第56話 扇動

 ベールが物陰に潜む中、災いと神の会話は進められていた。


 鵺は眉間にしわを寄せ、目元を歪ませながら静かに言葉を発する。


「ああ、貴様らは変わらぬな。望む結末以外には目を向けぬ」


 深い憎しみを露わにした彼に臆することなく、むしろ笑いながら“情報の神”は接した。


「負ければそれまで。それはお前も知っているでしょう?」


 さらに歪む敵の表情に興味を失った彼は、顔の向きを動かし池を眺めた。

 互いに強力な存在であるから、本性を映す性質が強い『虚像』も偽ることができる。『人間』として池に映る自身を見て、さらにクスッと笑った。


おれたちの密約は『互いを黙認しあう』です。おれはちゃんとお前を黙認しています。気に入らないなら破棄しますか?」

「今の神秘なき世界。吾が放たれることでどうなろうか。互いに万全でないからこその密約であることを忘れるなよ」


 神の表情が一瞬力む。

 その揺らぎを鵺は逃さなかった。


「国の概念を保つ楔である人間は『国守り』の意義を失いつつある。それに連なり、貴様らの干渉力も薄くなっている。

ハハ、待つだけでもくたばりそうだなぁ貴様らは!」


 彼のぎらぎらと赤い瞳が、ゆがみきった笑顔が、神の余裕を剥いでいく。


「全盛期を迎えつつある人間の世まで、おれたちは存在を残した。外の世界まで認知は及んでいます。数多の概念が育ちきっていなかったいにしえとは異なりますよ」

「くどい。はっきり言え。吾ら⋯⋯否、“廻郷”とは違うと言いたいのだろう?

迫り来る忘却から目を背けるさまは滑稽であるな!」


 鵺の言葉は、神を憤慨させるのに十分だった。


おれたちはアレのような、惨めさも醜さも持ち合わせていない。己の敗北を認められず、時にしがみつく穢れではない。

神はです。

アレは過去の残渣物ざんさぶつでしかないでしょう」

「その残渣物の対処すら遅れているのが現実であろうが」

「お前こそ計画とやらを停滞させて、おれと密約するに至る状況ではないですか」

「⋯⋯“神眼”で知ったな、貴様」

「はい、最高傑作ながら失敗作の刀、“春呼”の動き、そしてそれを握りながら生還した者の存在は、解決の糸口ですからね」


 数多の地球生命体の『継続に関する願い』を元に作られた初代“願武器がんぶき”・春呼。地球に芽生えたモノ、地球に身を置くモノ、地球に干渉するモノがそれぞれ力を合わせ作成した刀。

 携わった彼らは誰1人として名乗りを上げなかった。『伝聞』の役目を背負ったある神のみが、その武器の在り方を知っていた。


 想生歩の大元の姿である『◾️◾️◾️◾️◾️』も、平安のある時代をへて鵺も、その存在を知っていた。

 しかし、誰も肝心なことがわからなかった。


【春呼の“本来の性能”と、それが行う『継続』の役割】


 春呼を唯一生きたまま使用した男『乱影』は、神の類までも斬ることができた。


 不完全なままでも、『神を斬る』驚異的な性能を持つ刀。

 本来の性能に不安要素が多くあるが、それでも神にとっては希望の存在であり、“負”にとっては恐ろしいものだった。


「今確定した情報だけでも十分です。おれたちは廻郷を切り今度こそ排除します。ヒトを使う方法はいくらでもありますから」

「その前に吾が彼奴を『完成』させる。この国を貴様ら諸共踏み潰してくれよう」



 いがみ合う両者の会話を、ベールは口に手を当て、少しでも物音を起こさないように縮こまって聞いていた。


 情報屋の少年が『神』と呼ばれる類であったことも、彼らにとって風成が消えるべき存在であることも知った。


 自分が縛られている現状でも、他に彼女を排除したい強力な存在がいることは嬉しい、はずであるのに。


 息が乱れていた。

 目元が熱くなっていった。

 『女魔法使いベール』ではない思考回路が、心が、奥底から滲んできた。


 震える嫌いな自分の手先。男の体であることを知らしめるその手に、あるはずのない温もりが伝う。


 大嫌いたいせつなその小さな幻を、肯定したくて、愛でたくて。


 しかし幻は跡形もなく現実に溶ける。


(あ⋯⋯)


 頬を伝う雫はとまらない。次々に溢れ出し、視界も滲んでいく。


 ぼやける視界は、また新たな幻を見せた。


 ほんの一瞬、遥か昔の着物を着ている、従妹に似た海色の女性が振り向く瞬間。顔を見る前に、邪悪がこもった少年の声が後ろを通り意識を今に引き戻した。


「あぁ、そういえば、待ち合わせしてたわ」


 亜信が指でパチンと音を鳴らした瞬間、想生歩は小さく声を上げた。


「お前⋯⋯やってくれましたね。そこのヒト、出てきなさい」


 ベールはかけられた呪いが解かれたのだと理解した。震える足を必死に動かして、物陰から彼らの前に姿を見せた。


「他言無用。それを守れるならば何も手は下しません。全て卑劣な鵺の企てということは理解していますので」


 彼のことを挑発するように亜信が言葉を続ける。


「これが勝負であるならお前は負けだろ。敗北はそれまでってテメーで言ってたじゃん」

「⋯⋯チッ」


 そのまま想生歩はその場を離れることにした。

 この一連の出来事でなにか引っかかることがあった。それはこの場を離れて考えるべきことだと判断した。


(あ、そういうことですか)


 鵺は己が不利になる情報をベールに渡したのだ。


 彼の計画は、ベールを使い風成を完全に闇に落とすことであるはず。


 だが、今回『神々』が同じ結論を出していると教えてしまった。

 『神』は人間にとって畏怖すべき存在であり、掴めない存在でもある。

 そんな自分たちも『風成を消す』ために動いていると教えてしまっては、ベールの心境にも変化が起きるはずである。


(あの女が鵺に従う理由は圧倒的な別存在だから、でしたね。しかしそれはおれも同じ)


 自らを不利にしていく“負”の行動は理解できない。

 しかし矛盾を抱えた生き物としてみたら納得がいく。


(待つだけでもくたばる、でしたっけ。それはどちらに当てはまっているのでしょうか)


 にやける口先を右手で抑え、目を閉じて数秒後開ける。

 『大知 想生歩』はいつものゆるい表情で部室へと軽い足取りで向かっていった。


 一方、一年生の背中を見送った2人は数十秒無言で立っていた。


 しばらくして、亜信が大きく聞こえるひと息を吐く。


 鵺としての目ではなく、ありふれた男子高校生の態度でベールを見つめる。


「な? 面白い話だったろ」


 彼の無邪気な笑顔は、同意を求めるものだった。彼の機嫌を考えて同調して笑うことが好ましいと、ベールでも理解はできた。


 そうすべきであるのに、顔が笑顔を拒んだ。


 亜信は少しムッとしたがすぐに興味を削ぎ、そのまま開始時間になるまで解散を命じた。


「え、ええ」


 ゆっくりとした足取りで、ベールは右手の指先を左手で優しくも強く包み込んだ。

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