第8話 かすかなるもの

 風成はかつて、麗奈や最実仁と共に不思議な話を調べては現地に行く趣味を持っていた。そのため、伝説や怪異にとても詳しい。


 実在している事実には驚きながら、目に映るその異形を確認する。


「猿の顔、狸の体、虎の手足、蛇の尻尾。翼まであるのは知らないが⋯⋯あの“鵺”なのか」

「この翼は鷹である。⋯⋯お前が指すは人に消されたモノであろう。あれが蘇った存在、あるいは生き延びていたものではない。別個体、というべきか」


 一つの家ほどあるその体から発せられる低音は、黒い霧に囲まれたその場に響く。


 マリードが構えながら、いつも通りの無機質な様子で風成に尋ねる。


「“鵺”? 廻郷、知っているのか」

「妖怪っていう、伝説上の存在の一種さ。ハマヒメのような」


 鵺は風成の言葉に赤く光る目を細めたが、すぐさまあらわにした感情を隠した。


「今は人の世。存在がかすむことも致し方なし。さぁ、無駄話はここまで」

「⋯⋯は?」

「2度いう趣味はないが⋯⋯舞台を整えたのだ」


 黒い霧がより一層濃くなる。


 風成は鵺が立つ方角の近くに人と気配を感じた。大好きだった人の体を持つ2人だ。


「街が見えてきた⋯⋯あれ?」

「カレッド、ここは──?」


 風成の心臓が高く鳴る。


 鵺はニヤリと笑っていた。


「鵺、何を⋯⋯」

「この霧に迷い、ここにきたのだろうさ」


 黒霧は彼女たちを囲むように濃くなっていき、内側の空間だけ晴れていく。一同ははっきりと互いの顔を認識しあった。


 カレッドが口を開く。


「なんだその髪色、その肌! 気持ち悪い⋯⋯」


 グラシュも続く。


「マリードもいる? なに、またあなた⋯⋯あなた⋯⋯!」


 カレッドとグラシュはマリードの向こうにいる人物を見て固まる。それはも同様であった。


 震えるグラシュを抱き寄せながらカレッドは赤い魔力を身にまとう。


「その魔力、顔も思い出させる⋯⋯テメェ、あのベールか‼︎」

「再生の子⋯⋯! そして、あぁ、あんた! あの方が作りし理想の国を破壊尽くした、私をあんな目に合わせた! 炎の悪魔っ! カレッド!」


 ベールもカレッドに応じてその高い魔力を身にまとう。


 ベールとグラシュは苦しみながらその手にそれぞれの魔法杖を召喚する。


「うっ! ほんと上手く魔力が練れないわね! 杖を出すだけでもこれなんてっ!」

「この黒霧のせいなのか⁉︎ こんな調子じゃまた守れない!」


 渦巻く両者の憎悪はぎりぎりのところに立つ風成の意識をかき消せる勢いのものだ。


(本気で、殺し合うのか? 兄さん、麗奈、最実仁⋯⋯)


「やめ、ろ」


 そんな風成の小さな弱音を聞いてくれる存在はいない。


 くらりとした風成の視界と耳に、怒りや憎しみを思いっきりあらわにする両者が嫌に入ってくる。


「あんただ! あんたのせいで! グラシュは、俺の大切な人は死んだと言ってもいいんだ! それだけでは飽き足らずお前らはまだ俺たちを狙う! お前に至っては必要以上に害を加えるだろ!」

「地方の低級魔法使いのくせにわがまま言うから当然でしょう! あの方の高尚な理想は、あんたたち馬鹿どものせいで台無しよ! そもそも、再生魔法使えるってだけで王に認知されて! 嬉しいわねー! いいわねー! 私も、私もそうだったら! もっとおそばにいれたはずなのに! あなたが私を殺したせいでっ! もっと遠くになってしまったわよーっ‼︎」


 カレッドは腕や頭に血管を浮かべるほど力み握った杖から、魔力の豪火を放つ。


 「“灯は無限の源レジー・アンフィリース”! 燃え尽きろぉ!」


 ベールも地面に杖をつけて苦しそうな声を浮かべながら唱える。


「“乙女の心は複雑でデモム・ジューン・フィール”! 消え失せなさい!」


 すると地面が刺々しい形状の波となりカレッドたちの方へ向かう。


 二つの力は間でぶつかり、爆風が周囲を包む。


 勢いは止まらない。ぶつかり合う金属の音が、鈍い音が、くすんだその場から聞こえてくる。


 大切な人たちの声で聞きたくない敵意と殺意に満ちた叫び。


 風成には、唯一の光としていたあの約束さえ見えなくなっていくほど認めたくない光景だった。


 “声”がたたみをかける。


『中途半端に残っているから辛いのです。現実を見せてくださったあの妖に、最高の褒美を差し上げましょう。くだらぬ不完全な世に、破壊を』


「あ、あああ、あ──」


 黒いものに覆われる。青い波が今度こそ自身を包む。せきとめるものは何もない。真っ暗闇が最後に見る光景なのかと彼女は笑い力を抜いていった。


『廻郷!』


 聞こえてくる声とともに見えてくるもの。いつも感じている後方の強くてあつく輝かしいそれとは比べ物にならないなにかが、前方に認識できる。 


「?」


 目を凝らしてやっとわかるほど、うつろで消えてしまいそうなもの。それでもここにいるとでも言うように存在を主張する。


「なん、だ?」


 後ろにしか──過去にしか、拠り所がない。そう決めた彼女はあり得ないと笑いながら前を向く。せめて、このかすかなものが何かを知るために。


 耳に入ってきた3人の魔法使いが驚く声。止んだ不快な殺し合いの音。目をそっと開ける。


 瞳に映った光景。風成は目を見開く。


 ベールとカレッドの間にはいり、彼らの腕をそれぞれ掴んでいるマリード。


 彼の手は片方に火傷を負っていた。もう片方は血の色に染まっていた。


「⋯⋯え?」


 じっと彼を見つめる。


 一方彼の行動が気に食わなかったベールが声をあげる。


「何で邪魔をするのよ! 私に加勢してこの男を殺しましょう! そしたら私は──」

「⋯⋯喋るな」


 より一層、彼らの腕を強く掴む。魔法使いたちは杖をその手から放した。カランと音を立てたそれは消えていった。


 続いてカレッドが口を動かす。


「どけ! こいつは! 消さないと!」

「⋯⋯お前ら見ろよ」

「あ?」

「ずっと泣いてる。ずっと叫んでいる。荒波に全て削り取られかけている」

「何の話だ」

「本当に消えたのか、それでいいのか、!」


 表情は見えないが、その声は演技でも空虚でもない。初めて彼の口から出た誰かを想う大声。


「⋯⋯これ以上、醜い様を見せるな」


 魔法使いたちの動きが止まる。殺意の気迫も最高潮時より収まっている。


 舞台が終わりに近づいたことを悟った鵺はまたはっきりと姿を見せる。


「⋯⋯ふむ、やはり貴様は面倒だ。まぁ、こういうのは楽しむべきか」


 先ほどまでベールへの怒りで何も気にしていなかった彼らは、その巨体の妖をみてふるりと身震いをした。


「今更か、お前たちは色々と凄いな。⋯⋯さぁ、幕引きだ。今成せぬならまた次整えれば良い。行くぞ」


 鵺はふうっと息を吹きかける。するとベール以外の体がふわりと浮き、鵺の背に着地する。


「捕まっておけ、振り落とされ死にたくなければ」


 鵺は空を黒い霧や雲を渡るようにかけていった。不気味な鳴き声を街に轟かせながら。


「な、何なのよー!」


 ベールのやり場のない感情がかすかに聞こえた。



 鵺は住宅街の人気がない公園に着地し、背に乗せた人間に降りるように命令した。


「思えば、吾の方も準備不足だ。これまでが無駄になる前に動くとするか」


 鵺はそうこぼすと暗闇の空に飛び立っていった。


 一方カレッドとグラシュはいまだ、落ち着かない様子だ。ベールがこの街にいること、伝説上の存在であるものが目の前にいたこと、そしてマリードの言葉。


『本当に消えたのか、それでいいのか』


 あの言葉は魔法使いに対しての言葉ではない。引っかかるものだが、あえて知らないと各々の何かに蓋をした。


 一方風成は完全に元に戻っていた。


「⋯⋯お前、どうするんだその怪我」

「治療先はある。気にするな」


 いつもの無機質な声と無表情の顔。先ほどの出来事が嘘のように感じる。


 それでも風成はきちんと出すべき感謝の念は伝えた。


「ありがとう、助かった」

「⋯⋯あぁ」


 彼らは消化しきれない想いを抱いたまま、それぞれの帰路に着く。


 風成は久々空を見上げてみた。


 鵺による霧や雲はなく、いつか大切な人と見た星空がきらりと輝いていた。

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