第9話 賢者アルドライの弟子たち


 エメットは、となりの姉を見つめた。


「姉ちゃん………止めてあげなくて、いいの?」


 久しく孫娘がたずね、うれしさが止まらないご老人と、抱きしめられて、迷惑この上ない孫娘様と言う光景が広がっていた。

 姫様は、とっても迷惑そうだ。

 エレーナも、困った笑みだ。


「一応、姫様が物心つく前からのお知り合いだから………」


 幼子扱いにうんざりするミレーゼ姫は、今年で十七歳なのだ。なのに、七つの幼子と同じ扱いであれば、ご機嫌も悪かろう。それでも、お願いを聞いてもらわねばならない立場上、むげには出来ないのだ。秘密の旅立ちだと告げた上で、魔法の武器と言う貴重品をねだるという立場が、今の面白い状況を生み出していた。

 いや、姫巫女様は、さすがにご老人の手から引き離しにかかった。


「賢者様、ご挨拶はこれくらいにして頂けるとありがたいのですが………」

「おぉ、おぉ、すまぬな。久しぶりに来てくれたのでな」

「ほんの、二日ぶりですけど………」


 白いお髭を蓄えたご老人は、楽しそうにミレーゼの頭をナデナデしていた。あきれたような姫様の気配も無視されるとは、さすがは賢者様だ。エメットたちは、傍観者になるしかなかった。

 そこへ、ようやく騎士ラザレイが介入した。


「賢者アルドライ………姫様が念話でお知らせしたと思いますが、極秘かつ、急を要するのです。即座に協力をお約束いただき、感謝いたしますが、そろそろ………」


 いくら姫の護衛といっても、ラザレイは対魔騎士に過ぎない。目の前の偉大なる魔法使いに口を挟むのは、かなり勇気が必要なのだろう。決して、子ども扱いされるミレーゼ姫が可愛いく、面白がっていたわけではないはずだ。


「わかっておるよ。古き民など、久しく耳にしなかった………武器がいる、魔王の手の者が動いても、立ち向かえる武器が………ミレーゼや、お前はちゃんと、先を見据えることが出来るようじゃの。かつての弟子もな――」


 まぶたを細め、天井を見つめる賢者様。あぁ、これは長くなると、互いを見つめるエメットたち。どうしようと言う、目と目の相談だ。

 だが、その必要はなくなった。


「――勇者シャオザと共に冒険に出かけ、帰ってこなかった。申し訳ありません、我が師よ。しかし、あなたの裏切りもまた、ほめられたものではありまぬぞ」


 全員が、入り口を振り向く。

 王都だからと、油断をしていた。改めて警戒する中、賢者アルドライだけが、変わらぬ態度で訪問者を迎えていた。


「アブオーム、久しぶりよな………」

「本当に、お久しぶりです。わが師よ」


 スマートな体系に合わせたぴっちりとした衣装で、胸元が大胆にはだけられている。目立ちたがりなのか、首輪に腕輪、そして指輪と、ちらほらと宝石がきらめいていた。

 下手をした、舞台俳優のような青年だった。

 だが、『わが師』――と、言っていなかったか、この舞台俳優は。己のスタイルに自信がある者しか身につけない衣装に、エレーナなどは、引き気味だ。

 だが、賢者アルドライは動じることなく、懐かしそうだった。


「アブオームよ、わが弟子よ。今からでも遅くはない、ワシに代わって、この王国の賢者とならぬか。幾人か育ててみたが、みんな先にってしまう………」


 それどころか、すがるような気配すらあった。今までの賢者アルドライの態度とは変わって、とても頼りなく見える。巨大な松明と思っていたが、もはや燃え尽き、ほのかなぬくもりだけを放つ残り火のようだ。

 エメットは、信じたくなかった。

 だが、もっと信じたくない言葉は、訪問者から放たれた。


「わが師よ、私も、あなたを置いて旅立った身ですよ。そして今は、魔王様の忠実なしもべです」


 エメットは、耳を疑った。

 かつては賢者アルドライの弟子であり、後継者だったと言うのだ。

 しかも今は、魔王の僕だ。

 エメットをはじめ、全員が信じられないという驚きで動けなかった。一番衝撃を受けているのはミレーゼ姫だろう。

 舞台俳優アブオームが、こちらを向いた。


「ところで、あの子達が今回の勇者一行ですか?」


 ふざけた姿に見えても、賢者アルドライの、かつての弟子なのだ。魔法の力を高め、賢者アルドライより強い魔法を扱えるのかもしれない。

 エメットのあこがれの騎士、ラザレイでさえ対応できない強敵なのだ。

 予感したのは、旅の終わり。

 始まる前の、旅の終わり。

 物語では決して許されない展開だろうが、それは、物語だからだ。現実には、より悪いことが、いくらでも起こりうる。語られない物語のほうが、多いのだから。

 アブオームは、目を細めた。


「むごいことを………あなたの差し金でないと、信じたいですね。裏切りだけでは、飽き足りませんか」


 突然の言葉に、理解できなかった。

 師である賢者を裏切ったのは、アブオームの方ではないのか。姫の姿を見つめていた気がしたが、すでにエメットは叫んでいた。


「だまれっ、賢者様は、この王国を大切に思い、つくしてきた立派なお方だ。その賢者様を裏切ったのは、あんたのほうだろうっ」


 この役割は、本来は姉のエレーナのものではなかっただろうか。エメットは思いながらも、言葉は止まってくれなかった。

 いや、止まった。

 賢者アルドライが、軽く手を差し出したのだ。

 そしてアブオームは、愉快そうに笑った。


「ふ………ふははははははっ………我が師よ、これは失礼した。なるほど、なるほど、本当に、新たなる勇者の一行か………ははははははは」


 舞台にでも出ているような衣装で、舞台俳優のように黒髪をかきあげて、笑った。

 そのまま後ろにふんぞり返り、窓から転がり落ちてくれ。エメットは本気で願いながら、なぜか怒りが湧かないことに気づく。

 騎士ラザレイも、姫巫女ミレーゼも、すぐに怒る姉、エレーナもまた、アブオームが笑っている姿を、ただ見つめていた。

 分かった。

 違和感の正体、悲しみが伝わってきたためだ。


「なるほど、なるほど、話は無用。かかってくるなら、とっとと来やがれ。それでこそ、勇者というものか………」


 エメットは、余計なことをしたと気付き、罪悪感が起こった。

 本来は話し合い、あるいは忠告をするだけで立ち去ったかもしれない相手に、わざわざ挑んだのだから。

 失態を取り戻そうとする焦りが、戦う意欲に変わる。エメットの戦意にあわせ、エレーナはエメットの防御のため、己の衣をまとわせた。魔法の力が込められた布であり、一種の魔法の武具である。

 さすがは姉弟だ。防御力はエレーナが、エメットは、攻撃にだけ集中できる。これが、現在のエメットの全力を出し切る姿であった。

 数秒に満たない時間だが、アブオームは、ただ見つめているだけだった。

 待ってもらったというのが、正しいようだ。アブオームは静かに口を開く。


「騎士君と妹………巫女様は、準備をしなくていいのかな?」


 姫を妹呼ばわり、ラザレイの妹に見えたのだろうか。エメットの疑問はわずかで、すぐに怒りに変わる。エメット、エレーナ、そして騎士ラザレイと姫巫女ミレーゼの全員が相手でも、余裕と言う態度なのだ。

 エメットは、覚悟を決めた。

 倒すことは出来なくとも、賢者様は守ろうと。

 格好をつけたわけではない、自分がアブオームの気を引く間に、姫様たちが動いてくれると。

 その覚悟は、無駄になった。


「少年よ、死に急ぐな」


 賢者アルドライが、優しく告げた。

 戦意が、消えた。

 無用なものだと、自然と引き下がったのだ。

 賢者と呼ばれる人物、アルドライがその姿を輝かせていた。周囲には盾や剣、背丈ほどの小型の槍、そして腕輪に、そして――


「なぁに、大きな衣服でも、いずれ合うようになる。まだまだ伸び盛りだからのう」


 エメットたちが耳にした、賢者アルドライの最後の言葉だった。


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