第45話 黄泉のフナコギ
とぷとぷと舟が降る音がいっそう大きく鳴ったと同時に、4人から最も近い位置で全て停止した。
神々しさと背筋が凍るような寒さを感じさせる、この国の初期頃の服装をした少女は、櫂を川に突き立てて動きを止める。
ボソボソと少女がつぶやいた途端、全ての舟が輝きを纏った。手放された櫂も流れることなくそのまま川に垂直に立ち続けている。
光は数本の木を挟んだ先の少年少女に迫る。
マリードに動きを止められていたカレッドが、自身の体に染み込む光を見て拒絶と怯えが混ざった絶叫をあげた。
「やめろぉ! 来るな、いやだぁ!」
麗奈は、あまりに強い反応をする恋人が心配で目線をずらせなかった。
カレッドは、今こそ“よどみ”の器としての尽きない体力はあるが、戦闘に関して天才以上の存在であるマリードとは肉体性能の差が大きくある。彼に完全に動きを封じられている状態に陥った時、魔法使いたちの間では抵抗をやめて隙をうかがうという手段を選ぶという考えが一致するほどだ。
(取り憑いた“よどみ”が、逃げるためにカレッドにむちゃをさせている!)
体全体に強く力みが出て血管が上っている。“よどみ”は所詮借り物の器だと、強制的に働かせる。
鼓動が早くなり、動きを止めて、再び息が荒くなる少女。
「要頬!」
自分自身も限界間近である親友の同級生が少女の名を呼んだ。
「廻郷を、頼む! 帰るんだろ!」
「え、会橋くん! うん、わかった」
麗奈は否定的な考えをなるべく思い起こさないようにする。
(状況は変わったわ。きっと私たちは帰れる!)
“海色”がいた位置に立つ人影はない。先ほどまで確認できていた海色の輝きもない。焦り気味に友の元へ駆けつける。
その場に倒れていた少女の外見は、見知った黒髪、見知った肌の色、苦しみと疲労に満ちた寝顔だった。
「ふうちゃん、戻ってくれたの?」
グラシュとして生きていたここ数年の記憶にある風成の顔は、悪印象なしかめっ面ばかり。
“海色”が浮かべていた美しくも不気味な笑顔とはかけ離れた曇り顔は、彼女を安心させた。
眠る友の体を起こし、そばで寄り添う。そして目線は、突然現れた木舟の群と中央の少女にむけた。
舟上の少女は“よどみ”の方を向き、微笑みを見せる。
「長く時を空けておりましたね。しかし、いにしえの約束通り、今回も“声”に乗った“神性”を黄泉より受けて参上いたしました」
実態が掴めないような、深い穴底から響くような少女の声。
紡がれた言葉や単語も、支えている人の肩に置いた指が強く力むほど恐ろしいものだった。
(黄泉⁉︎ 死後の世界から来たってこと?)
数回深呼吸をして、彼女の発言を頭でくり返す。
(あの様子、誰かに話しかけているのかしら。神様はここにはいないはずだけど)
しばらくの間、川の音のみが届く。
黄泉から来たという少女は微笑みを崩し、首を傾ける。
「しかし、なぜ“よどみ”が作った異界でのお渡しに? 器も、腱を切らずに生者の助力で抑えていらっしゃって。余分な人数は新たに用意されたあなた様への供物でしょうか?」
言葉の端々に引っかかるものがあった。
麗奈は、木舟の少女がなにかを誤認しているように感じ、思わず話しかけてしまった。
「あのー」
「え、人間が私に話しかけ? どういう状況⋯⋯じょう、きょう⋯⋯」
小さくなる声とともに、彼女はかけ離れた雰囲気が揺らぐほど引きつり焦る表情を強めていく。
「あなたの、そばにいるソレ。まって、うそ、ありえない。わた、私、ま、ま、間違えたぁ⁉︎」
冷たく流れる秋終わりの川のような気配は一瞬にして消滅した。
「どういうこと⁉︎ あの方⋯⋯この山の主はどこ! あなたたちはどうして!」
「あ、あの、説明します。ここに至るまでの経緯を」
・
麗奈の話を聞く前に、舟の少女は“よどみ”の器に目掛けて息を吹きかけた。
「よどみ近くの“生者”、もう力を緩めなさい。その子は私がかけた力を解くまで動かない。我が神力であなたたちの世界でいう“仮死状態”にしたから」
マリードは手応えを感じなくなったことでその発言を信じ脱力した。疲れがどっと迫る。
「要頬、場所を変わってくれないか。こいつのそばには君がいた方が良いだろう」
「わかったわ」
動こうとする2人をみて、黄泉の少女は焦り出す。
「動かないで! 混ざる」
「混ざる?」
「わからなくなる。説明するのはくだりのほうの“生者”でしょう? シャッフルしないで。これで通じるかな?」
麗奈の頭は、次々感じる違和感や予測が入り乱れて疲れが出始めていた。
彼らが発言を止めた数秒後、大きなため息をついた少女が口を開く。
「自己紹介しよう。私は死にまつわる神性。フナコギ、でいいよ。その特性上、君たちの“身体、それに起源するもの”を認識し辛い。その代わり魂で識別する。でも、君たちのはモヤがこびりついて見えにくい。だから2人の違いが分かりにくい」
2人は息をのんだ。
目の前にいる存在は死神の一種。本物の神。未知の存在に再び気が張ってしまう。
「早く説明してよ。わざわざ今の生者に合わせた話し方をしてるんだ」
不快感を感じさせてしまったら、何をされるかわからない。
麗奈は言葉一つ一つを丁寧に考え、フナコギに簡潔にわかりやすく経緯を話した。
「はぁ。つまり、山神様は外圧により滅ぼされた。“よどみ”は放置した結果こんなにたくさん溜まった。それにしても推測で私を呼べたのはすごいことだね」
すんなりと説明を受け入れてくれた神に感謝を込めて一礼する。
だが、過去の調べた怪異や伝承の知識が更なる緊張を生み出す。
(別存在である彼らと接触した場合、大体その場で殺されたり、知らないところに連れて行かれたりする。黄泉の存在なら尚更⋯⋯)
いつの間にか震えが体のいたるところで起きている。
(私たちみんなダメかもしれない)
魔法使いとしての力を持ってしてもフナコギには干渉できないことは感じ取れる。
『死』という、『生』ある限り知ることはない世界の存在。摂理として影響を与えることは不可能。
彼女の魂から恐怖を感じ取ったフナコギはふうっと息を吐き出す。
「何もしないよ。今回は私がやらかした。あんたたちを連れて行ったら、みんなの笑い物になっちゃう。尊き山神の神性と、アレの区別もつかぬ愚か者と」
フナコギの言葉に驚いて、麗奈は顔をあげる。
「見逃して、くださるの?」
「私のことを一生他言しないなら。言った時点で関係者みんな連れていく。そうなったら私自身も危ないから勘弁してほしいけどね」
麗奈はマリードの方を向く。彼も説明に納得し首を縦に振った。
「さて、帰ろっと。せっかくだし“よどみ”だけ回収してあげる。今回は器の精神健在っぽいし」
フナコギは右手を光らせ前にだす。それは鈴の姿を形どり、彼女の手におさまった。
しゃりんと一振り。
『おおお、ああああ!』
カレッドの体の中から、霧状の黒い塊が次々に溢れ出し、舟の数と同じ塊となり、各々吸い込まれていった。
フナコギは再度カレッドに息を吹きかける。微かに唸る彼を見て麗奈達は一息ついた。
「私の帰還を持ってこの異界は崩れ、あなた達は一緒に山のどこかに転送されるでしょう。双方にとっていい締めだ。⋯⋯ほんと私のこと言うなよ?」
不安を帯び瞳で睨みつける彼女に、2人はどことなく親しみを感じた。
櫂を手にしたフナコギは、一声あげて、 振り返る。
「忘れてた。国の神がひとつとして教えるべきね。下の方の生者、あなたが支えるソレ、早く処分しなさい」
「⋯⋯!」
マリードと麗奈はハッとして風成を見る。寝息を立てている彼女を唐突に処分しろと言われ、理解が追いつかない。
「神よ、何をおっしゃっているんですか」
「しょ、処分ってなんですか。それにふうちゃんをモノみたいに。彼女も人間でしょう」
振り返ることなく、フナコギは発言を続ける。
「私を呼び寄せる以外にも、妙なことがあったでしょ? なんとなく分かっていることから目を逸らさない。
ソレはこの国にはいらない、居てはいけない残りモノ。痕跡一つさえあってはならない、災いそのものだよ」
遠くなる声、川の流れ。そして一瞬くらりとする意識。
気づけば4人は海が一望できる山の高みに座っていた。
神が言ったことを考えないようにと見上げた先に映る空は、星が目立つ暗闇から少しずつ青藍色へと衣替えをしていた。
「う⋯⋯あ⋯⋯」
「カレッド! 大丈夫なの?」
不安げに恋人を見つめる彼女に気を遣い、マリードはその場を離れ風成のそばで膝をつく。
「アイツのそばにいてやれ」
「うん、ふうちゃんをよろしくね」
仰向けの彼を覗き込むようにレナは座った。
「カレッド、カレッド!」
「グラ、シュ?」
少女は顔いっぱいに安堵の笑みと、瞳からたくさんの涙を溢れさせて愛する人にしがみつく。
「俺は、えっと」
クラクラとした意識の中カレッドは、大きな光に気づきその方面へ顔を向ける。
海が眩しく光出す。暗闇は次々に数多な色を纏う。
──今日を照らす太陽が昇る。
「⋯⋯あっ」
彼の脳裏にはっきりと蘇る、少年の思い出。
中学一年生のとき、山から降りようと振り返った視界に映った、愛しい街全体を照らす大きな温もり。
声が蘇る。
『うおー、綺麗じゃねーか!』
『カメラ持ってくるべきだったわ!』
光に負けないほど美しい笑顔を思い出す。
『3人だけの宝だ。ここは誰にも教えたくねーな』
『うん、また3人で見ましょう! この夜明けを!』
強い感動と共に、疲れがとび3人で高らかに“えにしのちかいうた”を歌った一時。
「麗奈、風成。あ、あああ!」
大粒の涙と自責の念が迫り来る。
「俺は、俺は!
疲労で重い体を無理やり動かそうと力む。
「も、最実仁、なの?」
「俺は、カレッドだった。でも、今は最実仁なんだ! 麗奈、俺、俺は親友を、大切な友達を⋯⋯」
麗奈は無言で肩を貸した。弱々しく感謝を伝える彼を見て口を尖らせる。
2人でマリードが支えている風成のもとへ近づく。
「マリ⋯⋯会橋。助かった」
「そうか。廻郷は俺が運ぼう」
「すこしだけ、ここにいていいか。どうしても、今、この場で
「分かった」
マリードは限界を迎えていたことを悟られないように、風成を支えながら休憩した。
ただの男子高校生は、瞳を閉じて座っている少女の目の前にしゃがんだ。
「風成、ふうな。ごめんな、ごめん。絶対報いるから。お前を苦しませた日々を、必ず償うから! またお前が笑えるように頑張るから!」
魂の底から声を出す。だんだんかすれる喉も、嗚咽も気にせずに。
以前と同じ場所で、彼は再度誓いを立てた。
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