王の姉と彼方のお願い
第46話 サイン会
(私は、山に行き、そして──)
気を抜いたら途切れてしまいそうな意識の中、少しだけ、映るものが鮮明になった。
顔ははっきりとしないが、10代前半ほどの少女。服装は白地の薄い衣に袴と簡素なもの。よろよろと文机に向かって這う。
「ごほっ、がはっ」
激しく咳き込む少女の元に駆け寄り、体をさする。自分の手は真っ白。
一呼吸ついたあと、周囲を見る。
目先の庭にはらりと緑の葉が舞っている。木造の家、簾、小物、間取り。すべて、安倶水記などで描写されている『平安時代』の風景そのものだった。
(どういうことだ)
何が起きているのか分からず困惑したままの心とは変わり、口が勝手に開き少女に声かけをする。
「無理しないで。休みなさい」
「いやです」
弱っている肉体と声色。その中にはっきりとある強い意志。
骨の形がくっきりとわかるほど痩せ細っている手で、力強く体を机に手を伸ばしていた。
「寝なさいよ!」
自身と全く同じ声は、心配による強い怒りを帯びていた。
少女の頬に涙が伝う。
「少しでも書かせて。完結するためです。あなたがいつからでも字を学んでいいように。あなたに読んでもらえるように。完成さえすればいいの」
見開いた目の奥で風成は問いたいことを巡らせる。
(字、読めるぞ! 国語全般はできる! 読むからお前は休んで──)
大きな光が目に差し込む。
動機とともに跳ね起きた風成の周りは、いつもの広い自宅の一室。
「夢、か」
大きなため息をついた風成はいつも通りの無地のTシャツにジャージのズボンを身につけ、一通りの支度をした。今日は部活も無い日。課題をやる気にもなれず、ソファにもたれる。
『少しでも書かせて』
夢の少女の声が実妙に頭から離れず、一通り気を逸らす行動をとった。しかし全く薄れない。安倶水記を読むと、『
(外に出るか)
バスに乗ってしばらくしたところにある大きめの本屋に、金銭だけを持って出かけた。
・
今月入荷のコーナーをうろついている風成に、2人の若い男女が声をかけた。
「ふうちゃん、偶然ね!」
「風成! 回復してよかった」
先日の出来事を思い出し、風成は顔を歪める。
明らかな拒絶を浮かべる彼女に、
魔法使いであるグラシュとカレッドとしての面が主軸の価値観だった時、現世で出会った彼女と距離を大きくとってしまった。そしてことあるごとに罵倒し、蔑んだ。
2人ともわかっている。今更大事な親友だと、一緒にいようと語っても、積み重なった痛みを癒すあてもなく生き続ける彼女になにも響くものはないと。
(それでも決めたの)
(今度は逃げない。どんなに拒まれても)
凍りつく足を力みで誤魔化し、また一歩彼女の方に向かって歩く。
それが、風成に恐ろしさを与えた。
かつての友と同じ真っ直ぐに自身を見る目が、近づく人の体がこの3年間の傷を抉る。
『弱い君に寄り添ってあげよう』
そう言われている気がしてならない。
「先日の話は昨日一通り聞いた。借り返しの時だけ付き合うと言ったはず」
引かれた線を越えることも消すこともしないと決めた。興味がないと伝えるため、2人の顔に焦点を当てはしない。
麗奈は彼女の意識を少しでもこちらに繋ぎ止めるため、彼女が食いつきそうな話題を周りの本やスマートフォンを頼りに考えていた。
「服」
最実仁の声が2人の意識を場に留める。
「服、買い出し手伝う。外出大変だろ」
風成が着ている無地の服は近くで見ると生地かすれ、袖部分の荒れが目立つ。ジャージも同じ。何度も使っているそれは彼女の美しさのため、より見窄らしく写っていた。
「必要ない」
たったその一言を聞いた彼は、自分を今にでも突き刺したい衝動に駆られた。
身だしなみに興味がないわけではなく必要ないと言い放った。人のためにと簡単に存在を投げ出すほどの彼女が。
(ここまで他者を拒絶するほど追い込んで⋯⋯)
自責の念からくる震えと強く歯を噛み締める彼の姿は、風成をさらに不快にさせる。
「どけ」
すっと2人の横を通り帰路を浮かべる。見るものが心を揺さぶるので、目線も意識も足元に向けた。
早歩きをしていた矢先、身体中に強い衝撃を受ける。ふらついたところ、背中に回る手を感じた。
「すみません、不注意で⋯⋯ってお前か」
「⋯⋯」
マリードはぶつかった風成を顔を見るや、強く眉にしわを寄せた。
先日の出来事と、今起きている現状が妙に焦りを呼ぶ。
「放せ」
彼女の要望を聞きたくない。
『この国にはいらない、居てはいけない残りモノ。痕跡一つさえあってはならない』
黄泉の神の言葉が反復する中。
「
「⋯⋯」
意外な人物が大きな背丈の男の背後からひょっこりと顔を出す。思わず風成はその名を発する。
「
「用事っす〜、
気の抜けた話し方をする新聞部所属の一年生男子。情報屋としてはプロレベルの収集能力を持つ優れた存在。彼のおかげで乗り越えた
「ちがう、なぜコイツと一緒に?」
「入店した時ぃ、先輩があのバカップルに絡まれてたから助けようとしたんっす〜。そこで周り見たらちょうど同じ方を見てた会橋先輩がいてぇ。2人でどうにかできないかなって思って、声かけしてここまで連れてきましたぁ」
彼の主張に、最実仁たちは食いついた。
「まてまて、絡まれるとかそんなことじゃねぇ」
「私たちはただ彼女と友として──」
正しいことを伝えようとした2人の必死さに、彼は吹き出してしまった。
「んっっ。情報通のおれが知らないわけないっすよぉ〜、『私たちは前世から恋人』『俺たちに近づく奴は身の程を知れ』んー! 異常ですなぁ〜」
入学式、グラシュとカレッドが教室で言い放った言葉を一文一句違わず想生歩は言った。
当時の異常性を恥じ、2人は顔全体を赤くし黙り込んだ。
4人も認識ある人物に遭遇し疲れがどっと出た風成は、後輩に話しかける。
「気遣いは結構。借りを作ることは嫌いだ」
「そんなの、感じなくていいっすよぉ。今もサイン会までの時間暇だったからちょっかい出しただけですから〜」
高校3年生の4人は首を傾げた。確かにいつもより人の出入りが多いなとは感じていたのだが。
「上の階のイベントスペース。あとちょっとしたら始まります〜。『ラノベ作家・かぜゆき きみえ』の交流サイン会っすよ〜」
15年前、全ての過去作を捨て去り新たに始めたライトノベル、“天性の英雄シリーズ”。世界改善のために神々から強力な能力を授かった少年が、世の中の悪を裁いていく爽快アクションもの。サブスク媒体でアニメ化されるほど知名度がある作品の作者『かぜゆき きみえ』。
「おれは捨てられた大衆文学作品の方が好きなんっすけどねぇ〜。ぜーんぶ、廃版になったけど。まぁ、級友が代理でサインもらってきてくれって言うから来たんっすよ。
風成たちは初めて聞いた情報に頷くだけだったが、マリードは違った。
(あのお方が、上にいらっしゃる)
「帰ったほうがいい」
高鳴る胸の音を鎮めようと、右手で胸を強く抑える。
その訴えは彼らには通じない。王のモノである魔法使いの忠告は無意味なものでしかない。
「クラスに1人は知ってる人いると思いますぅ。せっかくの機会でもありますしぃ」
即座に断ろうとため息をする。とたん、脳裏に昨夜見た夢が蘇る。
はるか昔、平安時代の服装に近い少女の訴え。
『あなたに読んでもらえるように』
(なにが、帰る足を止める?)
「わかった、行こう」
風成の決断に目を丸くする先輩3人をよそに、想生歩はゆるりと手をあげて、気の抜けた雰囲気のまま、喜びを伝えた。
近くにあったものが階段だったので、2人はそのまま上に駆けていく。
焦った3人はその背中に追いつくように大慌てでその背を追いかけた。
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