第43話 よどみ

 麗奈に──グラシュにとっては見慣れた光景だった。目の前の人物たちが殺害を目的に睨み合う姿は。

 ただ、が潰しあおうとする現場に立つことは“再生の魔法使い”も“普通の女子高生”も初めてである。


 さらに知っているはずの2人は未知の存在に成り果てている。


 愛しい恋人は怨霊や悪魔と等しい表情。彼の魔力とは異なる、まとった黒い炎は彼女の恐怖を強く刺激した。


 再び笑いあいたい親友の姿は、海色の髪と瞳、死者のような肌の色に変わっていた。丁寧な口調と鈴のように響く声色、わずかな月明かりの中でさえ色褪せない美しさは、この世に馴染めない存在であると告げているように見えた。


「何が起きてるの。どうしたの2人とも!」


 間隔が狭まる呼吸の合間になんとか言葉をねじ込み語りかける麗奈。


 カレッドは憎悪に支配され、愛しい人の声すら聞き取れない状態に陥っている。


 反対に現状を楽しんでいる“海色”は敵から目線を離さないまま困惑する少女に説明をする。


「あなたの恋人は、“よどみ”のうつわになってしまわれています。一方、“風成”は一休みしているので私が変わってあげています。説明はこんなところでよろしいでしょうか?」


 麗奈は、風成が『声がする』と呟く時があったことを思い出した。“鵺”を名乗る妖怪と遭遇した時も、彼女が海色に変化する体に苦痛をあげている様子も見た。


(全部が怖い⋯⋯こんな存在とふうちゃんはずっと隣り合わせだったの?)


 瞳に溢れる涙が現状から意識を逸らそうとするが、どうしても一つ引っかかることがある。


「よどみの器ってなに?」


 “海色”は一瞬目を見開き麗奈を見た。その後、嘲笑いを浮かべて言葉を告げる。


「あら、お忘れでしたか。山で調べた怪異やこの街の不可思議な現象を」


 彼女に言われて思い出す。そもそも自分たちがこの山に入り浸っていたのは、調べていた“怪異”についての手がかりや遺跡を見て心躍らせるためだった。

 この山に関する怪異を次々に頭に浮かべる。


 その中でも最悪で最も害のある話が現状に沿っていることに気づいた。


「“よどみ”って、あっ⋯⋯」


 息をすることに必死で声すら出せなくなる。麗奈は絶望を吐き出せないまま、地面に膝をついた。



『山には多くの命が集う。それはいいものばかりではなく、悔いや恨みを残したものも含め。その悪しき念や魂は一つの塊となり世を彷徨う。これを“よどみ”と呼ぶ』


 山には“よどみ”が蓄積されていた。それは周辺に生きるすべての営みに牙を向いた。草木を枯れさせ、悪意や狂気を増加させ、犠牲となった存在とさらに合わさり大きくなる。


 命を穢す呪いである。


 これに困った人々は、住民から選んだ1人を“器”にして“よどみ”を取り込ませ、山に贈った。山神はひとまとめになった“よどみ”を浄化し、害を最小限に抑え込んでいた。


 この習慣が恒例化し、年に一度、“よどみ”払いの祭りが定着した。選ばれた1人に“よどみ”を取り込ませ山神が浄化しやすいようにする。


 しかし百数十年前、この祭りは廃止された。新政府は一連を野蛮な悪習でしかないと認定し、山神の存在もろとも地域から抹消するように働いた。風成たちが見た資料は、街を調べていた民俗学者が伝聞で書きまとめたものでしかない。


 “よどみ”は長年、年に一度かき集められ人の器に閉じ込められたため、自然とそのような“特性”を得た。それを浄化する方法も存在も忘れられたため、力も肥大化していく。結果、『毎年決まった時期に人に取り付き大きな害を振り撒く』怪異として成り立った。



 麗奈は、カレッドがこの器に選ばれたという事実を理解した衝撃で立つ気力さえ奪われた。

 この時期の犯罪者は飛び抜けて凶悪な罪を犯し惨たらしい結末を迎えることを知っている。


 カタカタと震える少女に追い打ちをかける美しい声が届いた。


「この子は幸運なことに、私に対する明確な攻撃性を秘めていました。“よどみ”はあくまで悪意を増幅させるだけです。大事にはならないようですね」


 “海色”は優しさから声をかけたわけではない。彼との戦いで敗北するとは思っていない。その目的は『麗奈の憎悪を買う』ことだ。を作り、さらに風成を精神的に追い込み、自身の方へ誘導する算段の一歩としての言動だ。


「昼間の声掛けから分かっていました。だから木刀を用いて彼を解放して差し上げようと思った次第です」


 次々に挑発めいた発言を聴く麗奈だったが、感情的な面を抑え現状把握をしようと切り替えたため、冷静さを取り戻していた。


(あら、意外ですね)


 “海色”はどうしたものかと闇に覆われた空を見上げた。


「余裕じゃないか、害悪め!」


 わずかな隙を見せた敵の居場所に目掛けて、カレッドは強く地面を蹴り飛躍する。想定外の速さにきょとんとしながらもソレは軽々と怨念を纏った腕を体術で流し、木刀を背後に突き立てようと手に力を込めた。彼は致命的な痛み避けるため即座に強引に足を動かし、軌道を逸らした。両者は軸を整えるため距離を取り構え直す。


 その一瞬のやり取りは、再び麗奈の心を強く揺さぶった。


(早く助けを、人を呼ばないと)


 重い足で来た道を戻ろうと背を向けた麗奈に、邪気を纏うカレッドが声を荒げた。


「グラシュ待ってろ! コイツを殺すまで何もするな! この場所に出口はない、コイツを殺すまで山は密室も同然なんだ」

「説明不足はダメですよ。あなたがお亡くなりになっても出口は開くでしょう?」

「黙れっ!」


 出口がない、この言葉だけで麗奈はどうしようもない事態になっていることを悟った。


 怪異の中には、一定の場所を現実の空間から切り離し独自の世界にしてしまう存在がいる。“結界”“異界”と言われる空間が、今立っているこの場所だと理解した。


(異界を打破する方法なんて知らないよ⋯⋯)


 彼女の目に嫌でも映る、愛しい人たちの赤に塗れた苦痛な姿。耳に入る草木が傷つく音と肉体が奏でる鈍い音。鼻につく緑に微かに混じった鉄の匂い。


(きっと、あの時のふうちゃんもそうだったんだ)


 嫉妬のまま動く魔法使いと、愛する人が戦ったあの日。大きな異形が、王の兵器であるはずの魔法使いが場を収めなければ、どちらかが力尽きるまで止まらなかったことなんて簡単に想像がつく。


(ずっと大好きだと、憧れだと話してした“お兄ちゃん”、だったのよね。ベールの体は)


 合宿中の就寝前、百得に詰め寄られた風成は端的に彼女との関係を話していた。隣にいた麗奈もその会話を耳にしていた。


 大切な人たち同士の殺し合いを見る絶望の中、親友は“海色”の声掛けとも戦っていた。


(何もできていない。何もしてない。私は、わた、し、は⋯⋯)


 呼吸を忘れた少女の体は限界を迎え、暗闇に溶けていく。感覚全てが閉じていく。


「⋯⋯ほ、要頬かなめほほ、聞こえるか、俺に合わせて息を吐け」


 男の声が聞こえた。言葉通りに長く長く息を吐く。


「判断が遅れたことを謝罪する。情報打破に力添えをしよう」


 抑揚のない淡々とした口調は落ち着きを与える。


「目標、全員の生還。手段、怪異の把握。補助、2人を妨害し時間を稼ぐ。両者の力量から10分ほどしか保てない。怪異関連全ての知識をもって案を実行しろ」


 ゆっくりと力が戻る。意識が鮮明になる。


「また明日、会えるように」

「う、ん。うん!」


 一瞬、温かみを帯びた彼の言葉が麗奈の心を再起させた。麗奈は見失わない程度に距離を取り、拳を握りしめる。


「ありがとう、会橋えばしくん」


 麗奈から離れた彼は、回し蹴りによって放たれた足と振り下される木刀を、方や素手で、一方はもってきていた竹刀で受け止める。


 予想通り強力な衝撃で痺れる両手。閉じた口の向こうで歯を強く噛み締め痛みを堪える。


 思わぬ乱入者の登場に、両者は眉間にしわを寄せた。


「ッ! 邪魔だ! マリード!」

「そこを開けていただけないでしょうか?」


 マリードは己の限界に近い力を込めて両者を振り払い体の均衡を崩す。2人は隙を一瞬でも作らないようにとすぐさま体勢を整えた。


 2人の間に立つ彼はぽつりと一言口にした。


「お前たちは、汚れるな」

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