第15話 夢告
山をぬけた後、風成はすぐさま帰宅した。
力みながらドアを開けてはそそくさと家に入り、勢いよく閉めてから震える手で鍵をかけた。
ドアに背をつけ、荒い息を整えるため深呼吸をする。
しかし落ち着こうとするほど、体の痛みが強く響き、牛鬼に与えられた恐怖を思い出す。
「はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯ぐっ」
彼女はそのまま廊下に倒れ、気を失った。
・
風成は下半身が冷たく感じて、目を開けた。自身の体はどこかの海に腰まで浸かっていた。
「⋯⋯これは、夢か」
『ええ、そうですよ』
自身を囲む海が人型の形状になっていく。そしてひんやりとした手に模した海の塊で彼女の体をゆっくり柔らかになぞっていく。
「お前の考えはわかる。“海色”よ、
『正解です』
人型のそれは顔を模した部分に口を浮かばせ、風成の耳の近くにぴっとりとつく。
『仕方ないとお思いで? いいえ、はっきりと言いましょう。あなたは負けました。たかだか牛鬼に。神の端くれ、“理”の異なる存在に怯え恐怖しました。そう。あなたは弱いのです』
自分で感じていたことをはっきりと言語化されて、歯をキリキリと食いしばる。
『そんな弱い弱い心のあなたに、“約束の君”は会ってくれるでしょうか? 会ったところで気付いてくれるのでしょうか? 見られたところで愛想尽かされて捨てられるのではないのでしょうか?』
「あの人はそんな! そんな⋯⋯」
『ほとんどわかりやしないのに、理想像だけにへばりついて⋯⋯本当に惨めですね』
「う⋯⋯」
風成は“海色”の悪意を跳ね返すだけの力を失っていた。次々に見つかる己の弱さに恥ずかしさと悔しさ、惨めさを感じる。
逢いたい想いは強いままだが、自身が“その人”に見合う何かが見当たらず、段々と波にのまれていく。その光を見失っていく。
そんな彼女にたたみかけるように“海色”は優しくて甘く美しい声で言う。
『人の身で足掻くには無理なものなど
いけないと彼女はわかっている。しかしあまりにも望むものは遠すぎて、背伸びするのも疲れてしまっていた。
(ただ、のまれてしまえば楽なのだがな⋯⋯あぁ、逢いたいのに⋯⋯)
波が彼女を覆いかぶさろうとすぐそばまで迫る、刹那。
『今日はここを読もう』
「──兄さん?」
・
気づくとそこには小さな自分の手と隣り合う大きな男性の手が。振り返ると優しい笑顔で自身を見つめる従兄の乃琉がいた。
「どうした? さぁ、読むぞー」
「う⋯⋯うん!」
何度も読んだ【安倶水記】。知っている内容。
(五郎が兄たちに暗殺されかけて、重傷を負って、河鷲法師の世話になる話か)
それでも兄の手を握りながら、落ち着く声の朗読を聴いていた。
「五郎は寝ているところ家を焼かれてな。右顔に大きな火傷を負ってしまったんだ。彼を慕っていた人がこっそり助けてくれて命は助かったが」
「そして、何日か後に目を覚ましたんだね」
「あぁ。彼を保護した河鷲法師は言った。この地を離れひっそりと暮らせばもうつらい目には遭わないと。彼は五郎をとにかく生かせたかった。大切な二人の武士が残した弟子だからな」
「五郎の返事は?」
「離れることには賛成した。しかしそれは兄たちを打ち倒すための算段だった」
「なんでやり返すの?」
「慕われてるのが気に食わないからと暗殺をするような奴らだ。ろくな治め方をするはずもないだろ。その地は五郎の師が──乱影や海美が愛した場所。彼は守りたかったんだ」
乃琉は本を閉じ、風成の頭を少し強引に、しかし親しげに撫でる。
「何度つまずいても、何度地に伏せても。大切な成すべきことを見つけたなら立ち上がれる。一つの希望を抱いて、がむしゃらに走り抜く。できないことが多いからこそ運命に抗い立ち向かう強さが人にはある」
乃琉は風成を立ち上がらせるとその背中を優しく前に押す。
「お兄ちゃん⋯⋯に、兄さん‼︎」
「知ってる。お前の強さは俺が保証してんだぜ!」
・
強い熱が海を消していく。
『な⋯⋯』
海をかき分け、風成は手を上に伸ばす。
『あなた恥ずかしくないのですか⁉︎ あんなに自分の無様さを思い知ったのに!』
「たった一度の敗走で折れるほうが! よっぽど弱いだろうがー!」
海は段々引いていき、強い光に風成は包まれた。
・
瞳を開けると、夜明け前の空が窓の隙間から見えた。
「⋯⋯そうだ。どんなに恥ずかしかろうと、どんなに惨めだろうと、強くなってみせるのだ。お前に逢うために、お前に届くように」
風成は体をほぐす。体の傷は幸い、目立つ場所ではなかった。昔から傷の治りも早かったので薄い青あざ程度になっている。
身支度を終えて誰よりも早く、武道場に向かった。
・
時を遡る。
マリードは部下の魔法使いたちに何があったか問われていた。しかし彼は牛鬼の言葉を脳内で繰り返し、判断がつけられずにいたのでそのまま無言で休息をとった。
マリードは最近、似た夢を見るようになった。暗闇の中、波の音だけが聞こえる。
(またこの夢か)
風成と出会ってからその夢は見始めた。はじめこそ何とも思わなかったが、波の音が荒れている海そのものだと気付いた時、自身の前世の死に際を思い出す。
(あの時も、こんな音だった)
最後の日、王国は結界が緩んだ隙に荒波に削り取られバラバラになった。
(あまり聞き入るものではない)
死因だから多少の不快感があるのかと耳を塞ごうとした時。
『汝は罪人』
彼の目の前にぼんやりとした人影が浮かぶ。モヤのように見えるが、確実にそれはいた。
「誰だ」
『罪人に名乗る名は無し⋯⋯本来なら裁き有り。しかし恩知らずも悪なり。故に言の葉を授けに参った』
「裁き? 恩知らず?」
『⋯⋯一度しか言わぬ。心して聴け』
その人影は決してマリードの言葉を受け付けないが、彼が聞く耳持つまで言葉を発さずにいた。
「⋯⋯はい」
『よろしい、では。“他言せず行くべし。繰り返しを止めるならば”』
「繰り返し⋯⋯?」
『これを持って恩は返した。さらば』
強い風が荒波の音をかき消していった。
・
マリードは目を開ける前に手に何かふさりとした感覚を感じた。視点を右手に移す、そこには黒い羽根が一つあった。数秒見たのち、それは透明になり消えていった。
「⋯⋯あの夢は」
マリードは強く、手を握りしめた。
・
試運転の合同合宿当日。トドロキ高校の正門に、武道系部活動生数人が集っていた。
「本日引率を担当させていただきます、宇野です。よろしくお願いいたします」
宇野の視界に小柄な少女と、飛び抜けて背の高い少年が映る。
宇野はその二人に近づき、誰にも聞こえない小声で話す。
「廻郷ちゃん、一緒に強さを学ぼう。会橋くん、良い選択をしたな♡」
彼らが目指すところは隣の県の山に囲まれた神秘の地、安倶水本家に隣接した合宿施設兼道場である。
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