嫉妬の女、災いの妖

第7話 サイアク

 桜も緑に衣替えして、新学期の雰囲気もだいぶ落ち着いてきた。


 生徒たちの話題は連休にまつわる話ばかりだったが、その日は違った。


 芸能科専攻や『美』に関して関心を持つ生徒たちはその話題を楽しくしていた。


「とても綺麗な美容師さんだって!」

「学校からちょこっと離れたあの美容室でしょ? 元々腕がいい人多かったけど」

「最近入った人はもっといいらしいよ!」

「確かホームページに⋯⋯」


 普段どんな話題も孤立しているため触れていない風成だが、その日はたまたま百得が登校していたため知ることができた。


 しかし彼女は全く興味がないのでそこまで反応しない。


(あそこか。通り道の)


 美容室に行く素晴らしさを熱弁する百得の話は教室の雑音の一つへと消えた。



 夕暮れまで部活に打ち込み帰路に着く。帰宅ラッシュの時間帯も過ぎているので人気ひとけもない。


 風成にとっては見慣れた当たり前の路地。


 だからこそ、気づくのが少しだけ遅くなった。


 噂の美容室前。閉店作業をしている人物。


 見覚えのある細かで綺麗な髪。彼女が知るその人より伸びているが確信がある。


 女性もののゆったりした服装をしているが、それでもわかる鍛えられたその身体。


 そして厚化粧でもわかる綺麗な顔。昔、より近くで、よりたくさん見続けた憧れの人のもの。


(⋯⋯うそ)


 ざわつく胸と内側からわいてくる燃えるような激情。そして響いてくる“声”。


「──ッ」


 風成は普段使いたがらない大通りの方の帰路に向かうため道を引き返した。


「風成、ちゃん?」


 その無理に高くした声は幼少期の絶望を思い出す。初めて向けられた最大の敵意をこめた言葉。相手はきっと覚えてはないだろうが。


 立ち去るべきだと脳内ではわかってる。


 相手の考えていることも大体察することができる。証拠に“声”がだんだん大きくなって自身に近づいている。


 なのに体がいうことを聞かない。


 ゆっくりと振り返る。


「やっぱり風成ちゃんじゃない! 大きくなったわね!」


 にっこりと笑う悪意の前に風成は自然と“無知な者”を演じる。


「えっと⋯⋯?」

「あ、そうよね⋯⋯。私ってば突然ありのままに生きようと決意して⋯⋯。ほら、覚えてる? あなたのイトコの。乃琉のるよ!」

「覚えてます。昔とてもお世話になりました。ありがとうございます」

「そんな! 他人行儀にしないで! 私、仕事関係で最近ここに引っ越してきたのよね。それにしても⋯⋯ほんと綺麗ねあなた」


 乗っ取った“乃琉ひと”を利用している。それだけでも腹立たしいのに、隠せてない悪意を見続けるとより精神が削られていく。


『あぁ、何をそんなに我慢してるのですか? 風成わたしよ、わかってるでしょう? 違うのですよ? 愛をくれた兄ではないのです』

「あ⋯⋯あぁっ⋯⋯ううう」

「風成ちゃん? どうしたの?」

「き⋯⋯気分が悪くてな。じゃあな」

「そうなの? 一旦休んでからいく? ちょうどお水もあるし」


 また一段と大きくなる“声”。同調して湧き上がる感情。これ以上茶番を続けるのは不可能だ。


「もういいぜ」

「⋯⋯ん?」

「演じなくてもいいっつってんだよ!」

「⋯⋯まぁ知ってるでしょうね。あの2人と親密な関係を築いているらしいじゃない。多くの魔獣を撃退してきたしさらにはマリードとも面識がある。乗ってくれていたからこのままあっさり消せるかと思ったのに⋯⋯毒殺は失敗ってとこね」


 ため息をついたその人物は、毒水が入ったペットボトルをぽいと道端に投げ捨てる。


「ほんといやだわ、この身体。なんの役にも立ちやしない」

「⋯⋯お前!」


 抑えは効かない。兄を侮辱された怒りと穢された憎しみが大きくなる。


「お前ごときが! 兄さんを! 罵るな!」


 自我が薄れていく中、その人物は彼女を見て笑っていた。


「何アナタ! 気持ち悪いわね! 魔法使いわたしたちでもないのに身体が変化するとか本当に人間なのぉ?」


 その身体、その声以外に兄はいなかった。


 あらためて突きつけられた現実に、心の深い傷が全身に広がっていくように感じた。


「⋯⋯やめろ、兄さん⋯⋯う、あぁぁ、サミシイ、ニクイ、モウ全テ──」


 肩に刺激が走る。一回り大きな手の感覚。


「廻郷、落ち着け」


 曖昧な意識の中振り返る。そこにいたのは自分自身には興味も何も持つはずのない男。初めてその人物の名前を呼ぶ。仮の名前であれど、今、自分を呼んでくれた彼に。


「えば、し」

「⋯⋯ん」

「あ⋯⋯くそ。すまない」


 クラクラするが自我の維持はかろうじてできる。


「廻郷、確認事項ができた。そこから動くな」


 マリードが自分の都合や感情で動く存在ではないことは知っている。それでも、膝をつく自分の前に背を向けて立っていることが彼女に安堵をもたらしていた。


「どういうことなの? アナタはあの人の⋯⋯」


 風成を庇うように立つマリードに疑問と不快感を顔の歪みで表現する人物。


 彼はいつも通りの無表情で問う。


「あの方の王命か? ベール・クロッカス」

「なによ、私がいると不都合でもあるわけ?」

「話をずらすな。任務を賜ったのかと聞いている」

「⋯⋯生意気ね。同じ“三柱”と言われてることがほんと嫌になるわ」

「そもそも今のお前では彼女を殺害すること自体が難しい。魔法が練り辛い状況も理解できないのか」

「⋯⋯る⋯⋯わね」


 フルフルと顔を下にして息を荒げ震えるベール。会話が全くできていないその様をマリードはなんの情もこもっていない視線で見続ける。


 それが気に食わなかったのか、髪を振り乱しながら感情を吐露する。


「うるさいわね! 駒でしかないアナタにはわからないわよっ! 気づいたら男の体で! 王は愛を与えてくださりはしても! おかしな世界になったせいで共に添える時間もないわ! そんななか突然のこいつ! 魔法使いですらない、むしろ見かけだけの化け物じゃない! こいつが消えれば少しは王との時間はとれるわ! いいでしょう別に! だって私は上位種の魔法使いなんだから!」

「⋯⋯完全な私情、か」

「優れた存在だもの。何してもいいでしょう」


 めちゃくちゃな理屈で命を奪おうとする“女”への憎悪が、風成の中で再度溢れ出す。


「優れた存在?」


 あの“声”と意思が合わさり始める。


「失敗作、が?」


 風成のぼやけ霞む視界に映ったのは振り返った大きな人影。聞き取れた声は無機質とは言い切れない自身の苗字を呼ぶ男の声だった。


「廻郷⋯⋯!」



 彼女の意識は再び薄れていく。ギリギリで繋ぎ止めてくれている、遠くから聞こえる“ある人間”の名前を呼ぶ声も遠ざかっていく感覚。


(●●●●●って、だれだっけ?)


 理解力が低下する。何もかもわかりやしない。そんな真っ暗な景色の中、懐かしい光だけを認識する。


(⋯⋯まだ、あえてない)


 ため息が聞こえる。


『まだ粘っているのです? これでは中途半端になりますよ』

(だって、やくそく、したもの)

『はぁ。あなたわかってます? この女、この街に住み着くのですよ? ずっとお兄様の体で、凶行を続けてしまうのですよ? 止めないと、お兄様がもっともっと』

(こ、こまる)

『その解決法があります。それはね──』


 大きな荒波が覆いかぶさる直前。


 反対側からなんとも言い難い禍々しさをまとった嵐が迫ってくる。


「仮名で呼ぶ。ハマヒメ、舞台が整っていないぞ」

『あなた様、は』


 その悪寒は一気に意識をあるべき場所に引き寄せた。



 うずくまる一部が海色の風成。その背後から、不気味で不吉な雰囲気が漂う。気づくと黒い霧が辺りを覆っている。


「⋯⋯⁉︎」


 二人の魔法使いは危険を肌で感じ、身構える。


「起きよ、人。目に焼きつけよ、わざわいを」


 その低く恐ろしい一声で、少女は身体を起こす。見た目は未だ半々だが、その意識は風成のもの。背後の邪悪に気付き咄嗟に背をブロック塀につける。そして、その巨大な影を見て目を見開いた。


 魔獣とは異なる。それはマリードとベールの反応からも察することができる。


 何より、その気配や存在感が全くの別物だ。


「な、なんだ⋯⋯」


 黒い霧の一部が薄れていく。顕になる声の主の巨体は、風成が知識として知る姿に大半が一致した。


「お前⋯⋯は⋯⋯」


 夜道に光る赤い目と鋭い牙。それは名乗る。


われは禍を呼びしあやかし。人はこう呼ぶ。──“ぬえ”、と」

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