第6話 ミレーゼ姫
自分達の住まいに、憧れのミレーゼ姫様がおいでになった。エメットにとって、心が弾む一大イベントのはずであるのだが………
実際には、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
貧しい小屋の住まいが、恨めしい。鬼仮面たちの協力によって改築された新築でも、お姫様をお茶会に呼べるほどではないのだ。
だが、姫巫女ミレーゼの目的は、お茶会ではない。出されたお茶を優雅にすすって、姫巫女は話を続けた。
「ベライザ領の領主が、古き民――鬼仮面さんたちの土地を奪った………真実は置いて、その噂だけでも、大変よ。言葉を切り取って広めれば、内乱よ?」
話題は、国家存亡の危機だった。
すなわちこれは、極秘会談。
大げさであるが、エメットの印象としてはそれなのだ。
「噂一つで国が傾く………ありえない話じゃないから、困るわ~………」
鬼と言う姉は、他人事のように、出された軽食をかぶりつく。
さすがに下着姿ではなくなったが、普段のがさつな姉の態度である。まるで、友人と世間話をしているような気軽さだった。
だが、村娘の話題にしては、重すぎた。
もちろん、どちらも世間の枠から外れた、巫女様である。エメットには複雑であるが、エレーナと言う鬼の名前は、広くとどろいているらしい。
姫巫女ミレーゼと、肩を並べるほどの存在が、うらやましいというか、悔しいと言う気持ちのエメットは、お姉さん達を見つめていた。
ミレーゼは、カップを置く。
「エレーナ、これで決まりね。先代のベライザ領主が暗殺されたって話は………地位への欲望は、いつでも事を大きくするから………」
「あぁ、家臣一同が大幅に入れ替わったってヤツね………ミレーゼにもあったからね、そういうこと………」
エメットは、いきなりの言葉に息を呑む。
『先代のベライザ領主が暗殺』
『地位への欲望』
『ミレーゼにもあった』
何があったのか、ミレーゼ姫が、継承者争いに巻き込まれたという話に聞こえる。
会話をジャマしないようにお茶をすすっていたのだが、驚きに、カチャリと、音をさせてしまった。
お姉さん達の視線が、エメットに集まって、気まずい。
仕方ないと、エレーナが昔話を始めた。
「暗殺事件があったの」
それは、鬼と言う姉エレーナが、姫巫女ミレーゼ様と友人となるきっかけだった。
姫巫女ミレーゼの生まれは、姫である。
正しくは、現ベロイ国王ドルト・ドゥム・ファーネイトの第三夫人の、一人娘だ。王位継承権はありながら、何人も姉や兄がいれば、回ってくることはないだろう末の娘だ。
加えて、ミレーゼは巫女の資質が高いために、幼くして地位を捨てている。そのため、ミレーゼとしては、継承争いと無縁と言う気分だった。
だが、周りは勝手に盛り上がる。
幼くして地位を捨てる控えめな性格と、賢者に次ぐ魔力が、女王の到来を希望させた。
賢者候補といわれるほどの魔力でも、あくまで個人としての才能だ。民を守るには不足で、せいぜい数百人を守る程度という。それでも、ただの娘に過ぎない姫君たち、王子に比べれば十分すぎた。
そういった理由で、暗殺という宿命を経験していたという。
エレーナは、窓から外を見つめた。
「私も、最初はお姫様だった子………程度にしか思ってなかったの。いっつもお上品に笑ってて、何でも一生懸命で、でも、それも当たり前のことだってね………」
それは、二人にとって残る、小さな痛みのようだ。悪意がなくとも、距離をとらざるを得ないと、意図せず傷つけていた過去。
エメットとエレーナの二人も、村では特別扱いであるため、少し分かった。
姫巫女ミレーゼも、寂しかったようだ。
「嫌われたんじゃないかって、なんでなの――って思ったわ」
「こっちは、嫌われたらまずいかな、どうしよう――って思ったわよ」
ミレーゼ姫と、鬼と言う姉が、女の子のような語り口で思い出話をしていた。今では考えられないが、距離しかなかった頃もあったのだ。
だが、何事にも始まりはあり、きっかけがなければ、始まらない。
では、そのきっかけとは何だろう。
村にいる、魔法使いの子供同士。それが、エレーナとエメットの関係の始まりだ。先に姉が生まれたため、弟と言う奴隷が宿命付けられたとも言える。
ミレーゼ姫とエレーナとの関係は、単に大勢いる修行仲間の一人だったようだ。
しかし――
「一人になることが危ないことって、分かっててもねぇ」
エレーナは続けた。
ある日、姫巫女ミレーゼは、一人になって泣いていたと言う。エレーナがその姿を見たのは、本当に偶然だった。だが、驚いたと言う。
思ったことは、罪悪感。
忘れがちであるが、王族も人である。思うままにならないなら、怒ったり、悲しんだりしたいのだ。
同時に、許されることではないのだ。王族の人間が、弱さをさらすなど。
人々の上に君臨し、臣民の命を左右するのだから。
「そこを、狙われたのよ。ずっと観察していたんでしょうね」
本題に入った。
暗殺事件。
そして、友情の始まり。
エレーナは、ふっと遠くを見て、つぶやいた。
「無残よね、人の運命って………」
一言で終わった。
エメットは、エレーナが何かしたと結論付けた。エメットの数倍の魔力を誇るエレーナは、自ら生み出した魔法の布で、強力な炎の鞭を生み出せるのだ。ひらひらな布の見た目にだまされてはいけない、エレーナの生み出す鞭の一撃は、大木の一撃に匹敵するのだ。
しかも、高熱を発生させることもできる、炎の鞭だ。賢者と呼ばれる強大な魔法使いを除いて、最強と言う存在だった。暗殺者ごとき、ゴキブリのように
実際は、違ったようだ。
なぜか、姫巫女ミレーゼが縮こまっていた。
「言わないで。だって、アレは必死で………」
隠したい過去のイタズラを暴露された。そんな印象で縮こまっていたが、あれ、おかしいとエメットは固まる。
なぜ、おしとやかで、理想の姉と言う姫巫女様が縮こまるのだと、疑問が湧く。
エメットは、鬼と言う姉がやらかしたと、勝手に結論付けたのだ。
なにさらすんじゃい――と、炎のムチを振り回し、暗殺者が無残なことになった。ついでに、神殿の壁も崩壊して、巻き添え被害もあったに違いないと………
間違いだと、判明した。
エレーナは、にっこりと笑っていた。
「聞いてよ、この子ったら、怖いのよぉ~………」
友達の悪事をバラす楽しさを、ようやく得たかのような笑顔だった。
確かに、王族内のごたごたなど、誰かに語れば大変だ。話の性質上、誰にも明かすことが出来ないだろう。
だが、事ここにいたっては、許されると判断したようだ。
しかし、姫巫女様は、にっこり笑顔であった。
「エレーナさん?ナイショだって………言ったでしょ?」
どうしたのだろう、エメットは寒気に震えた。
姫様のふわふわピンクのロングヘアーが、いつに増して、ふわふわと揺らいでいた。
これは、決して気のせいではないと、エメットは思った。鬼に
そう、氷だ。
姉の怒りを炎と例えたなら、姫と言うミレーゼの微笑は………
鬼は、あわてた。
「そ、そうね………だめよ、エメット。女の子の秘密を暴こうとしちゃ」
こっちに話を振らないでほしい。
エメットは、静かなまなざしをエレーナに送ったが、もちろんエレーナはごまかした笑顔のままだ。どうしたの――と、小首を傾げて、腹立たしい。
しかし、エレーナほどの鬼が恐れるとは、なにをしたのだ、姫巫女様は。
答えを導き出すのも恐ろしい、固まるエメットに、姉は命じた。
「あら、大変。お茶が冷えてしまったわ。エメット、悪いけど、淹れなおして」
エメットは、エレーナの命令に逆らったことはなかった。無言で立ち上がると、忠実なる弟と言う奴隷のエメットは、食器をお盆に載せた。
いや、載せようとしたのだが、思わぬ食器の温度に、手が引っ込んでしまった。鬼の所業ではないと、エメットは、静かに、姫巫女様の顔を見る。
にっこり笑顔が、そこにある。ふんわりピンクのロングヘアーが、ふわふわと風にあおられていた。
エレーナと言う姉に助けを求めると、ごまかし笑顔で、にっこりと笑っていた。
エメットは、改めて食器をお盆に載せることにした。無言で、給仕のように丁寧に、すばやく、何事もなかったかのように――
弟としての本能が告げていたのだ。姉が微笑んでいるうちに、命令に従わねばならないと。しかも今回は、二人分なのだから。
「少し、待っていてくださいね」
姫巫女ミレーゼの前だというのに、笑顔がかじかんだのは、初めてだった。
なぜか、姉に逆らうなと言う本能が、ミレーゼ姫にも発動したのだ。
疑問を強引に無視したエメットは、立派になった台所へと向かった。以前は木作りの簡素なものだったが、鬼仮面たちがいい仕事をしてくれたのだ。土を操る魔法を用いて、立派な石造りの台所になっていた。
罪滅ぼしの意味もあったのだろう、立派な台所でお盆を置いて、お湯を沸かす。時間を要するため、エメットはふと、食器に触れた手を見つめた。
霜焼けをしなかっただろうかと、食器に触れた凍えた手を、そっと見つめていた。
ついでだと、お湯を沸かす火に、手をかざす。
かじかんだ手が、緩んでいく。
「寒かっただろうな、襲撃者………」
なにが起こったのか、なんとなく分かった。
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