第5話 突然
風成は人の悪意に触れると、“声”が聞こえてくるようになった。自分と似た声色だが、どこか甘い魅惑の声で悪寒を感じさせるそれはいったい何なのかわからない。
なるべく耳を傾けないようにした。悪意に触れても友達や従兄、両親、そして“約束”を想うと遠ざかる。風成はわずかな人の善意を持って踏ん張っていた。
進級し小学2年生になった。いつものように麗奈の家で彼女と遊んでいると電話が鳴った。
家にいた麗奈の母が出ると、顔色を変え、風成の元へ駆けつけた。
「風成ちゃん、今、ご両親から連絡が来たの。あなたの従兄さんが、学校で急に倒れて、危篤だと! あと少しでこちらにいらっしゃるから、帰る準備を⋯⋯!」
「きとく?」
「その、亡くなる可能性があるということよ⋯⋯」
風成は目を見開いた。
大好きな人が、自分にたくさんいろんなものを与えてくれた人がいなくなる。恩返しもできないまま。
どうすれば乃琉が治るか幼いなりに考えた。ふと、教えてもらった“妖怪”の話を思い出す。
「ハマヒメなら、お願い事を叶えられる」
風成は麗奈やその母の言葉を無視して、家を飛び出した。そして近くの海辺に向かって走る。
たどり着いたと同時にあたりを見渡し、砂場を駆けた。
「ハマヒメー! どこー!」
黒雲が青空を覆い始める。風が強くなる。雨が落ちる。
それでも風成はやめない。海が満ちはじめ、歩ける場所が少なくなっていることすら気づかず。
「お願いがあるの! お兄ちゃんを助けてよぉ〜!」
その声は嵐にかき消される。
疲労と寒さ、失意のまま風成は気を失った。
・
気づいたら見慣れた天井が視界に入った。側には父と母がいる。
「あれ? 私は?」
起き上がった刹那、両親が涙を流しながら自身を抱擁した。
「馬鹿者、あぁ、命があってよかった⋯⋯」
「風成、あなたなぜ海なんかに」
浜辺の岩場に倒れているところを警察が見つけ保護し、そこから丸一日気を失ったままだったことを知らされる。両親の困った顔を見て、風成は自分の軽率な行動を反省した。
落ち着きを取り戻した風成はとても大事なことを思い出した。
「そうだ! お兄ちゃん! 乃琉兄ちゃんは⁉︎」
両親は顔を見合わせ暗い表情を浮かべた。父が重い口を開いた。
「なんとか回復はした、だが」
言葉に詰まる父。
「⋯⋯パパ?」
「今までの乃琉くんとは違うんだ。人が変わったんだ。その⋯⋯」
「どういうこと?」
「⋯⋯いろいろ、やり直したいと」
「ん?」
「これからあの子はもう君の前に来ないだろう。前を向きなさい。あの子と紡いだ時間は、思い出は無駄ではないのだから。これから君を大事にしてくれる人を、大切に」
風成は話の意味がわからなかった。
会えない、という実感がわかなかった。しかし時間は残酷に事実を告げた。
全く来なくなった。
1週間くらいたったところで風成は泣きじゃくった。
学校でも情緒不安定になり不意に泣き出してしまうことがあった。事情を聞いた麗奈は風成を励ました。
「うん、つらいね。風成ちゃん、泣いてばかりだとずっときついから。私と楽しい思い出を作っていこう? これから先もずっと!」
麗奈の手を取った風成は、次第に明るさを取り戻していった。
・
乃琉と会わなくなって一ヶ月経つ。一人のお留守番も慣れて、夕食の買い出しをした帰りのこと。
重い荷物を持って必死に歩いていた。荷物に気を取られて周囲に気を配ってなかったため、駅から出てくる人波にぶつかった。
「す、すみません!」
顔を見上げるとそこには金髪で全体的に整った格好をしている男と、彼にくっついている女性ものの格好をした男性がいた。その女装の人の顔は、とても見覚えがある。
「お、お兄ちゃん⋯⋯!」
抱きつこうとした、しかし喜びは一気に恐怖へと変わる。自身を見る彼の瞳が周りの人の悪意の目、いや、それ以上のものだ。
金髪の男性が話しだした。
「ベール、現世の知り合いですか?」
ベールと呼ばれた乃琉は、不機嫌に答える。
「ええ、従兄妹でしたわ。まぁ、海に捨てられてたモノなので、血の繋がりはこれっぽっちもないのですが」
優しくも落ち着く、あの低い乃琉の声ではなく、無理に女のような声を出している彼。
「私の王にぶつかるなんて⋯⋯触れるなんて! 穢らわしい拾われモノの分際で。消してしまいましょう」
ナイフのように鋭い言葉の数々。そして初めて向けられる敵意以上の感情──殺意。
「待ちなさい、ベール。こんな街中で、こんな小さな命を手にかけて、私は何か利を得ますか? 私を愛しているのなら、身勝手な行動は慎むように」
「⋯⋯はっ! ごめんなさい、王! 違うの、私はもう前世の失敗は繰り返さないわ! だからお願い、愛して⋯⋯」
「それでこそ私の直属にふさわしいです。お嬢さん、お怪我はないですか? 大きな荷物ですね。大変でしょうけれど周りに気を配って運びなさい。それでは」
そのまま二人は人波の中へとけていく。
風成の頭に、いつも以上に大きく“声”が響く。
『悲しいですね、苦しいですね、憎いですね。出来損ないのくせに。でも大丈夫です。私がいるから。さぁ、あとは委ねるだけですよ。押さえ込まなくていいのです。自分を、殺さないでくださいね』
今日だけは、その声が味方してくれてる気がした。
「そう、ね。そうしたら、きっと──」
『ええ、なくなってしまうくらいなら、初めからなかったことにすればいいのです』
“声”の通り、自分の感情のままに、全て、全て──。
誰かの手が、自分の右肩をポンと叩いた。それは、大好きな温もりを帯びて。いつも感じていた安心感とともに。
『風成ちゃんは強くなるんだろ? そして、誰かと会うんだろ? 大丈夫、お前は負けねぇよ』
はっと我にかえる。後ろを振り向くが、誰もいない。
「⋯⋯うん、うん! 私は強くなる! そして会わないといけないの!」
瞳から大粒の涙が流れる。その涙を強引にふき取る。
(でもね)
後ろを向きそうになる。
(私)
首を小刻みに振り気を持ち直し、帰路へと続く道をまっすぐ向く。
(ありがとうとさようならくらい言いたかった)
そして、足を大きく前に踏み出した。
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