第10話 賢者の託したもの



「――エメット、エメットったら………」


 口うるさい、鬼の声がする。

 どこか懐かしい感じがするのは、最近は今までと違うことばかりが起こっていたからだろう。

 やはり、姉は、姉なのだと………


「エメットちゃんっ」

「はいっ」


 エメットは、反射的に起き上がった。

 めったに呼ばない、幼い頃の呼び名である。これは、エレーナが本気で怒っているか、何かが起こったときの呼び名である。


「あれ、エレーナ姉?」


 きょろきょろと、寝坊した十五歳の少年は、あたりを見渡す。

 即座に、姉の顔が目に入った。

 情けないが、これが姉と弟の関係である。鬼と奴隷でもよいが………と、冗談を語る余裕がないことは、両手に持つ武器が教えてくれた。

 手の甲から二の腕を守る鎧の一部、手甲と言う名前だったと思い出す。

 一体化している武装は、短い刃。

 生まれたときから身に付けていたような、不思議な一体感だった。憧れの全身鎧とは程遠いと言うのに、力がみなぎってきた。

 今の力は、これなのだ。なら、今の力の全てを出し切るべきだと………

 力?

 武器?

 エメットは、ぼんやりと周りを見渡した。木漏れ日のまぶしさから、さほど時間がたっていないと分かる。

 エメットは、今度こそ起き上がった。


「賢者様、賢者様は………」


 どのような手段を使ったのか分からないが、自分たちは賢者アルドライのお住まいから、どこかの森に飛ばされたらしい。王都のハズレか、さらに遠くの森かは分からないが、分かったことが、一つ。

 エメットは、手を強く握り締めた。


「ごめんっ、みんな。俺が先走ったせいで、俺………俺………………」


 突然現れた魔王の手先アブオームに、愚かにも、エメットは噛み付いた。

 そのため、自分を、みんなを、守ろうとした賢者アルドライを危険にさらしてしまった。そう思ったための、謝罪であった。


「あんたのせいじゃないよ、エメット………」


 静かに、エレーナが答えた。

 それは、弟の失敗を慰める姉の優しさにも聞こえた。現金なもので、いつもなら反発したい姉の言葉に、今はゆだねたい気持ちになってくる。

 それでも、反発の声が、自分で納得していない心が、絞り出される。


「でも、俺………勝てないって思っても、我慢できなくて………」


 エメットは、抱きしめられた。

 まるで姉のように、エレーナは優しく、強く、エメットを抱きしめた。鬼であれば、いじける弟を殴り、いい加減にしろと叱りつける場面であるはず。

 今は、優しい姉の抱擁だったが、エメットには悲しかった。

 エレーナの代わりに声をかけてくれたのは、姫巫女ミレーゼだった。


「エメット君、自分を責めないで。私達がいなくても、魔王の使いはやってきた。賢者アルドライは、三賢者の最後のお一人だから、きっと………」


 姫巫女ミレーゼは、言葉を続けなかった。エメットが挑発しなくとも、戦うことになっただろうと言うこと。自分たちが加勢をしても、結果は同じだったと言うことを。


「エメット。賢者様は、笑って我らを見送られた。お前の手にも、武具が授けられているではないか。それが賢者様のお心だ。お前も、未来を託すに値すると」


 騎士ラザレイに言われ、改めてエメットは両手を見る。

 ラザレイの武装も、全身鎧に変わっていた。手にしていなかった、幅広い盾に、新たな剣もセットの、騎士と言う完全武装だ。おそらくは姫の護衛としての選択だろう。

 姫巫女ミレーゼの手には、短い剣があった。強い気配があることから、ミレーゼの強い魔力にふさわしい武器のはず。もち手が長いことから、短い矛の印象もある。

 姉の両腕には、いままでなかった腕輪がある。

 それぞれの武具の使い方は、おそらく自分にしか分からないのだろう。エメットの武装もそうだ。全身を強固な鎧で覆うのではなく、突撃し、一番ダメージを追う部位を守るための、軽装備。姉と書いて鬼と呼ぶエレーナにどつかれる日々、鞭のように襲い来る衣の攻撃をよけ続けて身についた、すばやさと言う回避能力を高める選択。

 今のエメットに、最も適した武装だった。


「賢者様の、選んだ武具………」


 重くもなく、硬くもない武具を、そっと握り締める。心に呼応したのか、暖かくなった気がした。



 *    *    *    *    *    *



 次世代の勇者達が、光に包まれて消えた。

 その様子を、舞台俳優を気取ったアブオームはただ、見つめていた。

 本気であれば、その光を阻害することも出来たが、恩師への敬意からか、あるいは勇者達の成長を見定めたかったのか、あえて見送ったのだ。

 アブオームは、光が消えてから、ようやく口を開いた。


「我が師よ………あなたは、彼らの運命を知っていながら、どうして」


 エメットたちの前では黒髪を掻き分け、舞台俳優のような大げさな仕草をしていたアブオームだったが、今は静かにたたずんでいた。

 青年と言うよりも、もっとずっと年長者のようでもあった。

 満足の笑みの賢者は、静かに目を閉じて、いすに座った。


「アブオームよ、まだわしを師と呼んでくれる、可愛いひねくれものよ。お前とて、わしの忠告を無視して、勇者シャオザと共に、旅立ったではないか。あの時は叱ったがの、若者の望むままに旅立たせるのが残された老人の勤めだと、今は思う………」


 舞台俳優のような衣装としぐさの、魔王の使い、アブオーム。

 かつての賢者候補であり、もしも師であるアルドライの言葉に忠実であれば、今頃は若い賢者として、住まいの一つも与えられただろう。

 そして、師とともに次世代の育成をしていたはずだ。

 そして、師の苦労が分かったと、時折茶会に興じるのだ。


「師よ………私は、そんなにひねくれていましたか。若作りが過ぎると、勇者たちには散々からかわれましたが………」


 中性的な顔立ちも手伝い、アブオームはまだ二十台半ばに見える。

 実年齢は、六十といくつか。

 それは、賢者の候補となるほどの、膨大な魔力の作用である。おそらくは、恩師と同じく、長い時間を生きるだろう。命の時間の違いは、別れの回数を増やすことでもある。

 その一つを済ませるために、静かに歩く。


「師よ、私は、あなたともう少し話がしたかった。あるいは、あなたと共にこの屋敷で、止められない悲しみを分かち合うことも出来たかもしれません」


 書棚に向かう。

 どれも古めかしい本だった。賢者アルドライが自ら執筆したものも、いくつかあるようだ。そして、その前の世代の賢者の記したものも。

 王立図書館にすらない、賢者の許可がなければ、手に取ることすら許されない禁じられた書物の宝庫であった。

 一種の封印魔法がかけられているため、ただ手にとっただけでは、白紙の本にしか見えない。

 だが、アブオームはパラパラと、眺めていた。どうやらアブオームには、アルドライの封印も容易に解けるようだ。

 しかし、すでに得ていた知識らしく、つまらなそうに、本棚に戻した。


「我が師よ、どうしてあなたが真実を告げられなかったのか、分かった今こそ、聞きたかった。真実を知りながら私を、私たちを送り出したあなたの心を、耐えてきたことを、全て教えていただきたかった………」


 アブオームは静かにつぶやくが、恩師に向ける言葉の全ては、過去形になっていた。


「………独り言とは………まだ若いつもりなのだがな………………」


 アブオームは、その黒髪を静かにかきあげた。

 おふざけは、相手を挑発し、冷静な判断をさせないというオマケがついている。本人も、相手をからかって面白がる悪癖がある。そうして、下手な舞台俳優が完成していた。

 今のおふざけは、自らに対する、あざけりだった。

 かつて過ごした、楽しい時間。

 危険に満ちた旅路の中にあっても、思ったよりものんびりとした時間が、多かったように思えた。呪いの森も、自分達の実力ならば楽勝だ。ピクニックのようだと、希望にあふれていた戦いの日々。

 戻らない、何も知らなかった、冒険者の自分。


「師よ………もっと早くに、あなたをお迎えに上がるべきでした。あなたの言われたように、私はひねくれ者なのでしょう。お許しください」


 そっと、動かないアルドライの肩に手を置くと、賢者アルドライは、笑顔でうなずいたように見えた。

 しばしにたたずむと、アブオームは王城を静かに見つめる。憎しみや悲しみとも違う、静かな瞳で、王国の象徴を見つめる。


「王国は、箱庭の夢でも見てるがよい。わが師がそのように、判断されたようだから」


 しばらく、懐かしむように部屋を見渡すと、アブオームの姿は、光に包まれた。

 エメットたちが消えたときよりも、はるかに強い輝きだった。


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