第52話 ふたつの絶望

 鵺──以前、風成たちの前に現れた妖怪の名である。不吉な黒い霧を纏い、カレッドたちとベールを、風成が愛している人たちの肉体を持つ魔法使いであると知りながら、彼女の目の前で殺し合うよう図った張本人だ。


 しかしながら、『波 亜信』は校内で最も嫌われている人物である『廻郷 風成』に程よい距離感で接していたり、持っているという“特異体質”に悩みながらも飄々とした態度で多くの生徒とうまく付き合っていたりしていた。


 あまりにもかけ離れた両者が同一存在であることに、三人は混乱していた。


 その様子を眺めていた彼は、ため息を軽く吐き出す。


「“負”であることはわかってたけど、鵺ってことは分からなかったようじゃん。まぁ、仕方ないよなぁ、『大知 想生歩そうほ』」


 情報の神が名乗る人間としての名を聞いて、疑問が浮かんだマリードは頭を少し整理して問うた。


「互いに人とは異なる本性を知っていたのか」

「あぁ。奴が一年として活動してすぐに知ってたさ。そして互いに縛りあっていたんだよ」


 彼らは互いの不利な状況を理解していた。“負”は己が悲願のための準備がまだ完了していない。“神”は脅威を抹消するための手筈が整っていない。


 そこで、『鵺は“負”として行う攻撃をしない。代わりに高校生として侵入していることを互いに黙認し、他言しない』という密約を交わした。


「確かに俺だとは言ってねぇ。あぁ、今も昔も卑劣だな」


 栗色に近い薄茶色の目が、赤く光る。その言葉には、深く渦巻く怨念がこもっていた。


 ぞわりと全身に寒気が走った三人は、再び無言になる。そんな彼らを見て亜信は軽く謝罪の言葉を口にすると、いつもの少年の笑顔になった。


「質問答えてきたからさ、俺の話も聞いてほしい。ゆるりとしてくれや〜」



 鵺という妖怪は、平安時代後期に現れた正体不明の合成魔獣と記されることが多い。


 しかし、その本質は『絶望』という概念の具現化として生まれた妖怪だ。


 平安時代初期、2つの『絶望』は形を成した。


 『陽』として生まれた鵺──“兄”は、『発展へと至る前に立ち塞がる、乗り越えるべき絶望』の具現だった。


 『陰』として生まれた鵺──“弟”は、『結末の一つとして存在する絶望』の具現だ。


 どちらも、生きる全てに望まれない存在であるために、忌み嫌われていた。避けるべきモノであるため、始まりから行き着く先は“負”しかなかった。


 強い『絶望』の概念を持つ生き物たちが増えていくにつれ、彼らも強くなっていく。


 同時に、2人の心境にずれが生じていった。


 弟は段々と『時を謳歌する生き物』たちに憎悪を抱いていった。

 兄は『より良いものを望み努める存在』たちに憧れを抱くようになった。


 ずっと2人でいた彼らは、いつのまにか別行動する頻度が増えた。


「兄者、今宵も人の世に顔を出すのか」

「おう。共に行く心構えができたか?」

「なにが、何がそんなに楽しいのか」


 弟は、兄の顔の動きが気持ち悪く感じた。


「口を吊り上げ、目尻を落とし。ヒトのようだ⋯⋯おぞましい」


 そのような日々がしばらく続いた。妙な顔をする兄を不本意に見送り、闇夜に潜む。日が上りまた月が出た頃に帰ってくるので、それまで眠ることにした。


 しかし、兄は2、3度月が昇っても帰ってこなかった。


(妙な感覚が胸元に感じる)


 弟は我慢ができず、住処から飛び出た。

 自身に全く歯が立たない弱い妖たちがざわめく。


(うるさい)


 猿の頭、狸の胴体、虎の足、蛇の尾の姿では目立つ。その強大な妖力をうまく内側に留め、その辺に倒れていたヒトの亡骸を見よう見まねで形取る。

 肉塊が纏っていた服を取り、川で洗い着る。


 日が昇る。


 人々は噂した。


「源氏武者、怪異を射たり! 御所に現れし不気味に鳴く妖は、猿頭、虎の四肢、狸の胴、蛇の尾を持ち──」

(兄者!)


 湧き出る嗚咽を抑え、嬉々と殺しを笑う者たちの話を聞き終える。


 弟は不慣れな姿で、噂の川に辿り着く。人目がないことを確認すると即座に本来の姿になり、川を辿る。


 妖力で作る黒雲の上を走る。

 降り続け、見つけた。人だかりの中、力無く横たわる、哀れな姿に成り果てた、よく知る姿。


「あ、ああ、兄者、兄者ーっ!」


 悲しみと怒りの咆哮が飛び出ていた。


 人々は口々に言う。


「なんだこれは」


 兄は語った。


『次はこうしようと策を練っておった!』


 交互に頭に響く声。


「不吉だ」

『眩しく感じた』

「嫌だねぇ」

『惹かれたのだ』

「コレをどうすれば良いのだ」

『我らも、共に生きていけたらなぁ』


 弟の激情は憎悪に塗り替わる。


「ニンゲン、ニンゲンめ。許さぬ、許さぬぞ。吾は結末の一つなれば。絶望を持って貴様らの世を締めよう。その様を嗤ってやろう!」



 亜信は誰かのお伽話を語るかのような様子で語りを締めた。


「かくして弟くんは着々と目標に向かって、力を手に入れましたとさ。あとは時間と、確実なトドメを準備するだけさぁ」


 いつも通りの口調が、笑みが、態度が、憎悪の底知れなさを3人の人間に実感させた。


 力み震えるだけになった彼らに、困り顔で話を続ける。


「リラックスしな? そうだ、俺の1番の力、キチンと明かすからさ、な? 嬉しい情報だろ?」


 “負”・鵺(弟)の能力は黒雲を生み出すなど複数あるが、その中でも特徴的な力を紹介した。


「まず俺は自在に幸運値を下げて不運値をあげれる。自分にはできねーが。範囲は大体500メートル圏内か。まぁ、持ちうる運や霊力とかの『抵抗』で多少変わるけど」


 彼の狙い通り、麗奈たちは少し落ち着きを取り戻し、情報を逃さないように聞く。


 彼らの理解力に合わせ、ゆっくりともう一つ特徴的な能力を話した。


「幸運って、俺的には区分してるんだ」


 より良い結果を引き当てる運、相性の良い環境に恵まれる運──彼は自身の能力を語る上で幸運を細かく分けている。


「幸運の一つに、『生命活動を心身ともに、より健康に、健全に長く全うする運』がある。俺はそれを『命健値めいけんち』と呼んでんだけど、狙い定めたら、俺以外の全てのソレを、勝手に外すことができるんだ」


 同時にかける人数や妖力の使用量で変わるが、彼は命健値を自在に下げることで標的に危害を加えることが可能だ。


 その話を聞いて、最実仁は『亜信』の噂に結びつけた。


「なぁ、お前に敵対したり、悪意向けた奴らが、取り返しのないことになったのって」

「あぁ、命健値を奪った。だってうぜーんだもん。我慢できずにを出しちゃったら、計画全部無駄パァになるだろ?」

「そんな⋯⋯」


 その言葉一つ一つが、人間とは異なる思考、異なる存在だと言うことを理解してしまう。


「怯えんなって。お前らに手出しはできねー。もっとうまく立ち振る舞うさ。ベールと共に頑張れ。再び廻郷がお前たちに気持ちを向けるようになるまで」


 彼の口ぶりから、麗奈は放棄したくなる思考力を使い続ける。

 ベールが急に接する態度を改めたのは鵺が関わっていた。

 そして、以前風成の精神を追い詰めようとしたことを踏まえると。


「なぜなの、ふうちゃんを絶望させようとするのは! 私たちを使おうとしてることも恐ろしいし、なによりあの子を傷つける魂胆がわからない」

「そこまでわかって思いつかねーの? さすが、立派なアタマを3年間無駄に恋愛一つに捧げただけあるな」


 嘲笑う彼に、怒りを向けられない悔しさが麗奈の頬を伝う涙となる。


「シナリオはこう。おめーらにひどく裏切られた廻郷に俺が──われが真摯に寄り添う。、と。そして共に“負”として、国を、世を滅する」


 マリードはその話を聞いて、己の鼓動が早く、強くなっているのを感じた。いろんなところが恐怖とは別の理由で力む。呼吸が荒くなる。眉間に、口に強く力がこもる。


「なぜだ、なぜ、貴様の目的に廻郷を巻き込む⁉︎ わざわざアイツを人ならざる道に進ませる⁉︎」


 亜信は驚きのあまり、口を閉じ大きく目を開いた。魔法使いの王に生き方も心も封じられ、空っぽになったはずの哀れな人のもれだす想いに、既視感を覚える。


 遠くに置きざりにした記憶が一瞬ちらつく。


──幼い妖である自分の頭を雑に、しかし親しく撫でるである僧兵、人を真似た美しい海色の妖、声をかける大きな茶髪の男──


 相手を馬鹿にする余裕が崩れる。


「⋯⋯確実に終わらせる力が必要だ。それが廻郷。今現れている3つ“負”。彼女は最も強い。2番目の俺より、遥かに」

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