第26話 鏡の導き

 外部から侵入した蒼樹と“春呼”は、展開されている厳しい環境の迷路に全く臆することなく走っていた。


「蒼樹、どこに向かっている?」

「まずは人! 数人は肉体を保ったままこの場にいるみたいだ」

「数人⋯⋯?」

「この異空間に飲み込まれたやつは大概、存在定義が揺らいでカタチが曖昧な状態だ。例えるなら透明人間。それに加えて自他共に認識できない事態に陥ってる」


 異空間は広がっている。そこに包まれてしまえば、ほとんどの人間は不安定な存在になる。肉体を維持した数少ない人々は救いのない環境に絶望し、やがて衰弱していくことは容易く想像できる。


 一刻でも早く解決しなければならない。


 “神眼”──現在までの全てを見透かせる目を持つ蒼樹は、現状を作り出した原因も、その解決方法もわかった。


「まずは肉体を保ったままいる奴らを集める。そしてきみを使わせる。“核”を斬らせるんだ」

「死を前提に使用する者が居るとは考えられぬ」

「使わせる方法なんて

「⋯⋯」

「神の血、なければ俺が使ってたんだがなー。代わりはいるし」


 深いため息をつく少年を映した刀の目はそっと足元に向かっていった。


 蒼樹の肌に冷たい感触が伝わる。吐き出す息も白く色づく。気味の悪い赤色の肉のような壁に覆われた景色から様変わりし、地面は氷の表面に、頭上には鋭く尖らせたつららが多くあった。


「一人目みっけ。おい、意識あるかー?」


 赤紫髪の少女はところどころ凍り付いている。放心状態であるのか、体の危機的状況を気にすることなく一人で何かをボソボソと呟き続けている。


「お前しっかり⋯⋯って、占い師の“しゆきさま”じゃねーか! 何がどうなって」


 反応しない彼女だが、蒼樹の『神眼』がその全てを見透かす。彼の脳裏に、彼女の記憶が多く流れてきた。



 “しゆきさま”は活動名。本名は『朱見等すみら 紫幸しゆき』。実年齢16歳。


 少女の人生において手を差し伸べてくれる人間はいなかった。代わりに、遠い彼方、先祖が神様からのお返しとして貰ったという鏡が、空っぽの彼女に生き道を教えてくれた。


 生存に必要最低限の物と行動しか許されない彼女の耳に『声』が届いたのは8歳の頃だった。


『聞こえているね? ならば、まだ望みはあるわ』


 紫幸は話すことも許されない。返答ができず困っていた。


『そう。本当に堕ちたのね、あの子達。私の声は他には聞こえない。もしよかったら、聞いていって』


 紫幸まで続くご先祖のお話。


 鏡を手にした最初の代は、神聖な力を周囲のために使った。しかしそれ以降、地位を得たことに慢心した彼らは、いかにその地盤を固めるかでしか動かなくなり、最終的には我欲のためだけにしか使用しなくなった。


 鏡は力を貸すことをやめ、その強欲を写しては呪いのような形で返した。


 その結果、鏡すら使えなくなり、家は落ちぶれ、富も名声も力も失っていった。


『売られたり壊されかけたりしたけれど、その都度呪いをばら撒いて、なんとか現在まで残り続けたわ』


 紫幸はブランド品の山の向こうにあるはずの、鏡が置かれていれる押入れの方を向き、その話を聞いていた。


『声を聞いてくれた子は、実に何百年ぶりでしょう。いつか、私の本体をここから出してね。そしたらゆっくりお話しできるわ』


 声はその日以降、軽い挨拶以外は話してこない。


 少し寂しく感じた紫幸は、押入れを眺めて呟いた。


「お母さんのものは触ってはダメなの。お父さんはお外が好きなの。えらい子にしていれば頭撫でてくれるから、がまん。言われたことだけやればいいの」


 鏡は出そうになった言葉をグッと抑えた。


 紫幸はある日、鏡に呼び出された。


『ここから私を出して!』

「でも、お母さんのものに触っちゃうから」

『どうでもいいの! 私に従って! 私たちが危ない目に遭いたくないから言ってるの!』

「う、うん」


 紫幸は少ない体力を必死に絞り、押入れをかきわけて雑にビニールに入れられた鏡を見つけた。円盤で見慣れない形だ。


 鏡は映像を鏡面に映す。


 そこには知らない人と両親が話し合う光景が写っている。


「我らアトラン派は、娘さんの存在が全ての元凶と突き止めました。あなたたちからお預かりしてもよろしい?」

「いいえいいえ、お預かりなんて! もう、貰っていってください! 借金の肩代わりや生活費支援のお礼ということで!」


 紫幸は信じられなかった。我慢したら優しく頭を撫でてくれる両親が、こんな変なことを言うわけがないと。


『信じられないのなら、私を持って外に出なさい』


 紫幸は混乱したまま、鏡のいうことを聞き、初めて外にでる。人気のない不気味な住宅街。その路地裏にひとまず待っているように鏡に命じられた。


 向こうから聞こえる両親の声。


「いやー、アトラン様々だな! 帰ったらすぐアレを渡そう!」

「なんか、貢献したって感じだわ! あげたらもっと愛し合っていこうね、あなた」

「あぁ、邪魔者に感謝する日が来るとは思わなかった! 最後くらいうまいもん食べさせるか?」

「えー、いつも通りでよくなぁい?」


 自分には見せたことのない、幸せそうな笑顔と仲の良さ。


 少女が入る隙は、どこにもなかった。


 固まる彼女に、鏡は声を上げる。


『とにかくここから離れるわ! お願い、生きて。生きることを考えて』


 紫幸は鏡に言われた通り『とにかく生きる』ようにした。自然の中で生き延びる術から、人の世界に混じって生きていけるように、遠い地で小さな保護団体の支援を受け、必死に学業にしがみついた。


 文字や数字の読み書き計算、ある程度の知識を有した後は、占い師としての術を鏡に指導され、活動してお金を集め始めた。稼いだお金は護衛術取得のために使った。


 占い師として、名を轟かせ始めた頃、アトラン派を名乗る者たちから、勧誘をされた。


 断りを入れたら、それが敵対の証となったのか、人気のいないところで知らない人に襲われるようになった。


 はじめこそ護衛術で対応できていた。


 しかし次第に不思議な力を使い始める人々が襲ってきた。


 鏡は、占い以外でも自分の力を使えるように彼女に教え、また、彼らを殺すことを教えた。


 彼女の人生は、鏡だけが支えてくれていた。



 蒼樹は、目の前の少女が放心状態になる理由を理解した。


(でも、このままほっといたらダメなんだよぉ!)


 少年は彼女のほっぺを強く摘んだ。


「いっ」

「お、意識戻ったか。よぉ。俺は蒼樹。さぁて、現状解決しにいくぞ」

「あ、でも、鏡さん」

「場合によっては壊さねばならないよ」

「そんなの、無理です」

「どっちか壊さないといけないんだよ。お前だけのわがまま⋯⋯」


 蒼樹のセリフに覆い被さるように“春呼”が言う。


「まずは“核”を見ることが先。どのみち俺を握れる奴がいないかぎり、攻撃での解決は無理だろう。ほら、ガキどもいくぞ」


 蒼樹が紫幸を支えたことを確認すると、“春呼”

は先頭に立ち、道を開けていった。

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