第49話 モノカキ

 千登子ちとこは、投稿小説が受賞した日を思い返していた。


 作品名は『偽りのぬくもりからさめた時』。ある戦いに巻き込まれ、居場所全てと視力を失った“女”が、富豪の男と婚姻を結んだことで幸せになっていくというもの。

 しかし中盤から、この富豪の男が戦いの参加者で、“女”の故郷に手を出した軍の幹部だったことが判明する。そして明かされていく過去の真相や“女”の変化と成長が美しくも切ない描写で書かれていて、多くの人の心を動かした。


 作家『かぜゆき きみえ』の処女作として世に送り出されたそれは、多くの人に注目された。ドラマ化の話も持ち出されるほど好評だった。


 多くの期待の中、新たな作品を生み出しては大ヒットをだし、着実に作家としての道を歩いていった。


(いつか、の目にもとまるでしょう⋯⋯)


 経験していないはずなのに脳裏に残る海色の髪の女性。彼女を思い出すだけで、どんな重圧も、痛みも乗り越えて行けた。


(でも、私は)


 新作の取材のため、潮風が心地よい海辺の公園に来た日。

 目に映る海が綺麗で、遠いを連想させて心躍らせていた時。


『落とし物ですよ』


 慈善活動の一環の交流会を開いていた男が、いつの間にか落としたペンを拾い上げていた。


 その顔を一目見た時、千登子ちとこはシルグレイに塗り替えられた。


 厳道げんとうもとい、前世の弟『ゴールド・パッセ』との出会いは、これまでの自分を大きく否定する生き方を始めるきっかけとなる。


 得た名声は全て弟のために利用する。過去の惨めな女の産物は全て手放す。


(人間と思い込んでいた頃ほど、黒歴史はないわね)


 ずっとシルグレイは笑った。

 多くを見下し、多くを使い、多くを壊し笑った。


 窮屈であれど、弟が再び『魔法使いの国を建国する』ためなら我慢もできたし、来る日が楽しみでしかたなかった。


(そう、楽しかった。楽しかったのだけど)


 彼女を満たすものはなかった。


 どんなに悩んでも、どんなに行動を起こしてもわからなかった。求めているものの鱗片さえない気がした彼女はいつしか探すのをやめてしまった。


(でも、わかるわ。今はわかる!)


 ちっぽけで惨めな人間でしかなかった自分は、いつも満たされていた。


 叶っていないことは分かりきっているのに、一文字形にするだけでも潤っていた。


 作家は意識を今に戻し、首元に伸びた相手の冷たい真っ白な手を離さないように力を込めた。


「貴女に、見てもらいたかった。読んで欲しかった! なのに、がっかりしたって、こんなモノなんて、言わないで!」


 無我夢中で叫んだ訴えは、言い終わった後の本人でさえ動揺するほど幼い訴えだった。


 まるで、少女が泣きながら訴えているように。


 声を浴びせられた“海色”も、瞳を見開き動きを止めていた。


「お、思い出さないで、やめなさい──」


 両手を自身の頭に持っていき、強く抑える。“海色”が認めたくない、消し去りたい想いが頭の中を巡る。


「うぐっ、貴女の出番はもうないのですよ、海美うみ!」


 “海色”の憎悪が塗りつぶされていく。


 そして、平安時代の一幕を鮮明に思い出す。



 地方貴族の少女。生みの母を亡くし肩身狭く屋敷に暮らしていた少女。


 彼女とは、屋敷周辺の海賊退治を報告する際、迷ったところを助けてもらった。


 “ハマヒメ”故の異質な姿を見ても恐れることなく、屋敷の客として丁寧に対応してくれた。


 少女は体が弱かった。

 寂しがっていた彼女を思い、時間を作っては訪れ、己が武芸を披露した。


海美うみさま、なぜわたくしを気にかけてくださるのですか?」

「乱影が私にしてくれたことをしているだけよ。できるところには手を伸ばす。縁とは連なりってさ」


 その後は彼女の近くに座り、温かに流れる時を楽しんだ。


 武芸を見せたお礼にと、彼女は屋敷の話や想像したことを海美うみに面白おかしく話すようになった。


(私だけしか知らぬとは、惜しいなぁ)

 

 義兄であり、のちの安倶水記の著者となる河鷲法師かわわしほうしに話し上手の娘がいると伝えた。


「他の人にも知ってもらいたい、か。うむ、文字にて記してもらうのはどうであろうか」


 名案だと思い、少女に勧めてみた。


 少女は執筆にのめり込んだ。自身との時間も作りつつ、話したことをすぐ筆に乗せた。瞳にも眩い光が宿り、自然な笑顔もよく見せるようになった。


 しかしそれは数日しか続かなかった。容態が急激に悪化した。無理をしていると思った海美は筆を置くように諭すようにもなった。

 それでも少女は書き続けた。


 咳き込む彼女のために水をもらおうと屋敷をうろうろしていた。

 器を手にしようと入った部屋で、とんでもない会話を聞いてしまった。


「報告を急がれてますよ」

「最近より多く毒を入れています。もうそろそろかと思います」


 気づけば女たちに飛びつき、暴力を振るいことの詳細を吐かせていた。

 災害の化身でもある“ハマヒメ”に怯えた一同は全てを明かした。


 少女の父は数人の妻がいた。その中の1人がとても嫉妬深く、自分以外の腹から生まれた子の存在を許さなかった。


 母方の守りがない少女は真っ先に狙われた。


 その日は彼女の心情とは真逆の、青空が広くどこまでも続いていた。

 筆を取る力も残っていない少女の手を、怒りを抑え優しく握っていた。


「願ってくれ、私は妖怪“ハマヒメ”。愛い者の願いを叶えられる。治してと、生きたいと願いなさい」


 少女は気力を振り絞り伝えた。


「私は、海美あなたという武士もののふが好きで。妖怪“ハマヒメ”を、使うために、声掛けしたのでは、ないの」


 死にゆく寸前というのに、少女は悔しさを浮かべながらも心から喜びの笑顔を浮かべていた。


「桜、緑、紅葉、冬木。幾多の模様をあなたは見るでしょう。何度目、何十、数えきれないくらいかも。それでも絶対、私はまた、あなたに出会います。このえにしは強いから。その時、今度こそ読んでください。私が綴る物語を。紙に記した我が想いを──」



 海色の女は、その手を作家の頬に当てていた。目を見つめ、優しく口角をあげる。


「ずっと、楽しみにしているよ」


 聞き覚えのある、ハキハキとした穏やかな頼れる声。強く美しい憧れの人。


 作家の瞳から温かな涙が滲み出す頃、海色の少女はそのまま気を飛ばし、彼女の横に倒れ込んだ。髪色はスッと黒に戻り、その肌も若々しい色に変わった。


 千登子は深く眠る風成を見ながら息を整えていた。落ち着いた後、先ほどまでの魔法使いとしての行動を思い出す。現状を確認するため前を向くと、そこには先ほど妙な雰囲気を出していた少年が立っていた。


「分針が頂に届く前までに、用意された色紙にサインを書いてください。本日は特別に助力します。1時間分ならばこの身でも。あぁ、魔法とやらは使わないでくださいね」


 普段の自身なら指示してくる存在に手を出すが、隣の少女を見ていたら素直に行動することができた。シルグレイは魔法を一切使うことなく、淡々とサインをこなした。


 その間、想生歩はマリードと最実仁もみじに、スタッフを待機室まで運ぶように言った。麗奈れなには適当な位置に立っているだけの人々を連れて行くように言った。

 シルグレイの凶行を止めた彼に、逆らう必要もなく彼らは従った。


 少年は描き終わったシルグレイのサイン色紙を、先輩3人に立っている人を何人か指定して持たせた。

 シルグレイには耳打ちした後、待機室に戻るように頼んだ。


 マリードに風成を任せた後、想生歩は手を顔近くに掲げた。


「ちょうど間に合いましたね。さてと」


 指で音を鳴らした刹那、眩しい光が一帯を包む。


 3人は騒がしい音を感じ、ゆっくり目を開ける。


「きみえさんのサインだぁ、感動!」

「とても素敵な作家だったぁ!」

「小説家になる夢、応援してくれるなんてぇ!」


 人々は騒いでいた。

 彼らは、『1時間の間、サイン会が行われていた』と認識しているようだった。


 不気味に思った彼らは、しれっとサインを手に持つ後輩をひきつった顔で見る。


「先輩の皆さ〜ん、どうしたんっすかぁ?」


 いつもの様子でニヤニヤしている想生歩。先ほどの出来事など知らない風。


 沈黙を破ったのは、風成を両手で抱えているマリードだった。


「お前、いや。あなたは何者ですか」

「ん〜? おれは期待の新聞部⋯⋯」

「神、と呼ばれる存在であっていますか」


 とたん、無表情になる少年。彼は3人に向かい合って、口元だけに力を入れる。


に言われると、隠しきれませんね。はい、おれは神です。この国にいる八百万の神が1柱ひとはしら。国守りのため己が権能を再定義し降臨しました、です」

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