第44話 まつりとうた
わずかな震えを残したマリードの小さな一言は、カレッドと“海色”の感情を強く刺激した。
“よどみ”の器となった少年は体に伝うわずかな震えを憎しみを込めた力みで制す。蓄積した憎悪を口元に集め、勢いのまま吐き出す。
「ハッ、“王”の言葉ひとつで多くを騙し、脅し、穢し、奪った奴が何を言ってる? そんなに魅力的か? 外側だけ綺麗なバケモノのことが!」
海色の髪を靡かせる少女らしき存在は眉を強く寄せた。乱入者に背を向けた体勢で再度獲物に意識を向け構える。
「お行きなさい。貴方様は今この場に必要ありません。そもそも、ご自身の行動のおかしさに気づかれてないのです?」
質問に返事を返すことなく、彼はただ2人の動きに注目していた。
(理解不能、非効率。それでも俺は介入する)
カレッドの指摘は正しい。淡々と“王”の指示を聞いてきた“道具”の自身が、風成を──海色の瞳を見たあの日からいつの間にか妙な行動をとるようになっていた。
“海色”の警戒も理解できる。本来の立場を考えると、2人の弱体化を確認後、カレッドを殺し再生の魔法使いと風成を連れていくべきである。
(しかし俺は、お前たち3人の無事と帰還を目標にしている)
与えられた役割には必要ない、持つべきではない想いが、彼の原動力になっていた。
(これを手放すと、きっと届かない)
日に日に明確になっていく同じ夢。嵐の海辺で誰かを探し声を荒げ手を伸ばす光景。
(また明日、会えるように)
ぼやけて、揺らいで。はっきりとその輪郭を思い出せない。しかし、白い肌と青色の靡く髪が美しい、澄んだ海のような愛らしい瞳の女性の笑顔が蘇る。
(そうだ、俺は)
目をしかめる。
2人は片足を地面を強く踏み締め、相手に向かう。放つ一つ一つの動作全てにより強い憎悪と殺意を込めて。彼らの体の流れ、筋力の使い方からどのような攻撃を放つか推測する。
妨害に間に合わないと踏んだマリードは
土を大きな手にいっぱい掴み、それぞれの顔面に投げつける。
「ごほっ!」
「うっ」
驚きで一瞬硬直した隙を逃さず、伸ばした両手で彼らの手首を握り強く横に引っ張った。勢いのまま、3人は地面に倒れ込んだ。
(こいつらの力は常人と比べ物にならないほど強い。俺1人で縛りつけても無駄だ)
とにかく彼らが体勢を立て直しにくい状況に持っていく。
急斜面や異様にぬかるんだ土の場所に着地するよう誘導した。
「邪魔なんだよぉ‼︎」
カレッドは思うようにいかない状況が続き、怒りで考えることが粗末になっていた。ひたすら闇雲に相手に飛び掛かるようになっていたため、よりマリードによる誘導に引っかかっていた。
一方の“海色”は、意識が妨害者の方にも傾いていた。
(以前と違うようですね。教えられた動きだけの単純さでしたのに)
常に戦いの場に身を置いていた、昔々の自分の記憶が、ぼんやりと1人の男の姿を浮かべる。
「チッ」
嫌悪を込めて妨害者を睨む。彼はわずかに口角を上げていた。
・
麗奈は目の前の攻防に意識が向いてしまいそうになるが、3人でゲラゲラと笑って過ごせる日をつよく望むことで己を律していた。
(思い出すの! たくさん調べたじゃない、たくさん時間を共にしたじゃない!)
この地方で一番大きな図書館の隅に置かれていた、古い地域の伝聞まとめ書籍を辞書片手に調べたこと。地域のお話好きな老年の人々に語ってもらったことを絞り出す。
あくまで『伝説』という認識だったが、魔法使い関連ではないおかしな存在や出来事が立て続けに起こっていたので、どんな記述も証言も事実であると仮定する。
(昔あった祭りが、“よどみ”浄化の儀式って話よね。なら、どんな祭り内容なのかを)
生贄を出す祭りだったことに衝撃を受けたことを覚えている。紐つけて印象的だった情報を辿っていく。
(山奥の社に腱を切った“よどみの
次々に思い出していく祭りの全貌。麗奈はこの話をノートにまとめた時、不思議に思った点があった気がした。
山近くの農家のお婆さんのお話を思い返す。
『神さまに捧げる歌となぁ、かかさん(お母さん)が言いよったよぉ。やけど、歌おうとしたらいけんよ。神さまのやけんね』
曲はたくさんあった。しかし伝わるのは曲調や音楽のみだった。
(そうだ! 意味ある言葉や歌声は曲が奏でられる間は禁止されてたのよ!)
“神さま”の歌。すなわち、神だけが歌うことを許された祭りだったのだ。
神が歌ってくれるまで、当時の人々は夜通し音楽を奏でていた。
この国の神は国を形作るすべての存在そのもの。人に手を差し伸べ、良い方へ導く救いの存在ではない。この特性のため、人は彼らの意思を伝えてもらえることはない。
“よどみ浄化”の祭りも、山神にその気になってもらおうと命の活気を示すことが目的だった。
記憶は次々明確になる。祭りの終わりに関して記載されていた内容。
『最後まで祭りに参加したという人々は、普段聞こえるはずもない川の水が流れるような音を聞いたという。何人かがなんの音かと尋ねた直後、大人は皆すぐに片付けを始めたようである』
この山に大きな川は存在しない。どんなにしんとした夜中でも、決して水の音は聞こえてこないと、一昔前の語り部自身も証言している。
麗奈は憶測の代物だが現状解決に至りそうな案を固めた。
(何曲かはぼんやりと覚えているわ。神様に歌ってもらうの。そしたら⋯⋯はっ、だめよ)
少女は一番大事なことを忘れていた。山神は消されてしまっていた。
近代の政治家が海外に合わせた文明水準をと、祭りもろとも山神の社を葬り去っていた。ぞんざいな扱いを受け、人の所有物でしかなくなった山に、神聖な力が残っていないことは察することができた。
(神様の力は絶対必須のはず。どうしたら⋯⋯)
マリードの限界も近いだろうと、焦りが止まらない。今に至るまでの思い出が、次々に脳裏をよぎっていく。
その中、一つの記憶が強く残る。
風成の心情風景の具現化という気味の悪い空間で、彼女の魂のカケラに駆け寄った、爽やかな他校の一年生男子。
『膨大な概念の塊としての要素を含む“魂”は封印できねーよ。“神”とかがいい例だ。廻郷先輩の中にいる“海色”。奴はソレに該当する』
(“海色”が、神様と同じ存在⋯⋯?)
雀の涙よりも小さな光。そんな賭け事しか思いつかない。
(“海色”に歌わせるのよ)
山神が使ったとされる曲は多くあり、順番も不規則に鳴らされていたという。
つまり、歌が重要というより、神様が歌声を出すことが重要だったと結論付ける。
(歌わせるのよ! 信じて、あの日々を信じて)
3人で山に来て、歌っていた曲があった。年老いた人々が教えてくれた、地域で密かに伝えられている唄。
それは、人と人の繋がりを称え誓う、いつできたかも知らないもの。
・
マリードの体力は限界に近づいていた。身体の動作も鈍くなっている。“海色”とカレッドは、未だ衰えが見えない。
(妨害も、あと一度動いたら⋯⋯)
荒い呼吸に集中しようものなら、目の前の2人の次の行動に追いつかない。
意識を絞ろうとした刹那、耳に鼻歌が聞こえてきた。
3人は一斉に現場に取り残されていた女子高生の方を見る。
麗奈は自身を一つの楽器として何度もなんども同じ音楽を奏でる。
“海色”は気でも触れたかと思い、嘲笑いを浮かべようとした。
(あら、体が。動かないのはなぜでしょう?)
意識が音楽の方へ流れていく。
(この、うた、は)
どこかで刻まれた記憶。多くの緑と命に囲まれながら、食を楽しみ、酒を呑み、語り明かした日。
もう一つは、最近刻まれたもの。親友2人と一緒に教えてもらったもの。
『ずっと大切にしたいと、支え合うと決めた仲間とだけ唄うんよ。これは誓いであり約束であり、決意の証やから』
「えにしの、ちかいうた」
その意識とは別の感情が、声帯を奪う。
「我らは 共に居る
我らは 信じ合う
今紡がれし たより
今目に映る君
かくて 次に連なる
いでいで
わいやさ ういやさ」
麗奈の鼻歌に合わせて“海色”は唄った。
無防備に歌声を奏でる獲物を見たカレッドは、首に目掛けて手を伸ばす。
「させない」
すぐさま後ろに回り体術を用いて足止めをしたマリードにより、彼は動きが取れず唸り声を上げる。
(チャンスは今だけ! どうか、どうか)
サラサラサラ
シャラシャラシャラ
水がゆったり流れる音が聞こえてきた。
ハッとした麗奈は周囲を見る。
すると、数本の木を隔てた向こうの窪みが、いつの間にか川に沈んでいた。
それは明かりがわりになるほど輝く広い川。異空間であるためか、本来の地理ではあり得ない光景だ。
上の方に目をやれば、何かがこちらに向かってきている。
漕ぎ手がなくとも綺麗に浮かぶ小さな木舟の群。それらに囲まれた中央のひとつに、10代半ばほどの少女の姿が
その風貌は、古代の人々の装飾や衣服を纏ったもので、人間ではないと肌でわかるような異質の雰囲気を見せていた。
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