第4話 声かけ

 風成の手には、慣れない竹刀を振り続けた証がたくさんできていた。乃琉は心配になったが彼女の努力を否定しないように振る舞う。


「風成ちゃん、たくさん稽古頑張ってるな!」

「えへへ! お兄ちゃんみたいに、海初うみぞめさんみたいになりたいっていったら、みんなおうえんしてくれたのー!」

「よかったな! さて、本は持てるか? 続きを読むぞ!」

「うん! きのうは“海賊”があたりを荒らしにきておわったね!」

「そう、900年代は荒れててなぁ。安倶水家の領地も例外ではなかった。海賊が攻め込もうとした時──」



 幼い五郎は見た。たった2人の武士が──あの日、自分を屋敷まで連れて来てくれた武士が次々に多くの海賊を倒していく様を。


 女はその小柄な体からは想像もできない怪力で。海色の髪を振り乱しその場を駆ける。死人のような白い肌に付着した返り血がよく目立っていた。


 男はその巨大な肉体からは想像もできない身のこなしで。ボサボサの長い茶髪を振り乱しその場を駆ける。人数の差など関係なしに派手に勝ち星をあげる。


 海賊がいなくなったのを確認した2人は、そのままその場を後にしていた。五郎は目を丸くする。


「なぜ! 使いの者が来るまで待つでしょう⁉︎ 手柄を横取りされてもいいの⁉︎」


 案の定、逃げて身を潜めていただけの者が手柄を横取りにした。


 同じようなことが何度も続きモヤモヤしていた五郎。今度こそ然るべき人物に礼をしたいと思っていたところ、父が付近の視察に行くというのでついて行くことになった。


 海賊はそのことをどこから聞きつけたのか。道中に待ち伏せしていて、護衛を薙ぎ払うと、五郎たちが乗っている牛車を囲った。


 車内で怯える2人。


 刹那、外から海賊たちの悲鳴がこだました。


「⋯⋯もしかして!」


 五郎は外の様子を見た。あの2人が海賊相手に無双している姿を見た。


 海賊を追い払った2人は一息つくとそそくさと去ろうとしている。


「お、お待ちください! 父上、このお二人が海賊を退治してくれました! 真の恩人でございます!」


 五郎の父はゆっくり震えながら外に顔を出す。女武士を見た父は急に上の身分の者に対する態度で話しはじめた。


「は、ハマヒメ様! あやかしの! いやはや、お助けくださりありがとうございます! もしよろしければ我が屋敷にお越しください!」


 ハマヒメと呼ばれた女は少し物悲しい顔をする。


「⋯⋯今私がこの場にいるのは、行動しているのは横にいるこの男、乱影らんえいあってこそ。返礼ならヒトであるこの男に」

「であるならば、お二人とも我が屋敷にて。帰りに困っていたのです。ご迷惑を承知で言いますが屋敷までの護衛を頼みたいのです」


 女は整いすぎたその顔をものすごく歪めたが、隣の【乱影】と呼ばれていた男は、眩しい笑顔で承諾した。


「あるとすれば戦闘力だけの我々ですが。それが役に立つのなら!」

「乱影!」

「なぁに、海美うみ。前みたいにおぬしが捕まることはない! どうせワシが助ける」

「⋯⋯あなたがそういうなら」


 五郎は2人の間にある強固な何かを羨ましく思った。


 2人は車内に戻ると小さな声で話し合う。


「五郎、決してあの女に無礼が無いように。アレはここらで伝わる“ハマヒメ”という妖怪である。なにせ、気に入ったものの願いをなんでも叶えるとか。しかし、無礼をやると殺されるという」

「⋯⋯はい」


 五郎は父の発言にどこか怒りと悲しみを感じていた。



 乃琉はそのページをしおりで挟むと本を閉じた。


「今日はここまでだ」

「妖怪ってなに? ハマヒメってお願い事を叶えてくれるの?」


 乃琉は唸り声をあげながら頭をかいた後幼い従妹にもわかりやすいように説明した。


「不思議な存在だ。ハマヒメもそうだろ? 人間ができないことができるんだ。怖いけど面白いぜ?」

「ふぅん」

「まぁ、風成ちゃんがもっとデカくなったら色々調べてみるといいさ」

「うん! あ、あとね、“女”は二つお名前あるの?」


 風成は幼いので、作中で出た呼び方の区別がつかなかった。


「あー、ハマヒメは妖怪としての名。俺たちでいう“人間”っていう種類だな。彼女の名前は“海美”。ちなみに男の名前は“乱影”」

「うみ、らんえい⋯⋯」


 2人の名前を口ずさむとなぜか心が満たされるような気がした。



 季節は巡り、風成は小学生になった。まだ幼いが春風に揺れる黒い長髪とその美しさは、誰の目にも止まった。


「やっぱ綺麗だよな、あの子」

「でも、“化け物”なんだってね⋯⋯」


 風成の出生は未だ忘れられておらず、人に避けられる原因となっていた。入学式から1週間経った今も、他の子達は友達を作り始めているのに彼女だけひとりぼっちだ。


 しかし、寂しくはなかった。二つの光が胸にあるので、学校での孤独は耐えている。


「家に帰ったら、お兄ちゃんがいる。そして、こんなに人が多いもの。“約束”した人とも会えるはず」


 風成は一人で安倶水記を読んでいた。乃琉に教わった部分を繰り返しくりかえし、思い出を噛み締めるように。そうやって周りへの興味から目を逸らしていた。


「難しそうな本ね」


 突然話しかけられて風成は驚いた。どんな人物が“化け物じぶん”に話しかけたのかと目を向ける。そこには可愛らしいワンピースが似合う花の香りの女の子がいた。


「どんなおはなしなの?」

「⋯⋯男の子ががんばるおはなし、かな」

「へぇ、図書室にあるかな」

「わからない。これは私の家から持ってきたから」

「そうなのね。明日のお昼、一緒に行こう」


 急なお誘いに目を丸くする風成。その反応を首を傾げて見つめる女の子。


「⋯⋯あ! お名前いうの忘れてた! 私、要頬かなめほほ 麗奈れな。レナでいいよ。よろしくお願いします!」

「わ、私は、廻郷まわりざと 風成ふうな。私“化け物”だけどいいの⋯⋯?」


 麗奈はソワソワした目つきの風成を見て、ふう、と一息ついて言った。


「風成ちゃんは誰かに怖いことしてないじゃない。だから化け物じゃ無いのよ」


 風成は目を見開いて彼女を見つめた。


「ほんと?」

「うん。たしかに海から生まれたって聞いた時はびっくりしたけど。それだけじゃない」


 “怖い目”ではなく、自身をまっすぐ見るその瞳。乃琉や両親が自分を見るときの温かさを感じた。


「お友達になりましょ!」


 気づけば風成の頬には涙が伝っていた。憧れていた、欲しがっていたもの。心の氷が溶けているように感じた。


 泣きながら頷く風成をびっくりした様子で見つめる麗奈。周りのクラスメイトはその様子を、ただ呆然と見ているだけだった。



 帰り道が途中まで一緒だったので2人はともに帰った。地域のパトロールする大人たちは“化け物”と歩いている彼女に驚いていた。


「れ、麗奈ちゃん、その⋯⋯」

「どうしたの? あ、この子は私の新しいお友達の風成ちゃん!」


 彼女はかなり名前を知られていた。それもそのはず、彼女の家は街で有名な豪邸だったのだ。


 風成も見たことのない広さとその造形に空いた口が塞がらなかった。


 その日はそのまま家に帰った。乃琉と両親に新しい友達ができたことを報告した。


 乃琉はとても喜び、風成に友人を大切にするように伝えた。


 両親はとても驚いていた。


「要頬さんって、たしか政治家と衣服系会社の社長さんの! 近所でも有名な方ね」

「私立の学校に行くのではと言われていたけれど⋯⋯」


 風成はそのことについてきちんと聞いていた。


「レナちゃんね、地域のいろんな人と会いたいって! それでね、学校ここにしたって言ってたよ」

「たしかに、ここの学校人数多いからねぇ」


 その日は、初めての友達の話題で盛り上がった。



 次の日、風成と麗奈は教室に入った途端クラスメイトに囲まれた。


「麗奈ちゃん、風成ちゃん! おはよう!」

「麗奈ちゃん、今日も素敵なお洋服! 風成ちゃん麗奈ちゃんと一緒にきたんだね」


 麗奈は慣れた様子で対応してたが、風成はなんとも言えない気持ち悪さを感じた。麗奈のような態度を取ってはみたが、授業中ずっとモヤモヤしていた。


 明らかに麗奈以外のクラスメイトは、“仕方なく”そうしているようだった。麗奈が別のところに行っているときは誰も話しかけないのに、彼女がいる時だけ親しげに話しかけてくる。


(なにこれ)

 

 帰りもそうだった。今まで自分を煙たがっていた大人たちが麗奈とともに歩いていると親しげに話しかけてくる。もちろん彼女と離れた後、再会するといつもの無視。


(胸があつい⋯⋯気持ち悪い)

『それは怒りです。他の感情も含まれてるけど今はこれだけでいいでしょう』


 誰かの声が聞こえる。


「だ、誰!」

『“私”ですよ、私。今、ふつふつとわいてきた“怒り”をどうにかしたいでしょう』


 耳を塞いでも聞こえる“声”。頭の中に直接響いている。自分の声とそっくりだということもわかった。そして、“声”に耳を傾けるのは危険だと感じた。


「だ、大丈夫だもん!」


 風成は泣きながら帰路を走る。ちょうど玄関にいた乃琉に飛びついた。


「おい、どうした風成ちゃん。またなんか言われたのか?」

「うええええん! 声が! 声がぁぁぁぁぁあ‼︎」

「お、落ち着け! と、とりあえず家にあがろう」


 家の鍵を開けた乃琉は彼女が泣き止むまで抱えた。落ち着いた風成はそのまま眠りにつく。


 次第に穏やかな顔つきになる彼女だったが、彼を握る手の力はずっと強いままだった。

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