002.面接開始


深浦 伶実ふかうら れみさん…………」

「ひゃぁいっ!」


 手元に置かれた紙を眺めながら右上にある綺麗な字を読むと、目の前の少女はまるで飛び出すかのように身体を跳ねさせて大きな返事をする。

 彼女の目の前に置かれたコーヒーカップもガチャリと不穏な音を立てるが、どうにか中身が飛び出すことは無かったようだ。


 俺は今、彼女に手渡された紙――――履歴書を眺めながら、予定になかった面接を行っていた。

 テーブル席の向かいに座るは今日唯一の客…………じゃなかった。客ではなく、労働希望者の女子高生が地に足がつかないといった様子で座っている。

 手はテーブルの上にいったり膝上にいったり、視線も落ち着かなさそうにしきりに辺りを見渡している。ちなみにお手洗いではなかった。


 深浦 伶実――――

 手元にある履歴書には間違いなくそう書かれてある。なぜ今日開店したばかりなのに用意周到なのかは知らないが、過不足無く埋められた欄。

 年は16歳…………高2か。学校は小学校からエスカレーター式の、ここから少し離れた女子校に在学。資格の欄に何も無いのは当然で、志望動機は当たり障りの無いことが書かれている。


「雇って…………いただけますか…………?」

「…………」


 上目遣いになりつつも、少し隠れる茶色の前髪からこちらを覗き込んでくる少女。

 雇うねぇ……。そもそもここは俺一人で切り盛りすることを想定してるしなぁ。人を雇うなんて夢にも思っていなかった。

 確かに労働力は重要だ。働いてくれる間俺は別のことしたり、寝入ったりすることができる。けど費用がなぁ……。労働単価がなぁ……。


「えっとね、深浦さん」

「は、はいっ!」


 彼女の口から出るのは静かな喫茶店に似つかわしくない、ハキハキとした返事。

 働く上で元気なのは重要だけど、ここではちょっと大きいかな?


「アルバイト希望……ってことだよね?」

「はい……。ダメ、ですか?」

「なんて言えばいいのか……。ウチは今日開店したんだけど、あんまり売れようとも思ってないんだ。 だからこの入り組んだ道の先に作ったわけで、初日で来たことに驚いたよ」


 この店は街からも随分離れて住宅街ともいい難い、絶妙な位置に存在している。

 なかなか入り組んだ道を通った先の、行き止まりに構えた店。正直知る人ぞ知るってレベルを超えた秘境とも言える喫茶店だ。それを一発で当てた彼女は凄いが、それはまた別の話。この土地柄、あまり客を取ろうとも考えてない。


「ここで働いても暇だろうし、きっとつまらないよ?」


 あまり直接的に言えば角が立つから、回りくどく答えたお断りの言葉。

 これで通じてくれるといいんだが……。


「大丈夫ですっ! そんな時はお掃除しています! 私、お掃除なら得意ですので!!」

「…………」


 通じてなかったかー。

 掃除が苦手な俺からしたらありがたいが、今は求めてない。


「でも、何の経験にもならないと思うけど……」

「私、お料理が苦手ですけど頑張って覚えますっ!」

「…………」


 そうじゃないんだよなー。メニューには確かに軽食もあるけどそういうことじゃないからね?

 これ、どう言っても前向きに捉えられそう。ならば…………。


「じゃあ…………なんでここにしようと思ったの? もっと別の……街にでも出れば喫茶店なんていくらでもあるのに」


 最初に聞くべきことかとも思ったが、この質問はできるならしたくなかった。

 だって動機なんて『給料の差』とか『家から近い』とか『自分でもできそう』くらいしか無いだろう。なのにワザワザ聞いて、取り繕った答えが返ってきて、本当に相手が思っている真実から遠ざかって……。聞く意味なんて無いと思っていたから。

 けれどさすがに今回は聞かざるを得ない。だって募集してないのに来たんだし。


「それは…………」


 その問いを受けた彼女は一瞬だけ目を丸くし、視線を逸らして言葉を探す。


「…………」


 しかし待てど一向に言葉が帰ってくることはない。

 なにか理由があるのは確かだろうが、それを言うのははばかられる。そんな雰囲気だ。


「お願いしますっ! ここで働かせてくださいっ!」

「うーん…………」


 心情的には雇ってあげたい思いも出てきたが、もしこの面接が”ウソ”であるなら。


 もし雇っても実際に働く日になって来なければ――――。

 もしネットの炎上目的ならば――――。

 もし怖い人たちのカモにされるような役割を担っていたら――――。


 嫌な想像をすればいくらだって出てきてしまう。

 もう人に裏切られたくない、もう傷つきたくない。だからこうして俗世から切り離されたような生活を選んだのに、もしそうだとしたら――――。


 テーブルに額が当たる勢いで頭を下げる彼女を視界に収めながらも、そんな想像は止まらない。


「お願いしますっ…………」

「こちらとしても、できることなら雇ってあげたいんだけど…………。 いかんせんキミのことを知らないから信頼がね……」

「信頼……?」

「…………ほら、俺も店開くのってこれが初めてだからさ。キミが炎上目的かどうかもわからなくって」

「炎上!? そんなことしませんっ!」


 心底驚いたような表情をするが、俺だって信じたい。

 けどこの身に染み付いた疑い癖というのは、どうも抜け落ちることができない。


「だから悪いんだけど、今回は――――」

「……では、これでどうですか?」

「? スマホ……?」


 残念ながら諦めて。そう伝えようとしたところ、彼女がバッグから取り出したのはスマホ。

 可愛らしいピンクのケースに収められた、汎用型で人気機種、最新型のスマホだ。

 それを何故かこちら側に差し出してくる。


「はい。普段使うのでお渡しすることはできませんが…………データは全部保存してもらって構いません。多分、私の全てが収められていると思うので、どう使ってくれても…………」

「なっ…………! なに言って……なに言ってるの!?」


 何を言うかと思えば、スマホのデータを全部差し出す!?

 今この時代、それがどういう意味を持つかなんて嫌でも分かってる。俺だってスマホは命の次に大事なものと言えるレベルだ。

 それを初対面の……ここで働きたいが為に渡すなんて…………。


「なので……炎上するのは私です! ここで働かせてください!!」

「――――っ!!」


 その真っ直ぐな視線に、俺は何も言うことができなかった。

 なぜ彼女はそこまでこの喫茶店に固執するのか。なぜ自らの全てを差し出す覚悟でいるのか。


 その行動の意味も、動機もわからないことが多すぎる。

 …………けれどそれなら……そこまでいう覚悟があるのならば……。


「――――いいよ」

「えっ……?」

「俺の負けだ。 深浦さん、ここで働いてもらえる?」

「……いいんですか?」


 まさかその答えが返ってくると思わなかったのか、ポカンとした表情を浮かべる少女。

 まぁ、出費が痛いけど看板娘ができたと考えればいいか。


「もちろん。 あ、でもあんまり給料は期待しないこと!客が来ないことにはカツカツだからね!」

「あっ……ありがとうございます! そ、そうだ。スマホですね!今ロック解除して渡しま――――」

「ストップ! スマホは要らないから! それはしまって!!」


 そんな個人情報の塊、渡されたところで管理に震えるだけだ。

 渡そうとしてくるスマホを必死に押し返していると、彼女は渋々といった様子でバッグへとしまっていく。


「わ……わかりました。 それでは私はいつから働けば……あ、今からでもいいですよ!」

「いや、こっちに準備が色々とあるから……次の土曜からでお願い」


 一人で働くつもりだったから、バイトなんてどう扱えばいいのかさっぱりわからない。

 せめて勉強する時間を……準備する時間がほしい。



 ――――でも、改めて見るとすっごい可愛い子だよなぁ。

 まさかこんな子がバイトを求めてくるなんて。他のところなら一発で顔採用だろうに。

 もし彼女が俺の高校時代に居たら……きっと学年……いや、学校のアイドルと化していただろう。俺なんか話すどころか顔を合わせることすら叶わない。


「それでは、不束者ですが今後ともよろしくおねがいします。 …………えっと」

「こちらこそよろしく……って、どうしたの?」

「よろしければ、お名前を……」


 あ、そういえば彼女の名前ばっかり知って俺のこと何も言ってなかったっけ。


「そうだった。俺は大牧 総おおまき そう。よろしく」

「はい、よろしくおねがいします。 マスター」


 あれぇ?

 名前教えたもんだから返ってくると思ったのに。


 でもマスターか…………それも案外悪く無いかも。


「それじゃあ今日のところはこのくらいにしておこうか。 また色々用意しておくから、土曜日に」

「ありがとうございました。 また土曜日に」


 彼女は荷物を手元にまとめ、まさしく俺が学生時代の面接で練習したような、それ以上に自然で美しい動作で店を出ていく。

 そんな後ろ姿を見送った俺は、彼女を迎えるためにまずは調べ物に取り掛かった――――。






◇◇◇◇






「ふぅっ…………」


 私は家に帰ってすぐに、着替えることすら忘れてベッドへ倒れ込んだ。

 横を向いた先に見えるのは自室の机。そしてその上にはいくつもの紙が散らかっている。


 それは震える手で書き、書き損じた履歴書の山。

 履歴書なんて初めて書いたし、そもそも見てもらうということを考えたら手がやけに震え、何度も失敗してしまった。

 あの時渡したのは奇跡の産物。まさしく非の付け所がない最高の一枚だった。


「~~~~!!」


 ボーッと紙の山を見ていたら、段々と実感が湧いてきて枕に顔をうずめながらバタバタと足を動かす。

 ホコリが舞っても、スプリングがギシギシ音を立てても構わない。だって、それだけのことをようやく成し遂げたのだから。


 ようやく、ようやく夢の第一歩だ。これから私達の物語が始まるのだ。これから……ずっと…………。


「ずっと……ずぅっと……一緒ですよ。 総さん――――」

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