第5話 旅立ちの朝


 朝焼けの空を、新築の窓辺から見つめている少年がいた。

 ダークブラウンの短い髪の毛に、深く澄んだ青色の瞳の十五歳の少年、エメットは、荷造りの最中だ。


「運命の出会いから、勇者は旅立つ………か」


 鬼仮面たちとの出会いから、もう、翌朝だ。

 すでに鬼仮面たちは旅立っている。もちろん、エメットたちの小屋を建て直したあとでだ。

 待ち合わせ場所は、目的地のベライザ領との境と決定された。鬼のボスであるエレーナは、見事に鬼達を従わせていた。

 ただ、ちょっと不気味だった。これから遅い来る運命と言うか、旅立ちは、エメットの暴走の色が強い。子供っぽい正義感から、何とかしようと言う叫びである。お姉さんぶって、ストップをかけるのが、姉と言うエレーナなのだ。

 今回は、むしろ率先して動いていた。


「いつもはダメだって言うのにさ………」


 何を企んでいるのかと、ちょっと不気味だ。。

 そんな疑問を胸にしまいながらも、手を止めないエメットは、よい奴隷である。旅行用のリュックに、衣服や下着を詰め込んでいく。

 ただし、エレーナのものだった。

 幼馴染とはいえ、十五歳男子が十八歳女子の下着を含めた荷造りをする姿には、首をかしげるのが一般常識だろうか。

 だが、どちらにとっても、相手は異性ではなかった。

 幼馴染とは、そういうものだ。

 少なくとも、二人にとってはそういうものだった。


「仕方ないでしょう。あんな話を聞いて、無視するほうが無責任よ………てか、なにを勇者の旅立ちみたいな雰囲気作ってんのよ。ただの調査よ、調査」


 エレーナは衣服を両手に持って、衣装合わせに忙しい。

 この様子だけを見れば、家族旅行の準備にも見えるだろう。並みの巫女や騎士見習いには贅沢であるが、エレーナは並ではなかった。エメットも、並ではないとつい最近、トーナメントで証明されたばかりである。

 だが、言うべきことは、言うつもりだった。


「ところで………それ、全部持ってくつもりかよ………」


 どう見ても旅のリュックに入りきらないだろう、大量の衣装が散らかっていた。さもしい村娘としては、ありえない大量の衣服だ。

 エレーナが優れた巫女であり、数多くの貢献こうけんをしてきた証であった。

 貢献こうけんには、報酬があるのだ。

 エレーナの場合は、女の子と言うことで、衣服の贈り物が多かった。エメットは、オマケと言うことでご馳走の恩恵を得ることが多かった。

 着せ替え人形になるという対価も、もちろん払った。

 その後のお洗濯と言う対価も、もちろん払った。

 村で身につける機会がなく、大切に箱に保存されていたが、今こそ出番とばかりに、全てがベッドの上に寝転がっていた。

 エレーナは答える代わりに、エメットの所業に、気がついた。


「あぁ、その下着、高かったんだから、そんな隙間を埋めるようにしないでよ。しわになっちゃう」

「荷造りの常識だろ――ってか、下着のしわくらい、気にすんなよ」

「なによ、見せる男がいないだろって顔で………」


 分かっているではないか――と、エメットは口にしない。姉が、鬼のようにお怒りになるのだ。

 なお、性別としてはエメットも男であるが、当然、男という分類には入らない。弟と書いて、奴隷という身分である。

 加えて、衣装を選んでいるエレーナは、下着姿である。お着替えの真っ最中ということだが、どちらもまったく気にしていない。

 鬼は、腰に手を当ててお姉さんぶった。


「女同士ってね、相手の身に着けるものを細かくチェックするものなの。下着だからって、油断しちゃだめ。しわの一つでもあったなら、そんなことも出来ない女だって、たちまち村中の噂になるのよ」


 エメットは、かしこくも沈黙を守った。

 村の誰もが知っている。この鬼には、女としての素養が皆無であるということを。料理をさせれば材料の無駄であり、衣を縫わせれば、ぼろきれに成り下がるのだ。

 魔法の力があるため、幼馴染コンビの弟という役割は、こうして決定された。

 召使めしつかいだと。

 奴隷だと。

 奥様に混じって炊事洗濯すいじせんたくに精を出しているエメットは、おかげで村娘達からも、男子という分類からは外されている。よくて、お友達なのだ。

 訂正、女友達なのだ。


「だから、ほら」


 ほら――じゃない。

 エメットは思った。

 目の前の鬼は、なにを思ったか、ポーズを決めたのだ。窓からの風で、水色のロングヘアーがさらさらと踊り、どうだ、美人だろうと自慢していた。

 腰を軽く横に突き出し、それなりに豊かな胸を張り出し、自らのスタイルのよさを強調するお姿であった。

 女性であれば。


「腰、痛めたのか?」


 殴られた。

 照れ隠しではなく、エレーナの挑発ポーズに対する、エメットの純粋なる感想であった。

 これが、見知らぬ女性が相手なら、間違いなくどぎまぎする十五歳男子であったが、ここにいるのは、姉と書いて鬼と読むエレーナである。

 なれば、姉ちゃん、腰を痛めたのか――と、本気で思うものなのだ。

 まぁ、エレーナとしても、エメットを男として認識していないために、このような無防備な姿をさらすわけであるが………


「本当に、仲がよいご姉弟ですわね………」


 窓辺から、声がした。

 エメットの心臓が、跳ね上がる。

 この声の主が分からなくては、臣民とはいえない。いや、男とはいえないだろうと思うお相手が、声をかけて下されたのだから。

 エメットは、キリっとした男子のお顔で振りむい――


「ミレーゼ、どうしてここに?ラザレイ様は………よし、いないわね」


 みつけられていた。

 下着姿の、姉の尻がどっかりと、エメットの背中を押さえつけていた。

 人扱いですらないのが、弟という名前の奴隷である。エメットが振り向いたところ、エレーナが滑り込んで踏みつけ、窓辺からお姫さまを出迎えたのであった。

 せめてと、四つんばいの土下座スタイルのエメットが顔を向けると、天使がいた。

 ふわふわピンクのロングヘアーに、黄金の瞳のやさしそうな微笑が、そこにはあった。

 服装は、足首までを隠す質素なフードつきのローブ姿であるが、ローブの下は村娘との違いを教えてくれる。ちょっとした会食に出てもおかしくない服装のはずだ。

 姫とはたとえではなく、ベロイ王国の王家の血を引く、お姫様なのだから。

 年齢は、鬼と言う姉の一つ下の、十七歳である。


「どうしても、あなたに会いたくて………」

「だからって、あなたは地位を捨てていても、お姫様なのよ」

「念話で事態を報告したのはあなたよ。もちろん、父達にはまだ内緒。ラザレイには知らせたけど………今ごろは対魔騎士の仲間に、さりげなく探りを入れてる頃よ」


 正しくは、現国王の第三夫人の一人娘である。巫女の素質が高いために地位を捨て、巫女の道を選んだためについた呼び名が、姫巫女だった。

 数年前、修行仲間だとエレーナに紹介されてより、あこがれのお姉さんだった。

 どこか険しさが口調に含まれることで、話が深刻だと表している。


「やっぱり、伝えられないか………」


 エレーナは、いらだたしげにつぶやいた。

 やっぱり――と。

 深刻なお話をしているのだ。この際、弟という奴隷をイスにしていることは気にしてはならない。


「実際に報告をしたら、違うお答えが帰ってくるかもしれない。だけど………」


 姫巫女様も、なぜかこの状況に疑問を持っていないようだが、気にしてはならない。

 そう、些細ささいなことを、気にすべきではないのだ。例え憧れのお姉さんを前に、無様な奴隷の姿をさらしていても、エメットは動いてはならぬのだ。

 今は、椅子なのだから。


「王国としては、今回の事態をもみ消すために鬼仮面さんたちを皆殺しにするかもしれないわ。考えたくないけど、事態を知ったあなた方二人も」


 思わず、顔をあげそうになって、姉の足に邪魔をされる。

 さすがに下着姿が恥ずかしい、という可愛らしい理由ではない。姉ちゃんが話しているのだ、邪魔をするな――という、暴君の所作である。


「混乱を防ぐ立場としては、そうでしょうね」


 弟という椅子に座って、エレーナは考え込む。

 顔を上げることを阻まれながらも、エメットは、大人の話についていけないお子様を演じる。王国の残酷な一面を初めて知った、その驚きは少なくなかったが………


「ところで、その座っている――」


 ミレーゼ姫は、ようやく気づいたかのように、椅子に目線を移す。さすがに、哀れに思っているのだろう。そして、鬼と言う姉に注意をするのかと、期待するエメット。

 だが、期待を踏みにじるのが、エメットの背に座る鬼である。


「あぁ、ごめんなさい。お客様を立たせたままだなんて」


 違うだろう。

 さすがに、違うだろうと、エメットは心の中で、雄たけびをあげた。

 もちろん、心の中限定であり、実際に雄たけびを上げるどころか、文句を言うことすら、危険だ。


「ほら、エメット、お客様にお茶をお出ししなさい」


 鬼は立ち上がると、椅子いすに向かって命じた。

 椅子いすは、静かに立ち上がった。


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