第7話 王と、賢者


 木漏れ日が、内庭の石畳に優しい影を落としている。

 夏ならいいが、早春の今は、まだ寒い。石造りの内庭である以上に、巨体に育った大木の木陰のためであった。樹齢二百年を越えるという大木は、石畳を粉砕して、なお成長中だ。

 ここは王宮において、国王しか立ち入ることの出来ないプライベート空間。木製の椅子に座るのは、ベロイ王国の現在の国王、ドルト陛下だった。

 そこへ、ご老人が近づいてきた。


「王よ、姫の姿が見えないようだが………」


 真っ白なお髭に、真っ白な髪の毛を伸ばすままに伸ばしたご老人だった。

 国王の許可がなければ、入ることが出来ないはずだが、まるで近所の若者に対するような気軽さだ。

 ドルト王は、振り向いた。


「賢者アルドライ………例によって、村のほうでしょう。子守の騎士ラザレイも、あわてて飛び出していきました」


 驚くでもなく、ご近所づきあいの気安さだ。

 気の長くなるほどの年月を生きたご老人は、真っ白なお髭に、真っ白な髪の毛を伸ばすままに伸ばしたご老人だった。

 そんな賢者アルドライが気にかける姫とはただ一人、姫巫女ミレーゼだ。幼い頃より姫巫女と呼んで可愛がり、半ば公式なミレーゼの呼び名となっている。

 気のいいご老人は、楽しそうに笑った。


「ははは、おてんばエレーナは、数少ない友人だからのう。あの子はまだまだ、遊びたい盛りと言うことか」

「申し訳ありません。そろそろ、あなたの下で過ごすべきでしょうに。今の時代の、唯一の賢者候補なのですから………」


 困ったような笑みで、国王は頭を下げた。

 父親としての心配も含まれていたが、王としては、賢者候補でもあるミレーゼ姫の身勝手に頭を悩ませてもいた。

 最強の魔法使いといっても不老不死ではなく、後継者の選定と決定、お披露目が望まれていた。

 その最有力候補が、姫巫女ミレーゼであった。

 現在、無断でお出かけの最中の、おてんば姫だった。


「何も、手元で守るばかりが育て方ではないとも。かわいい子には、旅をさせよと言うしの。まぁ、旅に出たきり、帰ってこないこともあるが………無事を祈るくらいだ、出来るのは」


 寂しげに、笑った。

 父王にとっては、放蕩娘ほうとうむすめの心配。老人にとっては、孫娘同然の少女の心配。そして、旅に出たきり、戻らない弟子のその後も――

 王は、賢者から目線をそらして、大木を見上げた。


「自愛王の時世が、返す返す恨めしい。私が語るのはおこがましいですが………」


 賢者も、ならって大木を見上げる。

 いまも成長中で、このまま庭を埋め尽くす勢いだ。ここまで大きくなるとは思わなかったという、植えたご本人であるアルドライも、驚きだ。

 王国の歴史も、賢者アルドライに取っては思い出話であった。


「望んだのは、民だ。そのツケを払おうとした暴虐王は、短い時世に終わった。そんな時世を引き受けた氾濫王は、気の毒としか言いようがなかったぞ」


 アルドライの生きた日々は、王国の歴史ほど長く、むなしいものだという。明かすのは、ごくわずかなる、心を許した相手。

 その一人であるドルト王は、うつむきがちに、口にした。


「その結果が、魔王の誕生、ですか………」


 わずかに、場の空気が固まる。

 暖かな太陽の恩恵は、穏やかに内庭を照らし、木陰は強く影を残す。しかし、賢者アルドライはその影を背負い、とても穏やかだった。


「はっ、はっは………人々の不安は、魔王が引き受けてくれたわ。代償に、王国の日々は、穏やかだ………勇者は、その息抜きよ」


 悔しげに、ドルト王は頭をたれる。


「先のシャオザ一行も、結局誰も戻らなかった。大切な後継者をお出しいただきながら、申し訳なく思っております」


 臣下が見れば、騒ぎが起こる姿である。国王ともあろう者は、軽々に頭を下げるべきではないのだから。

 だが、頭を下げずにいられなかったのだ。相手は、国王が頭を下げるにふさわしい重鎮である。王国が誇る三賢者の最後の一人、賢者アルドライなのだから。


「王よ、それを言うなら、弟子を止め切れなかったワシにも責任はある。お前一人が責任を問われることではないのだ。そう、本来は………」


 続く言葉を、賢者は飲み込んだ。

 そう、本来は王に全ての責任を押し付けるべきではなく、王の決定には、民の欲求が影響を与えるのだ。

 栄光も、挫折も、恨みも、願いも、何もかも。

 自分は何も出来ないのだと、ドルト王陛下は笑みを浮かべていた。


「ご存知ですか。私が『無能王』と呼ばれていることを。歴史に名前を残すときに、これほど穏やかな蔑称はありますまい」


 王の自嘲に、今度は、賢者が笑った。何も出来ないと嘆いているのは、お互い様なのだ。

 アルドライは、いまだに後継者を育て上げていない。もしも今、アルドライがいなくなれば、王国はどうなるのか。

 では、血筋だけで王座を得た国王は、何をよりどころとすべきなのか。


「姫がその気になれば、このを滅ぼすことも可能なのだ。森の魔女といわれた我が第三夫人、あの子の母からは、何も聞かされていないでしょうが………」

「案外と、分かっているかも知れぬぞ?子供は、いつまでも幼い子供ではない。だらこそ、あの子は無力を装っているのかもしれんわ。血はつながっていなくとも、そなたの娘よ」


 王は、久しぶりに笑った。

 賢者も、にこやかに笑った。

 互いに慰めあうのではなく、たまらず、愉快であった。


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