」
おそらくは、エメットとエレーナ、そして、王国に生まれた、強い力を持つ子供達が教えられたこと。
魔王への、怒り。
魔王さえ倒せば呪いの森はなくなり、王国は平和になるのだ。
魔王を倒せ、魔王を倒せ
だが、真実は………
「初代魔王って、賢者様だったんだ………忠告しても無視されて、殺されたから」
地平線を眺めつつ、エメットはつぶやく。
かみ締めるというよりも、他人事のような、実感がわかないための、つぶやきだった。
高い塔からは、呪いの森が、すぐ目の前のようだ。紫色に染まった空より、なお暗い地平線が広がってる。呪いの森と接する領地では、日常風景だった。
思ったよりも、近くにあるようだ。
隣に座るエレーナは、のんびりと背伸びをしていた。
「怖いわよね~、魔法とは違う、賢者様も殺せる力なんて………」
なんとも、のんきな言葉だった。
薄い水色のロングヘアーが、屋根の上でさらさらそよぐ。姉弟で仲良く、ベライザ領主の館の屋根で、地平線を
ここ、ベライザをはじめ、いくつかの領地では呪いの森と接している。そのために、このような見張り場と住まいを兼ねた拠点があるのだ。
見張りのためだ。
王都を中心として、各地にある神殿では、呪の森の拡大を防ぐための結界が張られている。しかし、いつ、呪いの森が広がってこないとも限らない。そのための、見張りの塔と、警報装置なのだ。
今は、無人だった。
ベライザの方々には、さぞ、予想外だったに違いない。領主を守る騎士たちは抵抗しただろうが、魔王と、その幹部相手にどれだけの戦いが出来たと言うのか。すでに、領主の館の機能は失われた。
近隣の領地が異変に気付くまで、かなりの時間を必要とするだろう。緊急事態を告げる早馬など、魔王様と幹部様が見逃すわけがない。それ以外は、特産品の物々交換のついでの、情報交換くらいなものだ。
おかげで、とってものんびりとした時間が過ぎ去っていった。
のんびり過ぎて、エメットはつまらないことを思い出す。
「あの旅人さん、本当に世界の終わりが近いって、知ってたのかな………ほら、いつだったか、バカな預言者気取りだって、エレーナ姉がバカにしてたおじいさん………」
時折訪れる旅人は、村びとたちにとって、娯楽として受け入れられる。村の外を知らずに過ごす村人も多く、遠くのお話は、物語なのだ。
ただ、迷惑な
不安を
目の前に広がる地平を見ていると、信じてしまいそうだ。
「いたわねぇ~、そんなバカ………自分が不安だから、みんなをもっと不安にさせて、自分だけじゃないって安心するのよ………それだけでも厄介なのに――」
エレーナは、そっけなく答える。
領主の館の屋根の上で、大きく手足を伸ばして、なんとものんきなお姿だ。
話は、のんきでは済まなかった。
「でも、バカに出来ないのよね。宗教家とか、扇動者とかって言うんだけどさ………不安な心に付け込んで、不安を大きくするのよ。神殿で習ったんだけどさ、それって、伝染病みたいに広がって、国が滅びる原因の一つだって、素直な人ほどそそのかされて、兵隊にさせられちゃうから………あんたも素直なんだから、気をつけなさいよ~?」
幼子に語る、姉の言葉だ。
弟とは、いくつになっても幼子扱いが運命なのだ。それは、最初の関係が、今も続いていると言うことである。エレーナにとってのエメットは、いつまでたっても手を引いて歩く小さな男の子なのだ。
エメットもまた、エレーナはいつまでも見上げる姉なのだ。
ただ、子ども扱いは勘弁して欲しかった。
頭をナデナデされながらの、お姉さんのお言葉と言う図は、勘弁して欲しかった。
「ねえちゃん、子ども扱いはやめてくれよ」
「ふ~ん、私にすぐ抱きついてきた男の子は、誰だったかな~」
三つも年上であれば、物心つく前のエメットちゃんがどんなお子さまであったのか、しっかり覚えているものだ。八歳のお姉さんと、五歳の元気な男の子の関係は、十年たっても変わるわけではない。
エメットは、知らぬふりを決め込んだ。子ども扱いをして遊んでいるのだ、この鬼は。
そんな姉弟の時間に、心安らぐ声が降り注ぐ。
「あら、思い出話?」
屋根の上から、ミレーゼ姫が語りかけてこられた。エメットちゃんは、とっさに背筋を伸ばして、のんきな少年から、頼れる男を演出する。
もちろん、手遅れである。
子供の浅知恵に、お姉さんのエレーナはにっこり笑顔だ。いまさら取り繕ってどうするというのか。それがエメットなのだ。
ミレーゼ姫も、優しいお姉さんの笑みだった。
屋根の上からというか、巨人の手のひらから、微笑んでおられた。エメットたちが必死に戦っていた、土の巨人であった。
エレーナは、つぶやいた。
「あれほど必死に戦っていた強敵が………ちょっとふしぎね」
屋根を見下ろす巨人が、目の前だった。
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