第48話 読者

 急変した上“海色”を知っている素振りの想生歩そうほを、恐怖を宿した目で麗奈れな達は見ていた。


 最実仁もみじは彼だけではなく、髪色や肌、雰囲気や話し方、性格も異なる風成ふうなに対して、怒りたくなるような、泣きたくなるような、罪悪感のようなものをいだき胸元の服を強く手でグシャリと掴んだ。


 しかし、彼らの目に映る光景はさらに不可思議なものとなる。


 魔法使いの手によって眠らされていた人々が立ち上がり、“海色”と標的を繋ぐ隙間をつくる。


「な、何が起きてるの⁉︎」


 シルグレイはまとめてあげていた綺麗な髪型を、自身の両手で崩していく。


 逃げようとしても、人々が隙間なく2人を囲むため抜け出せない。


なんだから、逃げないでよ」


 様変わりしたイレギュラーの1人が、嘲笑う表情のまま近づいていく。


「来ないで、いやぁ!」


 外側にいる3人の高校生には、人の壁に囲まれた向こうで恐怖に震える女の叫びと、知っている声なのに知らない人の言葉が聞こえていた。


 麗奈とマリードは“海色”の話し方に違和感をいだいた。


(私と話した“海色”は、言葉遣いをなるべく丁寧にしていた。消して親近感を浮かばせるような言葉を使わなかったのに)

(シルグレイとの接触は今日で初めてのはずだが、『久しぶり』だと?)


 疑問はそばにいるもう1人の男子高校生の怯えた声にかき消された。


「なぁ、どうなってんだ。シルグレイの魔法が解けたとかじゃねーのはわかってる! 何をした、大知おおち 想生歩!」


 最実仁の知識では、この場にいる魔法使いでシルグレイ以外に人を操り従えさせる能力を持つ人はいない。麗奈から聞いた“海色”の話でも、“よどみ”に取り憑かれた自身との戦いで、操作系の力を使っていたということは聞いていない。


 そうすると風成に触れることで“海色”を引っ張り出すような彼に疑いの目が向いた。


「何って、権能を使っているだけです。彼らに危害を加えてはいません」


 想生歩はいつも見せていたヘラヘラとした笑顔ではなく、相手を怖がらせないようにと配慮の上作った表情を向ける。


「魔法使いとやら。お前たちは表立ってその異能を知られたくないのでしょう? 前世、地上から追放されたから。

 その点を考慮してかつ事態を収める方法。それは眠らされた子たちの認知能力を一旦限界まで下げて行動能力を支配することでした。

 おれにできる助力はここまでです。あとは次第です」


 彼の関心は人の壁から見えない“海色”たちに向けられた。


 マリードはさらに浮かぶ疑問を脳内でまとめる。


(第一世代の魔法使い、“王”と建国貢献者の話か? 荒廃した地上を捨て海に理想郷を建てられた偉業。なぜ、こいつが知っている。

 いや、知りすぎている。情報通なんかでは片付けられないほど。そしてこの異能と雰囲気。

 こいつ、いや、この存在は──)


 信じられないが納得できる答えに辿り着く。ただ、今は姿の見えない向こうを把握することが先と考え、意識を切り替えた。



 “海色”は怒りに任せて暴れ回りたい本心を抑え演技に徹する。


(最も嫌いな“私”を再現させるなど。さすがあのモノどもは尊厳を踏みにじることがお得意で)


 笑顔を真似たまま、一歩ずつ女に近づく。


(こんな阿呆たちに、何を期待したのですか。なぜ自らより彼らに。ねぇ、海美うみ


 理解できないイラつきが抑えきれずに、を騙りながらシルグレイの前に立った。


 海色の瞳から見えてくる深く暗い悪意に、彼女はとうとう体のバランスを崩し、地に手をつけた。

 そんな彼女の上にまたがり、“海色”は優しく顔を撫でたかと思うと、強く前髪を鷲掴みにした。


「ひぃ、痛い、痛いぃ!」


 傲慢な態度はとうに消え、目の前の理解できない未知なる存在から逃れたいという心情だけが彼女の全てになっていた。


 怯え、震える獲物を見て“海色”はさらに手を加えたくなった。


(不完全ゆえ、時間が限られていますもの。さて、作戦実行ですね)


 シルグレイの耳元に、美しい女の顔が迫る。吐息一つも逃せないほどの距離に唇を近づけ、話し始めた。


「あぁ、がっかりしたよ」


 不可解な存在の一言が、彼女の心を深く掴んだ。目を見開き、よく見えない横顔を覗く。


「今世ではお話完結できたと聞いてたのに。全て捨てた挙句、魔法使いしっぱいさくどもの道具として粗末に扱うなんて」


 スッと耳元から離れて、シルグレイの視界に顔がはっきり映るような距離に移動する。


 彼女にまたがったままの“海色”はゆっくりと首元に手を伸ばす。

 できるだけ邪悪な本心を浮かべないように、目の前の人間が、『遥か昔の自分』を連想させるように笑顔を作る。


「こんなモノなのだね。では、さよなら」


 ゆっくり近づく手は、シルグレイに恐怖や危機とは別の感情を抱かせた。


(違う、ちがう。こんなこと言われたくない。あなたには、──こんど、こそ?)


 彼女はヒヤリとした冷たい手を知っている。


『うん、今日も動いてる。君は生きている』


 今とはちがう、心地のいい冷たさを。その手の主がいることで得た温もりを知っている。


 彼女の頭は強く揺れ、記憶は過去を遡った。



 上位存在である魔法使いであること、その中でも特に優れた存在の“王”と同じ待遇を受けた『シルグレイ・パッセ』であることを自覚したのは15年前。

 弟『ゴールド・パッセ』の生まれ変わりである、新規の慈善団体アトラン創設者兼リーダ『花形はながた 厳道げんとう』との出会いがきっかけだった。

 目が覚めたような感覚。今までの自分が哀れで惨めに思えた。


 現世の人間としての名前は『高宮たかみや 千登子ちとこ』。内向的で夢想家の彼女には、『物語を作る』という趣味は何よりも心を満たしていた。


 物語を作りたいと言う思いは、積極性を身につけるきっかけにもなった。


 ただ、周りはその生きがいをバカにした。くだらないことをしていると、何の得にもならないと、見下しや妨害の被害を受けたこともあった。


 それでも迷うことはあったけれど、筆を折ることはなかった。


 できなかった。


(夢なのかもしれない、鼓舞のため作り出した偽物かもしれない)


 彼女には、シルグレイとしても千登子としても経験した覚えのない会話の記憶がある。


 初めて書いた作品が両親に見つかり、呆れられ捨てられた日。大きな傷を負い、全てから逃げたくなった時によぎったもの。


 海色の髪をなびかせる、死人のような真っ白な肌の人影。服装は調べた資料の中に記載されていた、平安時代にいた庶民のものをまとっている。


『その話、都の奴らみたいに紙に書いてみたらどう?』


 真昼の太陽に重なり、言葉は強い希望ひかりとなった。


『文字を覚えよう。君の話を読むために』


 忘れることができない美しい顔立ち、キラキラと輝く海色の瞳。


 憧れた人が『読者』になりたいと言った。


 何度思い出しても嬉しくて、誇らしくて、彼女はずっと筆を取り続けた。



 今に意識を戻した彼女は、自分の首を絞めようと少しずつ力がこもる白い手を掴み、強く握った。


 次々に流れる涙を気にすることなく、ひたすら目の前の“海色”を見た。


 作った笑みと分かっていても、目の前の存在はどこかの記憶にいたに重なった。

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