第十四話 留守番

 雪野はマンションの九階、最上階で物資の調達をしていた。

 

 今から少し前、古谷とエリーが外に探索に行ったのだ。戦闘面で役立たずの私はお留守番。


 特にやることもないため、マンション内の最後の探索を行っていたのだ。拠点の四階からは最も遠いため、自然とこの階が最後になった。


「さて……」


 私は一つ目の部屋に足を踏み入れる。


 最初に私を迎えたのは、散らかったたくさんの靴。かなり慌てて外に出たのだろう。


 また、その中にはとても可愛らしい小さな靴もある。子供用だろう。それもかなり幼い子が使うであろうもの。


 私はそれらを綺麗に並べると、「失礼します……」と呟き、足を進めた。

 

 まず目に入ったのは、リビングの隅にある小さな滑り台。その周りの箱には、積み木などのカラフルなおもちゃがたくさん入っている。


 白黒のマットが敷かれたその空間は、間違いなく子供の遊び場だろう。


 感傷的な気分になりつつも、私は探索を始める。


 探すものは、水、食料、その他便利用品と大雑把だ。

 

 大体のものはこれまでに手に入ってるので、あまり多くのものは持って行かないだろう。


 キッチンに入る。あるのは腐った食品で悪臭を漂わせる冷蔵庫。基本的に水だけささっと回収して立ち去るのだが、今回は違った。


 そこに貼られた付箋に目が向いたのだ。


 内容は買い物のメモだった。鶏肉に小麦粉に卵など……唐揚げでも作る予定だったのだろうか。


 私はそれから意識を外すと、冷蔵庫を開けた。

 

 二つの二リットルサイズペットボトルがあった。それらのキャップ下にあるリングを確認する。


 それらがキャップから離れていないかを確認し、一度も開封されていない片方を回収する。もう一つはどうしてもの時、また回収に来よう。

 

 次に奥の棚を開ける。そこにはそれなりの量のお菓子が入っていた。


 その中のほとんどは子供向けのもので、主にカルシウムなどの栄養成分が入ったものが多かった。この家の子の保護者は、きちんとそういう面を意識していたのだろう。


 それらを遠慮なく拝借すると、マンションで見つけた大容量リュックに詰めていく。


「よし」


 これで最低限は終わりだ。後は適当に使えそうなものを探すだけ。


 リビングや洗面所で数個ずつ日用品を回収し、最後に寝室に向かう。


 人の部屋を漁ることには慣れてきたが、それは物を盗むことへの抵抗がなくなったということに繋がるかもしれない。


 多少の罪悪感を感じつつ、タンスなどを見ていく。衣類がほとんどで目新しいものは特にない。あるとしたら、タンスの上に置いてあった一冊のノートだけ、でもなんでこんなところに……?

 

 中を見てみると、それがなんのためのノートかは一眼で分かった。


[ニ〇ニ四年 一月二日 

 今日はソラの二歳の誕生日。夜にはパーティーをして、ソラの大好きな唐揚げとお誕生日ケーキを食べました。

 プレゼントは大きな滑り台。興味津々だけど滑ろうとはしません。今後遊んでくれるかな?

 最近はおしゃべりも上手になってきて、口癖はおもちゃちょうだい、ママとって。パパは呼んでくれなくて寂しそうだけど、今年も幸せな時間になりました。

 これからもすくすく育ってほしいです。]


 それは、子供の成長日記だった。どこか、心に沁みるものがある。


 自分の胸を抑えながら、私はそれをそっとタンスの上に戻した。


 私には、全く幼い頃の記憶がない。いや、ないのは普通なのだろうけど、何かすっぽり抜け落ちたような、そんな奇妙な感覚がある。


 適当に開けた部分は去年の一月二日。日記を見るに、この日が子供の誕生日なのだろう。


 そして今年……転移が起こったのは一月一日。子供の誕生日の前日だ。あの冷蔵庫のメモが思い浮かぶ。


「こんなの………」


 消化しきれない感情を抱きながらも、私は室内の探索を続けた。


 ベット脇の棚などを順に見ていき、最後にクローゼットを開く。


 そこには豪華な包装がされた、大きな箱。


 前面には[ソラ 三歳の誕生日おめでとう!!]と赤く目立った字で書かれていた。


 私はその場で俯きながら、感情の波が収まるのをただ堪えていた。


 


 この部屋の探索を終え、玄関に向かう。


 その前に、私はキッチンの方へ戻った。


「まだ、死んだとは限らないよね……」


 そう自分に言い聞かせ、リュックに入っていたお菓子を一つ一つ、元の位置に並べていった。


 変な贔屓をしているのは分かっていた。意味のないことをしているのは分かっていた。ただの綺麗事にすぎないことは分かっていた…………でも、自分の中で、それは絶対に譲れないものとして震えていた。


 一つ残らず綺麗に収めると、静かに棚を閉じた。


 私は願いながら、扉を抜ける。


 いつか顔も知らない彼らが、また幸せを感じられるように。




 物資調達を終えると、雪野は四階の自室に戻った。

 

 成果はそこそこ。特に目新しいものはなかったが、水や食料はそれなりに回収できた。


 私は左腕の時計に目を落とす。結構時間も経ったので、そろそろ古谷たちが戻ってきてもいい頃だけど……。


 集めた物資を取り出し、整理を始める。


 まさか、恐竜とかにやられてないよね……。エリーも一緒だし、そんなことはあり得ないと思う。けど、何があるかわからないし……。


 思考と比例するように作業速度は上がり、不安を紛らわすように手を動かしていると、数分後には整理が終わってしまった。


 ……心配だ。


 私は相変わらず赤い空が広がるベランダに出ると、古谷達が向かった方向に目を向ける。


 二人の姿はなかったが、代わりに何か小さな黒い塊が見えた。


「なんだろ……」 


 目を凝らして、その物体を見つめる。その時、それが動いた。

  

「!?」


 慌ててベランダの塀に隠れる。あの物体は確かに動作した。風などの仕業ではない。


 明らかに人でも、恐竜でもない生物がすぐ近くにいる。新手の魔物か何かかもしれない……。


 不安な状況が、額に冷や汗を流させる。


 最低限、敵かどうかだけ確認したい……。決意を固め、塀の向こう側に意識を向ける。


 長く息を吐くと、ゆっくり少しづつ、姿勢を上げていった。ギリギリのところで一度上昇を止め、ひっそりと目だけ塀から覗かせる。


 それは、ゆっくりとだが、確実にこちらに近づいてきていた。道の隅を通って移動してくる。


 距離が近くなるにつれて、黒い物体の正体が判明してきた。


 体は本当に小さくて、猫ぐらい。そして足は四本で、猫ぐらいの長さ。特徴的な鍵しっぽはとても猫のものに似ている。そして極め付きの猫耳は………うん、あれは正真正銘の猫だ。


 少なくとも見た目の面においては、どっからどう見ても猫そのもの。今もてくてくと足を動かし、マンションの方に寄って来ている。


 その様子に安堵しつつ、同時に疑問を覚えた。こっちの世界に来てからは動物を一度も見ておらず、すでに生き残っていないと思っていた。もしかしたらこの世界の猫なのかも……?


 じっと見ていたら、マンションに到達する直前で道を曲がり、どこかに行ってしまった。


 少々気分は盛り下がり、脳内に描かれた猫と戯れる情景は、あっという間に霧散した。


 ………そんなことより、やっぱりエリーと古谷の帰りが遅い。そこでそれなりの間待っても、彼らが戻ってくる気配はなかった。


 心配することしかできない自分にもどかしさを感じながら、部屋の中に戻る。


 喉を渇きを感じ、ペットボトルに手を伸ばした。ぬるい水はあまり美味しくないが、贅沢は言ってられない。


 一口飲んで喉を潤し、キャップを閉めようとしたその時、大きな衝撃が建物を襲った。思わずペットボトルを落とす。


「なに!?」


 この感覚、最初の時と同じ……。まさか恐竜が攻撃してきたのか。


 雪野は急いでリュックを取り出すと、そこに適当に食料と水を詰め、玄関に急ぐ。


 扉から飛び出すと、急いで階段へ。


 敵に襲われた時のため、シミュレーションは完璧にしていた。万が一建物ごと壊されたらまずいので、すぐに離れないといけない。


 外の様子は変化が見えず、でかい恐竜も確認できない。けれど、何者かが攻撃してきたのは確実だ。

 

 急いで階段を駆け降り、まずは地下に逃げ込もうとしたその時、外の方に人影が見えた。


 しかしその人物は、エリーでも古谷でもない。余りにもガタイが良すぎた。


 その黒衣の人物は何の前触れもなく侵入してきて、口を開く。


「そっちから来てくれたのか……ありがたい」


 その無表情は、エリーとは違い、確かな敵意を含んでいた。逃げないと……殺される。


 雪野はすぐに目を逸らすと、すぐさま階段を駆け降り始めた。そして同時に迫ってくる、恐怖を煽る大きな足音。


 雪野はつまづきながらも、一心不乱に走った。


 が、背中に強い衝撃を感じるまで、少しの猶予も残されていなかった。

 

 

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