体育祭

第54話 助っ人

 トドロキ高校は6月中旬頃、体育祭が行われる。無事成功させるために、本番までの1ヶ月間は特に熱心に準備に取り掛かる。 

 体育系科目は全て練習。文理系の科目が調整され、練習を増やされることもある。


 多くと協力し顔を合わせる状況を、風成は好まない。

 そのため、この期間に入ると彼女は保健室登校に切り替えていた。


 一日中、与えられた課題を解きながら、時間になるまで過ごす。まったりとした時の流れは、騒がしい教室より居心地が良かった。


 課題を終えて時間が余った。暇つぶしに横たわろうと椅子から立とうとした途端。


「やめようよぉ!」

「あわわわ」


 迫ってくる数人の嘆き。


「大丈夫ですってぇ〜」


 知っている後輩の声が保健室のドア越しに聞こえてきた。驚きのあまり、彼女の体は硬直し、ずっとドアから目を離せずにいた。


「ち〜っす、廻郷せんぱ〜い」

「大知くん⁉︎ ひいっ、すみませんすみません、私たちの後輩が⋯⋯」


 会った時から変わらない彼独特のゆるりとした雰囲気とのんたりとした話し方と、彼の後ろでフルフルと身を震わしひきつった声を絞り出す数名の生徒の真逆の様子に、風成の意識は真っ白になった。


「新聞部っす〜、先輩、気を確かにぃ〜」


 彼女にズンズンと近寄る後輩の遠慮のなさにさらに悲鳴をあげる一同。彼は少しも後ろを気にせず左手を美しい瞳の前にかざす。


 目の前で指をひらひらと動かされたことにより、風成は緊張から解放された。


「⋯⋯なんだ」

「個人的な用事とぉ、新聞部としての頼み事があってきました〜!」


 彼のペースに乗せられてたまるかと、即答で否定の言葉を探す風成。しかしそれより前に想生歩のほうが行動に移していた。


「これぇ、がんばりましたよぉ」


 降ろした左手に代わり、右手を上げる。『かぜゆき きみえ』の廃版された処女作『偽りのぬくもりからさめた時』がしっかりと掴まれていた。


「なんだこれ」

「もらってくださぁーい。1との約束なのでぇ」


 ふと、風成は『麗奈になりきっている魔法使い』に言われたことを思い出した。


(そういえばこいつ、“海色”見たって言ってたな)


 との間にどのような約束をしたかは定かではない。しかし細部を気にすることもないなと判断した風成は、うなずいてその本を手に取り足元に置いていた鞄に詰め込んだ。


 “新聞部”として、情報屋として、彼の行動力は風成も知っているし、貰った本がその実力を証明している。ここからいつもの様子で追い出しでもしたらめんどくさいことを引き起こされそうな気がした風成は、珍しく人の話を聞く態度を見せた。


「で、もう一つの用はなに」

「新聞部のお手伝いを〜、お願い⋯⋯」

「は?」


 予想がつかなかったお願いが飛んできたため、彼女は思わず前のめりに反応してしまった。


 圧のある一声で震える背後の部員の悲鳴がさらに高まる中、想生歩は胸ポケットからスッと紙を取り出した。角度的に背後の彼らにはバレないし、その中身も見られない。


 無言で笑顔を浮かべたまま、器用に開かれた紙──チラシを風成に見せつける。


「──ッ!」


 そこには、お手頃な値段かつ高クオリティで作られた洋菓子の祭典、『タルトイベント』の開催と詳細が記されていた。


(こいつ⋯⋯いつの間に私がタルトが好きって知ったんだ?)


「話をちゃーんと聞いてくださったらぁ、あげまーす」


 至近距離で、風成の威厳が崩れないようにと気を使った彼は風成だけに聞こえるほど小さな声でつぶやいた。


(ぐ、うううっ。甘党バレは、きつい)

「⋯⋯詳しく聴かせろ」


 あの風成が話を聞くときちんと明言した。そばの想生歩は気の抜けた万歳をしていたが、残りの部員たちは後輩の交渉術の腕前を素直に尊敬した。



 一通り聞いた風成は顔にシワを寄せていた。


「校内新聞に、でっかく掲載される写真を撮って欲しい、か」

「そうっす〜。今年は、写真部の協力がなくてぇ⋯⋯」


 トドロキ高校は毎年体育祭までの数週間、新聞部と野球部が協力関係を結び、情報を校内外に配信して盛り上げていた。

 しかし今年、両方の部長が恋愛トラブルを起こし不仲になった。部員の声は届かず、今年の協力関係は結べずに終わってしまった。


 毎年掲載される体育祭の写真は、どれも躍動的で素晴らしかった。それはとても難しい瞬間をより魅力的に映し出す高度な技術の賜物だ。


 だが、周囲はそのことを知らない。当たり前のように、毎年そのクオリティを求めていた。


 新聞部のプライドもある部員一同は期待に応えようと試行錯誤した。ただ、彼らには精神力がなかった。


(もし、期待はずれだと言われたら嫌だ)


 そこで数名の部員は考えた。意気投合した彼らは小さな準備室で話し合っていた。


『人望無い人に頼もう。後から全てその人に押し付けるよう情報操作すればこっちは安心だ』


 すぐに浮かんだ名前は【廻郷風成】。

 その名を部員が口ずさんだ瞬間、ドア越しで盗み聞きしていた想生歩は偶然を装い入室した。


「画角やタイミング教えてぇ、練習ちょっとやったらぁ、廻郷先輩は撮れると思うっす〜。動体視力すごいしぃ。

 ちょうど個人的にも用事あったので〜、いってきまぁ〜す」


 彼は1人納得したまま、ズンズンと保健室に向かっていた。それが先ほどの一連の真相だ。


 もちろん想生歩は、風成の気分を害さないようにある程度事実を隠し説明した。


「練習期間は十分あると思いまーす。先輩、この期間の剣道部一回も顔出さないんっすよねぇ〜?」

「⋯⋯あぁ」


 トドロキ高校の体育祭では、各部活動生が所属部のアピールをするために、紹介や実演、リレーを行うプログラムが組み込まれている。この期間の部活動生は毎日30分ほど演出の試行錯誤をする。


 風成にとってそれは無意味な時間でしかなかった。来てしまうと強制参加させられるので、期間中一度も訪れることはない。顧問も彼女の精神面に配慮し黙認していた。


 引きどころを失った風成は、放課後必ず30分は練習をさせることを条件に仕方なく承諾した。



 放課後を知らせるチャイムが校内に伝った。

 風成は早速、新聞部と決めた待ち合わせ場所に急ぐ。


 目印の校内掲示板が見えてきたところ、背後に人の気配を感じた。

 なんの寒気も感じない、ありふれた気配で、親しげな声で彼女の名前を呼ぶ二つの声色が、人が少なめの広い廊下にこだまする。


「ふうちゃん!」

「風成!」


 ことんと何かが落ちた音が聞こえたので反射的に振り返った彼女は、苦い顔をした。


 たとえ負の感情だけだとしても、親友が振り返って目を合わせてくれたことに2人は嬉しくなった。とても優しく、爽やかな、親しげな顔で、麗奈と最実仁は微笑みかける。


 ついつい力を緩めた2人の手から、小さな体育祭用の小道具がさらに離れていった。

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