第20話 敗北のあと


 不快だった。

 エメットに、不愉快だと思わせる匂いが、漂っていた。

 鉄のような、吐き気を催しつつ、幼い日の悪夢を呼び起こすものだった。

 あれは、大きなお祝いだった。何のためのものか、覚えていない。覚えているのは、いやだったということ。

 大事に世話をしてきた、友人だと思っていたの、解体現場。普段口にする食べるものの正体を知った、衝撃。種族が違うこと、生きるということを意識するようになったのは、それからだったと思う。

 エメットはつぶやいた。


「血の………におい」


 つぶやいたことで、意識がはっきりとしてきた。真っ暗と言うわけではない、明りがあるのだと、うっすらと、目を開く。


「ここ………は」


 おぼろげながら、光景が目に入ってきた。

 違和感が生じた。

 ともかく、自分がいた場所ではないと、記憶が告げていた。意識を失った人物特有の、ここはどこ、私は誰――と言う状態に、エメットは自らに問いかける。

 今まで何をしていたのか、ここはどこなのか、目覚めるまでの、うつろな時間。

 冷たい石畳、地下牢だろうか。


「目覚めたか、新たな魔王候補よ………」


 混乱が増した。

 耳慣れない人物の声。


「いや、まだお寝坊みたいだね」


 またも、知らない声。

 いや、妙に苛立ちを覚える声だ。先ほどまで、必死に戦っていた相手の声だ。

 先ほどまで………戦っていた………


「みんなっ!」


 目が、覚めた。

 倒さなくてはと、エメットは体に力を込める。そのように意識するだけでも、分厚い木製の鎧を身にまとうように、そして、例え縄で縛られていても、引きちぎれるほどの膂力を発揮できる………はずであった。

 出来なかった。

 力を使い果たしたかのようだ。それならばと、せめて戒めを解こうと体を動かし始める。


「おう、さっすが若さ。だけど、残念だったねぇ~………君たちは、負けたのさ」


 道化師があざ笑う。

 相手を笑わせることが役目だろうに、苛立ちが募った。

 理由は、敗北。

 あせり、恐怖、怒り。


「まぁ、自分の手足が付いてることくらい、確認しようね~」


 ぞっとする物言い。

 魔王の僕であれば、無力化させるためにありえる話。恐る恐る、エメットは腕を見た。両腕を、何かで縛られている感覚はあったが、気のせいなのだろうか………


「そう、ちゃんと自分の目で見なさいね~?」


 からかわれただけのようだ。赤面しなかったのは、本当に疲れているからか、混乱しすぎていたためか。

 腕は、付いていた。

 エメットの腕を縛っていたと思ったのは、今まで身を守ってくれていた、手甲だった。疲労でぐったりと、横になっていただけなのだ。

 では、他のみんなは?


「エレーナ姉、姫さま、ラザレイさんっ」


 エメットは、叫んだ。

 何があった、いつ負けた、みんなは無事か。

 血の匂いがした。

 足元は、石畳で、壁も、おそらく石畳だ。まるで、領主の館のようだ。

 エメットは、叫んだ。

 どうか、返事をしてほしいと、願いを込めて――


「みな、ここにいる」


 返事は、隣からなされた。

 ラザレイだった。

 エメットと同じく、床に寝転がっていた。

 いや、座り込んでいた。

 姉と言う鬼も、姫巫女も拘束されることはなく、毛布をかけられていた。さすがに女性を冷たい石畳に寝かせることははばかられたようだ。

 それほど、相手には余裕があるのだ。

 エメットは実力差に、改めて恐怖と怒りを抱いていた。焦っても何もならない、冷静になれと自らに言い聞かせる。そして、エメットは現在の目標である、騎士ラザレイを見る。

 座り込んでいるが、何か機をうかがっているのかもしれないと。

 しかし、ラザレイは本当に、落ち込んで、力なく座ってた。

 まさか、あきらめたというのか。エメットが驚きに見つめていると、弱々しく、ラザレイは一人の男性に、問いかけた。


「勇者シャオザ………なぜ、あなたがここにいるのだ」


 ラザレイらしくない声色だった。

 信じたくないと、そう言っている気がした。

 そして、混乱はエメットにも感染する。


「勇者、シャオザ………?」


 エメットは、自らが口にしながら、混乱した。

 面識などあるわけがないが、それでも、王国の誰もが知っている。それは、魔王の討伐とうばつに出かけた、最も新しい勇者の名前だった。

 そして、誰もが知っている。勇者シャオザは、帰らなかったと。

 それでも、人々は希望と敬意を込めて語り継ぐ。きっと今も戦い続けていると、みんなもあとに続こうと。

 その勇者シャオザが、目の前にいた。

 敵と共に。


「そう、オレは勇者だった………そして今は、魔王と呼ばれている」


 ぞわりと、いやなものが背中をなぞった。

 抗いようのない強敵に捕らえられた、そんなことは些細ささいなこと。

 倒すべき、絶対の悪。

 すなわち、魔王。

 二百年近くにわたり、王国から何人もの勇者を送り込みながら、ついに倒せなかった敵。

 その魔王が、ここにいるのだ。

 それも、行方知れずだった勇者シャオザが、名乗ったのだ。エメットでなくとも、王国の誰であっても、困惑し、否定したに違いない。

 ラザレイがうなだれたように座っていたのは、疲労のためだけでは、なかったのだ。


「シャオザ殿………悪い冗談は………悪い冗談だと、言ってください」


 騎士ラザレイは、言い直した。

 それは、懇願こんがんだった。

 ラザレイにとっては、エメット以上に受け入れがたい出来事に違いない。

 エメットにとって、最初に手本とすべき人物は、対魔騎士ラザレイであった。そのラザレイが、打ちひしがれていたのだ。

 信じたくないと、叫びを上げたのだ。

 エメットこそ、このラザレイの取り乱しようは、信じたくなかった。

 その姿に、言葉に、魔王を名乗るかつての勇者、シャオザは、懐かしいものを感じていた。

 そして、シャオザは答えた。


「あぁ、オレも、そう思ったよ。ふざけるな………ってさ」


 どこか、寂しそうな笑みを浮かべていた。

 そして――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る